無能だと捨てられた第七王女、前世の『カウンセラー』知識で人の心を読み解き、言葉だけで最強の騎士団を作り上げる

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トムの心の扉を開けるため、私は、まず彼が安心できる場所を作った。
寺子屋の一角に、彼だけの小さな空間を用意する。
そこには、彼が好きだという動物のぬいぐるみをいくつか置いた。
そして、誰にも邪魔されないように、低い仕切りで周りを囲ったのだ。

私は、彼に無理に話しかけることはしない。
ただ、毎日その空間の近くに座り、穏やかな声で、物語の読み聞かせを続けた。
彼が、聞いているのかいないのかは分からない。
それでも、私は毎日続けた。
私の声と存在が、彼にとって、安全で心地よいものだと感じてもらうために。

数日が過ぎた頃、ほんの少しだけ、変化が起きた。
私が読み聞かせをしていると、トムが、仕切りのすき間からそっとこちらをのぞくようになったのだ。
目が合うと、彼はすぐに隠れてしまう。
だが、それは彼が外の世界への興味を、完全には失っていない証拠だった。
小さな、しかし確かな一歩だった。

その間、アシュトン様は、祭壇が見つかった森の奥へ、もう一度調査に向かっていた。
メンバーは、ダリウスさんとレオさん、そして数名の腕の立つ偵察兵だけだ。
少ない人数での、秘密の任務である。
出発の朝、私は、アシュトン様に一つだけお願いをした。

「敵は、人の心の弱さにつけ込むのが得意です」
「どうか、皆さん、決して一人で行動しないでください」
「そして、もし何か奇妙なものを見たり、声を聞いたりしても、それが現実かどうか、必ず仲間と確認し合ってください」
「あなた方の、一番の武器は、お互いを信じる心です」

私の言葉に、アシュトン様は力強く頷いた。

「分かっている。君の言葉、必ず皆に徹底させる」
「行ってくる」
「ご無事で」
私は、彼の背中が見えなくなるまで、城の門から見送った。
胸の中には、消えない不安があったが、私は彼らを信じることにした。

調査隊が出発してから、二日後のことだった。
寺子屋で、トムが、初めて私に自分から話しかけてきた。
それは、言葉ではなかった。
彼は、私の服のすそを、くい、と小さく引っ張ったのだ。
そして、何も言わずに、彼だけの空間へと私を導いた。

そこには、彼が木炭で描いた、新しい絵が何枚も置かれていた。
森の絵、祭壇の絵、そして、黒い服の集団。
以前と、同じ絵だ。
だが、その絵は、前のものとは、はっきりと違っていた。
ただ恐怖を描いただけではない。
そこには、彼が見た光景を、何とか伝えようとする必死の気持ちが感じられた。

私は、彼の隣に座り、一枚一枚、その絵をゆっくりと眺めた。
そして、彼が何かを話し出すのを、ただ静かに待った。

やがて、彼は、一枚の絵を指差した。
それは、黒い服の集団が、祭壇を囲んで何かを唱えているような絵だった。

「あいつら、言ってた」
トムが、かすれた、小さな声でつぶやいた。
彼が、言葉を発したのは、本当に久しぶりのことだった。

「何を、言っていたの」
「『黒い太陽が、昇る時』」
「『魂の、収穫が、始まる』って」
黒い太陽、魂の収穫。
その不吉な言葉の響きに、私の背中を、冷たいものが走った。
それは、単なる儀式などではない。
もっと大きくて、恐ろしい何かの、始まりなのではないだろうか。

「トム。その『黒い太陽』が、どんなものか覚えている」
彼は、こくりと頷いた。
そして、別の絵を指差す。
そこには、祭壇の上に浮かぶ、気味の悪い黒い円が描かれていた。
以前、私が気づいた、あの奇妙な印だ。
それは、まるで日食のようにも見えた。

「ありがとう、トム。話してくれて」
「よく、頑張ったわね」
私は、震える彼の小さな体を、優しく抱きしめた。
彼は、私の腕の中で、声を殺して泣き始めた。
長い間、心の奥に閉じ込めてきた、恐怖と悲しみが、涙となってあふれ出している。
それは、彼の心が、ようやく癒やしの一歩を踏み出した証拠だった。

その日の夕方、アシュトン様の調査隊が、城に帰ってきた。
幸い、全員が無傷だったが、その顔は、みんな険しい。
執務室に集まった私たちの前で、アシュトン様が、調査の結果を報告した。

「祭壇は、跡形もなく消えていた」
「まるで、最初から何もなかったかのようにな」
「だが、その場所で、いくつか奇妙なものを発見した」
彼がテーブルの上に並べたのは、変な模様が刻まれた石だった。
それから、枯れた植物の種のようなもの、そして黒く変色した土もあった。

