十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。

er

文字の大きさ
7 / 13

第七章

しおりを挟む
その言葉が広間に落ちた瞬間、まるで魔法がかけられたように、広間全体が、しんと静まり返った。
誰も息をしていないかのような、完全な静寂。シャンデリアの蝋燭の炎が揺れる音さえ聞こえそうなほどの静けさだった。
王室が後見を引き受ける――その意味を、私は噛みしめた。
それは、私が完全に保護されることを意味する。王室の庇護下に置かれるということは、もう誰も私に手出しできないということだ。叔父は、二度と私を支配できない。物置部屋に閉じ込めることも、食事を与えないことも、使用人のように働かせることも。
全てが、終わったのだ。
私の胸に、熱いものが込み上げてきた。涙が溢れそうになるのを、必死にこらえる。今は、今だけは、泣いてはいけない。
「そんな......馬鹿な......」

叔父の声が、震えていた。その声は掠れ、力がない。彼の顔は蒼白を通り越して、灰色に近い色になっている。
「私の......私の計画が......全てが......」
叔父の膝が、がくりと折れた。
そして次の瞬間、彼は糸が切れた人形のように、大理石の床に崩れ落ちた。その音が、静寂の中で鈍く響いた。かつて威圧的に私を見下ろしていた男が、今は床に這いつくばっている。
周囲の貴族たちが、ざわめき始めた。しかし今度は、同情の声は一つもない。全てが、非難と軽蔑の色を帯びている。
私は、崩れ落ちた叔父を見下ろした。
十年間。この男に支配され、苦しめられた十年間。
しかし今、その全てが終わりを告げた。

その夜、私は王宮が用意してくれた馬車で、一時的な滞在先へと向かった。
馬車の窓から見える夜の王都は、いつもと違って見えた。街灯の光が石畳を照らし、遅くまで営業している店の明かりが温かく灯っている。この同じ景色を、私は何度も物置部屋の小さな窓から眺めていた。けれど今夜は、牢獄の中からではなく、自由な身として見ている。
叔父の屋敷にはもう戻らない――その事実が、ようやく実感として胸に染み込んできた。
エマだけは、私の侍女として共に来てくれることになった。彼女は馬車の向かい側に座り、ハンカチで目元を押さえている。その肩が小刻みに震えていた。
「セレスティーナ様、本当に良かった......本当に」

エマが涙を拭いながら、何度も何度も繰り返した。その声は喜びと安堵で震えている。四十年も屋敷に仕えてきた彼女にとって、この十年間、私の苦しみを見ているのがどれほど辛かっただろう。
「エマ、貴女のおかげよ」
私はエマの手を取った。その手は、長年の労働で硬く、それでいて温かかった。
「招待状を見つけてくれなかったら、今も――」

「いいえ」
エマは首を横に振った。涙で濡れた顔に、柔らかな笑みが浮かんでいる。
「これは運命だったのです。亡くなられた奥様が、天からきっと導いてくださったのでしょう」
母の顔が、脳裏に浮かんだ。優しく微笑む母の姿。もし母が生きていたら、今夜のことをどう思っただろう。きっと、喜んでくれたに違いない。
馬車が王宮近くの邸宅の前で止まった。王室が用意してくれた、私の新しい住まいだ。石造りの三階建ての瀟洒な建物で、窓からは温かな光が漏れている。
翌朝、まだ朝靄が残る早い時間に、王宮からの使者が訪れた。
彼らは、私の荷物を叔父の屋敷から運んできた。思ったよりも多くの箱が、次々と邸宅の中へと運び込まれていく。その中には、母の遺品も含まれていた。十年間、叔父が意図的に隠していたものだ。
居間に並べられた箱を前に、私は深呼吸をした。手が少し震えている。
一つ目の箱を開けると、母が愛用していた香水の瓶が目に入った。もう香りは薄れているが、わずかに残る花の香りが、記憶を呼び覚ます。次の箱には、母の日記が何冊も入っていた。繊細な文字で綴られたページを捲ると、幼い私のことが書かれている。
父の手紙も見つかった。戦地から母に宛てて書かれた、愛に満ちた言葉の数々。読んでいると、涙が止まらなくなった。
そして最後の箱――その底に、古い布が大切に包まれていた。
取り出すと、それは時代を感じさせる、褪せた絹の布だった。しかし表面には、今も美しい刺繍が施されている。月と星の模様が、繊細な糸で描かれていた。
私は無意識に、その布に手を触れた。
瞬間、『星霜の記憶』が、かつてないほど強く発動した。
視界が真っ白に染まり、そして――
――百年前の宮廷が見えた。
優雅な礼服を纏った女性が、静かに針を動かしている。

彼女こそが、王家に仕えた伝説の仕立て職人、エリアノーラ・ディ・ルーナ。
彼女の手から生まれる刺繍は、まるで魔法のように美しく、王侯貴族たちを魅了した。
記憶は次々と流れ込んでくる。
彼女が編み出した特別な刺繍技法――『星降りの縫い』。針を刺す角度、糸を引く力加減、全てに意味がある。そして、失われたはずの『月光糸』の製法。特別な繭から取れる糸を、月の光を浴びせながら紡ぐ。その糸は、光を受けると虹色に輝く――
記憶の波が引いていき、私は現実に戻った。
「これは......」

