45 / 155
直江山城、西へ行く
③
しおりを挟む
直江兼続にとっては伊達政宗も最上義光同様、関ケ原の戦いの際に戦った因縁の相手である。
(あまり一対一で話したくはない相手ではあるが……)
全ての恩讐を水に流した主君の景勝ほど、兼続は潔くはなれない。長谷堂での戦いや、その後の撤退戦で死んだ家内の者達のことがどうしても思い出される。
「おお、直江殿。もう江戸に参られていたのか?」
そうした一瞬の考えが、伊達政宗の挨拶で打ち切られる。
「若くはないのだから、あまり無理はなさらぬほうがよいかと」
「ハハハ、何を言われるか、伊達殿。伊達殿はそれがしより若いではないか?」
「いやあ、そのつもりではおったが、ここ数か月の目まぐるしい変化についていけず、歳をとったと思うことしきりですわい」
政宗の表情には暗い部分はない。そうである以上、兼続だけが感情を引きずるわけにもいかない。
「ま、ま、少し茶でも飲みながら…」
政宗は勝手知ったる様子で江戸城の中を回り、空いている茶の間に入った。
「左近衛少将殿はいかがですかな?」
「いや、全く変わるところはござらぬ。最近では若いそれがしの方が体を崩しがちでな」
「左様でござるか」
「先ほど、井伊殿から飛騨の件については伺って参った」
「よろしくお願い申す」
「しかし、正直申して、意外ではあった。今更、我々の出番でもなかろうとも」
「人がいないのでござるよ」
伊達政宗は手慣れた手つきで茶を差し出す。
「人がいない?」
直江兼続には意外なことであった。確かに少し前に面会したお江与も「頼れる者がいない」と嘆いていて、その時には「徳川家には優秀な若者が多くいるはずでございます」と激励していたのであるが。
「人はいるかもしれない。しかし、それは大御所が想定していた時代に即した人がいるのでござる。関ヶ原から15年、15年経って、時が逆に触れ始めたのでござる。今の30、40。一番男盛りの者達の中に、対応できる者がほとんどおらぬのじゃ。今、いるのは松平越前、井伊掃部のような若い者達か」
政宗が扇子を取り出して、風を送る。
「わしや直江殿のような、生き残りのみでござるよ。そして、我々にはもう、かつてのような働きはできぬ」
「……確かに」
上杉家にしても、30から40の世代にはこれと言った人間が少ない。それを兼続は上杉家が縮小したからと考えていた。
(そうか。時代の逆行か……)
「あの時を知る者も少なくなった。今の多くの者は、少なくとも太閤が日ノ本を統一してから以降の者だ。駆け引きばかりでござる。まあ、これについては人のことを言えたものではないが」
政宗はそう言って笑う。
「時には勝敗を度外視して、武門のために戦うといった、そうしたものはもうほとんどないのでござる。それが良いと思った時もあった。しかし、今、大御所が死んだ後を見ると、わしらが忘れたものは忘れて良いものではなかった、とも思えてきまして」
「仕方ありませぬよ。大御所と前将軍が大坂で相次いで討死するなどということ、誰も想像できない話でござる」
「とはいえ、よくよく考えれば、それがしが摺上原で戦ったことや、左近衛少将殿とともに上杉家の家督を取ったときというのは、あの時の大坂と同様、決して楽とは言えない、むしろ不利な状況ではごさらなかったか?」
「それは、まあ……」
上杉謙信の死後、養子同士で相争った二年間もまた、直江兼続には苦い記憶である。
(あれがなければ、上杉家が弱体化することなく、織田家とももう少しいい勝負ができたであろうし、新発田ごときにてこずることもなかったであろう)
「それがいつしか、戦いは数で行うような風潮となり、知らず知らずのうちに我々もその中に入り込んでいたのでござる。はあ、あの男がおれば、どう思っておったかのう」
「あの男とは?」
「蒲生氏郷でござるよ」
「ああ、ちょうど、江戸に来るまでに会津にも寄ってまいりました」
「暗い雰囲気でありませんでしたか?」
「全くもって同じことを思いました」
「氏郷は、会津に来る前にそんな大身でなくていいから西国が欲しいと言ったそうです」
「聞いたことがあります。事が起こるなら西国であろうから、常に最前線にいたいと」
