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6 あざとい悪魔
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「あの……少し窺いたいことがあるのだけれど、よろしいかしら?」
隣の席の令息に顔を近付け──けれど近付きすぎないよう気を付けつつ──私は彼に小声で尋ねる。
すると──。
「えーっ⁉︎ なんで? 俺の質問に、まだ答えてもらってないのに?」
途端に、不服そうな顔で文句を言われた。
そんなことを言われても、先に質問されたからといって、私がそれに答える義務はないわけで。
「貴方の質問に答えるかどうかは、正直まだ決めかねているところです。ですが、どうしても先に答えなければいけないということであれば、この件はこれで終了とさせていただきたく──」
ここで話を終わらせることができるのならば、それに越したことはない。であれば、速やかに話を終わらせてしまうのが最善だろうと話を切り上げようとすると、焦ったような令息の声が、私の言葉を遮った。
「わわ、待って待って! 今のは俺が悪かった! 謝るから、ここで話を終わらせるのだけは勘弁して!」
両手を合わせ、彼は祈るような面持ちで、じっと私の顔を見つめてくる。
何故そこまでして、彼は他人の婚約破棄に首を突っ込みたがるのだろうか。
もしかして、彼自身も婚約者の人と婚約破棄したいと思っていて、その参考にしようと思っているとか?
それとも本当に、ただの興味本位なだけ……?
落ち着いて見てみると、サラサラした美しい黒髪と、黒曜石のように黒く光る瞳を持つ彼は文句なしの美形で、優し気なレスターとは違うタイプではあるものの、女性受けしそうな甘い雰囲気を纏っている。
それこそレスターを追いかけ回している令嬢達に一度目をつけられれば、目の前の彼もまた、日々追われるだろうことが容易に想像できてしまうほどに。
「……ん? どうかした?」
私の視線に気付いたらしい令息が、可愛らしく首を傾げる。
同じ歳の男性に可愛いという表現はおかしいのかもしれないけど……なんというかこの人、あざといわ。
自分の容姿の良さをしっかりと自覚しつつ、普段はあまり目立たないように行動して、でも使うべきところでは惜しみなく、それをひけらかす……見た目に反してお腹の中が真っ黒なタイプ。正直あまり関わり合いになりたくない。
けれど婚約破棄についての独り言を聞かれている以上、生半可な理由では絶対に引いてくれないだろうし……。
一人で考え込んでいると、そんな私に焦れたように、令息が机をガタガタ揺らしてきた。
「ねぇ! 俺に聞きたいことって何? この際なんでも答えるから、さっさと先に質問してよ」
……どうやら彼は、結構気が短いらしい。
机を揺らす彼の手の甲に、無言で爪を食い込ませて大人しく──「いっ!」と声を上げてはいたけど──させると、私は優雅に、にこりと微笑んで見せた。
「目立ちたくないので、あまり音をたてないようにして下さる? それとできれば、あの話題については口に出さないようしていただきたいのですが?」
筆談であればまだしも、口頭で話していたら、クラスメイトの誰かの耳に入ってしまうかもしれない。
学園での私は『適齢期になっても未だ婚約者のいない訳あり令嬢』という設定になっているけれど、そこに婚約破棄が追加されたら、『適齢期に婚約破棄された訳あり令嬢』になってしまう。
そんなことになろうものなら今よりもっと可哀想な目で見られるだろうし、『適齢期に婚約破棄されるような令嬢』として、心無い噂まで立てられてしまう可能性だってある。
そうなれば、私の将来はほぼ絶望的だ。
