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5 淑女失格
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隣の席の令息から投げられた紙片には、『入学式で言ってた婚約破棄って、結局どうなったんだ?』と書かれていた。
どうやら、私が独り言で婚約破棄と口に出してしまっていたのを、彼は耳にしていたらしい。
そういえばあの時、横から誰かに声を掛けられたのだった。しかもその相手は、今思えば彼と同じような──というか本人?──顔をしていたような気がする。
入学式での並び順は名簿通りになっていて、クラス内の席順も同じになっているから、それはつまり……そういうことなのだろう。入学式で私のすぐ隣に並んでいた彼は、そこでこそ私の独り言に言及はしなかったものの、実はずっとあの時の言葉が気になっていて、それについて尋ねる機会を窺っていたに違いない。
だからと言って、こんなにも興味津々に他人の婚約破棄の話に首を突っ込んでくるだなんて、悪趣味としか思えないけれど。
レスターと私の婚約破棄は、小説や物語の中の話ではなく、現実での出来事なのだから。
これが夢だったら、どんなに良かったか。小説の中の世界とは違い、レスターが悪役令嬢と揶揄されるような私と本当に結婚してくれたら、どれだけの幸せを感じられたことだろうか。
──尤も、実際今のレスターと私では、釣り合いが取れていないことなど嫌でも自覚しているから、そんなことはあり得ないと分かりすぎるほどに分かっているのだけれど。
そもそも人前で独り言を口にした時点で、私は淑女として失格なのだ。その上、その内容が自身の婚約破棄についてだなんて、侯爵令嬢が聞いて呆れる。というかもう、入学式からずっとやらかし続きで、自分の淑女教育がちゃんとできているかどうかすら、最近不安になってきた。
もう一度、学び直した方が良いのかもしれない──真面目にそんなことを考えてしまうほどに。
もしかしたらレスターは、私の不甲斐なさに以前から気付いていて、そのせいで学園では距離を置こうと言ってきたのかもしれない。王太子殿下の側近候補である彼の婚約者が、淑女教育も満足にされていない名ばかりの侯爵令嬢だなんて、恥にしかならないだろうから。
侯爵家に生まれた令嬢として、淑女教育を一応受けはしたものの、私は婚約者が既に決まっているからという理由により、基本的な教育しか受けなかった。通常であれば、爵位が高位になればなるほど厳しい教育が必要になるものなのに、両親だけでなく、レスターのご両親にまで甘やかされて育った私は、言われるがままに簡単な教育のみを受け、満足してしまっていたのだ。
私自身、『レスターなら、どんな私でも受け入れてくれる』という、妙な自信を持っていたせいもあって。
けれど、今になってこんなことになるぐらいなら、あの時もっとしっかり教育してもらうべきだった、と思わずにはいられない。基本的な教育のみじゃなく、高位貴族としての教育も受けていれば、今頃貴族令嬢としての所作や言葉遣いは、現在の私とは比べものにならないほど洗練されたものになっていただろうに。
しかも、それだけではなく、女らしさをアピールする為の刺繍や、お菓子作り……──そういったものも、できるようになっていた筈なのだ。
そのどれか一つ──できれば全部──でも完璧にできるようになっていれば、まだレスターの婚約者で居続けられる可能性も、残されていたかもしれない。
「………………」
そこまで考えて、私は大きなため息を一つ吐いた。
彼と婚約破棄すると言いつつ、いつまでも未練たらしい自分が嫌になる。
今更言っても仕方がないことは理解しているし、すべては自分の努力不足によるもので、今まで甘えてきたツケが、まわってきたというだけのことなのに。
大体、レスターならどんな私でも──なんて自信、一体どこから湧いてきたのだろう?
見た目がキツくて、性格だって良いわけではない私が、無条件でレスターに受け入れられると信じられた根拠は、一体なんだったのか。
考えても考えても、分からなくて。
だというのに──。
「で? 婚約破棄は? どうなったんだ? 教えてくれよ」
そんな私の複雑な心中など察することもなく、隣の席の令息は能天気に声を掛けてくる。
さっきはご丁寧に紙に書いて投げてきたくせに、どうして今はサラッと──小声ではあるけれども──口に出しているのかしら?
クラスの他の人達に聞かれないよう、配慮してくれたのではないの?
