元Sランク受付嬢の、路地裏ひとり酒とまかない飯

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静まり返った〈モンス飯亭〉に、凛とした声が響く。
「そのポタージュ、私にも一口、味見させていただけますか?」

その声の主が料理神官ヴァルミナ様だと気づいた瞬間、私以外の全員――女将さんでさえも――が凍りついたように動きを止めた。無理もない。こんな路地裏の小さな飯処に、神殿にその名を轟かせる伝説の料理人が、なんの前触れもなく現れたのだから。

「ヴァ、ヴァルミナ様……!? な、なぜここに……」
女将さんが、珍しく狼狽した様子で声を絞り出す。
「素晴らしい香りに誘われましたので。まるで魂が直接呼びかけられているような……そんな不思議な香りでした」
ヴァルミナ様は穏やかに微笑むと、その視線を私の作ったポタージュへとそっと移した。その瞳は、まるで極上の宝石を鑑定する鑑定士のように鋭く、そして慈愛に満ちている。
「レナさん、あなたがこれを?」
「は、はい……。その、古代のレシピを見よう見まねで……」
「……見事です」
ヴァルミナ様は、私の言葉を遮るように静かに言った。
女将さんは慌てて新しい器と銀のスプーンを用意する。私は緊張で震える手で、光り輝くポタージュをその器へとそっと注いだ。
ヴァルミナ様は器を受け取ると、まず静かに目を閉じ、香りを深く吸い込んだ。
「……なるほど。星屑茸の芳醇な土の香りと、月光草の清らかな月の香り。そして、それを優しく包み込む、力強くも澄み切った出汁の香り……。香りを嗅いだだけでわかります。これは、ただの料理ではありませんね」

そして、銀のスプーンでポタージュをほんの少しだけすくい、ゆっくりとその完璧に整えられた唇へと運んだ。
一口。
その瞬間、ヴァルミナ様の美しい瞳が驚きに大きく見開かれる。そして、その驚きはすぐに深い感嘆のため息へと変わった。
「……素晴らしい……。これは……魂を癒やす味ですね」
最高の賛辞だった。この世界で料理に携わる者なら、誰もが一度は言われてみたいと願うであろう、その言葉。
「素材の力を最大限に引き出している。それだけではない。あなたの優しく、そして強大な魔力がスープの一滴一滴に溶け込んでいる。それが飲む者の心と体に直接染み渡っていく……。レナさん、あなたには人を幸せにする料理の才能があります」

ヴァルミナ様からのお墨付き。私は恐縮と、そして込み上げてくる熱い喜びで胸がいっぱいになった。
「そ、そんな……。私なんて、まだまだ……」
「謙遜する必要はありません。これは紛れもない、あなたの力です」
ヴァルミナ様はそう言うと、残りのスープを名残惜しそうにゆっくりと味わい尽くした。

その夜の試食会は、料理神官の突然の来訪により、かつてないほどの盛り上がりを見せた。アランさんはヴァルミナ様と古代の食文化について熱く語り合い、ミャレーとナナミちゃんはヴァルミナ様の神々しいオーラに完全に圧倒されている。そして女将さんは、どこか誇らしげに、そして少しだけ寂しそうに、そんな私たちを見守っていた。自分の弟子が伝説の料理人に認められたのだ。その複雑な親心なのかもしれない。

試食会がお開きになった後、店の前で私はヴァルミナ様を見送った。
「レナさん、今日のポタージュ、本当に素晴らしかったです。私も料理人として、多くのことを学ばせていただきました」
「とんでもないです! 私の方こそ、身に余るお言葉です……」
「もしよろしければ……。今度、神殿の厨房に遊びにいらっしゃいませんか? 世界中から集められた珍しい食材や古代の調理器具がたくさんあります。きっと、あなたの知的好奇心を満足させられると思います」
それは、料理人を目指す者にとって夢のような誘いだった。私はもちろん二つ返事で頷いた。

ヴァルミナ様が去った後、〈モンス飯亭〉のカウンターで私は女将さんと二人きりになった。
「……レナちゃん。あんた、本当にすごいよ。あたしは鼻が高いよ」
女将さんは照れくさそうにそう言って、私の湯飲みにお茶を注いでくれた。
「女将さんのご指導のおかげです」
「いいや。あれはあんた自身の力さ。……あたしはもう、あんたに教えることなんて何もないかもねぇ」
その女将さんの言葉に、私は慌てて首を横に振った。
「そんなことありません! 私はまだまだ女将さんから学びたいことがたくさんあります! それに、私の帰る場所はここ、〈モンス飯亭〉だけですから!」
私のその言葉に、女将さんは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにいつもの豪快な笑顔で笑い飛ばした。
「はははっ! 言うじゃないか、レナちゃん! ……そうかい、そうかい。それならしょうがないねぇ。明日からもビシバシしごいてやるから、覚悟しときな!」

その夜、私は自分の部屋のベッドで満たされた幸福感に包まれていた。
料理の奥深さ、そして楽しさ。私の世界はまた一つ、大きく広がった。

翌日、ギルドに出勤すると、カウンターの前に見慣れない人影があった。いや、見慣れないというよりは、久しぶりに見る顔。ドワーフの情報屋、ギムレットさんだった。彼は私がカウンターに座るのを待って、ずいとその屈強な体を乗り出してきた。
「嬢ちゃん。おめえさんに面白い依頼を持ってきたぜ」
「ギムレットさん、おはようございます。依頼、ですか?」
「おうよ。先日おめえさんが作った、あの光るポタージュの噂、もうこの街の食通たちの間じゃあ知れ渡ってるぜ」
ギムレットさんはにやりと笑う。どうやらミャレーが市場で自慢げに吹聴して回ったらしい。
「で、その噂を聞きつけた俺の同郷の連中が、ぜひおめえさんの力を貸してほしいと言ってきたのさ」
「同郷の方々……? ドワーフのですか?」
「そうだ。俺たちドワーフの国で数年に一度だけ開かれる『大地の恵み祭り』ってのがあってな。そこで行われる料理コンテストに出てみねえかって話だ」
「りょ、料理コンテスト!?」
思わぬ話の展開に、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「私なんてただの受付嬢ですよ! それに料理だって始めたばかりで……」
「謙遜するな。あのポタージュの話は聞いたぜ。幻の食材の特性を見抜き、その力を最大限に引き出す。おめえさんにはその知識と腕がある」
ギムレットさんは私の言い訳を一蹴した。
「俺たちドワーフは腕っぷしは強いが、どうにも料理の腕はからっきしでな。毎年コンテストじゃあエルフのハイカラな料理に負けっぱなしよ。今年こそはあいつらの鼻を明かしてやりてえんだ」
ドワーフたちは最高の食材を大地から掘り出すことはできる。しかし、それを最高の料理に昇華させることができないというのだ。
「そこで、おめえさんの出番だ。食材のアドバイザーとして、俺たちのチームに加わってほしい。もちろん報酬は弾むぜ。ドワーフ秘蔵の伝説級の酒樽一つ、それから好きな最高級の鉱石も選び放題だ」

伝説級のお酒。最高級の鉱石。それは確かに魅力的だ。でも、それ以上に私の心を動かした言葉があった。
「……それに何より、祭りじゃあ国中のうまいもんが食い放題だぜ?」
ギムレットさんのその悪魔の囁きに、私の胃袋はぐう、と情けない音を立てた。
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