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デート編
32.センジュ薬堂
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美食通りのお店でお茶を頂いて小休憩をとり、私たちは閑古通りへ向かいました。
閑古通りは客足の途絶えない淑女通りや美食通りとは正反対で、人気少なく閑散としています。
道幅は他の通りと同じくらいですが、人影がなく広々としていて、僅かに緑の香りがしました。
あの平原から風に乗って来たのか、それとも薬草の香りなのでしょうか。
お店同士の感覚も他の通りに比べると開いていて、それぞれの看板には専門科の表記やどういう症状の人を受け入れているのかなどが書かれています。
「ジゼル、ここが閑古通りで一番大きい薬局だよ。今度こそプレゼント用の品が見つかるといいんだけど」
案内されたのは、他の建物の二倍はありそうな大きさの古い二階建ての木造建築のお店でした。
一階の屋根の大看板に『センジュ薬堂』と書かれています。
オウル様が扉を開けて下さり、来客を告げるベルの音の下を通って店内へ入ります。
一歩足を踏み入れた瞬間、すっと鼻孔が開くような噎せ返る薬草の香りに出迎えられました。
「……いらっしゃい。どんな薬をお求めかな?」
コツコツと杖をつく音と共に店の奥から嗄れた老婆の声がして、そちらを見ると腰の曲がった小柄なお婆さんが近づいてきました。
「こんにちは、サリブ婆様。」
「おやぁ? これはこれは、オウル坊ちゃん。ご無沙汰だねぇ」
お婆さんは眼鏡を押し上げながらオウル様のお顔をまじまじと眺めると、にやりと笑いました。
「うん。久しぶり。なかなか来れなくてごめんね? 覚えててくれたんだ」
「馬鹿言っちゃいけないよ。あたしゃまだそこまで耄碌してないさ。まぁ、うちに来なかったってことは怪我も病もしてなかったことだろう。結構なことじゃないか。今日はあのわんぱく小僧は一緒じゃないんだね?」
「わんぱく小僧ってマーカスのこと? サリブ婆様ったら、いつの話してるの。僕もマーカスもとっくに成人だよ?」
お婆さんの遠慮のない物言いにぎょっとしましたが、くすくすと笑うオウル様は気にした様子はありません。
どうやらお婆さんはオウル様のことを子供の頃からご存知のようで、まるで久しぶりに孫が遊びに来たかのような対応です。
「あたしからしてみれば、坊ちゃんたちなんてようやっと手足が生え始めたオタマジャクシみたいなもんだよ──ところで、そっちのお嬢さんはもしかしてオウル坊ちゃんの連れかい?」
「うん。僕の婚約者のジゼルだよ」
「初めまして。ジゼル・アーモンドと申します」
眼鏡の奥から覗く緑の瞳に見つめられ、私は名乗って会釈をしました。
「ほお。オウル坊ちゃんの……噂に聞いていたのとは随分と違うねぇ」
「噂?」
「アルフェン領はラピスフィール公爵家の管轄領だから、坊ちゃんの噂話もよく届くさね。噂じゃあオウル坊ちゃんの婚約者は乳母日傘で育てられたとんでもない世間知らずの我儘娘だって話だよ。けど、噂なんてアテにならないねぇ」
……それは、恐らくリーファのことですね。
どうやら、私とオウル様の婚約はまだ市井にはあまり広まっていないようでした。
「あー、サリブ婆様、実は最近、婚約者が変わったんだよね」
「おや、そうだったのかい。そんなこともあるんだねぇ──っと、名乗られたのに、こちらが名乗らないのは失礼だね。あたしはこのセンジュ薬堂の主のサリブだ。よろしくね、ジゼルお嬢様」
「はい。よろしくお願いします。サリブ様」
「しがない薬屋の婆さんにそんな呼び方はよしとくれ。サリブでいいよ」
「ですが……」
オウル様が敬称でお呼びしている方を呼び捨てにする訳にもいきません。
困っていると、オウル様が、
「ジゼルもサリブ婆様って呼ぶといいよ。サリブ婆様はアルフェン一の物知りで、皆敬意を込めてそう呼んでいるから」
「では、サリブお婆様と」
「好きにおし。それで、何の用なんだい? 見たところ二人とも元気そうだし、身内に不幸があったようにも見えんが」
サリブお婆様は視診をされるように私とオウル様の頭から足元までをじっと見てから、小首を傾げられました。
「僕もジゼルも元気そものもだよ。今日は彼女の贈り物の品を探しに来たんだ」
