【完結】没落令嬢、異世界で紅茶店を開くことにいたしました〜香りと静寂と癒しの一杯をあなたに〜

旅する書斎(☆ほしい)

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第14話

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翌朝は、目が覚めたときから空気がぴんと張りつめておりましたの。

湖面を渡る風が少しだけ冷たく、空にはすじ状の雲が広がっていて、まるで誰かの旅立ちを静かに祝っているかのようでしたわ。

「アナさま、起きてますか?」

ルディさんの声が扉の向こうから聞こえてまいりましたの。

「はい。お茶の準備も整っておりますわ。最後の一杯を、お淹れいたしますわね」

わたくしはすでに選んでいた茶葉を手に取り、ポットに湯を注ぎました。

今日は、“迎え火の茶”を少しだけアレンジして、“朝焼けの風”という名にいたしましたの。

目覚めにぴったりの柑橘とハーブの香り、そしてほんの少しのスパイスが、これからの旅路を支える香りになるはずですわ。

カップを渡すと、彼は静かに目を閉じて深く息を吸い込み、やがてゆっくりと口元に運びましたの。

「……うん、あったかいのに、しゃんとする」

「それは良かったですわ。足元の風が冷たいでしょう? 香りで中から温めるのが一番ですのよ」

「この香り、忘れたくないな」

「ふふ、忘れてしまっても、また淹れて差し上げますわ。帰ってきたときには、もっと良い一杯をご用意いたしますの」

「それ、約束ですよ」

「わたくしは、お約束はあまりいたしませんの。けれど、あなたが“また来たい”と思うなら、香りは応えてくださいます」

「なら、また来ます。必ず」

彼はカップを飲み干し、丁寧に置くと、小さな布袋を肩にかけました。

その中には、わたくしが用意した三種のティーパウチが収められております。

「これがあれば、どこでも香りに包まれます」

「ええ。ですが封を開けるときは、静かな場所でなさいな。香りというものは、周囲の空気によって変化してしまいますから」

「分かりました。なるべく草のある場所で、湖の音が聞こえるようなところで……」

「まあ、それは素晴らしい選び方ですわ」

外にはすでに朝日が差し込み、小屋の周囲に広がる香草園を黄金色に照らしておりましたの。

ミントの葉には朝露がきらめき、レモンバームが風に揺れて、まるで旅立ちを見送るために香りを立てているようでしたわ。

「子どもたち、まだ来てないんですね」

「ええ、朝が早すぎますもの。きっと、来たころにはあなたはもう姿を消していらっしゃるでしょう」

「そっか……ちょっと寂しいかも」

「それも旅の香りのひとつですわ。離れる香りがあってこそ、戻ったときの香りが深まりますの」

「ほんとに、全部お茶で語りますよね、アナさまって」

「それが、わたくしの世界でございますもの」

彼は扉の前で立ち止まり、もう一度だけ振り返りましたの。

「じゃあ……行ってきます」

「はい、いってらっしゃいませ。香りと風が、あなたの背を押しますように」

わたくしはそう言って手を振り、扉を開けたまま彼の背を見送りました。

ゆるやかな坂を越え、木々の合間を縫うようにして小道を下り、やがてその姿は森の奥へと消えてゆきましたの。

風が吹いて、扉の上に吊るした香草の束が揺れ、ミントの香りが室内に流れ込みました。

新しい風の始まりですわ。

「アナさま~!」

小屋の裏手から、元気な声が聞こえてまいりましたの。

いつもの子どもたちが、手に籠を抱えてやってまいりましたわ。

「お花いっぱい摘んできたよー!」

「アナさま、昨日のティーパックのにおい、まだ残ってる!」

「お兄さん、今日は?」

「今朝、旅立たれましたわ」

「えー! 言ってくれたら、見送りたかったのに!」

「それも、香りの旅路ですもの。別れは静かにが、わたくしの流儀ですわ」

「そっかぁ……でも、帰ってくるかな?」

「ええ、彼には“迎え火の茶”を約束いたしましたもの。きっと戻ってこられますわ」

「じゃあ、帰ってきたらパーティーしようよ!」

「いいですわね。では、そのときは特別な調合をご用意いたしますわ。“再会の香り”──ローズペタルと、セージ、ベルガモットで整えたものなど、いかが?」

「うわー、名前からしておいしそう!」

「おいしいっていうか、かっこいい!」

「お姫さまが出すお茶って感じ!」

「ふふ、では今日は、“お出迎えの準備”とまいりましょうか」

「やったー!」

わたくしは小屋の中から、乾燥させたばかりのハーブをいくつか選び、籠に移しましたの。

ミレーヌちゃんにはミントの剪定を、ニコラくんにはラベンダーの整枝を、トーマくんには庭道の掃き掃除をお願いしましたわ。

「みんな、それぞれ自分の香りを持っていらっしゃるのね」

「えー? 香りなんて分かんないよ?」

「わたくしには分かりますのよ。動き、声、目の色、そして選ぶハーブ。すべてが、あなたの香りを形づくっておりますの」

「アナさま、魔法使いみたい!」

「魔法ではなく、習慣と観察と……ちょっぴりの紅茶ですわ」

小屋の周りがにぎやかになるにつれて、香草の香りも濃くなってまいりました。

風は東から吹き、湖面に波紋を描きながら、ゆっくりと森の奥へと香りを運んでいきます。

あの人の背中を追うようにして。

「アナさまー! あのね、明日、村でお祭りあるんだって!」

「まあ、それは賑やかそうですわね」

「来てよ! アナさまも!」

「わたくしが? ふふ、どういたしましょうかしら」

「お茶、屋台に出せば大人気だよ!」

「わたくし、商売はいたしませんのよ。ただ、香りを届けるだけですわ」

「じゃあ、無料屋台! アナさまの香り屋さん!」

「まあまあ、それはまた別の香りがしてきますわね」

笑い声が広がり、わたくしも思わず口元を緩めましたの。

湖畔のこの小さな小屋が、いつしか人の気配で満たされ、笑顔と香りが交差する場所になってゆく──

望んでいた以上の風景が、今ここにございますの。

静寂は、決して孤独ではございませんのよ。

誰かと共に味わう香り、それこそが、わたくしの求める穏やかな時間。

さて、そろそろ次の一杯を用意しませんと。

「皆さま、お茶の準備が整いましたわ。“午後のそよ風”と名づけた調合ですの」

「名前だけで飲みたくなるー!」

「それ、どんな香り?」

「レモンバーム、エルダーフラワー、少しだけミルクシード……ふわっと広がって、しゃんとする香りですわ」

「それって、旅に出るお兄さんに合ってるかも!」

「まあ……それは、良い感性をお持ちですわね」

「アナさま、天才!」

「ふふ、香りを知る者は、皆、天才ですのよ」

わたくしはティーカップを並べ、蒸らした茶を丁寧に注ぎました。

ひとつひとつの香りが重なって、空気がやわらかく満ちていきます。

湖の音と、笑い声と、茶を注ぐ音──それらが重なり合って、この小屋の風景になっていくのですわ。
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