「どれも、この辺境領では、見たこともないものばかりだ」
ギデオンさんが、不思議そうにそれらを手に取る。

そこへ、私は、トムから聞いた話を伝えた。
『黒い太陽』と、『魂の収穫』という言葉を。
アシュトン様たちの顔色が変わる。

「魂の、収穫だと」
「一体、何のことだ」
その時、執務室の扉が、勢いよく開かれた。
ハンスさんだった。
彼は、エマから話を聞いて、慌てて駆けつけてきたらしい。

「その石と種を、見せてみろ」
ハンスさんは、テーブルの上の発見物を、食い入るように見つめた。
その顔が、みるみるうちに青ざめていく。

「まさか。これは、古い書物でしか見たことがねえ」
「古代の、禁じられた術に使われる、道具じゃねえか」
彼の震える声に、部屋にいた誰もが息を呑んだ。

「禁じられた術、とは」
アシュトン様が、低い声で尋ねる。
「『魂魄の大儀式』と呼ばれる、最悪の儀式だ」
「土地の生命力を、そこに生きる全ての生き物の魂ごと奪い取り、術者の力に変えるという、ひどい術よ」
「古い書物によれば、その儀式が完成した時、空には『黒い太陽』が昇る」
「そして、大地は、永遠に死の世界と化す、と書いてある」

ハンスさんの説明は、私たちの想像を、はるかに超えるものだった。
敵の目的は、この土地を支配することなどではない。
この土地に生きる、全てを、なくしてしまうことだったのだ。

「そんな、馬鹿な」
ダリウスさんが、ぼうぜんとつぶやく。
「奴らは、また来る。必ずだ」
「儀式は、まだ完成してはおらん」
「この前の襲撃は、そのための、準備のようなものだったんじゃろう」
「おそらく、次の新月の夜だ。魔力が最も高まるその日に、奴らは儀式を完成させるつもりじゃ」

次の新月まで、もう、十日もない。
私たちには、もう、時間が残されていなかった。
絶望的な空気が、執務室を支配する。
誰もが、敵の目的の恐ろしさに、言葉を失っていた。
その沈黙を破ったのは、私の声だった。

「一つ、方法があるかもしれません」
全員の視線が、私に集まる。
「敵の術が、土地や人々の魂を力にするというのなら、それは、私たちの心の状態と、深く関係しているはずです」
「おそらく、人々の恐怖や、絶望といった、悪い感情が、儀式の力を大きくするのではないでしょうか」
「だとすれば、私たちがすべきことは、その逆です」

「逆、だと」
「はい。領民全体の心を、一つにするのです」
「恐怖や絶望ではなく、希望と喜びで、この土地を満たすのです」
「そうすれば、儀式の力は弱まり、もしかしたら、完全に無くせるかもしれません」

私の変わった提案に、誰もが、戸惑いの顔を浮かべた。
だが、アシュトン様だけは、真剣な目で、私の言葉の続きを待っている。

「具体的には、どうするんだ」
「お祭りを、開くのです」
「この戦いの勝利と、これからの豊かな実りを祝う、収穫祭のようなお祭りを」
「騎士団も、領民も、子供たちも、全員が参加して、歌い、踊り、笑い合うのです」
「それは、敵の儀式に対抗するための、私たち自身の、『希望の儀式』となります」

私の提案は、とても大胆で、変わった考えだったかもしれない。
だが、敵が心につけ込んでくる以上、こちらも、心で対抗するしかない。
これこそが、魔力を持たない私にできる、たった一つの戦い方だった。

ギデオンさんが、腕を組み、うなった。

「なるほど。敵の予想を裏切る、という点では、面白いかもしれん」
「奴らが、最も嫌がるやり方だろうからな」
「だが、そんなことで、本当にうまくいくのか」
彼の不安も、当然だ。
だが、アシュトン様は、違った。

彼は、私の目を、まっすぐに見つめていた。
その瞳には、私への、絶対的な信頼が宿っている。
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、そこにいる全員に向かって、宣言した。

「やろう。リリアーナの提案通り、この辺境領で、初めての祭りを開催する」
「これは、ただの祭りではない。我々の未来を懸けた、戦いだ」
「敵が、絶望の儀式を行うというのなら、我々は、それを上回る、希望の力でこの地を守り抜く」
彼の決断に、もう、反対する者はいなかった。
絶望のふちにいた彼らの目に、再び、戦うための火がともっていく。

「いいだろう。俺たちが、最高の舞台を用意してやるぜ」
ダリウスさんが、にやりと笑う。
「祭りの警備は、私たちにお任せください」
レオさんも、力強く頷いた。
「わしも、ただでは死なん。最高の酒と料理を、用意してやるわい」
ハンスさんまで、いつになく、やる気になっている。

こうして、辺境領の全ての人々を巻き込んだ、今までにない作戦が始まった。
敵の『魂魄の大儀式』に対抗するための、『希望の祭り』。
その準備が、急いで進められていく。

私は、アシュトン様と共に、城のバルコニーから、その様子を眺めていた。
街のあちこちで、人々が、祭りの準備のために、生き生きと動き回っている。
その光景は、これから死の儀式が行われる土地とは思えないほど、生命力に満ちあふれていた。

「本当に、君には驚かされてばかりだ」
アシュトン様が、感心したようにつぶやく。
「絶望的な状況の中で、希望を見つけ出す」
「それが、君の本当の強さなんだな」

「いいえ。私一人の力ではありません」
「あなたと、ここにいる皆がいたから、私も、前を向けたのです」
私たちは、顔を見合わせ、微笑んだ。
決戦の日は、少しずつ、近づいてきている。
私たちが作り出したこの希望の光を、何としてでも守り抜かなければならない。
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