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デート編
31.どちらでもない色
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紫の薔薇が飾られていたのは花飾りの小物を扱うお店のようでした。
ラナンキュラスの造花が咲くラタンの籠、蔓薔薇の透かし彫りの小物入れ、百合の絵が描かれたオルゴール、鈴蘭を持ったうさぎの置物。人の手で作られた多種多様な花々が店内に咲き乱れています。
それらは実に見事な職人の手仕事が光る品々でしたが、私は商品ではない入り口の脇にある細い銀色の筒に差し込まれた紫の薔薇に心惹かれました。
花弁の瑞々しさから生花であることが分かります。
気品のある色味に波紋のように外に向かってふわりと開く花弁。
細やかな模様のレースやダイヤのアクセサリーよりも、この色の薔薇が好きなのは子供の頃から変わりません。
「……ゼル──ジゼル」
「オウル様」
オウル様に肩を叩かれ、私はようやく名前を呼ばれていることに気づきました。
「凄い見入っていたね」
「私ったら──すみません、子供のような真似を……」
好きな物に釣られて気を逸らしてしまうなんて、まるで蝶を追いかける子供のようで、羞恥から頬に熱が集中するのを感じます。
「それだけ夢中になるくらい好きってことだろう? マザーローズを見ていた時もいきいきとしてたし、薔薇が好きなの?」
「好きですね。貴婦人の花なので、貴族の娘は薔薇のようにあることを目指して、よく観察して身近に置くので自然と好きになってゆくのです──ですが、紫の薔薇は一等好きです」
目指すと一言で言っても、そのやり方は人それぞれです。
華やかに着飾って容姿を磨く方もいれば、美しい花の下に隠した棘のように弁舌を極める方もいらっしゃいます。剪定された花壇のように全体の調和を重んじる方、蕾が花開くまでの時間を大切にする方。何を重視するかにその方の性格が出ます。
私も物心ついた時から薔薇が身近にあって、漠然とした好意がいつの間にかありました。
ですがある時、その漠然とした好きが明確な好きになるきっかけがありました。
それがこの、紫の薔薇なのです。
「そっか。ずっと側にあったなら、家族みたいな親しみを感じるよね」
「? ──そうですね?」
──家族のような親しみ?
一瞬、オウル様が何を仰っているか理解しかねましたが、これは単に私の家族に対する心象がオウル様と異なるだけですね。
公爵様は多忙を極め、まだほとんどお会い出来ていませんが、それでもオウル様が公爵様や夫人と親子として良い関係なのはラピスフィール公爵家で過ごしているうちに分かりました。
「綺麗な紫だね。紫の薔薇って赤紫っぽかったり、青紫っぽかったり、色にムラがある気がするんだけど、これは本当に紫って色合いだ」
「私もここまで青みも赤みも感じない紫の薔薇は久しぶりに見ました」
オウル様の仰る通り、この薔薇の持つ色はおかしな表現になりますが、混じり気のない紫でした。
それくらい赤にも青にもよっていなかったのです。
「こうして見ると、紫って不思議な色だね。赤と青が混ざっているって分かってるのに、目の前の色と上手く結びつかないや」
「どちらでもないから紫なんですよ。たとえその二色がなくては生まれなかった色だとしても、ひとつの名前を持った色です」
「──ジゼルは紫が好き?」
「え? ──そう、ですね。意識したとこはありませんでしたが、多分色としても好きだと思います」
紫が好きだから紫の薔薇を好きになったという訳ではないので、少し考えましたが、好きな色と訊かれて他に思い浮かばないので頷きました。
「そっか……紫か……」
オウル様は何事かを呟かれて、考え事を始められたようです。
「オウル様、どうかなさいましたか?」
「ううん、何でもないよ。それよりそろそろいいかな?」
「あ! はい、行きましょう」
何かをはぐらかされたような気がしますが、ずっとこの場でじっとしている訳にもいきません。
名残惜しさを感じつつも、私たちは歩き出しました。
それから淑女通りを出て美食通りに移動するまでの間、オウル様は何度か思案されるように口元に手を当てる仕草をされて、言葉数が少し減られました。
やはり粗相をしてしまったのかと不安になりましたが、オウル様の表情は真剣なもので、お仕事中のお顔をされてました。
もしかしたら、何かお仕事のことで思い出したことがあるのかもしれません。
オウル様の抱えてらっしゃるお仕事については段階を踏んで追々教えて頂く予定で、今はまだ情報の共有はしておりません。オウル様にも話せることと話せないことがあるでしょうし、声を掛けて邪魔をしてはいけませんよね。
話題を振って下さるオウル様がその調子なので、自然と私も無言になります。
黙ったまま並んで歩いていますが、会話がないことに不安や焦りはありません。元々沈黙が苦手な訳でもありませんが、今は不思議と心地よさもあります。
──私にとって、オウル様の隣は心地よい。
今までなかったような感覚のように思います。
近くにいて安心出来る方がいなかった訳ではありません。信頼を置くフリージア夫人と一緒にいる時も過ごしやすさはありました。ですが、フリージア夫人は師でもあったため、常にどこか緊張があったと思います。