「左様。それでも太閤が会津をと言ったので、武芸に秀でた者を召し抱えることを条件に許されたそうで、事実、蒲生氏郷は大勢の勇猛な配下を雇いました」
「そうでしたな……」
「しかし、それらの臣下は蒲生氏郷にしか抑えきれず、氏郷亡き後、家臣共が全くまとまらなくなっております。まあ、それは余談ですが、氏郷のような常在戦場の精神をもつ男がもう少し徳川方におれば、全く変わったでありましょう」
「しかし、蒲生氏郷がまだ生きておれば、伊達殿も上杉家も相当痛い目に遭わされたでしょう、な」
「違いありません」
二人は揃って笑う。
「宿敵であった蒲生殿を懐かしむということは、確かに歳をとられましたな……」
兼続が茶を仕立てて、政宗に差し出す。
「左様、最近、伯父(最上義光)のことや父のことを思い出す機会も増えました」
「それはいけませんな。伊達殿は徳川家を支えねばならぬ立場。あまり昔を懐かしんでばかりおられると、我々も困ります」
「ハハハ、まだ隠居することはありませんが、今後は随時若い者に譲っていく方がいいのかもしれないと考えております。本音を申すと、大御所が死んだ時、それがしが天下を制するのではないか思った時もありましたが、どうやら自分の家内もしっかりしていなかったようで、まずは後進の指導をしっかりせねばと思うようになりました」
(高田にいる上総介のことか……)
直江兼続は思い当たるが、敢えて口にはしない。
「飛騨の件は大変かと思いますが、何卒お願いいたします」
「承知しております」
兼続は頭を下げた。
翌日、家光に面会し、正式に飛騨金森家の付家老としての任命を受けると、兼続は一路飛騨へと向かう。
(若い者を導かねばならぬというのはその通りだろうなあ)
政宗との話が思い起こされる。
(仮に今回の件で首尾よくいって領地が増えるとしても、逆に最上家や蒲生家のように維持できる範囲を超えてしまっては、結局無意味となるわけだからのう。しかし…伊達はどうするのだろうな)
仮に山形や会津の領地を削減するとなると、上杉にも与える余地はあるが、他ならぬ伊達も領地が接しているので、伊達に与えるという方法もある。もちろん、幕政の最高決定者の一人である伊達政宗が自分の領土を加増するというのは不公平な措置ではある。ゆえに不満も出てくるかもしれないが、大坂の陣後の伊達政宗の働きぶりを見る限り、決して不当な加増ともいえない。
(まあ、そのあたりまでわしの考えるところではないか)
兼続は初日の宿でふと、思い付き書状をしたため、日野宿で幕吏に渡す。
「すまぬが、これを江戸の伊達陸奥守殿まで届けてもらいたい」
翌日。江戸城に出仕した政宗の下に兼続の書状が届けられる。
「何でございますか?」
片倉重長が尋ねる。上杉家老の直江兼続からの書状というのが気を引いたらしい。
「たいしたものではない。見舞の手紙でも書いてほしいと言うておる」
「見舞いの手紙?」
「途中、高田に寄るゆえ、見舞の手紙でも渡してもらえればそれを口実に忠輝や娘の様子を見てくるというものだ。ふふ、おせっかいなことよ」
と言いつつも、政宗は上機嫌な様子で見舞状を書き始めた。
(あまり一対一で話したくはない相手ではあるが……)
全ての恩讐を水に流した主君の景勝ほど、兼続は潔くはなれない。長谷堂での戦いや、その後の撤退戦で死んだ家内の者達のことがどうしても思い出される。
「おお、直江殿。もう江戸に参られていたのか?」
そうした一瞬の考えが、伊達政宗の挨拶で打ち切られる。
「若くはないのだから、あまり無理はなさらぬほうがよいかと」
「ハハハ、何を言われるか、伊達殿。伊達殿はそれがしより若いではないか?」
「いやあ、そのつもりではおったが、ここ数か月の目まぐるしい変化についていけず、歳をとったと思うことしきりですわい」
政宗の表情には暗い部分はない。そうである以上、兼続だけが感情を引きずるわけにもいかない。
「ま、ま、少し茶でも飲みながら…」
政宗は勝手知ったる様子で江戸城の中を回り、空いている茶の間に入った。
「左近衛少将殿はいかがですかな?」
