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直江山城、西へ行く
④
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直江兼続が高田についた頃には、既に越後は秋の気配を見せていた。
「ふむ……」
城下町の様子は特に変わりはない。前年の天下普請で訪れた際とほぼ同じである。
前年にできた高田城へと向かう。政宗からの書状を見せると、程なく中へと通された。
広間で待っていると、程なく五郎八が現れる。
「直江様、お久しぶりでございます」
「お久しぶりでございます。それがし、江戸より指示を受けまして飛騨の方に用向きがあるのですが、上総介様が病ということを伺いましたので陸奥守(政宗)殿から書状を預かって参りました」
書状を渡すと、五郎八は目の前で開く。
「それがしはこの後、前田家へと向かいますので直接にはお伝えできませぬが、陸奥守様も家光様も心配されている様子、病状などをお伝えになられた方がよいのではないかと思います」
「ご配慮ありがとうございます。夫もそうしたいのではございますが……」
「あまり、よろしくない状況なのですか?」
「いえ、命に関わるというわけではないのですが…」
五郎八は明らかに答えにくそうな表情をしていた。
親族でもないし、政宗に対して義理があるわけでもない。兼続にそれ以上突っ込んだことを聞く義理もない。ただ、越後という要地にある忠輝に何かがあるということは、米沢にいる上杉家にとっても他人事ではない。ある程度までは突っ込む義務はあるだろうと兼続は思った。
「精神的なものですか?」
「……なるべく御内密にお願いいたします」
「分かりました」
精神的なものであることが明らかになると、当主としての務めを果たせないという話にもなりかねないし、徳川一門とはいえども最悪改易までありうる。なるべく先延ばしにしておきたいという五郎八の思いも理解できた。
「とはいえ、上総介殿の状況がよろしくないのであれば、今後前田筑前守と衝突する場合に問題になりうるかもしれませんぞ」
「はい。それは理解しております」
「それでしたら、私から申し上げることは何もありませんが、ただ、伊達陸奥守殿に伝えて補佐役を送っていただいた方がよろしいのでは?」
「はい。もうしばらく待ってみて、改善が見られない場合にはそうすることも考えております」
「左様でございますか」
全面的に納得したわけではない。
ただ、兼続は飛騨の金森家を輔弼するために来ているのであって、松平忠輝を追及するために来ているわけではない。対応していると言われた以上どうすることもできないし、そのつもりもなかった。
「では、長居をしてもご迷惑でしょうから、私は退散いたします」
「あの……、直江様」
立ち上がり、出口に振り向いたところで五郎八が再度声をかけた。
「何でございましょう?」
「このこと、江戸の父に……?」
「左様ですな。もちろん、書状を預かった以上は何も回答しないわけにはいかないでしょうが、部外者である私があれこれ書くのも失礼にあたりますし、差しさわりの無い範囲でのみ伝えるつもりでございます」
「…ありがとうございます」
「……」
異なことだ、と兼続は思った。
現在の忠輝と五郎八にとって、一番頼りになるはずなのは伊達政宗のはずである。仮に忠輝の精神状態に問題があったとしても、政宗に密かに知らせれば可能な限りで手を打つだろうし、二人ともそれくらいは理解しているはずである。
ところが、この二人とも、政宗にそのまま伝えられることを恐れている。それはつまり現状を伊達政宗に知られたくないということである。
「……失礼いたします」
兼続はそのまま高田城を出た。
城下町の宿に入り、しばらく外の様子を見る。
(さすがに、江戸からの使いであるわしにいきなり手を出してくることはないだろうと思うが……)
兼続はしばらく思案して、書状を書き始めた。書き終わると、それを持って飛脚を呼び寄せる。
「これを江戸の伊達屋敷まで持っていっていただきたい」
路銀を渡して、直江兼続は飛脚を走らせた。
宿を出た飛脚は、まっすぐ江戸に向かう……
……ことはなく、宿と違う道筋を練り歩き高田城へと入った。
奥にいる五郎八の前で、水を使いつつ丁寧に封を開いた。五郎八が中に目を通す。
「『上総介様の事、軽い気鬱があるものと見え、今しばらくご様子見された方がよろしいかと存じ候。直江山城守兼続』……。特にたいしたことは書いていないようですね。元に戻して言われた通りに江戸に持っていってください。直江殿に対する見張りも一人に減らしてもらって構いません」
「ははっ……」
再び、丁寧に封をすると、飛脚はそのまま城を出て行った。
五郎八は溜息をついて、城の中庭に出る。
(これでいいのでしょうか……。しかし)
先月の夫とのやりとりを思い出していた。
「五郎八、すまぬ」
その日、忠輝はいきなり五郎八に頭を下げた。
「何のことでございます?」
五郎八は訳が分からない。一瞬、夫が側室との間に子をなしたのではないかとさえ思った。
「病気の件じゃ。どうにか、あと三か月だけわしの好きなようにさせてくれ…」
「……三か月でございますか?」
五郎八は唖然とした。敵との最前線にいる一門大名が病を称して表舞台に出なければ、まず一か月のうちに多くの者が様子見に来るはずである。三か月ともなると、父の政宗すら高田に来るかもしれない。
「好きなようにも何も、それだけの期間隠しおおすなど…」
「頼む……」
忠輝が再度頭を下げる。五郎八は深い溜息をついた。
「……隠す保証はできかねますが、やれるだけのことはいたします…」
(本来ならば、私は伊達家の人間であるのだから……)
戦国から、いや、それ以前から、女は実家のために働くのが一般であった。例えば、織田信長の妹のお市が、両端を縛った小豆の袋を兄に送ることで婚家の寝返りを知らせた逸話があるように、実家と婚家であれば実家を優先するのが普通であった。
しかし、五郎八は切支丹でもあるため、結婚に関する観念が普通の女性とは違う。夫は死ぬまで一人であり変えることができない。そうである以上、夫がうまくいくために協力することもまた妻の役割だと心得ている。
それでも、永遠に隠し通せというのであればさすがに断ったであろうが、三か月という期限がある。
(その期間であれば、夫を信じるのも妻のあるべき姿でありましょう)
五郎八はそう考え、この期間だけは頑張ろうと心に決めていたのである。
翌日。
直江兼続は高田を出て、越中近くまで歩いて向かう。
(ふう。特につけられてはいないようじゃ、な)
時折、後ろを振り返りつつ、誰もいないことに安堵の息をつく。
(いやいや、さすがに独眼竜の姫だけのことはある。最悪、わしを殺す覚悟もしておったであろうからのう。従者の一人くらいはつれてくるべきであったか)
宿の中での緊張した空気を思い出し、直江兼続は思わず肩をすくめる。
(警戒を解くためにはああいう手紙を書くしかなかったが、さて、独眼竜は気づいてくれるかどうか。まあ、気づかぬのであれば仕方あるまい……)
五日後。
高田からの飛脚は江戸の伊達屋敷に着き、兼続からの書状を家中の者ら渡した。
手紙はその日の夕方に政宗の手元に届いた。傍らには片倉重長もいる。
開いて中身を見て、「ふむ」と頷く。
「軽い気鬱の病か……。まあ、徳川家宗家を継ぐか、継がないかという心に重い事が続いたからのう……。む?」
政宗は手紙を重長に渡そうとしたが、違和感を覚えて手元に戻す。再度中身を見た後、重長に尋ねる。
「屋敷に直江山城が以前送ってきた書状はあるか?」
「直江殿からの書状ですか? さあ……」
伊達と上杉はそれほど仲がいいわけではないから、手紙のやりとりが頻繁にあるわけではない。
「あ、ただ、天下普請に関する報告などはあったかもしれません。探すことはできますが、何故、直江殿の書状を?」
「確証があるわけではないが……」
政宗は兼続の名前の下を指さす。そこには兼続の花押があった。
「よう見てみい」
「あ、小さな穴が開いておりますな」
「そうじゃ、おそらく直江山城はこの文自体が偽物だと言いたいわけじゃ」
「偽物?」
「わしは昔、書状を出す際に花押の目の部分に針を刺して穴をあけていた。一方で、明るみになった時に都合の悪い文章には針を刺さなかった。それで『これはわしを騙った偽物の書状だ』と太閤の追及を逃れたこともある」
「大崎一揆のことでございますな」
「うむ。直江山城はそのことを知っておるはずだ。そして、直江山城は普段は花押に穴なんぞ開けていないだろう。日頃開けていない者がわざわざ開けるということは」
「この文は、直江殿にとって『直江兼続を騙った偽物の書状だ』ということ。つまり、ここに書かれてあることをそのまま信じることは間違っているということでございますな?」
「その通りじゃ。そして、更に問題なのは、何故直江山城がそのようなことをしなければならないということ。つまり…」
政宗は溜息をつきつつ、肩を落とす。
「高田は敵である、直江山城はわしにそう伝えたいのだろうと思う」
「ふむ……」
城下町の様子は特に変わりはない。前年の天下普請で訪れた際とほぼ同じである。
前年にできた高田城へと向かう。政宗からの書状を見せると、程なく中へと通された。
広間で待っていると、程なく五郎八が現れる。
「直江様、お久しぶりでございます」
「お久しぶりでございます。それがし、江戸より指示を受けまして飛騨の方に用向きがあるのですが、上総介様が病ということを伺いましたので陸奥守(政宗)殿から書状を預かって参りました」
書状を渡すと、五郎八は目の前で開く。
「それがしはこの後、前田家へと向かいますので直接にはお伝えできませぬが、陸奥守様も家光様も心配されている様子、病状などをお伝えになられた方がよいのではないかと思います」
「ご配慮ありがとうございます。夫もそうしたいのではございますが……」
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「精神的なものですか?」
「……なるべく御内密にお願いいたします」
「分かりました」
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「とはいえ、上総介殿の状況がよろしくないのであれば、今後前田筑前守と衝突する場合に問題になりうるかもしれませんぞ」
「はい。それは理解しております」
「それでしたら、私から申し上げることは何もありませんが、ただ、伊達陸奥守殿に伝えて補佐役を送っていただいた方がよろしいのでは?」
「はい。もうしばらく待ってみて、改善が見られない場合にはそうすることも考えております」
「左様でございますか」
全面的に納得したわけではない。
ただ、兼続は飛騨の金森家を輔弼するために来ているのであって、松平忠輝を追及するために来ているわけではない。対応していると言われた以上どうすることもできないし、そのつもりもなかった。
「では、長居をしてもご迷惑でしょうから、私は退散いたします」
「あの……、直江様」
立ち上がり、出口に振り向いたところで五郎八が再度声をかけた。
「何でございましょう?」
「このこと、江戸の父に……?」
「左様ですな。もちろん、書状を預かった以上は何も回答しないわけにはいかないでしょうが、部外者である私があれこれ書くのも失礼にあたりますし、差しさわりの無い範囲でのみ伝えるつもりでございます」
「…ありがとうございます」
「……」
異なことだ、と兼続は思った。
現在の忠輝と五郎八にとって、一番頼りになるはずなのは伊達政宗のはずである。仮に忠輝の精神状態に問題があったとしても、政宗に密かに知らせれば可能な限りで手を打つだろうし、二人ともそれくらいは理解しているはずである。
ところが、この二人とも、政宗にそのまま伝えられることを恐れている。それはつまり現状を伊達政宗に知られたくないということである。
「……失礼いたします」
兼続はそのまま高田城を出た。
城下町の宿に入り、しばらく外の様子を見る。
(さすがに、江戸からの使いであるわしにいきなり手を出してくることはないだろうと思うが……)
兼続はしばらく思案して、書状を書き始めた。書き終わると、それを持って飛脚を呼び寄せる。
「これを江戸の伊達屋敷まで持っていっていただきたい」
路銀を渡して、直江兼続は飛脚を走らせた。
宿を出た飛脚は、まっすぐ江戸に向かう……
……ことはなく、宿と違う道筋を練り歩き高田城へと入った。
奥にいる五郎八の前で、水を使いつつ丁寧に封を開いた。五郎八が中に目を通す。
「『上総介様の事、軽い気鬱があるものと見え、今しばらくご様子見された方がよろしいかと存じ候。直江山城守兼続』……。特にたいしたことは書いていないようですね。元に戻して言われた通りに江戸に持っていってください。直江殿に対する見張りも一人に減らしてもらって構いません」
「ははっ……」
再び、丁寧に封をすると、飛脚はそのまま城を出て行った。
五郎八は溜息をついて、城の中庭に出る。
(これでいいのでしょうか……。しかし)
