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第九章
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その言葉に、他の職人たちも色めき立った。ざわめきが一気に広がる。
「まさか」
「伝説の技術が」
「百年以上前に失われたはずの」
メートゥル・ジャンは、よろめくように一歩前に出た。
「この技術も、失われたはずでは――一体どこで学んだのですか?」
私は、準備していた布の包みを取り出した。慎重に包みを解くと、先祖から伝わる古い布が現れる。時を経て褪せているが、今もその技術の素晴らしさを留めている布だ。
「これは、百年前の宮廷仕立て職人、マリア・ローランの作品です」
私はそれを審査員たちに見せた。侍女長が、恐る恐るといった様子で布に触れる。
「彼女は、私の先祖でした」
実際は、先祖かどうか正確には分からない。記録も定かではない。でも、『星霜の記憶』が見せてくれた彼女――エリアノーラ・ディ・ルーナの技術は、確かに私の中に息づいている。この布を通じて、百年の時を超えて、私に受け継がれたのだ。
その時、それまで沈黙を保っていた公爵が、ゆっくりと立ち上がった。
彼の動きに、全員の視線が集まる。工房の空気が、再び張り詰めた。
「このショールを、実際に着用して見せてもらえるか」
公爵の声は静かだったが、命令の響きがあった。その灰色の瞳が、私を真っ直ぐに見つめている。
「はい」
私は深呼吸をして、作業台に置いていたショールを手に取った。手のひらに伝わる、月光糸の独特の柔らかさ。そして、ゆっくりと自分の肩にショールをかける。
すると――
不思議なことが起きた。
ショールが、まるで意志を持っているかのように、私の動きに合わせて微かに色を変え始めたのだ。
私が一歩前に出ると、ショールは流れるような青に変わった。まるで小川の水が流れるような、透明感のある青。立ち止まると、今度は深い紫に変化する。夜空のような、神秘的な紫。
そして振り返ると、金色の光が走った。
工房の中を、ゆっくりと歩いてみる。ショールの色が、その動きに合わせて絶え間なく変化し続ける。緑から銀へ、銀から薔薇色へ――まるでオーロラのように、幻想的な色彩が踊っている。
「生きているようだ......」
侍従卿が、畏怖の念を込めて呟いた。その声は震えている。彼の隣では、侍女長が手で口元を覆い、信じられないものを見る目でショールを凝視していた。
職人たちも、完全に言葉を失っている。メートゥル・ジャンは、ただ首を横に振るばかりだ。六十年以上この道を歩んできた彼をして、これほどまでに驚愕させる作品。
公爵の視線が、私を捉えて離さない。その目には――何か、特別な感情が宿っているように見えた。
長い沈黙の後、公爵が口を開いた。
「審査員の皆様」
彼の声が、静寂を破った。
「これ以上の議論は不要でしょう」
侍女長と侍従卿が、同時に頷いた。異論の余地はない、という表情だ。
公爵は私を見据えたまま、宣言した。
「セレスティーナ・ローレンスを、新たな宮廷筆頭仕立て職人に任命する」
筆頭――
その言葉に、私の心臓が跳ね上がった。ただの職人ではなく、筆頭という称号。それは、全ての宮廷仕立て職人の頂点を意味する。王家の最も重要な衣装を任される、特別な地位。給与も、権限も、そして何より名誉が、通常の職人とは比べ物にならない。
周囲からざわめきが起こった。しかし今度は、驚きと共に、祝福の色を帯びている。メートゥル・ジャンが、深々と頭を下げた。
「おめでとうございます、セレスティーナ様。このジャン、貴女の下で働けることを光栄に思います」
他の職人たちも、次々と祝福の言葉をかけてくれる。
私は、ようやく実感が湧いてきた。自由だけでなく、地位も、収入も――全てを手に入れたのだ。
その時――
扉が、勢いよく開かれた。
バンッという大きな音が工房中に響き渡り、祝福の雰囲気が一瞬で凍りついた。
「待ってください!」
甲高い叫び声と共に、ミレイユが工房に飛び込んできた。彼女の髪は乱れ、ドレスの裾も泥で汚れている。その後ろには、同じく疲弊した様子の叔父の姿もあった。
審査員たちの表情が、一斉に険しくなる。
「これは無礼な――」
侍女長が立ち上がりかけたが、ミレイユはそれを遮るように前に出た。
「この女は、魔術を使っているのです!」
彼女の声は、ヒステリックに響いた。その指が、私を指している。
「でなければ、こんな技術があるはずがない!突然現れて、失われた技術を使えるなんて、絶対におかしいわ!」
魔術――その言葉に、工房の空気が変わった。職人たちが、僅かに私から距離を取る。魔術は王国で禁じられてはいないが、不当に使用すれば重罪だ。
「魔術?」
侍女長が眉をひそめた。その表情は厳格さを増している。
「ミレイユ・ローレンス、貴女は重大な告発をしている自覚がありますか?証拠はあるのですか?」
「あります!」
ミレイユは息を切らせながら叫んだ。
「この前の舞踏会で、私のドレスが突然破れたのも、この女の呪いです!あの日、私は完璧だったのに――この女が現れた途端、ドレスが裂けた!これが呪いでなくて何なのですか!」
周囲のざわめきが大きくなる。魔術による妨害――もしそれが本当なら、私の任命は取り消されるだろう。
公爵が、冷たい視線でミレイユを見た。しかし、正式な告発である以上、無視することはできない。
私は、静かに一歩前に出た。ショールを肩から外し、丁寧に畳みながら、落ち着いた声で言った。
「ミレイユ」
彼女の目が、憎悪と恐怖を込めて私を見た。
