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晩餐会にて
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「当家の料理はお気に召していただけましたでしょうか? 不都合などございましたら遠慮なくお申しつけください。」
「ええ、とても美味で感激しております。お心遣いありがとうございます」
とある日の晩、フレン家では客人を迎え、晩餐の席を設けていた。
白いクロスがかけられたテーブルの上には銀の燭台と、白い皿の上には美味しそうな料理が置かれている。磨き上げられたグラスに注がれたワインが蝋燭の光を反射して赤く煌めいていた。
客人は二人。茶会の席でシスティーナに無礼を働いた子爵夫人エルザと、その夫のミスティ子爵だ。子爵は主催者であるフレン伯爵夫妻と和やかに会話を交わしているのだが、妻のエルザは会話に交ざることもなく、かといって料理を食べ進めるわけでもなく、ただじっとレイモンドを凝視していた。
「ミスティ夫人、お料理はお口に合いませんか? 先程から進んでいないように見えますが……」
システィーナがそう尋ねても彼女は視線を外すことなく「いえ、お構いなく」としか言わない。子爵はそんな妻の態度に眉根を寄せ、彼女の代わりにシスティーナへと謝罪するのだった。
「申し訳ございません、妻は食べるのが遅いのです」
妻の奇行を誤魔化そうとする子爵だが、どう見ても彼女のそれは食べるのが遅いというものではない。カトラリーを持ったまま時が止まったかのように微動だにしないのだ。当然料理は一口も口にしていない。
(旦那様に対する好意を隠しもしないのね……。ご自分の夫がいる前でそれはどうなの?)
件のお茶会でミスティ子爵夫人がレイモンドに好意を抱いているというのが分かった。
既婚者が既婚者に恋をするというのは倫理的にどうかと思うが、今の彼女の態度もかなりどうかと思う。自分の夫が隣にいるというのに、他人の夫を見つめ続けているというのはかなり異常だ。
そんな視線を送られているレイモンドは気味が悪いといったように視線を逸らし続けていた。時折、子爵に向かって「あんたの嫁、何?」と言わんばかりの迷惑そうな顔を向けている。
子爵夫人以外の三人の前に置かれている皿の上にはメイン料理があるのに、彼女の皿にだけ一品目の前菜が手つかずで残っている。本来ならば全員が食べ終わったタイミングで次の料理が運ばれてくるものだが、一向に食べようとしない彼女に合わせていたらいつまで経っても晩餐会が終わらない。致し方なく子爵にどうするのか尋ねると、妻は無視して進めてくれて構わないとのことだったので、彼女以外が食べ終わったタイミングに合わせてもらった。
それにしても晩餐会でこんなことを尋ねる日がくるとは思わなかった。
客人の体調が悪く、とても料理を食べるような状況じゃないのでやむを得ず晩餐会を中止した、という状況は経験したことがある。だが、食事の席で微動だにしない客人というのは流石のシスティーナも初めての経験だ。一周回って面白さすら覚える。
(これは、あれかしらね……。好きな人の前で胸が一杯で食べ物も喉に通らないというやつ……)
生憎システィーナにはそういった経験が無いので書物で読んだ知識だが、身を焦がすほどの恋をするとそういった状況に陥るらしい。とはいっても、十代の乙女がそれをするならまだしも、三十を超えたいい大人でしかも既婚者が伴侶の前でやるのは正直引く。書物ではそういった乙女の行動は可愛いらしいのだが、これは“可愛い”ではなく“気味が悪い”。
夫である子爵は妻が他の男に恋心を抱いていると気づいているのか、いないのか。
それは分からないが、頭の血管が切れるんじゃないかというくらい妻に怒っているのは見て分かる。
(彼女がレイモンド様の前でどんな反応をするのかを見ておきたかったから、晩餐会に招いたのだけど……ここまであからさまな反応をするとは予想外だったわ)
システィーナはこの奇怪な行動をとる子爵夫人をどうすべきか悩んでいた。
夫人は過去にレイモンドの幼馴染達を焚き付けて横領を促したという罪を犯したが、それについて直接的な証拠が無い。お頭の出来は良くなさそうなので、ちょっと誘導してやれば簡単に自白しそうではあるが……。
しかしながら「やれ」と彼女達に直接指示をしたわけではない。
夫人は「やってもいいんじゃないかしら?」と促しただけだ。そうなると、実行したのはあくまで幼馴染達の意志によるもの。何より彼女は幼馴染達と違ってフレン家の臣下というわけではない。他家の夫人だ。
物的証拠も無いまま他家の夫人を糾弾するのは不味い。
