8 / 42
前編
第七話
しおりを挟む
重い扉を出ると、がらんとした長い廊下が広がっていた。来る時はあんなに短く感じた灰色の廊下が、今は永遠のように長く感じられる。どうしてこの人は、こんな足音まで綺麗なのだろうか。そんなことを考えながら、リースはアーサーの少し後ろを俯き気味に歩いた。
「……はあ」
しばらく歩いた時アーサーが突然、小さくため息をついて立ち止まった。リースも慌てて隣で立ち止まり、顔を上げる。すると廊下の奥に二つ、背の高い人影が見えた。
誰だろうと目を凝らしているうちに、僅かに手を引かれた。思わずその手の主を見上げると、形のいい唇が、隠れてろ、と小さく動いた。
「おー!アーサーじゃん!」
言われた通りに背後に回り込むと、しばらくして明るく大きな声が聞こえた。大きな背丈の後ろからそっと覗き見ると、やけに顔の整った背の高い男が能天気な笑みを浮かべていた。その隣には、眼鏡をかけた鋭い目の男。こっちの男には見覚えがあった。同じ寮の四年生だ。よく談話室でアーサーと話しているのを見たことがある。
「カイル、お前は相変わらず声がでかいな。うちの寮で騒ぐなよ」
アーサーがため息混じりに答える。その背中越しに、カイルと呼ばれた背の高い方と目が合った。
「ふーん、君が噂の……」
ニヤニヤしながらそう言われて、慌ててアーサーの隣に立つ。アーサーの指示とはいえ、上級生の前で挨拶もなしに隠れているのは気が引けた。自己紹介をしようと口を開いたが、アーサーの方がほんの少しだけ早かった。
「リース・ハースト候補生だ。後輩を困らせるな」
「へえ、噂通り可愛いんだね」
その言葉にはムッとしたが、上級生相手にそんな顔をする訳にもいかない。敬礼をすると、カイルは「そんなのいいって」と、ヘラヘラ笑った。どうすればいいのか分からず思わずアーサーを見上げると、僅かに腰を引き寄せられた。その仕草に、心臓がまた少し、脈打ったのが悔しい。
カイルはニヤリと笑って、再び口を開いた。
「さっすがアーサー。処理帰り?」
「お前にはデリカシーってものがないのか」
眼鏡の方が、ため息混じりにそう言った。ふと視線を向けられて、思わず背筋が伸びる。
「すまないな。ハースト候補生」
理知的な眼鏡の奥に潜む、見下ろすような鋭い視線。それに少したじろいでいる隙に、彼はそのままカイルを引きずるようにして、奥の処理室へと消えていった。
あの人が、あんな明るいオメガとパートナーだなんて。
意外にも思えたが、それ以上に、どこかに妙な違和感の残る二人だった。
静まり返った長い廊下を、再びひたすら無言で歩く。そしてついに端まで来た時、アーサーが少しもったいぶるように口を開いた。
「訓練着はしばらく使わないから、持っていて構わない。……あと、これ」
そう言ってアーサーがポケットから取り出したのは、十粒ほど連なった座薬のカプセルだった。 戸惑いながら、思わずアーサーを見上げる。
「こんなに沢山、受け取れないです。……どうやって手に入れたんですか?」
「俺は使わないから、受け取れ」
恐る恐る、気になっていたことを聞いてみる。だが、アーサーはそれには応えることなく、問答無用といった様子で腕を突き出してきた。
「……あ、ありがとうございます」
リースはそれ以上拒むこともできず、目を逸らして小さくそれだけ返した。
アーサーはまだ何か言いたげにリースを見下ろしていた。その視線に、不覚にも手に汗が滲む。
「……絶対に、更新しろ。いいか、絶対だ」
ようやく口を開いたと思うと、アーサーはいやに鋭い目つきになって、低くはっきりとそう言った。そして言い終わったと思うと、そそくさと背を向けて歩き出した。
「は……」
脈打つ鼓動の音が、静まり返った廊下に漏れていそうなほどに響く。
最後に何を言うのかと思えば、更新しろだなんて。
――処理なんて懲り懲りだってば。
俯いて、床を一つ蹴った。
アーサーだって、きっと社交辞令に違いない。彼がこんな不完全で面倒なオメガの相手をもう一度したがるわけがないじゃないか。
リースはそう言い聞かせるようにひとつ息をついて、静かに歩き出した。そうでもしないと、あの社交辞令にしては嫌に強く聞こえた最後のセリフに、また何か意味を感じてしまいそうで怖かった。
「……はあ」