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

特殊能力を持つ妹に婚約者を取られた姉、義兄になるはずだった第一王子と新たに婚約する

下菊みこと
恋愛
妹のために尽くしてきた姉、妹の裏切りで幸せになる。 ナタリアはルリアに婚約者を取られる。しかしそのおかげで力を遺憾なく発揮できるようになる。周りはルリアから手のひらを返してナタリアを歓迎するようになる。 小説家になろう様でも投稿しています。

侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい

花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。 ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。 あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…? ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの?? そして婚約破棄はどうなるの??? ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。

【完結】溺愛される意味が分かりません!?

もわゆぬ
恋愛
正義感強め、口調も強め、見た目はクールな侯爵令嬢 ルルーシュア=メライーブス 王太子の婚約者でありながら、何故か何年も王太子には会えていない。 学園に通い、それが終われば王妃教育という淡々とした毎日。 趣味はといえば可愛らしい淑女を観察する事位だ。 有るきっかけと共に王太子が再び私の前に現れ、彼は私を「愛しいルルーシュア」と言う。 正直、意味が分からない。 さっぱり系令嬢と腹黒王太子は無事に結ばれる事が出来るのか? ☆カダール王国シリーズ 短編☆

愛しの第一王子殿下

みつまめ つぼみ
恋愛
 公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。  そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。  クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。  そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。

役立たずと追放された令嬢ですが、極寒の森で【伝説の聖獣】になつかれました〜モフモフの獣人姿になった聖獣に、毎日甘く愛されています〜

腐ったバナナ
恋愛
「魔力なしの役立たず」と家族と婚約者に見捨てられ、極寒の魔獣の森に追放された公爵令嬢アリア。 絶望の淵で彼女が出会ったのは、致命傷を負った伝説の聖獣だった。アリアは、微弱な生命力操作の能力と薬学知識で彼を救い、その巨大な銀色のモフモフに癒やしを見いだす。 しかし、銀狼は夜になると冷酷無比な辺境領主シルヴァンへと変身! 「俺の命を救ったのだから、君は俺の永遠の所有物だ」 シルヴァンとの契約結婚を受け入れたアリアは、彼の強大な力を後ろ盾に、冷徹な知性で王都の裏切り者たちを周到に追い詰めていく。

逆行転生した侯爵令嬢は、自分を裏切る予定の弱々婚約者を思う存分イジメます

黄札
恋愛
侯爵令嬢のルーチャが目覚めると、死ぬひと月前に戻っていた。 ひと月前、婚約者に近づこうとするぶりっ子を撃退するも……中傷だ!と断罪され、婚約破棄されてしまう。婚約者の公爵令息をぶりっ子に奪われてしまうのだ。くわえて、不貞疑惑まででっち上げられ、暗殺される運命。 目覚めたルーチャは暗殺を回避しようと自分から婚約を解消しようとする。弱々婚約者に無理難題を押しつけるのだが…… つよつよ令嬢ルーチャが冷静沈着、鋼の精神を持つ侍女マルタと運命を変えるために頑張ります。よわよわ婚約者も成長するかも? 短いお話を三話に分割してお届けします。 この小説は「小説家になろう」でも掲載しています。

双子の姉に聴覚を奪われました。

浅見
恋愛
『あなたが馬鹿なお人よしで本当によかった!』 双子の王女エリシアは、姉ディアナに騙されて聴覚を失い、塔に幽閉されてしまう。 さらに皇太子との婚約も破棄され、あらたな婚約者には姉が選ばれた――はずなのに。 三年後、エリシアを迎えに現れたのは、他ならぬ皇太子その人だった。

婚約破棄された令嬢は、“神の寵愛”で皇帝に溺愛される 〜私を笑った全員、ひざまずけ〜

夜桜
恋愛
「お前のような女と結婚するくらいなら、平民の娘を選ぶ!」 婚約者である第一王子・レオンに公衆の面前で婚約破棄を宣言された侯爵令嬢セレナ。 彼女は涙を見せず、静かに笑った。 ──なぜなら、彼女の中には“神の声”が響いていたから。 「そなたに、我が祝福を授けよう」 神より授かった“聖なる加護”によって、セレナは瞬く間に癒しと浄化の力を得る。 だがその力を恐れた王国は、彼女を「魔女」と呼び追放した。 ──そして半年後。 隣国の皇帝・ユリウスが病に倒れ、どんな祈りも届かぬ中、 ただ一人セレナの手だけが彼の命を繋ぎ止めた。 「……この命、お前に捧げよう」 「私を嘲った者たちが、どうなるか見ていなさい」 かつて彼女を追放した王国が、今や彼女に跪く。 ──これは、“神に選ばれた令嬢”の華麗なるざまぁと、 “氷の皇帝”の甘すぎる寵愛の物語。

処理中です...