「いや、全く変わるところはござらぬ。最近では若いそれがしの方が体を崩しがちでな」
「左様でござるか」
「先ほど、井伊殿から飛騨の件については伺って参った」
「よろしくお願い申す」
「しかし、正直申して、意外ではあった。今更、我々の出番でもなかろうとも」
「人がいないのでござるよ」
伊達政宗は手慣れた手つきで茶を差し出す。
「人がいない?」
直江兼続には意外なことであった。確かに少し前に面会したお江与も「頼れる者がいない」と嘆いていて、その時には「徳川家には優秀な若者が多くいるはずでございます」と激励していたのであるが。
「人はいるかもしれない。しかし、それは大御所が想定していた時代に即した人がいるのでござる。関ヶ原から15年、15年経って、時が逆に触れ始めたのでござる。今の30、40。一番男盛りの者達の中に、対応できる者がほとんどおらぬのじゃ。今、いるのは松平越前、井伊掃部のような若い者達か」
政宗が扇子を取り出して、風を送る。
「わしや直江殿のような、生き残りのみでござるよ。そして、我々にはもう、かつてのような働きはできぬ」
「……確かに」
上杉家にしても、30から40の世代にはこれと言った人間が少ない。それを兼続は上杉家が縮小したからと考えていた。
(そうか。時代の逆行か……)
「あの時を知る者も少なくなった。今の多くの者は、少なくとも太閤が日ノ本を統一してから以降の者だ。駆け引きばかりでござる。まあ、これについては人のことを言えたものではないが」
政宗はそう言って笑う。
「時には勝敗を度外視して、武門のために戦うといった、そうしたものはもうほとんどないのでござる。それが良いと思った時もあった。しかし、今、大御所が死んだ後を見ると、わしらが忘れたものは忘れて良いものではなかった、とも思えてきまして」
「仕方ありませぬよ。大御所と前将軍が大坂で相次いで討死するなどということ、誰も想像できない話でござる」
「とはいえ、よくよく考えれば、それがしが摺上原で戦ったことや、左近衛少将殿とともに上杉家の家督を取ったときというのは、あの時の大坂と同様、決して楽とは言えない、むしろ不利な状況ではごさらなかったか?」
「それは、まあ……」
上杉謙信の死後、養子同士で相争った二年間もまた、直江兼続には苦い記憶である。
(あれがなければ、上杉家が弱体化することなく、織田家とももう少しいい勝負ができたであろうし、新発田ごときにてこずることもなかったであろう)
「それがいつしか、戦いは数で行うような風潮となり、知らず知らずのうちに我々もその中に入り込んでいたのでござる。はあ、あの男がおれば、どう思っておったかのう」
「あの男とは?」
「蒲生氏郷でござるよ」
「ああ、ちょうど、江戸に来るまでに会津にも寄ってまいりました」
「暗い雰囲気でありませんでしたか?」
「全くもって同じことを思いました」
「氏郷は、会津に来る前にそんな大身でなくていいから西国が欲しいと言ったそうです」
「聞いたことがあります。事が起こるなら西国であろうから、常に最前線にいたいと」
「左様。それでも太閤が会津をと言ったので、武芸に秀でた者を召し抱えることを条件に許されたそうで、事実、蒲生氏郷は大勢の勇猛な配下を雇いました」
「そうでしたな……」
「しかし、それらの臣下は蒲生氏郷にしか抑えきれず、氏郷亡き後、家臣共が全くまとまらなくなっております。まあ、それは余談ですが、氏郷のような常在戦場の精神をもつ男がもう少し徳川方におれば、全く変わったでありましょう」
「しかし、蒲生氏郷がまだ生きておれば、伊達殿も上杉家も相当痛い目に遭わされたでしょう、な」
「違いありません」
二人は揃って笑う。
「宿敵であった蒲生殿を懐かしむということは、確かに歳をとられましたな……」
兼続が茶を仕立てて、政宗に差し出す。
「左様、最近、伯父(最上義光)のことや父のことを思い出す機会も増えました」
「それはいけませんな。伊達殿は徳川家を支えねばならぬ立場。あまり昔を懐かしんでばかりおられると、我々も困ります」
