独身おじさんの異世界おひとりさまライフ〜金や評価は要りません。コーヒーとタバコ、そして本があれば最高です〜

旅する書斎(☆ほしい)

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第12章 おじさんと粗野な獣人

第156話

入り口の扉が乱暴に開かれた音で、俺は手元のカップから目を上げた。

乾いた足音。土埃の混じる獣の匂いが風に乗って入り込んでくる。振り返ると、毛並みの荒い青年が、武具を肩から下げたまま突っ立っていた。耳はピクリとも動かさず、鋭い目つきだけをこちらに向けている。

「客か?」

そう問うと、青年は鼻を鳴らしながら一歩踏み込んできた。

「ここが、珈琲を飲めるって店か?」

声は太く、低い。言葉自体は崩れていないが、喋り慣れていないのがすぐに分かる。ついでに目つきが警戒心でギラついてる。

後ろから、村人の一人──ガルベという名の若い農夫が顔を出した。

「悪ぃな、レンジさん。この子、旅の途中で怪我しててさ。うちでちょっと養生してたんだ。変なやつだが、悪いやつじゃねぇ」

「ふぅん」

俺はそれだけ言って、手元のマグを置いた。獣人か……しばらく見なかったタイプだな。目つき、爪、立ち耳、牙。肌の下に野生の筋肉が詰まってるのが分かる。何より――鼻だ。こいつ、たぶんとんでもなく鼻が利く。

「入っていいか?」

「勝手にしろ」

椅子を指さすと、青年はぎこちなく腰を下ろした。耳が小刻みに揺れている。落ち着きがないようにも見えるが、どちらかと言えば警戒が強いだけだ。

「……変な匂いだな、ここ」

「人間用に整えてるからな。気に入らないなら出ていけ」

「いや……悪くねぇ。……うまそうな匂いがする」

そりゃそうだ。朝一で豆を挽いたばかりだ。俺はカウンターに戻り、黙って一杯の珈琲を淹れる。こいつの耳がぴくりと動くたび、グラインダーの音や湯の落ちる音に反応してるのが分かる。

道具の使い方も、動きも、余計な音を立てないよう調整してある。だからこそ、敏感なやつにはむしろ目立つのかもしれない。

「お前、名前は?」

「──ファルク」

「ファルク、珈琲は初めてか?」

「……ああ。飲み物って言えば、水と獣の血くらいだな。たまに酒」

「そうか。運がいいな。初物だ」

マグをテーブルに置くと、ファルクは匂いだけで目を見開いた。鼻を近づけ、ゆっくりと吸い込む。毛並みがぞわっと逆立つのが見て取れる。

「……これは、飲み物なのか?」

「そうだ」

口をつけるまで、やたらと時間がかかっていた。獣人らしく本能で判断してるんだろう。それでもついに口をつけた瞬間、耳がビクンと跳ねた。

「……!」

無言で、マグを両手で持ち直す。目つきが変わる。牙を見せるでもなく、唸るでもなく。ただ、湯気を見つめるようにして、一息、また一息と味わっている。

「……うま」

それだけ言って、口を閉じた。

それ以上は求めない。感謝も、礼もない。ただ、純粋に身体が反応してる。毛並みがしなやかに揺れ、目が細まる。全身の緊張が抜けていく。野生の動物が陽だまりに身を委ねるような、そんな変化。

ファルクはようやくマグを置き、鼻先を押さえた。

「すげぇ……匂いも、味も、力が……入ってくる。こんな飲み物、あるのかよ」

「あるから出してる。そんなに驚くことじゃない」

「……あんたが作ったのか?」

「ああ」

「これ、……なんていうんだ?」

「珈琲。それと煙草。そっちの棚にある。興味があるなら、勝手に嗅げ」

ファルクは立ち上がり、棚へ向かう。ガラスの瓶の蓋を開けて匂いを確かめると、ピクリと肩が震えた。

「これ、やべぇな……香りだけで、腹の底が震える」

「だったらいきなり吸うな。慣れてねぇと、楽しみきれない」

「……だな。今日は見るだけにしとく」

その判断は正しい。鼻が利きすぎるやつは、煙草の本質を一気に吸い込むと脳が震える。そういう作りになってる。

ファルクは再び椅子に座り、テーブルの上のマグをじっと見た。

「……あんた、何者なんだ?」

「ここの店主。それだけだ」

そう言い放って、俺は自分のカップを取り直した。向こうが黙るなら、俺も喋る気はない。ただ、そいつの鼻が、耳が、全身が、この空間に順応していく様は、見ていて悪くなかった。

会話も、名前も、背景も要らない。ただ、いい香りの珈琲があって、いい煙草があって、余計なことを聞かない相手がいれば、それでいい。

──この時点で、ファルクはもう立派な“馴染みの客”の一歩手前にいた。
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