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第16章 おじさんと旅芸人の少女
第198話
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「おじさ、ん……こ、ここって……コーヒー、のおみせ……ですよね……?」
昼下がり、客足のない時間帯。
扉の隙間からそっと顔を覗かせたのは、旅芸人の衣装の端切れを無造作に纏った、まだ幼さの残る少女だった。
声が細く、途切れがちだったが、確かにそう言っていた。
俺はカウンターの内側から顔を上げて、軽く頷く。
「合ってる」
「あ……よ、よかった……」
扉が、わずかに開き、少女がそろそろと中へ入ってくる。
小さな肩に不釣り合いな革鞄を背負い、目元は伏せがちで、姿勢は常に内へと巻き込まれていた。
話しかけるなとでも言うような気配じゃない。
ただ、人と目を合わせることに慣れていない。
「あの……こ、コーヒー……ひとつ……くださ、い……」
「わかった」
俺は手元の湯を確かめながら、抽出の準備に取り掛かる。
豆は中煎り。
酸味と苦味のバランスがよく、初めての客にとっても飲みやすい。
蒸らしを終え、細く湯を落としながら、少女の足元を見る。
かかとの減った靴。よく歩く証拠。
旅芸人なら当然だ。
だが、それ以外は、まるで旅芸人らしくない。
派手さもなければ、声も小さい。動きも目立たない。
つまり、今まで来たどの芸人たちとも違う。
「少し待て」
「は……はい……!」
声が一段上ずった。
俺はそのまま作業を続ける。
彼女の視線が、カウンターの端からそっと覗いているのを感じたが、無理に話を振ることはしない。
五分後、ちょうど抽出が終わった。
カップを滑らせて、彼女の前に置く。
湯気がほわりと立ち上がる。
少女は両手でそっとカップを持ち上げると、唇に運んだ。
そして、止まった。
目が大きく見開かれた。
口元が、少しだけ震える。
俺はそれを黙って見ていた。
彼女は、静かにカップを置き、数秒固まったのち、ぽつりと呟いた。
「……すごい……」
声に、芯があった。
か細いが、確かに、芯のある驚きがこもっていた。
「こんなの……のんだこと、ないです……」
それっきり、彼女は何も言わず、ただひたすら珈琲を飲んだ。
飲んでは目を伏せ、口元に手を当て、そしてまた、そっと飲む。
仕草一つひとつが慎重で、どこか不器用だが、味わっているのは間違いなかった。
「名前は?」
俺が聞くと、彼女は一瞬びくりと肩を震わせた。
だが、すぐに小さな声で答えた。
「ト……トレシー、です……」
「そうか」
「……あの、こ、ここ……すごく、しずかで……」
「静かにしてる客が多いからな」
「う、うるさいの……にがて、なので……」
それは見ればわかる。
旅芸人というのは基本的に社交的な種族だ。
声が大きく、感情も動きもはっきりしている。
群れることで場を作り、賑やかさで価値を示す。
彼女は、そのどれにも当てはまらない。
「親が、芸人でな……つい、ついてきちゃって……」
ぼそりと漏れた言葉に、俺は何も返さない。
言葉の先に、言い訳や打算がなかった。
ただ、そういう事情がある、というだけの話だった。
「……また、来ても……いいですか?」
「来たいときに来ればいい」
そのやりとりのあと、彼女は深く頭を下げて店を出ていった。
音もなく、まるで風のように。
それからだった。
トレシーが、店に通うようになったのは。
必ず昼前、人がいない時間帯。
誰にも見られず、誰にも知られず、ひっそりとやってくる。
入ってきて、注文は一言。
「コーヒー……ください」
あとは無言でカップを抱え、ひたすら飲む。
一滴残らず飲み干して、時には目を細め、時には頬に手を添える。
表情の変化は少ないが、そのわずかな揺れに、毎回ちゃんと感動しているのが伝わってくる。
「……今日のは、ちょっと、やさしい……」
「豆を変えた」
「わかります……」
感覚がいい。
舌がいい。
それに、繊細なものの違いを見分けることができる目をしている。
俺はそのことに、まだ言及していない。