「ハハハ、まだ隠居することはありませんが、今後は随時若い者に譲っていく方がいいのかもしれないと考えております。本音を申すと、大御所が死んだ時、それがしが天下を制するのではないか思った時もありましたが、どうやら自分の家内もしっかりしていなかったようで、まずは後進の指導をしっかりせねばと思うようになりました」
(高田にいる上総介のことか……)
直江兼続は思い当たるが、敢えて口にはしない。
「飛騨の件は大変かと思いますが、何卒お願いいたします」
「承知しております」
兼続は頭を下げた。
翌日、家光に面会し、正式に飛騨金森家の付家老としての任命を受けると、兼続は一路飛騨へと向かう。
(若い者を導かねばならぬというのはその通りだろうなあ)
政宗との話が思い起こされる。
(仮に今回の件で首尾よくいって領地が増えるとしても、逆に最上家や蒲生家のように維持できる範囲を超えてしまっては、結局無意味となるわけだからのう。しかし…伊達はどうするのだろうな)
仮に山形や会津の領地を削減するとなると、上杉にも与える余地はあるが、他ならぬ伊達も領地が接しているので、伊達に与えるという方法もある。もちろん、幕政の最高決定者の一人である伊達政宗が自分の領土を加増するというのは不公平な措置ではある。ゆえに不満も出てくるかもしれないが、大坂の陣後の伊達政宗の働きぶりを見る限り、決して不当な加増ともいえない。
(まあ、そのあたりまでわしの考えるところではないか)
兼続は初日の宿でふと、思い付き書状をしたため、日野宿で幕吏に渡す。
「すまぬが、これを江戸の伊達陸奥守殿まで届けてもらいたい」
翌日。江戸城に出仕した政宗の下に兼続の書状が届けられる。
「何でございますか?」
片倉重長が尋ねる。上杉家老の直江兼続からの書状というのが気を引いたらしい。
「たいしたものではない。見舞の手紙でも書いてほしいと言うておる」
「見舞いの手紙?」
「途中、高田に寄るゆえ、見舞の手紙でも渡してもらえればそれを口実に忠輝や娘の様子を見てくるというものだ。ふふ、おせっかいなことよ」
と言いつつも、政宗は上機嫌な様子で見舞状を書き始めた。
2
あなたにおすすめの小説
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
小説家になろうで、先行配信中!
対ソ戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。
前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。
未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!?
小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。
克全
歴史・時代
西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。
幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。
北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。
清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。
色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。
一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。
印旛沼開拓は成功するのか?
蝦夷開拓は成功するのか?
オロシャとは戦争になるのか?
蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか?
それともオロシャになるのか?
西洋帆船は導入されるのか?
幕府は開国に踏み切れるのか?
アイヌとの関係はどうなるのか?
幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる