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後編ークリスマス演習編ー
第二十二話
しおりを挟む「あの人形は、本来この通路にあったのが船が揺れて落ちてしまったので、救助対象外になった。教官に言われて注意書きを貼りに来た。無茶をするな」
声の主ーーアーサー・ケインは早口にそれだけ言うと、向かい合ったまま硬直しているリースとネイサンの横を無言で通り過ぎ、手元に持っていた紙を端の手すりに手際よく貼り付けた。そしてコツコツと整った足音と共に、再び入口の方へと消えていった。
息の詰まるような数秒が過ぎ去り、リースとネイサンは思わず顔を見合わせた。
「……なあ、お前寮長と付き合ってるの?」
「はあ?……そんなわけないだろ」
「いやいや、目めっちゃ怖かったし。殺されるかと思った」
確かに、今のアーサーは怖かった。最後に聞いた声よりーーずっと低くて、冷たい目をしていたような気がする。リースの胸に不穏なざわめきが走った。
--なんでそんな顔するんだよ。
ただ無茶を咎められただけだ--そう思いたいのに、どうしてもそれ以上の何かを含んでいる気がしてならなかった。あの日の処理室が、一気に頭に蘇る。あの妙に優しい声。何か愛しいものでも見るかのような表情ーー。
「俺、ただでさえ目つけられてんだよな。寮規破りまくってるから」
少しシワになった制服をパンパンと払いながら、ネイサンが参ったように言う。
「ごめん、僕が無茶したせいで……」
「そうだな。お前は一人で無茶しすぎ」
おでこをツンと突つかれて、素直によろめいた。確かにネイサンにちょっと苛立ったからって、一人で突っ走りすぎてしまった。反論の余地もない。もう一度丁寧に謝って、二人は機関区を後にした。
午後の探索訓練は結局、ドレイク寮の勝利に終わった。例年こういう探索や体力勝負の種目は、彼らに軍配が上がることが多いらしい。
「俺らのも、見つけたってだけでも点数入れてくりゃ良かったのにな」
「いや、あんな無茶しちゃったんだから……減点されてもおかしくないくらいだよ」
「いやーでもよ。落ちてなかったら俺らが取ってたわけじゃん」
ネイサンが不満げにそんなことをぼやいていた時、わらわらと散っていく人混みの中からジュリアンとレオンの二人が手を振って駆け寄ってきた。
「お疲れ。俺ら人形、見ることもできなかったよ。お前らは?」
そう言って肩を落とすレオンに、ネイサンはニヤリと笑った。
「俺らは見つけたんだけど、取れなかった。邪魔が入ったぜ」
余計なことを。その妙な含みのあるネイサンのセリフに、レオンが眉を顰める。
「邪魔って?」
まんまと食いついたレオンに、ネイサンは楽しそうにさらに口角を上げた。全く、碌でもないことを考えているに違いない。
「気になるだろ?あとで教えてやるよ」
「ちょっと、何言う気だよ」
リースがため息混じりにそう言うと、ネイサンは悪戯っ子のように笑ってレオンの肩を叩き、二人でどこかへ消えていった。
「大丈夫だった?ネイサンと二人で」
その背中を見送ったところで、心配そうな声色で話しかけてきたのはジュリアンだった。
「うん、まあ……。確かにモラルは低いけど、悪い奴ではない……のかな」
「ほんと?絶対リースとは合わないだろうなと思って心配してたんだけど。ネイサンの最後のアレ、何?何かあっただろ」
「や、別に……。大したことじゃないよ。どうせ後で、ベラベラ言うだろうし……」
そう言うと、ジュリアンはやや怪訝な表情を浮かべてしばらくリースを見つめていた。だがリースが口を割らないと見るや否や、ポンと肩を叩いて「ご飯食べに行こう」と艦内の方へと歩き出した。
ジュリアンは、本当にいい奴だと思う。勘が鋭い奴だから色々考えている所もあるのだろうし、取り留めもないことなら素直に指摘してくることも多い。だが、本当にリースが触れて欲しくない場所には、絶対に踏み込んでこない。それに申し訳なさを感じていない訳ではないけれど、実際ジュリアンからしても相談されても困ることばかりだろうーーと思うから、なかなか勇気を出して言う気にもなれないのだ。
リースは内心ごめんと謝りながら、ジュリアンの後を追った。
夕食のあと順番にぬるくて水圧の弱いシャワーを浴びると、あっという間に就寝の時間が近づいていた。四人に割り当てられたのは狭い居住区の一角、二段ベッドが二つ並ぶ部屋だ。
