7 / 9
第七話 流行病
しおりを挟むそれは突然のことだった。
ヴェルデンに来て一月が過ぎた頃、街の南側に住む農家の一家が高熱と激しい咳を訴えた。翌日にはその隣家にも同じ症状が広がり、三日目には十人を超える患者が出た。
「流行病だ……」
エルザは薬屋の調合台に向かいながら、状況を整理した。
症状は高熱、咳、関節の痛み。通常の風邪より進行が早く、体力のない老人や子供は重篤化する恐れがある。
ノエルが険しい顔で駆けつけてきた。
「エルザさん、南地区で新たに五人。街全体に広がりかけています」
「患者の隔離はできますか?」
「集会所を臨時の療養所にします。南地区の住民には外出を控えるよう伝達しました」
「早い対応、助かります。それと、井戸水は大丈夫ですか?」
「井戸水?」
「流行病の多くは水を媒介して広がります。南地区の井戸を確認してください。もし水源が汚染されていれば、北地区の井戸から水を運ぶ必要があります」
ノエルは一瞬目を見開き、すぐに頷いた。「わかりました、すぐに確認します」
エルザは調合に取りかかった。月光草を主成分に、解熱の白楊樹皮、去痰の桔梗根を配合する。宮廷で学んだ処方をベースに、この地域の薬草で応用する。
一時間で二十人分の煎じ薬を作り終え、集会所に届けた。
* * *
療養所と化した集会所は、熱気と咳で満ちていた。
エルザは一人一人の症状を確認しながら薬を処方していった。患者に触れる前に手を洗い、口元を布で覆う。王都の宮廷薬師団で叩き込まれた感染症対策の基本だ。
「お姉ちゃん……」
寝台の一つに、見覚えのある小さな顔があった。ミラだ。マルタの孫の少女が、赤い顔で横たわっている。
「ミラちゃん。大丈夫、お薬作ったからね」
ミラの額に手を当てる。熱い。子供の体は熱に弱い。早く下げなければ。
通常の処方に加えて、ミラには子供用に濃度を薄めた特別な配合を用意した。蜂蜜を少し加えて飲みやすくする。
「にがい……」
「ごめんね。でも頑張って飲んで。明日にはきっと楽になるから」
ミラが小さく頷いた。その隣で、マルタが涙を拭っていた。
「薬師様。あなたがこの街に来てくれて、本当に……」
「泣かないでください、マルタさん。ミラちゃんは大丈夫です。私が必ず治しますから」
その夜、エルザは一睡もしなかった。
新しい患者が出るたびに薬を調合し、重症者の経過を観察し、容態が変わればすぐに処方を調整する。額の汗を拭う暇もなく、夜が明けた。
* * *
翌朝、ノエルが報告に来た。
「南地区の井戸を調べたところ、水源の上流で獣の死骸が腐敗していたそうです。それが原因かもしれません」
「やはり。井戸の使用を停止して、水源の浄化を急いでください。住民には煮沸した水だけを飲むよう徹底してもらえますか」
「すでに手配しています」
ノエルの目の下にも隈ができていた。エルザと同じく、一晩中駆け回っていたのだろう。
「ノエルさんも少し休んでください」
「エルザさんこそ。一晩中薬を作っていたと聞きました」
二人は顔を見合わせて、疲れた笑みを浮かべた。
三日間の戦いだった。エルザの薬と、ノエルの迅速な対応が功を奏し、流行病は拡大を食い止められた。重症化した患者も徐々に回復し、五日目にはミラが元気に起き上がった。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
ミラが飛びついてきた。その温かい体を抱きしめながら、エルザは目を閉じた。
この子たちを守れた。それだけで、ここに来た意味がある。
* * *
流行病が収束した翌日、街の広場でささやかな祝宴が開かれた。
農家が持ち寄った食材で料理が作られ、パン屋が特大のパンを焼き、酒場の主人が樽ごとエールを運んできた。
「エルザさんとノエル様のおかげだ!」
「薬師様万歳!」
領民たちの歓声の中、エルザは少し居心地悪そうに微笑んでいた。注目されることに慣れていない。
ノエルが隣に来て、エールの杯を差し出した。
「お疲れ様でした。見事な働きでした」
「ノエルさんの対応がなければ、もっと被害が広がっていました。私一人の力ではありません」
「そう言ってもらえるとありがたいですが……正直に言えば、エルザさんがいなかったらどうなっていたか。あなたがこの街に来てくれたことに、心から感謝しています」
ノエルの目は真剣だった。社交辞令ではない、心からの言葉だと伝わってくる。
「ありがとうございます」
杯を合わせた時、エルザの手がかすかに震えた。
それが疲労のせいなのか、別の理由なのか。エルザ自身にも、まだわからなかった。
137
あなたにおすすめの小説
だから何ですの? 〜王家の系譜に「愛」など不要です〜
柴田はつみ
恋愛
貴方の系譜、ここで断絶させてもよろしくて? 〜初夜に愛を否定された公爵令嬢、国庫と軍事と血統を掌握して無能な夫を過去にする〜
薔薇の花びらが散らされた初夜の寝室で、アルフォンスはあまりに卑俗で、あまりに使い古された台詞を吐く。
「私は君を愛することはない。私の心には、リリアーヌという真実の光があるのだ」
並の女なら、ここで真珠のような涙をこぼし、夫の情けを乞うだろう。
しかし、ミレーヌの脳裏をよぎったのは、絶望ではなく、深い「退屈」だった。
「……だから何ですの? 殿下」
「10歳の頃の想いなど熱病と同じ」と婚約者は言いました──さようなら【完結保証】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王太子フリードリヒの婚約者として、幼い頃から王妃教育を受けてきたアメリア・エレファウント公爵令嬢。
誰もが羨む未来を約束された彼女の世界は、ある日突然1人の少女の登場によって揺らぎ始める。