実際は瑕疵などないのに傷物令嬢として扱われ、後妻や第二婦人といった幸せからは縁遠い結婚を強いられることになるだろう。しかも我が家は跡取りが私しかいないため、私が傷物になったとなれば、縁戚から養子を迎え入れなければいけなくもなるから、親にも迷惑が掛かってしまう。
だから絶対バレるわけにはいかないのよ……。
無言の圧力とばかりに、令息を鋭い瞳で睨み据える。
けれど彼は、「さっき紙に書いて渡したのは、大声出して注目集めちゃったから、一時凌ぎでやっただけ。隣の席なんだし、小声だったら問題ないって」と、悪戯っ子のような顔で舌を出した。
「それにさ、紙に書いて誰かに見られでもしたら……そっちの方が大変だと思うけど?」
話を聞かれただけなら何とでも誤魔化しがきくが、紙に書いた言葉はそうはいかない。もしもその紙を処分し忘れたり、最悪落として誰かに拾われ、証拠として問い詰められたら、言い逃れは難しくなる。
言われてみれば、確かにそうだと納得もできて。
「だから俺に話してみなよ。君の婚約破棄について、今どうなっているのかを……さ」
促され、頷きかけて──そこで私は、ハッと我に返った。
「どうして私があなたに、そんなプライベートなことを話さなければならないんです? 絶対にお教えしません」
危なかった……。
流されて、つい頷いてしまうところだった。
なんとかギリギリのところで踏みとどまって拒絶したけれど、彼は悪巧みをしているような表情を取り繕うこともせず、ニヤッと口角を上げた。
「じゃあさ、交換条件といってはなんだけど……君が俺に婚約破棄の話を教えてくれたら、君が今、最も欲しいと思っている物を見せてあげるよ」
「私が今、一番欲しい物……?」
言われて考えるも、何のことだかサッパリ分からない。
そもそも、どうして今日初めて話した彼が、私の欲しい物を知っているのか。
「なんだかもの凄く怪しいのだけれど?」
疑いの目を向ければ、彼はやれやれというように肩を竦めて、彼自身の机の中から一枚の紙を取り出すと、それを私の机の上へと置いた。
「ほら、これ。君が今一番欲しい物で合ってるよね?」
チラッとその紙に目をやり、内容を理解した瞬間、思わず目を見開く。
それは確かに、今の私が最も欲している物で。
そのまま凝視するため紙を掴もうとすると、私の動きより一瞬早くそれは奪われ、再び令息の手の中に収まっていた。
「どう? これで話す気になった?」
にこにこ、にっこり。
にこやかに微笑む令息は、黒曜石のような色の瞳と濡羽色の髪の毛とが相まって、悪魔のように見えた──。
隣の席の令息に顔を近付け──けれど近付きすぎないよう気を付けつつ──私は彼に小声で尋ねる。
すると──。
「えーっ⁉︎ なんで? 俺の質問に、まだ答えてもらってないのに?」
途端に、不服そうな顔で文句を言われた。
そんなことを言われても、先に質問されたからといって、私がそれに答える義務はないわけで。
「貴方の質問に答えるかどうかは、正直まだ決めかねているところです。ですが、どうしても先に答えなければいけないということであれば、この件はこれで終了とさせていただきたく──」
ここで話を終わらせることができるのならば、それに越したことはない。であれば、速やかに話を終わらせてしまうのが最善だろうと話を切り上げようとすると、焦ったような令息の声が、私の言葉を遮った。
「わわ、待って待って! 今のは俺が悪かった! 謝るから、ここで話を終わらせるのだけは勘弁して!」
両手を合わせ、彼は祈るような面持ちで、じっと私の顔を見つめてくる。
何故そこまでして、彼は他人の婚約破棄に首を突っ込みたがるのだろうか。
もしかして、彼自身も婚約者の人と婚約破棄したいと思っていて、その参考にしようと思っているとか?
それとも本当に、ただの興味本位なだけ……?