やっと四人が部屋に揃った、就寝一時間前。左側下段にドカンと座ったネイサンが、待ってましたとばかりに口を開いた。
「聞きたいだろ?今日の話。なあ、リース、言っていい?」
「別に……。そんなもったいぶるほど、大したことじゃないってば」
「おい、なんなんだよお前ら。早く言えよ」
ネイサンの隣に座るレオンが、痺れを切らしたように膝を叩いた。
リースはため息をついた。まあ、適当に喋らせておけばいい。こんなことを頑なに拒否して、雰囲気を悪くするよりは。
そう思って、どうぞ、とジェスチャーをすると、ネイサンは嬉々として今日の出来事を話しはじめた。
「な?だからさあ。俺は絶対寮長はリースに気があると思うんだよ」
興奮気味にそう言うネイサンに、レオンは期待はずれだとばかりに首を振った。
「なんだ、そんなことかよ。そりゃそうだろ、あの寮長がパートナー申請なんかする時点でそうに決まってる。てか付き合ってるんじゃねえの?」
「本当に、そんなんじゃないよ」
「えー、ホントかよ」
付き合うとか気があるとか、リースにはどうしたって遠い世界の話なのだ。たとえ、処理のあの瞬間に、とてつもない衝動が襲ってきたのは事実だとしてもーーそれ以上の意味なんてないと、たとえそうだとしてもどう考えても野暮なものだと、この二週間しっかりと自分に言い聞かせてきた。
そして、それを彼らに分かってほしいなんて思わない。それぞれ全く見えている世界が違うのだから、お互いに分かり合えるはずもない--それを分かっているから、これまでずっと距離を置いてきた。だから別に、アーサーとの関係をみんなにどう思われていても、どうだっていい話なのだ。自分自身でしっかりと線を引いて、道を踏み外さずにさえいれば。
いつの間にか話は、レオンと彼のパートナーについての話に変わっていた。いつから付き合ってるとか、どんなところが好きだとか。あまりに遠い世界の話。リースはぼんやりと彼の話を聞きながら、このままこの話題が終わればいいと思っていた。
「パートナーになって、それ以上進まないとか不可能だろ」
それなのに、レオンがそう言った瞬間、不意に目頭が熱くなってしまった。
この二週間必死に押し殺してきた『可能性』が、再び一気に脳内を駆け巡る。
「リースはさ、マジでないの?」
よりにもよって今、急に話がリースに戻ってきて、僅かに肩が揺れてしまった。三人に涙の気配を悟られないよう、必死に喉を締める。
「ほんとに……ないよ」
「マジで?なんでだよ、超優良物件じゃん。番になればいいのに」
「いや、だからーー」
もう一度小さく息を吸い込んで、軽く笑って否定しようとした。きっとこれから先も、何度もしなければならないことだ。それでみんなが納得するかどうかなんてどうでもいい。ただ、雰囲気を悪くさえしなければ。
だがその時、これまでじっと黙って話を聞いていたジュリアンが突然、話を遮るように立ち上がった。驚いて思わず彼を見上げると、ジュリアンは明るく屈託のない笑顔を浮かべて、リースの肩をポンと叩いた。
「リースは艦隊志望だから。なっ?」
その瞬間、途端に空気がしんと静まりかえった。船がぐらりと波に揺れる。リースはしばらく、ジュリアンから目が離せずにいた。
--なんでお前が。
分かってくれているなんて思っていなかった。そんなこと、期待もしていなかった。オメガ以外の間では--とりわけベータになど、あまりにも関係のない話なのだから。
しばらくしてレオンがハッとしたような顔をして、ネイサンを小さく小突く。
「……そうか、そうだよな。ごめん……」
レオンに数秒遅れて、やっと意味を理解したのだろう。弱々しく謝ってくるネイサンに、慌てて首を振る。別に謝って欲しいわけじゃない、本当に。
「いや、別に、みんなには関係ない話だし……」
知らなくて当然だ。本当に、そう思っている。それなのに。
「ちょっと、甲板に忘れ物したのを思い出したんだ。リース、一緒に来てくれよ」
それなのに、どうしてこんなに泣きたいくらいに嬉しいと思ってしまうんだろう。手を引かれる。抵抗なんてできなかった。リースの手を掴むその手が、どうしようもなく煌めいて見えた。
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