ふわふわとしたこの心地は、少し、紫の薔薇を見つけた時に似ているような気がしました。
ラナンキュラスの造花が咲くラタンの籠、蔓薔薇の透かし彫りの小物入れ、百合の絵が描かれたオルゴール、鈴蘭を持ったうさぎの置物。人の手で作られた多種多様な花々が店内に咲き乱れています。
それらは実に見事な職人の手仕事が光る品々でしたが、私は商品ではない入り口の脇にある細い銀色の筒に差し込まれた紫の薔薇に心惹かれました。
花弁の瑞々しさから生花であることが分かります。
気品のある色味に波紋のように外に向かってふわりと開く花弁。
細やかな模様のレースやダイヤのアクセサリーよりも、この色の薔薇が好きなのは子供の頃から変わりません。
「……ゼル──ジゼル」
「オウル様」
オウル様に肩を叩かれ、私はようやく名前を呼ばれていることに気づきました。
「凄い見入っていたね」
「私ったら──すみません、子供のような真似を……」
好きな物に釣られて気を逸らしてしまうなんて、まるで蝶を追いかける子供のようで、羞恥から頬に熱が集中するのを感じます。
「それだけ夢中になるくらい好きってことだろう? マザーローズを見ていた時もいきいきとしてたし、薔薇が好きなの?」
「好きですね。貴婦人の花なので、貴族の娘は薔薇のようにあることを目指して、よく観察して身近に置くので自然と好きになってゆくのです──ですが、紫の薔薇は一等好きです」
目指すと一言で言っても、そのやり方は人それぞれです。
華やかに着飾って容姿を磨く方もいれば、美しい花の下に隠した棘のように弁舌を極める方もいらっしゃいます。剪定された花壇のように全体の調和を重んじる方、蕾が花開くまでの時間を大切にする方。何を重視するかにその方の性格が出ます。
私も物心ついた時から薔薇が身近にあって、漠然とした好意がいつの間にかありました。
ですがある時、その漠然とした好きが明確な好きになるきっかけがありました。
それがこの、紫の薔薇なのです。
「そっか。ずっと側にあったなら、家族みたいな親しみを感じるよね」
「? ──そうですね?」
──家族のような親しみ?
一瞬、オウル様が何を仰っているか理解しかねましたが、これは単に私の家族に対する心象がオウル様と異なるだけですね。
公爵様は多忙を極め、まだほとんどお会い出来ていませんが、それでもオウル様が公爵様や夫人と親子として良い関係なのはラピスフィール公爵家で過ごしているうちに分かりました。
「綺麗な紫だね。紫の薔薇って赤紫っぽかったり、青紫っぽかったり、色にムラがある気がするんだけど、これは本当に紫って色合いだ」
「私もここまで青みも赤みも感じない紫の薔薇は久しぶりに見ました」
オウル様の仰る通り、この薔薇の持つ色はおかしな表現になりますが、混じり気のない紫でした。
それくらい赤にも青にもよっていなかったのです。
「こうして見ると、紫って不思議な色だね。赤と青が混ざっているって分かってるのに、目の前の色と上手く結びつかないや」
「どちらでもないから紫なんですよ。たとえその二色がなくては生まれなかった色だとしても、ひとつの名前を持った色です」
「──ジゼルは紫が好き?」
「え? ──そう、ですね。意識したとこはありませんでしたが、多分色としても好きだと思います」
紫が好きだから紫の薔薇を好きになったという訳ではないので、少し考えましたが、好きな色と訊かれて他に思い浮かばないので頷きました。
「そっか……紫か……」
オウル様は何事かを呟かれて、考え事を始められたようです。
「オウル様、どうかなさいましたか?」
「ううん、何でもないよ。それよりそろそろいいかな?」
「あ! はい、行きましょう」
何かをはぐらかされたような気がしますが、ずっとこの場でじっとしている訳にもいきません。
名残惜しさを感じつつも、私たちは歩き出しました。
それから淑女通りを出て美食通りに移動するまでの間、オウル様は何度か思案されるように口元に手を当てる仕草をされて、言葉数が少し減られました。
やはり粗相をしてしまったのかと不安になりましたが、オウル様の表情は真剣なもので、お仕事中のお顔をされてました。
もしかしたら、何かお仕事のことで思い出したことがあるのかもしれません。
オウル様の抱えてらっしゃるお仕事については段階を踏んで追々教えて頂く予定で、今はまだ情報の共有はしておりません。オウル様にも話せることと話せないことがあるでしょうし、声を掛けて邪魔をしてはいけませんよね。
話題を振って下さるオウル様がその調子なので、自然と私も無言になります。
黙ったまま並んで歩いていますが、会話がないことに不安や焦りはありません。元々沈黙が苦手な訳でもありませんが、今は不思議と心地よさもあります。
──私にとって、オウル様の隣は心地よい。
今までなかったような感覚のように思います。
近くにいて安心出来る方がいなかった訳ではありません。信頼を置くフリージア夫人と一緒にいる時も過ごしやすさはありました。ですが、フリージア夫人は師でもあったため、常にどこか緊張があったと思います。
ふわふわとしたこの心地は、少し、紫の薔薇を見つけた時に似ているような気がしました。
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