たとえ自白があったとしても、他家の立場では処罰することも難しい。
しかしながら、このまま何もしないでおいていいものか。
彼女が焚き付けなければ幼馴染達がフレン家の財産を勝手に使うなんていう馬鹿な真似はしなかっただろうに……。
「ええ、とても美味で感激しております。お心遣いありがとうございます」
とある日の晩、フレン家では客人を迎え、晩餐の席を設けていた。
白いクロスがかけられたテーブルの上には銀の燭台と、白い皿の上には美味しそうな料理が置かれている。磨き上げられたグラスに注がれたワインが蝋燭の光を反射して赤く煌めいていた。
客人は二人。茶会の席でシスティーナに無礼を働いた子爵夫人エルザと、その夫のミスティ子爵だ。子爵は主催者であるフレン伯爵夫妻と和やかに会話を交わしているのだが、妻のエルザは会話に交ざることもなく、かといって料理を食べ進めるわけでもなく、ただじっとレイモンドを凝視していた。
「ミスティ夫人、お料理はお口に合いませんか? 先程から進んでいないように見えますが……」
システィーナがそう尋ねても彼女は視線を外すことなく「いえ、お構いなく」としか言わない。子爵はそんな妻の態度に眉根を寄せ、彼女の代わりにシスティーナへと謝罪するのだった。
「申し訳ございません、妻は食べるのが遅いのです」
妻の奇行を誤魔化そうとする子爵だが、どう見ても彼女のそれは食べるのが遅いというものではない。カトラリーを持ったまま時が止まったかのように微動だにしないのだ。当然料理は一口も口にしていない。
(旦那様に対する好意を隠しもしないのね……。ご自分の夫がいる前でそれはどうなの?)
件のお茶会でミスティ子爵夫人がレイモンドに好意を抱いているというのが分かった。
既婚者が既婚者に恋をするというのは倫理的にどうかと思うが、今の彼女の態度もかなりどうかと思う。自分の夫が隣にいるというのに、他人の夫を見つめ続けているというのはかなり異常だ。
そんな視線を送られているレイモンドは気味が悪いといったように視線を逸らし続けていた。時折、子爵に向かって「あんたの嫁、何?」と言わんばかりの迷惑そうな顔を向けている。
子爵夫人以外の三人の前に置かれている皿の上にはメイン料理があるのに、彼女の皿にだけ一品目の前菜が手つかずで残っている。本来ならば全員が食べ終わったタイミングで次の料理が運ばれてくるものだが、一向に食べようとしない彼女に合わせていたらいつまで経っても晩餐会が終わらない。致し方なく子爵にどうするのか尋ねると、妻は無視して進めてくれて構わないとのことだったので、彼女以外が食べ終わったタイミングに合わせてもらった。
それにしても晩餐会でこんなことを尋ねる日がくるとは思わなかった。
客人の体調が悪く、とても料理を食べるような状況じゃないのでやむを得ず晩餐会を中止した、という状況は経験したことがある。だが、食事の席で微動だにしない客人というのは流石のシスティーナも初めての経験だ。一周回って面白さすら覚える。
(これは、あれかしらね……。好きな人の前で胸が一杯で食べ物も喉に通らないというやつ……)
生憎システィーナにはそういった経験が無いので書物で読んだ知識だが、身を焦がすほどの恋をするとそういった状況に陥るらしい。とはいっても、十代の乙女がそれをするならまだしも、三十を超えたいい大人でしかも既婚者が伴侶の前でやるのは正直引く。書物ではそういった乙女の行動は可愛いらしいのだが、これは“可愛い”ではなく“気味が悪い”。
夫である子爵は妻が他の男に恋心を抱いていると気づいているのか、いないのか。
それは分からないが、頭の血管が切れるんじゃないかというくらい妻に怒っているのは見て分かる。
(彼女がレイモンド様の前でどんな反応をするのかを見ておきたかったから、晩餐会に招いたのだけど……ここまであからさまな反応をするとは予想外だったわ)
システィーナはこの奇怪な行動をとる子爵夫人をどうすべきか悩んでいた。
夫人は過去にレイモンドの幼馴染達を焚き付けて横領を促したという罪を犯したが、それについて直接的な証拠が無い。お頭の出来は良くなさそうなので、ちょっと誘導してやれば簡単に自白しそうではあるが……。
しかしながら「やれ」と彼女達に直接指示をしたわけではない。
夫人は「やってもいいんじゃないかしら?」と促しただけだ。そうなると、実行したのはあくまで幼馴染達の意志によるもの。何より彼女は幼馴染達と違ってフレン家の臣下というわけではない。他家の夫人だ。
物的証拠も無いまま他家の夫人を糾弾するのは不味い。
たとえ自白があったとしても、他家の立場では処罰することも難しい。
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