元Sランク受付嬢の、路地裏ひとり酒とまかない飯

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「これは……?」
アランさんから差し出されたのは、古びた羊皮紙だった。そこには見たこともない古代文字で何かがびっしりと書きつけられている。ところどころインクが掠れて読めなくなっているものの、いくつかの挿絵から、それが何かの調理法を示していることだけはかろうじて見て取れた。

「僕が解読した古代文献の一部だよ。そこに、とても珍しい料理のレシピが載っていたんだ」アランさんは、少し興奮した様子で説明を続けてくれる。「『星屑茸と月光草のポタージュ』。どうやら、古代の王族が特別な儀式の際に食していた門外不出のスープらしい。使われている食材も、今では幻とされるものばかりだ」

星屑茸と月光草のポタージュ。その名前を聞いただけでは、どんな味なのか全く想像がつかない。でも、古代の王族が愛したスープと聞けば、がぜん興味が湧いてくる。

「君にこれを渡そうと思ったのは、他でもない。君なら、もしかしたらこの古代の料理を現代に蘇らせることができるんじゃないかと思ったんだ」
「私が、ですか……?」
「ああ。君には不思議な知識と、そして料理に対する深い愛情がある。月光花の一件で、僕はそれを確信したんだ。もしこのポタージュが完成したら……その時は、ぜひ僕にも一口食べさせてほしいな」

アランさんは少年のように目を輝かせながらそう言った。
その真っ直ぐな期待に、私の心はどくんと高鳴る。私にできるだろうか。食べる専門だった、この私が。
でも、私の手の中にはヴァルミナ様から贈られた最高の調理器具がある。そして、私には〈モンス飯亭〉の女将さんという最強の師匠がついてくれている。
(……やってみたい)
それは冒険者だった頃の、強敵に挑む前の武者震いに似ていた。けれど、もっと温かくて、わくわくするような新しい感情。

「……はい。やってみます。最高のポタージュを作って、アランさんにご馳走しますね」
私がそう約束すると、アランさんは心から嬉しそうに微笑んでくれた。

一週間の特別休暇は、夢のように過ぎ去っていった。
明日からまた、いつものギルドでの日常が始まる。けれど、今の私の心の中には、古代のレシピという新しい目標が確かな熱を持って灯っていた。

休暇明けのギルドは、いつも通りの忙しさだった。
「おはようございます! 佐倉さん、休暇、満喫できましたかー?」
「ええ、おかげさまで。ナナミちゃんも元気そうね」
「はい! 佐倉さんがいない間、私、頑張ったんですよー! まあ、ちょっとだけ書類の山に埋もれそうになりましたけど!」
ナナミちゃんの元気な声を聞くと、私も仕事モードへと気持ちが切り替わる。テキパキと依頼書を処理し、冒険者たちの対応をする。この変わらない日常が、私にとってはとても愛おしい。

そして、定時。
私はアランさんから預かった古代のレシピの写しを握りしめて、いつもの路地裏へと足を向けた。
〈モンス飯亭〉の暖簾をくぐると、香ばしい出汁の香りが私を迎えてくれる。
「いらっしゃい、レナちゃん。休暇明け早々のご来店だねぇ」
「こんばんは、女将さん。実は今日、女将さんに相談したいことがありまして」
私はカウンターに座るなり、古代のレシピを女将さんに見せた。
女将さんはその羊皮紙を興味深そうにしばらく眺めていたが、やがて、ほう、と感心したような声を上げた。

「『星屑茸と月光草のポタージュ』かい。こりゃまた古風で面白い料理だねぇ。星屑茸も月光草も、今じゃほとんど市場に出回らない幻の食材だよ」
「やっぱり、難しいでしょうか……」
「まあ、食材探しは骨が折れるだろうねぇ。だが、それ以上に問題はこのレシピそのものだ」女将さんは、レシピの一部分を指でとんと叩いた。「ここに『聖なる出汁を、三日三晩、煮詰めるべし』とある。この『聖なる出汁』ってのが一体何なのか。それが分からなけりゃ、このポタージュの味は再現できやしないよ」