しばらく歩いた時アーサーが突然、小さくため息をついて立ち止まった。リースも慌てて隣で立ち止まり、顔を上げる。すると廊下の奥に二つ、背の高い人影が見えた。
誰だろうと目を凝らしているうちに、僅かに手を引かれた。思わずその手の主を見上げると、形のいい唇が、隠れてろ、と小さく動いた。
「おー!アーサーじゃん!」
言われた通りに背後に回り込むと、しばらくして明るく大きな声が聞こえた。大きな背丈の後ろからそっと覗き見ると、やけに顔の整った背の高い男が能天気な笑みを浮かべていた。その隣には、眼鏡をかけた鋭い目の男。こっちの男には見覚えがあった。同じ寮の四年生だ。よく談話室でアーサーと話しているのを見たことがある。
「カイル、お前は相変わらず声がでかいな。うちの寮で騒ぐなよ」
アーサーがため息混じりに答える。その背中越しに、カイルと呼ばれた背の高い方と目が合った。
「ふーん、君が噂の……」
ニヤニヤしながらそう言われて、慌ててアーサーの隣に立つ。アーサーの指示とはいえ、上級生の前で挨拶もなしに隠れているのは気が引けた。自己紹介をしようと口を開いたが、アーサーの方がほんの少しだけ早かった。
「リース・ハースト候補生だ。後輩を困らせるな」
「へえ、噂通り可愛いんだね」
その言葉にはムッとしたが、上級生相手にそんな顔をする訳にもいかない。敬礼をすると、カイルは「そんなのいいって」と、ヘラヘラ笑った。どうすればいいのか分からず思わずアーサーを見上げると、僅かに腰を引き寄せられた。その仕草に、心臓がまた少し、脈打ったのが悔しい。
カイルはニヤリと笑って、再び口を開いた。
「さっすがアーサー。処理帰り?」
「お前にはデリカシーってものがないのか」
眼鏡の方が、ため息混じりにそう言った。ふと視線を向けられて、思わず背筋が伸びる。
「すまないな。ハースト候補生」
理知的な眼鏡の奥に潜む、見下ろすような鋭い視線。それに少したじろいでいる隙に、彼はそのままカイルを引きずるようにして、奥の処理室へと消えていった。
あの人が、あんな明るいオメガとパートナーだなんて。
意外にも思えたが、それ以上に、どこかに妙な違和感の残る二人だった。
静まり返った長い廊下を、再びひたすら無言で歩く。そしてついに端まで来た時、アーサーが少しもったいぶるように口を開いた。
「訓練着はしばらく使わないから、持っていて構わない。……あと、これ」
そう言ってアーサーがポケットから取り出したのは、十粒ほど連なった座薬のカプセルだった。 戸惑いながら、思わずアーサーを見上げる。
「こんなに沢山、受け取れないです。……どうやって手に入れたんですか?」
「俺は使わないから、受け取れ」
恐る恐る、気になっていたことを聞いてみる。だが、アーサーはそれには応えることなく、問答無用といった様子で腕を突き出してきた。
「……あ、ありがとうございます」
リースはそれ以上拒むこともできず、目を逸らして小さくそれだけ返した。
アーサーはまだ何か言いたげにリースを見下ろしていた。その視線に、不覚にも手に汗が滲む。
「……絶対に、更新しろ。いいか、絶対だ」
ようやく口を開いたと思うと、アーサーはいやに鋭い目つきになって、低くはっきりとそう言った。そして言い終わったと思うと、そそくさと背を向けて歩き出した。
「は……」
脈打つ鼓動の音が、静まり返った廊下に漏れていそうなほどに響く。
最後に何を言うのかと思えば、更新しろだなんて。
――処理なんて懲り懲りだってば。
俯いて、床を一つ蹴った。
アーサーだって、きっと社交辞令に違いない。彼がこんな不完全で面倒なオメガの相手をもう一度したがるわけがないじゃないか。
リースはそう言い聞かせるようにひとつ息をついて、静かに歩き出した。そうでもしないと、あの社交辞令にしては嫌に強く聞こえた最後のセリフに、また何か意味を感じてしまいそうで怖かった。
131
あなたにおすすめの小説
転化オメガの優等生はアルファの頂点に組み敷かれる
さち喜
BL
優等生・聖利(ひじり)と校則破りの常習犯・來(らい)は、ともに優秀なアルファ。
ライバルとして競い合ってきたふたりは、高等部寮でルームメイトに。
來を意識してしまう聖利は、あるとき自分の身体に妙な変化を感じる。
すると、來が獣のように押し倒してきて……。
