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第八話 傾く侯爵家
しおりを挟む王都ヴァレンシュタイン侯爵邸。
レオンは執務室で、青ざめた顔をしていた。
机の上には未払いの請求書が山と積まれている。ドレス代、宝飾品代、家具代、夜会の費用。その大半がリゼットによるものだった。
「こんな額になっていたのか……」
この二ヶ月で、リゼットが使った金額は侯爵家の年間交際費の半分に達していた。レオン自身も浪費家だったが、リゼットの規模はその比ではない。
さらに悪いことに、宮廷からの圧力が日増しに強まっていた。
王妃の処方薬の問題は未だ解決しておらず、侍医長は「ヴァレンシュタイン家が責任を持って代替の薬師を手配すべき」と公言している。宮廷での侯爵家の立場は、目に見えて悪化していた。
「レオン」
父アルバートが執務室に入ってきた。その顔には、深い疲労と怒りが刻まれている。
「宮廷から正式な通達が来た。来月の王室主催の晩餐会から、我が家は招待者名簿を外された」
「そんな……!」
「王妃殿下のご不興を買ったのだ。当然の結果だ」
アルバートはレオンを鋭い目で見据えた。
「お前があの娘を切ったことで、我が家は宮廷薬師団との関係を失い、王妃殿下の信頼を損ねた。その上、新しい婚約者は我が家の財産を湯水のように使い込んでいる。お前は侯爵家を潰す気か」
「リゼットは悪くありません。彼女にふさわしい暮らしを——」
「ふさわしい暮らし?」アルバートの声が低くなった。「クレメント家のエルザ嬢は、七年間の婚約期間中、我が家に金銭的負担をかけたことが一度でもあったか?」
レオンは言葉に詰まった。
エルザは質素だった。高価な贈り物を求めることもなく、夜会のドレスは数着を着回し、宝飾品にも興味を示さなかった。それをレオンは「華がない」と嗤っていた。
しかし今になって思えば、あの質素さがどれほど侯爵家の家計を助けていたか。
「……考えてみれば、エルザは」
「遅い。全て遅い」アルバートは背を向けた。「来月までにリゼット嬢との関係を整理しろ。さもなくば、嫡男の地位を弟に譲ることも検討する」
* * *
その夜、レオンはリゼットに控えめに切り出した。
「リゼット、少し出費を抑えてほしいんだ。父が——」
「あら。私に不自由させるおつもり?」
リゼットの目が冷たく光った。普段の甘えた声ではない。
「侯爵家の財政が厳しいなんて、外聞が悪いですわ。私がみすぼらしい格好で夜会に出たら、あなたの評判にも傷がつくのではなくて?」
「それは……」
「ねえレオン様。あなたが前の婚約者を捨ててまで選んでくださったんですもの。それに見合う扱いをしてくださらないと、困りますわ」
その言葉に、レオンは反論できなかった。
リゼットが部屋を出た後、レオンは一人、暗い部屋で考え込んだ。
エルザのことが頭をよぎった。あの静かな瞳。「承知いたしました」と言って背を向けた、凪いだ横顔。
あの時、エルザは泣かなかった。
悲しくなかったのか? それとも、とうに見切りをつけていたのか?
レオンは初めて、不安を覚えた。
自分は、取り返しのつかないことをしたのではないか、と。
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