聖なる出汁。確かに、レシピにはそれ以上の具体的な記述はない。
私が途方に暮れていると、女将さんはにやりと悪戯っぽく笑った。
「大丈夫だよ。あたしが言ったろ? 秘伝のレシピ、教えてやるって。うちの店の全ての料理の基本になってる、最高の出汁の取り方をね。それさえマスターすりゃあ、この『聖なる出汁』とやらの謎も解けるかもしんないよ」
「本当ですか、女将さん!」
「ああ。ただし、あたしの指導は厳しいよ。覚悟しな」

こうして、その日から私の〈モンス飯亭〉での料理修行が始まった。
まずは基本中の基本、出汁の取り方から。
「いいかい、レナちゃん。出汁ってのは料理の魂だ。こいつがしっかりしてなけりゃ、どんなに良い食材を使っても味はぼやけちまう」
女将さんが用意したのは、大きな寸胴鍋と山のような魔獣の骨、そして乾燥させた数種類の海藻だった。
「うちの出汁は、主にこの『ランドドラゴンの背骨』と『深海リヴァイアサンのヒレ軟骨』から取る。ランドラゴンの力強いコクと、リヴァイアサンの上品な旨み。この二つを合わせることで、深みのある複雑な味わいが生まれるんだ」

女将さんの指導は、まさに実践的だった。
まず魔獣の骨を強火で一気に煮立たせる。アクが浮いてきたら、それを丁寧に取り除く。このアク取りの作業が何よりも重要らしい。
「ここで手を抜くんじゃないよ。このひと手間で、出汁の澄み具合が全く違ってくるんだからね」
私は元Sランク冒険者として培った驚異的な動体視力と精密な手の動きで、寸胴鍋に浮かぶ微細なアクさえも見逃さずにすくい取っていく。
その私の手際の良さに、女将さんはほう、と目を細めた。
「……あんた、本当に料理は初めてかい? 筋が良すぎるじゃないか……」
「さあ、どうでしょう。受付の仕事で細かい作業には慣れてますから」

アクを取り終えたら、今度は火を弱火にする。そして乾燥海藻と香味野菜を加えて、ひたすらコトコトと煮込んでいく。
「火加減が命だよ。決して沸騰させちゃいけない。表面が静かにゆらめくくらいの温度を保ち続けるんだ」
私はヴァルミナ様から贈られた魔導コンロのことを思い出した。あれがあれば、この繊細な火加減の調整ももっと簡単にできるのかもしれない。

何時間経っただろうか。厨房には今まで嗅いだこともないような、豊かで芳醇な香りが満ちていた。寸胴鍋の中のスープは、美しい黄金色に輝いている。
女将さんはお玉でそのスープを一口分すくい、味見をして、満足そうに頷いた。
「……うん。上出来だ。これぞ〈モンス飯亭〉の魂の味だよ」

女将さんはその出来立ての出汁を使って、簡単なまかない料理を作ってくれた。『基本の出汁を使った、地竜つくねのスープ』だ。
器に注がれた黄金色のスープ。その中には、ふわふわの地竜のつくねと彩りの刻みネギが浮かんでいる。
一口、すする。
「……っ!」
その瞬間、私の全身に衝撃が走った。
美味しい。ただ美味しいという言葉では足りない。滋味深い、という言葉がしっくりくる。魔獣の骨から溶け出した濃厚な旨みとコラーゲン、海藻のミネラル感。それらが完璧に調和している。
体に、染み渡る。疲れた心と体が、内側から癒されていくのがわかる。
「これが……出汁、なんですね……」
「ああ。これが料理の基本だ。この出汁さえあれば、どんな料理も格段にうまくなる。……どうだい、レナちゃん。料理ってのも、なかなか奥が深くて面白いだろ?」

女将さんのその問いに、私は大きく頷いた。
食べるだけじゃない。作る喜び。その入り口に、私は今、立ったのかもしれない。
古代のポタージュへの道はまだ遠い。けれど、私の胸の中には確かな希望の光が灯っていた。
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