落ち着いて見てみると、サラサラした美しい黒髪と、黒曜石のように黒く光る瞳を持つ彼は文句なしの美形で、優し気なレスターとは違うタイプではあるものの、女性受けしそうな甘い雰囲気を纏っている。
それこそレスターを追いかけ回している令嬢達に一度目をつけられれば、目の前の彼もまた、日々追われるだろうことが容易に想像できてしまうほどに。
「……ん? どうかした?」
私の視線に気付いたらしい令息が、可愛らしく首を傾げる。
同じ歳の男性に可愛いという表現はおかしいのかもしれないけど……なんというかこの人、あざといわ。
自分の容姿の良さをしっかりと自覚しつつ、普段はあまり目立たないように行動して、でも使うべきところでは惜しみなく、それをひけらかす……見た目に反してお腹の中が真っ黒なタイプ。正直あまり関わり合いになりたくない。
けれど婚約破棄についての独り言を聞かれている以上、生半可な理由では絶対に引いてくれないだろうし……。
一人で考え込んでいると、そんな私に焦れたように、令息が机をガタガタ揺らしてきた。
「ねぇ! 俺に聞きたいことって何? この際なんでも答えるから、さっさと先に質問してよ」
……どうやら彼は、結構気が短いらしい。
机を揺らす彼の手の甲に、無言で爪を食い込ませて大人しく──「いっ!」と声を上げてはいたけど──させると、私は優雅に、にこりと微笑んで見せた。
「目立ちたくないので、あまり音をたてないようにして下さる? それとできれば、あの話題については口に出さないようしていただきたいのですが?」
筆談であればまだしも、口頭で話していたら、クラスメイトの誰かの耳に入ってしまうかもしれない。
学園での私は『適齢期になっても未だ婚約者のいない訳あり令嬢』という設定になっているけれど、そこに婚約破棄が追加されたら、『適齢期に婚約破棄された訳あり令嬢』になってしまう。
そんなことになろうものなら今よりもっと可哀想な目で見られるだろうし、『適齢期に婚約破棄されるような令嬢』として、心無い噂まで立てられてしまう可能性だってある。
そうなれば、私の将来はほぼ絶望的だ。
実際は瑕疵などないのに傷物令嬢として扱われ、後妻や第二婦人といった幸せからは縁遠い結婚を強いられることになるだろう。しかも我が家は跡取りが私しかいないため、私が傷物になったとなれば、縁戚から養子を迎え入れなければいけなくもなるから、親にも迷惑が掛かってしまう。
だから絶対バレるわけにはいかないのよ……。
無言の圧力とばかりに、令息を鋭い瞳で睨み据える。
けれど彼は、「さっき紙に書いて渡したのは、大声出して注目集めちゃったから、一時凌ぎでやっただけ。隣の席なんだし、小声だったら問題ないって」と、悪戯っ子のような顔で舌を出した。
「それにさ、紙に書いて誰かに見られでもしたら……そっちの方が大変だと思うけど?」
話を聞かれただけなら何とでも誤魔化しがきくが、紙に書いた言葉はそうはいかない。もしもその紙を処分し忘れたり、最悪落として誰かに拾われ、証拠として問い詰められたら、言い逃れは難しくなる。
言われてみれば、確かにそうだと納得もできて。
「だから俺に話してみなよ。君の婚約破棄について、今どうなっているのかを……さ」
促され、頷きかけて──そこで私は、ハッと我に返った。
「どうして私があなたに、そんなプライベートなことを話さなければならないんです? 絶対にお教えしません」
危なかった……。
流されて、つい頷いてしまうところだった。
なんとかギリギリのところで踏みとどまって拒絶したけれど、彼は悪巧みをしているような表情を取り繕うこともせず、ニヤッと口角を上げた。
「じゃあさ、交換条件といってはなんだけど……君が俺に婚約破棄の話を教えてくれたら、君が今、最も欲しいと思っている物を見せてあげるよ」
「私が今、一番欲しい物……?」
言われて考えるも、何のことだかサッパリ分からない。
そもそも、どうして今日初めて話した彼が、私の欲しい物を知っているのか。
「なんだかもの凄く怪しいのだけれど?」
疑いの目を向ければ、彼はやれやれというように肩を竦めて、彼自身の机の中から一枚の紙を取り出すと、それを私の机の上へと置いた。
「ほら、これ。君が今一番欲しい物で合ってるよね?」
チラッとその紙に目をやり、内容を理解した瞬間、思わず目を見開く。
それは確かに、今の私が最も欲している物で。
そのまま凝視するため紙を掴もうとすると、私の動きより一瞬早くそれは奪われ、再び令息の手の中に収まっていた。
「どう? これで話す気になった?」
にこにこ、にっこり。
にこやかに微笑む令息は、黒曜石のような色の瞳と濡羽色の髪の毛とが相まって、悪魔のように見えた──。
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