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最終章 極悪上司と結婚指環
1.元に戻れるのならば
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「っはよっす」
翌月曜も、いつもどおり始業時間ギリギリに京塚主任は出勤してきた。
「おはようございます!」
努めて明るく、彼に声をかける。
「……おうっ。
はよ……」
京塚主任はその小さな瞳が点になるほど目を見開いて私を見ているが、これでいい。
このままぎくしゃくしてしまうよりは。
一晩泣けば冷静になった。
私はもともと、京塚主任が振り向いてくれるなんて期待していない。
彼が、いつまでも奥さんを愛し続けるならそれでもいい。
ただ、私の向こうに奥さんを見ているのが嫌だった。
私は私、奥さんは奥さん。
いくら、名前が「とうこ」で一緒でも。
ちゃんと、別の人間として見てほしい。
私の気持ちに応えてくれなくたっていいから。
私が京塚主任を諦めれば、元の関係に戻れるんだろうか。
ちゃんと私を、桐子として見てくれるんだろうか。
そのためだったいくらでも、努力する。
お昼休み。
いつものように先に行った京塚主任を見つけ、小さく深呼吸してその前へ立つ。
「お疲れ様です!」
「……おうっ、お疲れ……」
朝と一緒で面食らっているが、かまわずに座った。
「そうだ。
杏里ちゃんに誕生日プレゼント用意してたんですが、渡しそびれちゃって。
今度持ってくるんで、渡してもらっていいですか?」
「……あ、ああ……」
京塚主任からの返事はぎこちない。
箸の運びも鈍く、もそもそと食べていた。
「土曜日、晴れててよかったですね。
また今日からしばらく、雨らしいですよ」
「……そう、なのか」
かまわずに適当に話ながら、ガツガツとお弁当食べ進める。
「もう梅雨の時期ですもんね。
……ごちそうさまでした。
お先に失礼します」
「あ、ああ……」
最後にお茶を一気に飲み干し、まだ戸惑っている彼を残して席を立った。
「ちょっと、わざとらしすぎたかな……」
歯磨きにきたお手洗いで、鏡に映る私に苦笑い。
「もう、元の関係には戻れないのかな……」
戻れるのなら。
私は、京塚主任を忘れる努力をしよう。
だから、お願いだから、――前みたいに、私に笑いかけてください。
その後も、空元気でもいいから無理に明るく振る舞った。
でも、京塚主任の反応はずっと、意識しているのかぎこちない。
その週の金曜日。
「えっ。
本当ですか!?」
突然、下野課長の声が響き渡り、誰もが彼に注目した。
「はい、はい。
誠に申し訳、ございません」
半ば浮かしていた腰を下ろし、今度はペコペコとあたまを下げ続けている。
いつもはゆるーい感じで喋っている彼にしては珍しく、ハキハキと歯切れがよすぎるくらいだ。
「はい、事実関係を調査いたしまして。
……はい、改めてご報告いたします。
……では、これで失礼いたします」
ガチャッと受話器を置いた下野課長の口から、はぁーっと長く息が抜けていく。
全員が次に彼がなにを言うのか、息を飲んで待っていた。
「……西山くん」
しん、と静まりかえった中、下野課長がだした声と共に、西山さんへ視線が集まる。
「ハ、ハイッ!」
ガタッ、と大きな音を立てて、西山さんが立ち上がった。
「ちょっといいかな」
下野課長が引きつった笑顔のまま、会議室を指さす。
その額には青筋が浮いていた。
「ハ、ハイッ!」
ふたりが会議室へ消えていき、バタンとドアが閉まる。
途端に室内はざわざわとしだした。
当然、話題は。
「……いったい、なにがあったんでしょうね?」
私もこっそりと、京塚主任へ訊いてみる。
「あー……。
心当たりがありすぎて、わかんねぇ」
はぁっ、と短く、呆れるように彼の口からため息が落ちた。
「だから毎回、注意してたのによぅ……」
また、京塚主任がため息を落とす。
『オレひとりでもちゃんとできるって』
自信満々に言っていた、西山さんを思い出した。
予感的中、というか。
京塚主任の鼻を明かすどころか、とんでもないことになっていませんか?
――ガチャッ。
ドアの開く音がして、ピタッと皆の話が止まる。
けれどかまうことなく、出てきた下野課長は自分の席で受話器を取った。
「すみません、いまからお時間、いいですか?
うちの若いのがやらかして。
……はい、すみません」
フックを押し、さらに彼の指がボタンを押す。
「すみません、いまからお時間、よろしいですか?
うちの若いのがやらかしまして。
……はい、詳しいことは、あとで。
じゃあ、よろしくお願いします」
またフックを押して一度電話を切り、再度かける。
また同じような内容の話をし、今度は受話器を置いた。
「京塚主任」
「はい」
下野課長から呼ばれ、京塚主任が姿勢を正す。
「君もいいかな?