無邪気な笑顔で距離を(意図的に)間違える編入生ベルティーユは、男爵の庶子で平民出身。
ベルティーユに出会ってから、悪い方へ変わっていくフリードリヒ。
「ベルが可哀想だろ」「たかがダンスくらい」と話が通じない。
アメリアの積み上げてきた7年の努力と誇りが崩れていく。
そしてフリードリヒを見限り、婚約解消を口にするが話は進まず、学園の卒業パーティーで断罪されてしまう……?!
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています
1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。
尾道小町
恋愛
登場人物紹介
ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢
17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。
ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。
シェーン・ロングベルク公爵 25歳
結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。
ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳
優秀でシェーンに、こき使われている。
コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳
ヴィヴィアンの幼馴染み。
アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳
シェーンの元婚約者。
ルーク・ダルシュール侯爵25歳
嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。
ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。
ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。
この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。
ジュリエット・スチール公爵令嬢18歳
ロミオ王太子殿下の婚約者。
ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳
私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。
一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。
正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?
愛の損益分岐点を超えたので、無能な夫に献身料を一括請求して離縁します。
しょくぱん
恋愛
「君は強いから一人で生きていける」結婚記念日、公爵夫人のアデライドは夫から愛人を同伴した席で離縁を言い渡された。だが夫は知らない。公爵家の潤沢な資金も、王家とのコネクションも、すべては前世で経営コンサルだった彼女の「私産」であることを。「愛の損益分岐点を下回りました。投資を引き揚げます」――冷徹に帳簿を閉じた彼女が去った後、公爵家は一晩で破滅へと転落する。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
私の妹と結婚するから婚約破棄する? 私、弟しかいませんけど…
京月
恋愛
私の婚約者は婚約記念日に突然告白した。
「俺、君の妹のルーと結婚したい。だから婚約破棄してくれ」
「…わかった、婚約破棄するわ。だけどこれだけは言わせて……私、弟しかいないよ」
「え?」
始まりはよくある婚約破棄のように
喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」
学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。
ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。
第一章「婚約者編」
第二章「お見合い編(過去)」
第三章「結婚編」
第四章「出産・育児編」
第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始
お望み通り、消えてさしあげますわ
梨丸
恋愛
一国の次期王妃と言われていた子爵令嬢アマリリス。
王太子との結婚前夜、彼女は自ら火を放ち、死んだ。
国民達は彼女の死を特に気にもしなかった。それどころか、彼女の死を喜ぶ者もいた。彼女の有していた聖女の力は大したものではなかったし、優れているのは外見だけの“役立たずの聖女”だと噂されるほどだったから。
彼女の死後、すぐさま後釜として皆に好かれていた聖女が次期王妃に召し上げられた。
この国はより豊かになる、皆はそう確信した。
だが、“役立たずの聖女”アマリリスの死後──着実に崩壊は始まっていた。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
※この調子だと短編になりそうです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる