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4幕 家守の鏡
10 違和感
しおりを挟む白明鏡とあいさつしたところで、如花は急に眠気を覚えたようだ。頭を揺らしてこくりこくりと船をこぎ始めたので、燕は如花を抱き上げた。
「申し訳ありません、お客様。お嬢様は眠くなられたご様子で」
「構わぬから、部屋に戻って休ませるがよい」
「ありがとうございます。失礼いたします」
燕はあいさつをすると、眠りにこてんと落ちた如花を抱えて、白明鏡の部屋から出て行った。碧玉はため息をつく。
「ふう。これでようやく部屋に戻れる」
「はは、お嬢様にお付き合いくださり、ありがとうございます」
衛兵には和やかな目で礼を言われた。
ようやく如花の世話から解放された碧玉は、桃家の主人達に見つかる前に、急いで母屋を離れて客堂に帰った。
灰炎は料理を温めなおし、再び配膳した。灰炎と雪瑛も夕餉がまだだったので、碧玉は二人に食べるように言い、部屋で一人になった。粥を木のさじですくって口に運びながら、白明鏡について思い出す。
素晴らしい法具だったが、あの一瞬だけ映り込んだ人影が引っかかっていた。
「あの角度……どう考えても宙に浮いてねば映るなどありえぬことだ。しかし、幽鬼などはいなかったし……まさか本当に『家守様』なる者がいるのか? それとも法具が力を持って、神仙を宿したか?」
碧玉は考えにふけるあまり、行儀悪く、椀によそった粥を木さじでぐるぐるとかき回す。
「どうなさったんですか、主君。時間はかかりますが、粥を作り直しましょうか」
「灰炎、戻るのが早くないか?」
「私は菜餅で済ませましたからね」
菜餅というのは、惣菜を入れたおやきのことだ。
「お前も旅疲れがあるだろうに。しっかり食べねば後で困ることになるぞ」
「とんでもない。野菜と肉がたっぷり入った菜餅ですよ。庶民にとってはたまに食べられるごちそうみたいなものですから、元気が出ますよ」
肉が好きな灰炎らしい返事だ。
「それで、主君。粥を作り直しましょうか? 粥ですと、半刻はかかってしまいますが」
「不要だ。考えごとをしていただけだ」
「母屋で何かあったんですか?」
灰炎が心配そうに問うので、碧玉は白明鏡のことを教えた。
「はあ。お嬢様がおっしゃるには、白明鏡はキラッと光って返事をするんですか? そして、主君は鏡に人影が見えたと? うーん、その鏡に神仙が宿ったとして、言葉をかわさないのはおかしいのではありませんか?」
「……それもそうか」
「しかし、主君には違和感があったでしたら、何か意味があるのかもしれません。宗主様にはお知らせしておきましょう」
「そうだな」
些細なことでも、こういった感覚は大事だ。碧玉は天祐に話すことを決め、残りの粥を口に運ぶ。灰炎はその間に茶を淹れて、碧玉の前に置いた。
「主君、湯あみをなさいますよね? 準備してまいります」
「うむ」
碧玉はちらりと窓のほうを見た。
「桃宗主は客のもてなしがお好きな方だとか。宗主様のお戻りは、遅くなるかと。先にお休みになってはいかがでしょうか」
「……そうするか。そういえば、雪瑛はどうした?」
「満腹になるや、寝てしまいましたよ。まったくかわいらしいものです」
小動物が好きな灰炎の目尻はすっかり下がっている。
「食べてすぐに横になると牛になると脅かしてやれ」
「はは。雪瑛は喜ぶと思いますよ。牛のほうが強いと言って」
「……ふん」
確かにあの白狐の言いそうなことだ。碧玉は鼻で笑った。
それからしばらくすると、居室に置いた風呂桶に、下男が湯を運び入れた。灰炎はそれに水を足して湯加減を調整し、満足気に頷く。風呂桶の傍に木製の階段を添え、目隠しの衝立も用意して、準備万端となった。
ちょうど碧玉が食事を終え、少し冷めた茶をゆっくり飲んでいるところだった。
「主君、どうぞ」
「ああ。この葉はなんだ?」
「桃の葉ですよ。肌に良いので、桃家の使用人から少し分けてもらったのです。旅の疲れか、少しかさついておりますでしょう? 今日は髪も手入れさせてください」
「……好きにせよ」
旅の間は身なりの手入れはおざなりにするしかない。灰炎はこの機会を狙っていたようだ。どうせい碧玉がゆっくりと湯に浸かっている間に、灰炎が勝手に手入れをするのだ。面倒だと言うだけ無駄である。
灰炎はいつの間にか湯舟の傍に火鉢を移動させ、碧玉が寒くないように気遣ってくれている。
碧玉が冠を外すと、灰炎がすぐに盆を差し出すので、それに置く。ぞんざいに衣服を脱いで裸になったところで、使用人相手に恥ずかしいとも思わない。子どもの頃から傍にいる灰炎ならば、なおさらだ。
ふいに窓のほうからカタンと音がして、碧玉は振り返った。灰炎がさっと碧玉を背にかばう。
「何者だ?」
灰炎が問うが、答えはない。窓がキイキイと風に吹かれて揺れていた。
「私の閉め方が甘かったかもしれぬな」
如花を見つけた時に、碧玉が開けたせいだろうと思った。灰炎は首をひねっている。
「念のために確認してまいります」
灰炎はすぐに窓辺に向かい、周りを見回して、首を傾げる。
「誰かがいた痕跡もありませんね。たまたま風で開いたのでしょう。今度は掛け金もかけておきます」
灰炎はきっちりと板窓を閉めなおし、碧玉のほうに戻ってくる。
「この客堂、年季が入っておりますし、建付けが悪いのやもしれませんね。ああ、体が冷えてしまいます。湯に浸かってください」
「ああ、そうしよう」
碧玉は湯に浸かりながら、なんとなく紫曜が言っていたことを思い出した。
――誰もいないはずなのに、視線を感じるのだ
(まさかな……)
碧玉も窓から視線を感じたように気がしたが、護衛も兼ねている灰炎が誰かの痕跡がないと言うなら、そうなのだ。
(桃家の結界には、幽鬼の類はまず近づけない。気のせいなんだろう)
だというのに、なぜか桃如花が「家守様」と無邪気に話す声が耳奥によみがえり、碧玉は眉を寄せた。
(ありえぬ。あれは破邪の法具だ。悪いものではない)
碧玉が鼻先まで湯に沈めると、灰炎に慌てて声をかけられた。
「主君、そんなふうにしていると、のぼせてしまいますよ!」
時すでに遅く、疲れていたせいもあって、碧玉は湯当たりしてしまった。
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