「薬草まみれの地味な女」と婚約破棄された宮廷薬師ですが、辺境でのんびり暮らしていたら元婚約者が全てを失っていました  

メトト

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第七話 流行病

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 それは突然のことだった。

 ヴェルデンに来て一月が過ぎた頃、街の南側に住む農家の一家が高熱と激しい咳を訴えた。翌日にはその隣家にも同じ症状が広がり、三日目には十人を超える患者が出た。

「流行病だ……」

 エルザは薬屋の調合台に向かいながら、状況を整理した。

 症状は高熱、咳、関節の痛み。通常の風邪より進行が早く、体力のない老人や子供は重篤化する恐れがある。

 ノエルが険しい顔で駆けつけてきた。

「エルザさん、南地区で新たに五人。街全体に広がりかけています」

「患者の隔離はできますか?」

「集会所を臨時の療養所にします。南地区の住民には外出を控えるよう伝達しました」

「早い対応、助かります。それと、井戸水は大丈夫ですか?」

「井戸水?」

「流行病の多くは水を媒介して広がります。南地区の井戸を確認してください。もし水源が汚染されていれば、北地区の井戸から水を運ぶ必要があります」

 ノエルは一瞬目を見開き、すぐに頷いた。「わかりました、すぐに確認します」

 エルザは調合に取りかかった。月光草を主成分に、解熱の白楊樹皮、去痰の桔梗根を配合する。宮廷で学んだ処方をベースに、この地域の薬草で応用する。

 一時間で二十人分の煎じ薬を作り終え、集会所に届けた。

* * *

 療養所と化した集会所は、熱気と咳で満ちていた。

 エルザは一人一人の症状を確認しながら薬を処方していった。患者に触れる前に手を洗い、口元を布で覆う。王都の宮廷薬師団で叩き込まれた感染症対策の基本だ。

「お姉ちゃん……」

 寝台の一つに、見覚えのある小さな顔があった。ミラだ。マルタの孫の少女が、赤い顔で横たわっている。

「ミラちゃん。大丈夫、お薬作ったからね」

 ミラの額に手を当てる。熱い。子供の体は熱に弱い。早く下げなければ。

 通常の処方に加えて、ミラには子供用に濃度を薄めた特別な配合を用意した。蜂蜜を少し加えて飲みやすくする。

「にがい……」

「ごめんね。でも頑張って飲んで。明日にはきっと楽になるから」

 ミラが小さく頷いた。その隣で、マルタが涙を拭っていた。

「薬師様。あなたがこの街に来てくれて、本当に……」

「泣かないでください、マルタさん。ミラちゃんは大丈夫です。私が必ず治しますから」

 その夜、エルザは一睡もしなかった。

 新しい患者が出るたびに薬を調合し、重症者の経過を観察し、容態が変わればすぐに処方を調整する。額の汗を拭う暇もなく、夜が明けた。

* * *

 翌朝、ノエルが報告に来た。

「南地区の井戸を調べたところ、水源の上流で獣の死骸が腐敗していたそうです。それが原因かもしれません」

「やはり。井戸の使用を停止して、水源の浄化を急いでください。住民には煮沸した水だけを飲むよう徹底してもらえますか」

「すでに手配しています」

 ノエルの目の下にも隈ができていた。エルザと同じく、一晩中駆け回っていたのだろう。

「ノエルさんも少し休んでください」

「エルザさんこそ。一晩中薬を作っていたと聞きました」

 二人は顔を見合わせて、疲れた笑みを浮かべた。

 三日間の戦いだった。エルザの薬と、ノエルの迅速な対応が功を奏し、流行病は拡大を食い止められた。重症化した患者も徐々に回復し、五日目にはミラが元気に起き上がった。

「お姉ちゃん、ありがとう!」

 ミラが飛びついてきた。その温かい体を抱きしめながら、エルザは目を閉じた。

 この子たちを守れた。それだけで、ここに来た意味がある。

* * *

 流行病が収束した翌日、街の広場でささやかな祝宴が開かれた。

 農家が持ち寄った食材で料理が作られ、パン屋が特大のパンを焼き、酒場の主人が樽ごとエールを運んできた。

「エルザさんとノエル様のおかげだ!」

「薬師様万歳!」

 領民たちの歓声の中、エルザは少し居心地悪そうに微笑んでいた。注目されることに慣れていない。

 ノエルが隣に来て、エールの杯を差し出した。

「お疲れ様でした。見事な働きでした」

「ノエルさんの対応がなければ、もっと被害が広がっていました。私一人の力ではありません」

「そう言ってもらえるとありがたいですが……正直に言えば、エルザさんがいなかったらどうなっていたか。あなたがこの街に来てくれたことに、心から感謝しています」

 ノエルの目は真剣だった。社交辞令ではない、心からの言葉だと伝わってくる。

「ありがとうございます」

 杯を合わせた時、エルザの手がかすかに震えた。

 それが疲労のせいなのか、別の理由なのか。エルザ自身にも、まだわからなかった。
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