僕だけじゃ手に負えそうにないから」
「了解です」
手早くいまやっている処理を終わらせ、彼はパソコンをスリープにした。
「これから絶対、死ぬほど忙しくなる。
急ぎの仕事から優先的に片付けとけ」
「わかりました!」
すっかり項垂れて会議室を出てきた西山さんを連れて、下野課長の京塚主任は部屋を出ていった。
行動予定に会議室、戻り未定と記入して。
きっと一階下にある会社全体に会議室で、各部署の責任者なんかを集めての話し合いがおこなわれるのだろう。
「私もミスしないように、集中!」
まずは京塚主任に言われたように、仕事の優先順の確認からはじめた。
翌月曜も、いつもどおり始業時間ギリギリに京塚主任は出勤してきた。
「おはようございます!」
努めて明るく、彼に声をかける。
「……おうっ。
はよ……」
京塚主任はその小さな瞳が点になるほど目を見開いて私を見ているが、これでいい。
このままぎくしゃくしてしまうよりは。
一晩泣けば冷静になった。
私はもともと、京塚主任が振り向いてくれるなんて期待していない。
彼が、いつまでも奥さんを愛し続けるならそれでもいい。
ただ、私の向こうに奥さんを見ているのが嫌だった。
私は私、奥さんは奥さん。
いくら、名前が「とうこ」で一緒でも。
ちゃんと、別の人間として見てほしい。
私の気持ちに応えてくれなくたっていいから。
私が京塚主任を諦めれば、元の関係に戻れるんだろうか。
ちゃんと私を、桐子として見てくれるんだろうか。
そのためだったいくらでも、努力する。
お昼休み。
いつものように先に行った京塚主任を見つけ、小さく深呼吸してその前へ立つ。
「お疲れ様です!」
「……おうっ、お疲れ……」
朝と一緒で面食らっているが、かまわずに座った。
「そうだ。
杏里ちゃんに誕生日プレゼント用意してたんですが、渡しそびれちゃって。
今度持ってくるんで、渡してもらっていいですか?」
「……あ、ああ……」
京塚主任からの返事はぎこちない。
箸の運びも鈍く、もそもそと食べていた。
「土曜日、晴れててよかったですね。
また今日からしばらく、雨らしいですよ」
「……そう、なのか」
かまわずに適当に話ながら、ガツガツとお弁当食べ進める。
「もう梅雨の時期ですもんね。
……ごちそうさまでした。
お先に失礼します」
「あ、ああ……」
最後にお茶を一気に飲み干し、まだ戸惑っている彼を残して席を立った。
「ちょっと、わざとらしすぎたかな……」
歯磨きにきたお手洗いで、鏡に映る私に苦笑い。
「もう、元の関係には戻れないのかな……」
戻れるのなら。
私は、京塚主任を忘れる努力をしよう。
だから、お願いだから、――前みたいに、私に笑いかけてください。
その後も、空元気でもいいから無理に明るく振る舞った。
でも、京塚主任の反応はずっと、意識しているのかぎこちない。
その週の金曜日。
「えっ。
本当ですか!?」
突然、下野課長の声が響き渡り、誰もが彼に注目した。
「はい、はい。
誠に申し訳、ございません」
半ば浮かしていた腰を下ろし、今度はペコペコとあたまを下げ続けている。
いつもはゆるーい感じで喋っている彼にしては珍しく、ハキハキと歯切れがよすぎるくらいだ。
「はい、事実関係を調査いたしまして。
……はい、改めてご報告いたします。
……では、これで失礼いたします」
ガチャッと受話器を置いた下野課長の口から、はぁーっと長く息が抜けていく。
全員が次に彼がなにを言うのか、息を飲んで待っていた。
「……西山くん」
しん、と静まりかえった中、下野課長がだした声と共に、西山さんへ視線が集まる。
「ハ、ハイッ!」
ガタッ、と大きな音を立てて、西山さんが立ち上がった。
「ちょっといいかな」
下野課長が引きつった笑顔のまま、会議室を指さす。
その額には青筋が浮いていた。
「ハ、ハイッ!」
ふたりが会議室へ消えていき、バタンとドアが閉まる。
途端に室内はざわざわとしだした。
当然、話題は。
「……いったい、なにがあったんでしょうね?」
私もこっそりと、京塚主任へ訊いてみる。
「あー……。
心当たりがありすぎて、わかんねぇ」
はぁっ、と短く、呆れるように彼の口からため息が落ちた。
「だから毎回、注意してたのによぅ……」
また、京塚主任がため息を落とす。
『オレひとりでもちゃんとできるって』
自信満々に言っていた、西山さんを思い出した。
予感的中、というか。
京塚主任の鼻を明かすどころか、とんでもないことになっていませんか?
――ガチャッ。
ドアの開く音がして、ピタッと皆の話が止まる。
けれどかまうことなく、出てきた下野課長は自分の席で受話器を取った。
「すみません、いまからお時間、いいですか?
うちの若いのがやらかして。
……はい、すみません」
フックを押し、さらに彼の指がボタンを押す。
「すみません、いまからお時間、よろしいですか?
うちの若いのがやらかしまして。
……はい、詳しいことは、あとで。
じゃあ、よろしくお願いします」
またフックを押して一度電話を切り、再度かける。
また同じような内容の話をし、今度は受話器を置いた。
「京塚主任」
「はい」
下野課長から呼ばれ、京塚主任が姿勢を正す。
「君もいいかな?
僕だけじゃ手に負えそうにないから」
「了解です」
手早くいまやっている処理を終わらせ、彼はパソコンをスリープにした。
「これから絶対、死ぬほど忙しくなる。
急ぎの仕事から優先的に片付けとけ」
「わかりました!」
すっかり項垂れて会議室を出てきた西山さんを連れて、下野課長の京塚主任は部屋を出ていった。
行動予定に会議室、戻り未定と記入して。
きっと一階下にある会社全体に会議室で、各部署の責任者なんかを集めての話し合いがおこなわれるのだろう。
「私もミスしないように、集中!」
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