【完結】没落令嬢、異世界で紅茶店を開くことにいたしました〜香りと静寂と癒しの一杯をあなたに〜

旅する書斎(☆ほしい)

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第13話

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マルグリットさんは静かにカップを置き、指先で縁をなぞきながらひとつ息をつきましたの。

「これは、ほんとうに……香りのための場所ですわね」

「お茶は飲むものではなく、味わうものですもの。香りがなければ、ただの湯と変わりませんわ」

「私たちが日々扱っている文書と同じです。言葉は目で追うものではなく、意味を紐解くための道具ですわ」

「それなら、あなたもきっと良いブレンドが組めますわ。香草も文字も、調合次第でございます」

「うふふ、光栄です」

彼女が微笑むその横で、例の青年──ルディさんが、お茶をすする音を控えめに響かせておりましたの。

「……文書の灯火。確かに、名前の通りですわね。これ、頭がすっきりする」

「思考を明瞭にする調合ですから。あまり遅い時間に飲みすぎると、眠れなくなってしまいますのよ」

「それは困るな。せっかく“月下の調べ”で気持ちよくなってたのに」

「では、次は“夜更けのため息”など、お出ししましょうか。少しだけスモーキーなカモミールと、落ち着いたバニラルートで組んだ調合ですわ」

「名前が、いちいち素敵ですね……」

「香りの名前は、飲む方の心に届くよう意識しておりますのよ」

わたくしはそう言いながら、再び棚へと向かい、乾燥させていた葉の束を取り出しましたの。

バニラルートのほのかな甘みと、フェンネルを少し加えることで、まるで寝る前に本を一章だけ読むような落ち着いた香りに仕上げます。

ポットの中でお湯を注いだ瞬間、ふわりと甘く深い香りが立ち上がり、小屋全体に夜の柔らかさが漂いましたの。

「さて、ルディさん。出発の準備についても、そろそろ考えていただかねばなりませんわ」

「そうですね……そろそろ、本気で動くときかもしれません」

「ならば、旅に持っていく茶葉も選ばねばなりませんわ。王都まで、三日はかかりますので」

「そんなに……?」

「途中で寄る町や、足を止める可能性を考えれば、それくらいは見積もっておくべきですわ。それに、途中で“香り”を切らしては困りますものね」

「香りの備え……たしかに重要だ」

「ですから、今回は三種類をご用意いたしましょう。一つは“旅路の陽光”、レモングラスとハイビスカスで気分を高めるもの」

「それ、好きなやつです」

「二つ目は“警戒の露”。これはマジョラムとユーカリを使って、集中力と察知力を高める調合ですわ」

「ほう……なんか冒険者っぽい」

「そして三つ目は“静謐の余白”。これは、疲れた心と身体を包み込むためのラベンダーとネトルのブレンドですの」

「それ、絶対いるやつ……」

「これらを小分けにして、軽量のティーパウチに封じてお渡ししますわ。保存性と携帯性、どちらも保証いたします」

「香草って、こんなに便利なものだったんですね……」

「ええ、誰かのための一杯でなく、自分のための一杯。それが一番、心に効きますのよ」

わたくしは作業台の上に袋を並べて、一本ずつ魔力を込めた封蝋で密封いたしました。

その封蝋には、わたくしのスキルで設定された“調合の保持”が作用しており、開封するまで香りの質は落ちません。

小屋でなくとも、森の中でも、街の宿でも、同じ香りを再現できますの。

「アナさま、それ、すごすぎます。もう、常備薬みたいな扱いじゃないですか」

「ええ、香草は“飲む癒し”でございますから。薬ではなく、お守りのように扱うとよろしいですわ」

「ありがとうございます……これ、持っていれば安心できそうだ」

「ですが油断はなさいませんように。香りは道を示してくれますけれど、決めるのはあくまでご自身ですわ」

「はい……それ、肝に銘じておきます」

マルグリットさんは、わたくしたちの会話を静かに聞きながら、ティーカップを片手に、何度もうなずいておりましたの。

「本当に、よい場所ですわ。言葉を交わさなくとも、香りだけで整っていく……そういう空気がここにはある」

「それは、この小屋の“在り方”でしてよ。香草も、茶葉も、人も、混ぜすぎず、足しすぎず。自然なままを大切にするのですわ」

「なるほど……母が“備えろ”と言った意味が、ようやく分かりましたわ」

「それは何よりですわ。今後、また文書の解析や報告が必要になった際には、香りの支援もいたしますわよ」

「ありがたい申し出です。けれど、今はまず、この記録を無事に母へ届けること。それが第一ですわ」

「くれぐれも、お気をつけて」

「はい、香りを道標にして進みます」

マルグリットさんが小屋を後にしたのは、それからしばらくしてのことでしたの。

扉の向こうで風が鳴き、彼女の足音が草を踏みしめ、森の奥へと続いていきました。

わたくしはしばらく、その音が聞こえなくなるまで立ち尽くしておりました。

そして振り返ると、ルディさんがいつのまにか立ち上がり、棚の香草に目を向けておりましたの。

「アナさま。俺、明日の朝には出ます」

「それが良いでしょう。香りは、長く留まりすぎると濁ってしまいますから」

「……でも、必ず戻ります」

「そのときは、新しい香りをご用意しておきますわ。今のあなたにはまだ早い、“迎え火の茶”など」

「迎え火……って?」

「帰ってくる方を祝福するための調合ですわ。アニスシード、セージ、そしてほんの少しのマンダリンピール」

「うわ、それ絶対好きだ……」

「ふふ、それは帰ってきたときのお楽しみですわ」

小屋の中には、まだ夜の香りが残っておりました。

けれど、それはどこか、次の風を予感させる香りでもありましたの。

旅立ちは、別れではなく、香りの始まりですわ。

わたくしはカップをそっと傾け、最後のひと口を飲み干しましたの。

そして、新しいティーポットに湯を注ぐ音が、夜の静寂に重なっていきましたの。
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