十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。

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第八章

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私は息を呑んだ。手の中の布が、まるで脈打っているかのように温かい。この布には、とてつもない価値がある。百年前の技術が、ここに記録されている。
宮廷仕立て職人の審査――そうだ、これを使えば、いや、この技術を再現すれば――
私の心に、確信が芽生えた。
そこから一週間、私は昼夜を問わず作業に没頭した。エリアノーラの記憶を辿りながら、『月光糸』を作り出す。何度も失敗を繰り返し、それでも諦めずに試行錯誤を重ねた。エマが心配そうに食事を運んでくれたが、私は作業の手を止められなかった。
そして審査の日――
宮廷の工房は、朝から活気に満ちていた。高い天井を持つ広い部屋に、王都中から集められた腕利きの職人たちが集まっている。皆、自信作を手にして、胸を張っていた。年配の職人もいれば、私と同年代の若者もいる。総勢二十人ほどだろうか。
私が入室すると、何人かの視線が集まった。
「おや、セレスティーナ様もお見えですか」
声をかけてきたのは、王都で評判の仕立て職人、メートゥル・ジャンだった。六十歳を過ぎた彼は、長年の経験で培われた風格を漂わせている。その手には、豪華な刺繍を施した礼服が抱えられていた。
「ええ、挑戦させていただきます」
私は丁寧に答えた。彼の目には、好奇心と僅かな懐疑の色が混じっている。
「それは素晴らしい。しかし」
メートゥル・ジャンは、周りを見渡してから声を低めた。
「この審査は厳しいですよ。技術だけでなく、独創性も求められますから。並大抵の作品では、審査員の目には留まりません」
その言葉には、忠告の意味も込められているのだろう。私は感謝の気持ちを込めて頷いた。
その時、工房の扉が開き、審査員が入ってきた。
空気が一変した。職人たちが一斉に姿勢を正し、静寂が部屋を支配する。
先頭を歩くのは、王妃様の侍女長であるマルグリット夫人。厳格な表情の初老の女性だ。その後ろには、宮廷の侍従卿である伯爵が続く。そして最後に――
ヴィルフォール公爵が姿を現した。
黒い正装に身を包んだ彼の存在感は、やはり圧倒的だった。工房に足を踏み入れた瞬間、まるで気圧が変わったかのような感覚に襲われる。
公爵の視線が、ゆっくりと室内を見渡した。そして、私の上で一瞬止まる。彼は微かに、ほとんど気づかれないほど僅かに、頷いてみせた。
その小さな仕草に、私の胸が高鳴った。
「では、順番に作品を見せていただきます」
侍女長の合図で、審査が始まった。その声は凛として、一切の妥協を許さない厳しさを帯びている。
職人たちが次々と作品を披露していく。
最初の職人は、宝石をふんだんにちりばめたドレスを見せた。ルビーとサファイアが、光を受けて煌めいている。審査員たちは頷きながらも、表情は厳しい。
次は、精緻な金糸刺繍のローブ。竜の文様が、まるで生きているかのように躍動している。マルグリット夫人が「見事」と短く評した。
メートゥル・ジャンの番が来た。彼の礼服は、確かに素晴らしい出来栄えだった。長年の技術の粋が集められている。侍従卿が感心したように何度も頷いている。
どの作品も、見事な出来栄えだ。豪華さ、技術の高さ、斬新なデザイン――それぞれが、職人の誇りを体現している。
そして、私の番が回ってきた。
私は深呼吸をして、立ち上がった。足が少し震えている。用意してきた包みを、慎重に取り出した。
包みを解くと、一見すると地味な銀色のショールが現れた。
周囲から、僅かなざわめきが起こった。豪華な作品が続いた後だけに、そのシンプルさが際立っている。
「これは?」

侍女長が訝しげな顔をした。その眉がわずかにひそめられ、期待外れといった表情だ。
「月光糸で織られたショールです」
私は静かに、しかしはっきりと答えた。
その言葉に、審査員たちが一斉に顔を上げた。ざわめきが、一気に大きくなる。
「月光糸だと?」
侍従卿が驚きの声を上げた。
「それは百年前に失われた技術ではないか」
「復活させました」
私は、ショールをゆっくりと広げた。銀色の布が、空気を受けてふわりと広がる。
すると――
窓から差し込む朝の光を受けて、ショールが突然、虹色に輝き始めた。
まるで、月の光を纏っているかのように。いや、それ以上に――星空そのものを織り込んだかのように、無数の色彩が布の表面を踊っている。角度を変えるたびに、色が移り変わる。青から緑へ、緑から紫へ、紫から金色へ。
工房全体が、息を呑んだ。
「美しい......」
侍女長が感嘆の声を上げた。その厳格な表情が、初めて驚きと感動に染まっている。
審査員たちが、まだ虹色の輝きに見とれている。その沈黙を破るように、私は言葉を続けた。
「さらに」
私はショールをゆっくりと裏返した。職人たちが一斉に身を乗り出す。裏地を見せることは、技術の全てを晒すことを意味するからだ。粗雑な仕事は、裏側に全て現れる。
しかし、私のショールの裏側は――

そこには、信じられないほど細かな刺繍で、王家の紋章が描かれていた。
金糸と銀糸で織りなされた双頭の鷲が、翼を広げている。その精緻さに、周囲から感嘆の息が漏れた。

そして私は、ショールを光に向けて、ゆっくりと角度を変えた。
すると――
王家の紋章が薄れていき、代わりに別の模様が浮かび上がってきた。春の桜、夏の百合、秋の菊、冬の椿――四季の花々が、まるで幻のように現れては消え、また別の花へと移り変わっていく。
工房全体が、完全な静寂に包まれた。誰もが呼吸することさえ忘れているかのようだ。
「二重刺繍......いや、違う」
メートゥル・ジャンが震える声で呟いた。彼の顔は蒼白になり、信じられないものを見る目で、ショールを凝視している。
「これは――これは『星影綴り<ルミエール・カシュ>』だ!」
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