「贈り物? 薬局で?」
オウル様から目的を聞いたサリブお婆様は、意外そうに目を丸くされました。
閑古通りは客足の途絶えない淑女通りや美食通りとは正反対で、人気少なく閑散としています。
道幅は他の通りと同じくらいですが、人影がなく広々としていて、僅かに緑の香りがしました。
あの平原から風に乗って来たのか、それとも薬草の香りなのでしょうか。
お店同士の感覚も他の通りに比べると開いていて、それぞれの看板には専門科の表記やどういう症状の人を受け入れているのかなどが書かれています。
「ジゼル、ここが閑古通りで一番大きい薬局だよ。今度こそプレゼント用の品が見つかるといいんだけど」
案内されたのは、他の建物の二倍はありそうな大きさの古い二階建ての木造建築のお店でした。
一階の屋根の大看板に『センジュ薬堂』と書かれています。
オウル様が扉を開けて下さり、来客を告げるベルの音の下を通って店内へ入ります。
一歩足を踏み入れた瞬間、すっと鼻孔が開くような噎せ返る薬草の香りに出迎えられました。
「……いらっしゃい。どんな薬をお求めかな?」
コツコツと杖をつく音と共に店の奥から嗄れた老婆の声がして、そちらを見ると腰の曲がった小柄なお婆さんが近づいてきました。
「こんにちは、サリブ婆様。」
「おやぁ? これはこれは、オウル坊ちゃん。ご無沙汰だねぇ」
お婆さんは眼鏡を押し上げながらオウル様のお顔をまじまじと眺めると、にやりと笑いました。
「うん。久しぶり。なかなか来れなくてごめんね? 覚えててくれたんだ」
「馬鹿言っちゃいけないよ。あたしゃまだそこまで耄碌してないさ。まぁ、うちに来なかったってことは怪我も病もしてなかったことだろう。結構なことじゃないか。今日はあのわんぱく小僧は一緒じゃないんだね?」
「わんぱく小僧ってマーカスのこと? サリブ婆様ったら、いつの話してるの。僕もマーカスもとっくに成人だよ?」
お婆さんの遠慮のない物言いにぎょっとしましたが、くすくすと笑うオウル様は気にした様子はありません。
どうやらお婆さんはオウル様のことを子供の頃からご存知のようで、まるで久しぶりに孫が遊びに来たかのような対応です。
「あたしからしてみれば、坊ちゃんたちなんてようやっと手足が生え始めたオタマジャクシみたいなもんだよ──ところで、そっちのお嬢さんはもしかしてオウル坊ちゃんの連れかい?」
「うん。僕の婚約者のジゼルだよ」
「初めまして。ジゼル・アーモンドと申します」
眼鏡の奥から覗く緑の瞳に見つめられ、私は名乗って会釈をしました。
「ほお。オウル坊ちゃんの……噂に聞いていたのとは随分と違うねぇ」
「噂?」
「アルフェン領はラピスフィール公爵家の管轄領だから、坊ちゃんの噂話もよく届くさね。噂じゃあオウル坊ちゃんの婚約者は乳母日傘で育てられたとんでもない世間知らずの我儘娘だって話だよ。けど、噂なんてアテにならないねぇ」
……それは、恐らくリーファのことですね。
どうやら、私とオウル様の婚約はまだ市井にはあまり広まっていないようでした。
「あー、サリブ婆様、実は最近、婚約者が変わったんだよね」
「おや、そうだったのかい。そんなこともあるんだねぇ──っと、名乗られたのに、こちらが名乗らないのは失礼だね。あたしはこのセンジュ薬堂の主のサリブだ。よろしくね、ジゼルお嬢様」
「はい。よろしくお願いします。サリブ様」
「しがない薬屋の婆さんにそんな呼び方はよしとくれ。サリブでいいよ」
「ですが……」
オウル様が敬称でお呼びしている方を呼び捨てにする訳にもいきません。
困っていると、オウル様が、
「ジゼルもサリブ婆様って呼ぶといいよ。サリブ婆様はアルフェン一の物知りで、皆敬意を込めてそう呼んでいるから」
「では、サリブお婆様と」
「好きにおし。それで、何の用なんだい? 見たところ二人とも元気そうだし、身内に不幸があったようにも見えんが」
サリブお婆様は視診をされるように私とオウル様の頭から足元までをじっと見てから、小首を傾げられました。
「僕もジゼルも元気そものもだよ。今日は彼女の贈り物の品を探しに来たんだ」
「贈り物? 薬局で?」
オウル様から目的を聞いたサリブお婆様は、意外そうに目を丸くされました。
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