先月の夫とのやりとりを思い出していた。
「五郎八、すまぬ」
その日、忠輝はいきなり五郎八に頭を下げた。
「何のことでございます?」
五郎八は訳が分からない。一瞬、夫が側室との間に子をなしたのではないかとさえ思った。
「病気の件じゃ。どうにか、あと三か月だけわしの好きなようにさせてくれ…」
「……三か月でございますか?」
五郎八は唖然とした。敵との最前線にいる一門大名が病を称して表舞台に出なければ、まず一か月のうちに多くの者が様子見に来るはずである。三か月ともなると、父の政宗すら高田に来るかもしれない。
「好きなようにも何も、それだけの期間隠しおおすなど…」
「頼む……」
忠輝が再度頭を下げる。五郎八は深い溜息をついた。
「……隠す保証はできかねますが、やれるだけのことはいたします…」
(本来ならば、私は伊達家の人間であるのだから……)
戦国から、いや、それ以前から、女は実家のために働くのが一般であった。例えば、織田信長の妹のお市が、両端を縛った小豆の袋を兄に送ることで婚家の寝返りを知らせた逸話があるように、実家と婚家であれば実家を優先するのが普通であった。
しかし、五郎八は切支丹でもあるため、結婚に関する観念が普通の女性とは違う。夫は死ぬまで一人であり変えることができない。そうである以上、夫がうまくいくために協力することもまた妻の役割だと心得ている。
それでも、永遠に隠し通せというのであればさすがに断ったであろうが、三か月という期限がある。
(その期間であれば、夫を信じるのも妻のあるべき姿でありましょう)
五郎八はそう考え、この期間だけは頑張ろうと心に決めていたのである。
翌日。
直江兼続は高田を出て、越中近くまで歩いて向かう。
(ふう。特につけられてはいないようじゃ、な)
時折、後ろを振り返りつつ、誰もいないことに安堵の息をつく。
(いやいや、さすがに独眼竜の姫だけのことはある。最悪、わしを殺す覚悟もしておったであろうからのう。従者の一人くらいはつれてくるべきであったか)
宿の中での緊張した空気を思い出し、直江兼続は思わず肩をすくめる。
(警戒を解くためにはああいう手紙を書くしかなかったが、さて、独眼竜は気づいてくれるかどうか。まあ、気づかぬのであれば仕方あるまい……)
五日後。
高田からの飛脚は江戸の伊達屋敷に着き、兼続からの書状を家中の者ら渡した。
手紙はその日の夕方に政宗の手元に届いた。傍らには片倉重長もいる。
開いて中身を見て、「ふむ」と頷く。
「軽い気鬱の病か……。まあ、徳川家宗家を継ぐか、継がないかという心に重い事が続いたからのう……。む?」
政宗は手紙を重長に渡そうとしたが、違和感を覚えて手元に戻す。再度中身を見た後、重長に尋ねる。
「屋敷に直江山城が以前送ってきた書状はあるか?」
「直江殿からの書状ですか? さあ……」
伊達と上杉はそれほど仲がいいわけではないから、手紙のやりとりが頻繁にあるわけではない。
「あ、ただ、天下普請に関する報告などはあったかもしれません。探すことはできますが、何故、直江殿の書状を?」
「確証があるわけではないが……」
政宗は兼続の名前の下を指さす。そこには兼続の花押があった。
「よう見てみい」
「あ、小さな穴が開いておりますな」
「そうじゃ、おそらく直江山城はこの文自体が偽物だと言いたいわけじゃ」
「偽物?」
「わしは昔、書状を出す際に花押の目の部分に針を刺して穴をあけていた。一方で、明るみになった時に都合の悪い文章には針を刺さなかった。それで『これはわしを騙った偽物の書状だ』と太閤の追及を逃れたこともある」
「大崎一揆のことでございますな」
「うむ。直江山城はそのことを知っておるはずだ。そして、直江山城は普段は花押に穴なんぞ開けていないだろう。日頃開けていない者がわざわざ開けるということは」
「この文は、直江殿にとって『直江兼続を騙った偽物の書状だ』ということ。つまり、ここに書かれてあることをそのまま信じることは間違っているということでございますな?」
「その通りじゃ。そして、更に問題なのは、何故直江山城がそのようなことをしなければならないということ。つまり…」
政宗は溜息をつきつつ、肩を落とす。
「高田は敵である、直江山城はわしにそう伝えたいのだろうと思う」
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