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第11章 おじさんと壊れたリュート
第154話
リュートは、いつの間にか店の一部になっていた。
特別な扱いをした覚えはない。高価な棚に飾るでもなく、目立つ位置に置くわけでもない。カウンターの脇、ちょっとした台の上に、適当に布をかけて置いてあるだけだ。けれど、誰もがそれを目に留め、扱いを間違えることはなかった。
「触っていいか?」
そんなふうに聞いてくる客もいたが、俺が明確に答えることはなかった。黙って珈琲を淹れていれば、それで了承されたとみなされる。それ以上を求めてくる奴もいない。ここでは、必要以上の言葉は要らない。
リュートは、俺が気が向いた時に弾き、誰かが手に取っても構わない。ただ、壊さなければそれでいい。
誰にでも使わせるわけじゃない。けれど、今この店に来る客は、無闇に触ろうとはしない。手に取る前に、目で眺める。音を鳴らす前に、弦を撫でる。大切に扱うというより、音が出る前の「間」を味わうような、そんな動きだった。
何度か、リュートを弾く音が客席から聞こえた。俺はそれに反応しなかった。手を止めることもなければ、顔を上げることすらしなかった。
音の質で分かる。きちんとした姿勢で構え、弦を鳴らし、余計な音を出さない。誰に教わったわけでもない、素人なりの丁寧さ。それがあれば、俺は何も言わない。
ある日、顔見知りの猟師が、いつものように店に来た。
「リュート、あれ……なんていうか、いいもんだな」
とぼけた口調で言いながら、ちらっとリュートを見た。俺は何も返さず、棚から珈琲豆を取り出して手回しのミルに放り込んだ。カリカリと豆が潰れる音が、なんとなく店内に馴染んでいる。
「ちょっとだけ弾いてもいいか?」
そう言いながら、猟師は俺の顔色をうかがっていた。俺はひとつだけ首を傾け、ミルの取っ手を回す手を止めずにいた。猟師はそれを許可だと理解し、そっとリュートを手に取った。
雑な奴じゃない。道具を扱う手付きから、それはよく分かる。獲物を仕留める弓と同じように、弦を確かめ、ゆっくりと構え、音を鳴らす。
ポロン、と一音。
響きは弱いが、乱れはない。やがて、素朴な旋律が流れ始めた。森で聞いた鳥の鳴き声か、どこかの踊りの節か。原始的で単純な、けれど、悪くない流れだった。
俺は湯を注ぎながら、その音を聞いていた。興味があるわけじゃない。耳障りでなければそれでいい。俺の珈琲を邪魔しなければ、それで構わない。
カップに湯気が立ち上る。煙草に火をつけ、一服。珈琲と煙草、そして音。どれもが俺の店の空気に混ざり合い、そこに違和感はなかった。
やがて猟師はリュートを置き、ふうと息をついて言った。
「……いいもんだな、こういうのも」
「さっさと飲め。冷めるぞ」
それだけ返して、俺はカウンター越しにカップを差し出した。猟師は苦笑いを浮かべて、それを受け取る。
リュートはもう、俺のものではなく、客のものでもない。ここにあるもの。珈琲や煙草と同じように、誰かの心に引っかかるもの。そしてそれは、勝手に居場所を得て、勝手に馴染んでいった。
誰も所有しないし、誰も奪わない。けれど、誰もがそこにあることを当然と思っている。
それで十分だった。
「……弾きたきゃ、弾け」
特別な扱いをした覚えはない。高価な棚に飾るでもなく、目立つ位置に置くわけでもない。カウンターの脇、ちょっとした台の上に、適当に布をかけて置いてあるだけだ。けれど、誰もがそれを目に留め、扱いを間違えることはなかった。
「触っていいか?」
そんなふうに聞いてくる客もいたが、俺が明確に答えることはなかった。黙って珈琲を淹れていれば、それで了承されたとみなされる。それ以上を求めてくる奴もいない。ここでは、必要以上の言葉は要らない。
リュートは、俺が気が向いた時に弾き、誰かが手に取っても構わない。ただ、壊さなければそれでいい。
誰にでも使わせるわけじゃない。けれど、今この店に来る客は、無闇に触ろうとはしない。手に取る前に、目で眺める。音を鳴らす前に、弦を撫でる。大切に扱うというより、音が出る前の「間」を味わうような、そんな動きだった。
何度か、リュートを弾く音が客席から聞こえた。俺はそれに反応しなかった。手を止めることもなければ、顔を上げることすらしなかった。
音の質で分かる。きちんとした姿勢で構え、弦を鳴らし、余計な音を出さない。誰に教わったわけでもない、素人なりの丁寧さ。それがあれば、俺は何も言わない。
ある日、顔見知りの猟師が、いつものように店に来た。
「リュート、あれ……なんていうか、いいもんだな」
とぼけた口調で言いながら、ちらっとリュートを見た。俺は何も返さず、棚から珈琲豆を取り出して手回しのミルに放り込んだ。カリカリと豆が潰れる音が、なんとなく店内に馴染んでいる。
「ちょっとだけ弾いてもいいか?」
そう言いながら、猟師は俺の顔色をうかがっていた。俺はひとつだけ首を傾け、ミルの取っ手を回す手を止めずにいた。猟師はそれを許可だと理解し、そっとリュートを手に取った。
雑な奴じゃない。道具を扱う手付きから、それはよく分かる。獲物を仕留める弓と同じように、弦を確かめ、ゆっくりと構え、音を鳴らす。
ポロン、と一音。
響きは弱いが、乱れはない。やがて、素朴な旋律が流れ始めた。森で聞いた鳥の鳴き声か、どこかの踊りの節か。原始的で単純な、けれど、悪くない流れだった。
俺は湯を注ぎながら、その音を聞いていた。興味があるわけじゃない。耳障りでなければそれでいい。俺の珈琲を邪魔しなければ、それで構わない。
カップに湯気が立ち上る。煙草に火をつけ、一服。珈琲と煙草、そして音。どれもが俺の店の空気に混ざり合い、そこに違和感はなかった。
やがて猟師はリュートを置き、ふうと息をついて言った。
「……いいもんだな、こういうのも」
「さっさと飲め。冷めるぞ」
それだけ返して、俺はカウンター越しにカップを差し出した。猟師は苦笑いを浮かべて、それを受け取る。
リュートはもう、俺のものではなく、客のものでもない。ここにあるもの。珈琲や煙草と同じように、誰かの心に引っかかるもの。そしてそれは、勝手に居場所を得て、勝手に馴染んでいった。
誰も所有しないし、誰も奪わない。けれど、誰もがそこにあることを当然と思っている。
それで十分だった。
「……弾きたきゃ、弾け」
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