もう、淑女なんてかなぐり捨てて、彼の顔面に肘鉄をくらわせてやりたい気持ちを、なんとか堪える。
近いうちにレスターと婚約破棄するつもりだとはいえ、今はまだ彼の婚約者なのだ。愚かな真似をするわけにはいかない。
今のところ学園では完全に他人を装い、私達が婚約者同士だと知っている人はいないと思うけど、こういうことは、いつ何時、どこから漏れるか分からないものなのだから。
どうやら、私が独り言で婚約破棄と口に出してしまっていたのを、彼は耳にしていたらしい。
そういえばあの時、横から誰かに声を掛けられたのだった。しかもその相手は、今思えば彼と同じような──というか本人?──顔をしていたような気がする。
入学式での並び順は名簿通りになっていて、クラス内の席順も同じになっているから、それはつまり……そういうことなのだろう。入学式で私のすぐ隣に並んでいた彼は、そこでこそ私の独り言に言及はしなかったものの、実はずっとあの時の言葉が気になっていて、それについて尋ねる機会を窺っていたに違いない。
だからと言って、こんなにも興味津々に他人の婚約破棄の話に首を突っ込んでくるだなんて、悪趣味としか思えないけれど。
レスターと私の婚約破棄は、小説や物語の中の話ではなく、現実での出来事なのだから。
これが夢だったら、どんなに良かったか。小説の中の世界とは違い、レスターが悪役令嬢と揶揄されるような私と本当に結婚してくれたら、どれだけの幸せを感じられたことだろうか。
──尤も、実際今のレスターと私では、釣り合いが取れていないことなど嫌でも自覚しているから、そんなことはあり得ないと分かりすぎるほどに分かっているのだけれど。
そもそも人前で独り言を口にした時点で、私は淑女として失格なのだ。その上、その内容が自身の婚約破棄についてだなんて、侯爵令嬢が聞いて呆れる。というかもう、入学式からずっとやらかし続きで、自分の淑女教育がちゃんとできているかどうかすら、最近不安になってきた。
もう一度、学び直した方が良いのかもしれない──真面目にそんなことを考えてしまうほどに。
もしかしたらレスターは、私の不甲斐なさに以前から気付いていて、そのせいで学園では距離を置こうと言ってきたのかもしれない。王太子殿下の側近候補である彼の婚約者が、淑女教育も満足にされていない名ばかりの侯爵令嬢だなんて、恥にしかならないだろうから。
侯爵家に生まれた令嬢として、淑女教育を一応受けはしたものの、私は婚約者が既に決まっているからという理由により、基本的な教育しか受けなかった。通常であれば、爵位が高位になればなるほど厳しい教育が必要になるものなのに、両親だけでなく、レスターのご両親にまで甘やかされて育った私は、言われるがままに簡単な教育のみを受け、満足してしまっていたのだ。
私自身、『レスターなら、どんな私でも受け入れてくれる』という、妙な自信を持っていたせいもあって。
けれど、今になってこんなことになるぐらいなら、あの時もっとしっかり教育してもらうべきだった、と思わずにはいられない。基本的な教育のみじゃなく、高位貴族としての教育も受けていれば、今頃貴族令嬢としての所作や言葉遣いは、現在の私とは比べものにならないほど洗練されたものになっていただろうに。
しかも、それだけではなく、女らしさをアピールする為の刺繍や、お菓子作り……──そういったものも、できるようになっていた筈なのだ。
そのどれか一つ──できれば全部──でも完璧にできるようになっていれば、まだレスターの婚約者で居続けられる可能性も、残されていたかもしれない。
「………………」
そこまで考えて、私は大きなため息を一つ吐いた。
彼と婚約破棄すると言いつつ、いつまでも未練たらしい自分が嫌になる。
今更言っても仕方がないことは理解しているし、すべては自分の努力不足によるもので、今まで甘えてきたツケが、まわってきたというだけのことなのに。
大体、レスターならどんな私でも──なんて自信、一体どこから湧いてきたのだろう?
見た目がキツくて、性格だって良いわけではない私が、無条件でレスターに受け入れられると信じられた根拠は、一体なんだったのか。
考えても考えても、分からなくて。
だというのに──。
「で? 婚約破棄は? どうなったんだ? 教えてくれよ」
そんな私の複雑な心中など察することもなく、隣の席の令息は能天気に声を掛けてくる。
さっきはご丁寧に紙に書いて投げてきたくせに、どうして今はサラッと──小声ではあるけれども──口に出しているのかしら?
クラスの他の人達に聞かれないよう、配慮してくれたのではないの?
もう、淑女なんてかなぐり捨てて、彼の顔面に肘鉄をくらわせてやりたい気持ちを、なんとか堪える。
近いうちにレスターと婚約破棄するつもりだとはいえ、今はまだ彼の婚約者なのだ。愚かな真似をするわけにはいかない。
今のところ学園では完全に他人を装い、私達が婚約者同士だと知っている人はいないと思うけど、こういうことは、いつ何時、どこから漏れるか分からないものなのだから。
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