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第11章 おじさんと壊れたリュート
第155話
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数週間ぶりに見慣れぬ気配が店の前に立った。扉が開く前にわかる。足音、歩幅、体の重心の揺れ方。俺の店に来る常連たちとは、明らかに違う。
扉が軋む音と共に入ってきたのは、薄汚れたマントを羽織った旅人の男だった。年は三十手前。前にも見た顔だった。
ああ、あのリュートを置いていった男か。
男は中に入ると、しばらく店の空気を吸い込むように立ち尽くし、次に目線をカウンター脇の一角へ向けた。
布のかかったリュートは、いつものようにそこに置かれていた。
「……まさか、まだあるとはな」
男は呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな口ぶりで、リュートに近づいた。布をめくる手が自然と丁寧になるのが見えた。リュートを手に取った瞬間、男の表情が明らかに変わった。
「……おい、これ、まさか修理したのか?」
俺は黙って豆を挽いていた。手回しのミルが、カリカリと一定のリズムを刻む。
男はリュートを軽く撫で、弦を一本一本確認しながら言葉を続けた。
「弦の張りも、ペグの締め具合も……こりゃ素人の手じゃない。どころか、下手な職人より仕上がってるじゃねぇか」
「そりゃどうも」
俺は一言だけ返して、抽出に入った。男は驚いたように、けれど嬉しさを隠しきれない様子でリュートを構えた。
ポロン。
一音が、店内に響く。確かに、以前とは違う。あの旅人が置いていった時は、音が籠っていた。弦は伸び、木材は乾いて歪み、音は死んでいた。だが今は違う。芯のある、張りのある音だ。
「……嘘だろ。こいつ、こんな音出たか?」
驚きの声を漏らしながら、男は旋律を奏で始めた。素人ながらも、音の運びには想いがこもっていた。音色は、あくまで自然に、空間に溶けていく。
その演奏に、カウンターの端で煙草をくゆらせていた猟師が目を向けたが、特に口を挟むことはなかった。ただ一度、ふっと笑って目を戻しただけだった。
リュートは、今やこの店の風景のひとつだった。誰のものというわけでもないが、誰もが勝手に触れようとはせず、触れる時には自然と丁寧になった。
演奏がひとしきり終わったあと、男は静かにリュートを置き、カウンターの前に立った。
「……いや、正直言うとさ。あのとき、もう壊れたしどうでもいいって思ってたんだよ。捨ててもよかった。でも、なんとなく捨てるのも惜しくてさ」
「捨てられたモンを拾ったわけじゃねえ。置いていったんだろ。なら、あとはこっちの勝手だ」
「……ああ、だよな。けど、こんなに大事にされてるとは思わなかったよ」
男はカウンター越しに俺の顔を見て、少しだけ頭を下げた。礼なんていらねえ、という顔を俺がしたからか、それ以上は言葉にしなかった。
かわりに、コーヒーの湯気を一口吸って、目を細めた。
「この音と、ここの珈琲と煙草……なんだろうな。合ってる。妙に、しっくりくる」
「だろうな。余計なもんがないからだ」
俺の返しに、男は一瞬だけ吹き出した。
「やっぱ、変わらないな、あんた。……ああ、いい時間だった。来てよかったよ」
男は立ち上がり、またリュートのところに戻って、もう一度弦に触れた。
「大切にしてくれてありがとうな。こいつ、このままここに置いてやってくれよ。……ここに似合ってるよ、きっと」
その言葉に、俺は顔を上げもせずに返した。
「ふん、そうさせてもらうさ」
扉が軋む音と共に入ってきたのは、薄汚れたマントを羽織った旅人の男だった。年は三十手前。前にも見た顔だった。
ああ、あのリュートを置いていった男か。
男は中に入ると、しばらく店の空気を吸い込むように立ち尽くし、次に目線をカウンター脇の一角へ向けた。
布のかかったリュートは、いつものようにそこに置かれていた。
「……まさか、まだあるとはな」
男は呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな口ぶりで、リュートに近づいた。布をめくる手が自然と丁寧になるのが見えた。リュートを手に取った瞬間、男の表情が明らかに変わった。
「……おい、これ、まさか修理したのか?」
俺は黙って豆を挽いていた。手回しのミルが、カリカリと一定のリズムを刻む。
男はリュートを軽く撫で、弦を一本一本確認しながら言葉を続けた。
「弦の張りも、ペグの締め具合も……こりゃ素人の手じゃない。どころか、下手な職人より仕上がってるじゃねぇか」
「そりゃどうも」
俺は一言だけ返して、抽出に入った。男は驚いたように、けれど嬉しさを隠しきれない様子でリュートを構えた。
ポロン。
一音が、店内に響く。確かに、以前とは違う。あの旅人が置いていった時は、音が籠っていた。弦は伸び、木材は乾いて歪み、音は死んでいた。だが今は違う。芯のある、張りのある音だ。
「……嘘だろ。こいつ、こんな音出たか?」
驚きの声を漏らしながら、男は旋律を奏で始めた。素人ながらも、音の運びには想いがこもっていた。音色は、あくまで自然に、空間に溶けていく。
その演奏に、カウンターの端で煙草をくゆらせていた猟師が目を向けたが、特に口を挟むことはなかった。ただ一度、ふっと笑って目を戻しただけだった。
リュートは、今やこの店の風景のひとつだった。誰のものというわけでもないが、誰もが勝手に触れようとはせず、触れる時には自然と丁寧になった。
演奏がひとしきり終わったあと、男は静かにリュートを置き、カウンターの前に立った。
「……いや、正直言うとさ。あのとき、もう壊れたしどうでもいいって思ってたんだよ。捨ててもよかった。でも、なんとなく捨てるのも惜しくてさ」
「捨てられたモンを拾ったわけじゃねえ。置いていったんだろ。なら、あとはこっちの勝手だ」
「……ああ、だよな。けど、こんなに大事にされてるとは思わなかったよ」
男はカウンター越しに俺の顔を見て、少しだけ頭を下げた。礼なんていらねえ、という顔を俺がしたからか、それ以上は言葉にしなかった。
かわりに、コーヒーの湯気を一口吸って、目を細めた。
「この音と、ここの珈琲と煙草……なんだろうな。合ってる。妙に、しっくりくる」
「だろうな。余計なもんがないからだ」
俺の返しに、男は一瞬だけ吹き出した。
「やっぱ、変わらないな、あんた。……ああ、いい時間だった。来てよかったよ」
男は立ち上がり、またリュートのところに戻って、もう一度弦に触れた。
「大切にしてくれてありがとうな。こいつ、このままここに置いてやってくれよ。……ここに似合ってるよ、きっと」
その言葉に、俺は顔を上げもせずに返した。
「ふん、そうさせてもらうさ」
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