彼女がそれを望んでいる様子もない。
ただ、こうして毎日、静かに珈琲を飲む。
それだけの関係で、今は十分だった。
昼下がり、客足のない時間帯。
扉の隙間からそっと顔を覗かせたのは、旅芸人の衣装の端切れを無造作に纏った、まだ幼さの残る少女だった。
声が細く、途切れがちだったが、確かにそう言っていた。
俺はカウンターの内側から顔を上げて、軽く頷く。
「合ってる」
「あ……よ、よかった……」
扉が、わずかに開き、少女がそろそろと中へ入ってくる。
小さな肩に不釣り合いな革鞄を背負い、目元は伏せがちで、姿勢は常に内へと巻き込まれていた。
話しかけるなとでも言うような気配じゃない。
ただ、人と目を合わせることに慣れていない。
「あの……こ、コーヒー……ひとつ……くださ、い……」
「わかった」
俺は手元の湯を確かめながら、抽出の準備に取り掛かる。
豆は中煎り。
酸味と苦味のバランスがよく、初めての客にとっても飲みやすい。
蒸らしを終え、細く湯を落としながら、少女の足元を見る。
かかとの減った靴。よく歩く証拠。
旅芸人なら当然だ。
だが、それ以外は、まるで旅芸人らしくない。
派手さもなければ、声も小さい。動きも目立たない。
つまり、今まで来たどの芸人たちとも違う。
「少し待て」
「は……はい……!」
声が一段上ずった。
俺はそのまま作業を続ける。
彼女の視線が、カウンターの端からそっと覗いているのを感じたが、無理に話を振ることはしない。
五分後、ちょうど抽出が終わった。
カップを滑らせて、彼女の前に置く。
湯気がほわりと立ち上がる。
少女は両手でそっとカップを持ち上げると、唇に運んだ。
そして、止まった。
目が大きく見開かれた。
口元が、少しだけ震える。
俺はそれを黙って見ていた。
彼女は、静かにカップを置き、数秒固まったのち、ぽつりと呟いた。
「……すごい……」
声に、芯があった。
か細いが、確かに、芯のある驚きがこもっていた。
「こんなの……のんだこと、ないです……」
それっきり、彼女は何も言わず、ただひたすら珈琲を飲んだ。
飲んでは目を伏せ、口元に手を当て、そしてまた、そっと飲む。
仕草一つひとつが慎重で、どこか不器用だが、味わっているのは間違いなかった。
「名前は?」
俺が聞くと、彼女は一瞬びくりと肩を震わせた。
だが、すぐに小さな声で答えた。
「ト……トレシー、です……」
「そうか」
「……あの、こ、ここ……すごく、しずかで……」
「静かにしてる客が多いからな」
「う、うるさいの……にがて、なので……」
それは見ればわかる。
旅芸人というのは基本的に社交的な種族だ。
声が大きく、感情も動きもはっきりしている。
群れることで場を作り、賑やかさで価値を示す。
彼女は、そのどれにも当てはまらない。
「親が、芸人でな……つい、ついてきちゃって……」
ぼそりと漏れた言葉に、俺は何も返さない。
言葉の先に、言い訳や打算がなかった。
ただ、そういう事情がある、というだけの話だった。
「……また、来ても……いいですか?」
「来たいときに来ればいい」
そのやりとりのあと、彼女は深く頭を下げて店を出ていった。
音もなく、まるで風のように。
それからだった。
トレシーが、店に通うようになったのは。
必ず昼前、人がいない時間帯。
誰にも見られず、誰にも知られず、ひっそりとやってくる。
入ってきて、注文は一言。
「コーヒー……ください」
あとは無言でカップを抱え、ひたすら飲む。
一滴残らず飲み干して、時には目を細め、時には頬に手を添える。
表情の変化は少ないが、そのわずかな揺れに、毎回ちゃんと感動しているのが伝わってくる。
「……今日のは、ちょっと、やさしい……」
「豆を変えた」
「わかります……」
感覚がいい。
舌がいい。
それに、繊細なものの違いを見分けることができる目をしている。
俺はそのことに、まだ言及していない。
彼女がそれを望んでいる様子もない。
ただ、こうして毎日、静かに珈琲を飲む。
それだけの関係で、今は十分だった。
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