「貴女のドレスが破れたのは、魔術でも呪いでもありません。単純な、非常に単純な理由です」
「まさか」
「伝説の技術が」
「百年以上前に失われたはずの」
メートゥル・ジャンは、よろめくように一歩前に出た。
「この技術も、失われたはずでは――一体どこで学んだのですか?」
私は、準備していた布の包みを取り出した。慎重に包みを解くと、先祖から伝わる古い布が現れる。時を経て褪せているが、今もその技術の素晴らしさを留めている布だ。
「これは、百年前の宮廷仕立て職人、マリア・ローランの作品です」
私はそれを審査員たちに見せた。侍女長が、恐る恐るといった様子で布に触れる。
「彼女は、私の先祖でした」
実際は、先祖かどうか正確には分からない。記録も定かではない。でも、『星霜の記憶』が見せてくれた彼女――エリアノーラ・ディ・ルーナの技術は、確かに私の中に息づいている。この布を通じて、百年の時を超えて、私に受け継がれたのだ。
その時、それまで沈黙を保っていた公爵が、ゆっくりと立ち上がった。
彼の動きに、全員の視線が集まる。工房の空気が、再び張り詰めた。
「このショールを、実際に着用して見せてもらえるか」
公爵の声は静かだったが、命令の響きがあった。その灰色の瞳が、私を真っ直ぐに見つめている。
「はい」
私は深呼吸をして、作業台に置いていたショールを手に取った。手のひらに伝わる、月光糸の独特の柔らかさ。そして、ゆっくりと自分の肩にショールをかける。
すると――
不思議なことが起きた。
ショールが、まるで意志を持っているかのように、私の動きに合わせて微かに色を変え始めたのだ。
私が一歩前に出ると、ショールは流れるような青に変わった。まるで小川の水が流れるような、透明感のある青。立ち止まると、今度は深い紫に変化する。夜空のような、神秘的な紫。
そして振り返ると、金色の光が走った。
工房の中を、ゆっくりと歩いてみる。ショールの色が、その動きに合わせて絶え間なく変化し続ける。緑から銀へ、銀から薔薇色へ――まるでオーロラのように、幻想的な色彩が踊っている。
「生きているようだ......」
侍従卿が、畏怖の念を込めて呟いた。その声は震えている。彼の隣では、侍女長が手で口元を覆い、信じられないものを見る目でショールを凝視していた。
職人たちも、完全に言葉を失っている。メートゥル・ジャンは、ただ首を横に振るばかりだ。六十年以上この道を歩んできた彼をして、これほどまでに驚愕させる作品。
公爵の視線が、私を捉えて離さない。その目には――何か、特別な感情が宿っているように見えた。
長い沈黙の後、公爵が口を開いた。
「審査員の皆様」
彼の声が、静寂を破った。
「これ以上の議論は不要でしょう」
侍女長と侍従卿が、同時に頷いた。異論の余地はない、という表情だ。
公爵は私を見据えたまま、宣言した。
「セレスティーナ・ローレンスを、新たな宮廷筆頭仕立て職人に任命する」
筆頭――
その言葉に、私の心臓が跳ね上がった。ただの職人ではなく、筆頭という称号。それは、全ての宮廷仕立て職人の頂点を意味する。王家の最も重要な衣装を任される、特別な地位。給与も、権限も、そして何より名誉が、通常の職人とは比べ物にならない。
周囲からざわめきが起こった。しかし今度は、驚きと共に、祝福の色を帯びている。メートゥル・ジャンが、深々と頭を下げた。
「おめでとうございます、セレスティーナ様。このジャン、貴女の下で働けることを光栄に思います」
他の職人たちも、次々と祝福の言葉をかけてくれる。
私は、ようやく実感が湧いてきた。自由だけでなく、地位も、収入も――全てを手に入れたのだ。
その時――
扉が、勢いよく開かれた。
バンッという大きな音が工房中に響き渡り、祝福の雰囲気が一瞬で凍りついた。
「待ってください!」
甲高い叫び声と共に、ミレイユが工房に飛び込んできた。彼女の髪は乱れ、ドレスの裾も泥で汚れている。その後ろには、同じく疲弊した様子の叔父の姿もあった。
審査員たちの表情が、一斉に険しくなる。
「これは無礼な――」
侍女長が立ち上がりかけたが、ミレイユはそれを遮るように前に出た。
「この女は、魔術を使っているのです!」
彼女の声は、ヒステリックに響いた。その指が、私を指している。
「でなければ、こんな技術があるはずがない!突然現れて、失われた技術を使えるなんて、絶対におかしいわ!」
魔術――その言葉に、工房の空気が変わった。職人たちが、僅かに私から距離を取る。魔術は王国で禁じられてはいないが、不当に使用すれば重罪だ。
「魔術?」
侍女長が眉をひそめた。その表情は厳格さを増している。
「ミレイユ・ローレンス、貴女は重大な告発をしている自覚がありますか?証拠はあるのですか?」
「あります!」
ミレイユは息を切らせながら叫んだ。
「この前の舞踏会で、私のドレスが突然破れたのも、この女の呪いです!あの日、私は完璧だったのに――この女が現れた途端、ドレスが裂けた!これが呪いでなくて何なのですか!」
周囲のざわめきが大きくなる。魔術による妨害――もしそれが本当なら、私の任命は取り消されるだろう。
公爵が、冷たい視線でミレイユを見た。しかし、正式な告発である以上、無視することはできない。
私は、静かに一歩前に出た。ショールを肩から外し、丁寧に畳みながら、落ち着いた声で言った。
「ミレイユ」
彼女の目が、憎悪と恐怖を込めて私を見た。
「貴女のドレスが破れたのは、魔術でも呪いでもありません。単純な、非常に単純な理由です」
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