「その顔、煽ってんだろ? 俺を」
アルファからオメガに転化してしまった聖利と、過保護に執着する來の焦れ恋物語。
※性描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
※2021年に他サイトで連載した作品です。ラストに番外編を加筆予定です。
☆登場人物☆
楠見野聖利(くすみのひじり)
高校一年、175センチ、黒髪の美少年アルファ。
中等部から学年トップの秀才。
來に好意があるが、叶わぬ気持ちだと諦めている。
ある日、バース性が転化しアルファからオメガになってしまう。
海瀬來(かいせらい)
高校一年、185センチ、端正な顔立ちのアルファ。
聖利のライバルで、身体能力は聖利より上。
海瀬グループの御曹司。さらに成績優秀なため、多少素行が悪くても教師も生徒も手出しできない。
聖利のオメガ転化を前にして自身を抑えきれず……。
Ωの花嫁に指名されたけど、αのアイツは俺にだけ発情するらしい
春夜夢
BL
この世界では、生まれつき【α】【β】【Ω】という性の区分が存在する。
俺――緋月 透真(ひづき とうま)は、どれにも属さない“未分化体(ノンラベル)”。存在すら認められていないイレギュラーだった。
ひっそりと生きていたはずのある日、学園一のαで次期統領候補・天瀬 陽翔(あませ はると)に突然「俺の番になれ」と迫られ、なぜか正式なΩ候補に指名されてしまう。
「俺にだけ、お前の匂いがする」──それは、αにとって最大の禁忌だった。
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
ハッピーライフのために地味で根暗な僕がチャラ男会計になるために
ミカン
BL
地味で根暗な北斗が上手く生きていくために王道学園でチャラ男会計になる話
※主人公へのいじめ描写ありのため苦手な方は閲覧ご注意下さい。
学園一のスパダリが義兄兼恋人になりました
すいかちゃん
BL
母親の再婚により、名門リーディア家の一員となったユウト。憧れの先輩・セージュが義兄となり喜ぶ。だが、セージュの態度は冷たくて「兄弟になりたくなかった」とまで言われてしまう。おまけに、そんなセージュの部屋で暮らす事になり…。
第二話「兄と呼べない理由」
セージュがなぜユウトに冷たい態度をとるのかがここで明かされます。
第三話「恋人として」は、9月1日(月)の更新となります。
躊躇いながらもセージュの恋人になったユウト。触れられたりキスされるとドキドキしてしまい…。
そして、セージュはユウトに恋をした日を回想します。
第四話「誘惑」
セージュと親しいセシリアという少女の存在がユウトの心をざわつかせます。
愛される自信が持てないユウトを、セージュは洗面所で…。
第五話「月夜の口づけ」
セレストア祭の夜。ユウトはある人物からセージュとの恋を反対され…という話です。
僕を嫌っていた幼馴染みが記憶喪失になったら溺愛してきた
無月陸兎
BL
魔力も顔も平凡な僕には、多才で美形な幼馴染みのユーリがいる。昔は仲が良かったものの、今は嫌われていた。そんな彼が授業中の事故でここ十年分の記憶を失い、僕を好きだと言ってきて──。
暗殺者は王子に溺愛される
竜鳴躍
BL
ヘマをして傷つき倒れた暗殺者の青年は、王子に保護される。孤児として組織に暗殺者として育てられ、頑なだった心は、やがて王子に溺愛されて……。
本編後、番外編あります。
公爵子息だったけど勘違いが恥ずかしいので逃走します
市之川めい
BL
魔王を倒した英雄によって建国されたグレンロシェ王国。その後は現在までに二人、王家の血を引く者から英雄が現れている。
四大公爵家嫡男、容姿端麗、成績優秀と全てにおいて恵まれているジルベールは、いつか自分も英雄になると思い、周りには貴公子然とした態度で接しながらも裏では使用人の息子、レオンに対して傲慢に振る舞い性的な関係まで強要していた。
だが、魔王の襲来時に平民であるはずのレオンが英雄になった。
自分とレオンの出生の秘密を知ったジルベールは恥ずかしくなって逃走することにしたが、レオンが迎えに来て……。
※性描写あり。他サイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる