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4幕 家守の鏡
11 情報交換 (後半に多めに加筆)
「兄上、本当に大丈夫なんですか?」
翌朝、客堂の部屋で、天祐が心配そうに問う。碧玉は眉をひそめる。
「その質問は何度目だ? 大丈夫だと言っている」
「だって、兄上。昨夜、俺が客堂に戻ってきたら、湯当たりをして寝こんでらしたんですよ。俺がどれだけ驚いたかわかりますか?」
天祐は動揺すると、一人称が俺になる癖がある。おかげで天祐のうろたえようが、碧玉には手に取るように分かる。
「一晩休んだのだから、もう平気だと言っている。しつこくすると、容赦せぬぞ」
碧玉が冷たくにらんだので、天祐はしぶしぶ引き下がった。
「分かりました。何かあったら、すぐに相談してください」
「それから、私のことは銀嶺と呼ばぬか」
「……はい」
天祐は不服そうである。口に出さずとも、二人きりの時くらい良いではないかと、顔に書いてある。
「今日は霊山に行く日だ。お前も準備をしなさい」
碧玉は起きるなりとっくに着替えを済ませて、身なりを整えている。天祐のほうは、まだ稽古着の格好をしていて、布で汗を雑にぬぐっているところだ。
「その件ですが、桃家から連絡があり、明日にずれるそうです。なんでも宴で羽目を外して、二日酔いで寝込んでいる者が多いから、登山は危ないとかで」
「はあ? いったい誰だ、酒の調整くらいできぬのか」
「紫曜殿ですね」
「まったく、あやつめ。親戚の前だからと格好つけて、飲みまくったのだろう」
「さすがです、銀嶺。大当たりです」
予想が簡単すぎる理由なので、碧玉は怒りよりも呆れのほうが大きい。長旅をしてきて、桃家に到着してまだ二日目だ。旅の疲れを癒す日と割り切ったほうがよさそうだ。
「休養日とするのだな。他の者には連絡済みなのか?」
「桃家の使いが、客堂を回ると言ってましたよ。こちらは何もしなくて問題ないかと」
「そうか。では、ひとまず朝餉とするか」
「私は朝の訓練を終わらせたところでして、すぐに支度しますので、一緒に食べましょうね」
「天祐様、隣室に湯あみの用意はしてございますわよ。こちらにどうぞ」
気の利く青鈴が、天祐が開けっぱなしにしていった部屋の戸口から、そっと声をかけた。勝手に中に入らずに待っているあたり、青鈴は慎み深い。
「ああ、行くよ。準備がいいな」
「天祐様のことですから、面倒だからと水浴びで済ませてしまいそうで……。まだ水は冷たい時期です、お湯をお使いください」
「どうしてばれてるんだ」
「何年お仕えしていると思うんです」
青鈴と天祐のやりとりは、世話焼きな年長の姉と幼い弟みたいだ。こういう二人を見ていると、偶然だったとはいえ、青鈴を天祐付きの侍女にして正解だったと碧玉は思う。
「天祐が入浴している間に、私も平服に着替えるか」
碧玉は自分の服を見下ろした。登山で汚れてもいいように、地味な色合いの服にしたのだ。鎧は身に着けていないが、動きやすいように広い袖を手甲でまとめていた。
客堂の裏にある炊事場にいたはずの灰炎は、いつの間にか戻ってきており、話を聞いていた。
「それがよろしいですね。でしたら、薄青と白の衣にしましょう」
灰炎は櫃から目当ての衣を探し当てると、すぐに碧玉の着替えを済ませる。
「ふむ、相変わらず良い仕事をする。ところで灰炎、朝餉の用意をしていなかったか?」
「汁物を温めているところなので、ちょっとくらい離れても問題ありませんよ。食卓でお待ちください。朝餉を運んでまいります」
灰炎はそう言うと、再び部屋を出て行った。
いったん退室した天祐のほうは、隣室で湯あみをして身支度をし、すぐに戻って来た。烏の行水のようだ。その頃には、部屋の几に、灰炎が朝餉を並べて終えている。白粥に山菜の塩漬けが添えられたものと、肉と根菜の羹だ。灰炎が準備をする足元をちょろちょろとして邪魔をした雪瑛は、灰炎から碧玉の膝を温める仕事を与えられた。
「ふふん、主様、暖かいですか? 雪瑛の毛はふわふわで最高ですものね!」
「そなた、灰炎から体よく追い払われたことに気づかぬのか?」
雪瑛のせいで灰炎が転び、灰炎が怪我をしてはたまらない。それでしかたがなく雪瑛を引き取ったものの、碧玉は呆れている。灰炎は雪瑛が好意で邪魔をする時は、別の用事を与えて追い払うのだ。
「そういえば、灰炎には年の離れた弟妹がいるのだったか?」
「ええ。私は家計が苦しいため奉公に出され、主君にお仕えすることになったのですよ。実家は白家の遠縁も遠縁ですが」
「確か長男だったな」
「ええ、そうです。本来ならば、奉公に出されるのは、次男以下がほとんどですが、霊力があるのが私しかおりませんでしたから。相談した先が、私ならば推薦すると言うのでしかたがありませんでした。しかし、私は主君にお仕えできて幸せですよ」
白家は道士の名門だ。この特殊性のせいで、雇用する時は霊力持ちのほうが優遇される傾向にある。
「主君の傍仕えは入れ替わりが激しいと聞いていたので、最初は恐ろしかったのですが、実際にお仕えしてみると、私の弟妹のほうがやんちゃでしたので、緊張する以外は問題ありませんでしたね」
「ほう?」
「主君は、親が目を離した隙に水甕に頭から落ちておぼれかける……なんて真似はなさいませんでしょう?」
「……なるほど。そういう弟妹の世話をしていたから、家事能力が高く、この狐の世話も余裕なのだな?」
事情を聞いてみると、理解できる話である。雪瑛が頭を持ち上げた。
「えっ、どうしてそこでわたくしの名を出すんです?」
「ふん。わからぬならよい」
碧玉は優しくないので、わざわざ説明する気もない。雪瑛は「ええー?」と頭をひねっていたが、天祐と目が合うなり、すぐさま碧玉の膝から飛び降りた。碧玉の膝に雪瑛が乗っていると、天祐がにらむせいだ。
「天祐、食事にしよう。ちょうどいいから、情報交換といこうではないか。昨夜の話を灰炎から聞いているか」
「昨夜、何かあったのですか? 私は銀嶺が湯当たりしたことしか聞いておりませんよ。私も宴の帰りで疲れていましたので、銀嶺の様子を見るうちに寝てしまいまして」
天祐はそう言いながら、向かいに着席する。
「天祐様、お待ちください。髪のお支度がまだですわ!」
青鈴が追いかけてきて、天祐の濡れ髪を布で拭い、椿油で整えてから、櫛で梳いて結い上げる。銀製の冠でまとめれば終わりだ。
「青鈴、あとは放っていて構わない。自然に乾くさ」
「しかたがありませんわね。失礼いたします」
青鈴は髪をきちんと拭きたかったようだが、当の天祐が大雑把なので下がるように言われてしまい、渋々退室した。
「天祐、侍女を困らせるな」
「申し訳ありません」
天祐は素直に謝ったが、もうしないとは言わなかった。
「まあいい。ほら、漬物を食べなさい」
「ありがとうございます」
碧玉は大根の漬物を箸でつまみ、天祐の白飯にのせてやった。天祐の表情がぱっと和らぐ。無邪気な犬のような様子だ。
「天祐、宴は苦手か? それほど疲れるとは思わなかった。お前も私と同じで、酒を飲んでも酔わぬ性質だから苦ではないだろうと思っていたが」
たいていの人間は、宴を喜ぶものだ。歓迎されて、滅多と味わえない美酒とご馳走を用意されて、悪い気がする者などいない。だが、それでも世の中には、酒が苦手だから宴を好まないという者もいる。
天祐の白家宗主への代替わりは特殊な状況で起きたため、宗主として他家に顔出しをすること自体、ほとんどしていない。家でゆっくり酒を飲むのと、宴で飲むのは違うから、天祐も酒が嫌になったのではないかと、碧玉は推測した。
「いえ、宴自体は苦手ではありませんよ。おっしゃる通り、私にも酒は水のようなものですし、ああいった場での人との交流はさほど苦にならないほうなので」
天祐は碧玉の予想と違うことを答えた。
朗らかな様子を見るに、碧玉を気遣ってそう言っているわけではなさそうだ。だが、天祐はふうとため息をつく。
「ただ、昨夜はずっと、桃宗主に捕まっていたので疲れたんです。桃家の主人はお話をするのがお好きなようですね。ご子息の激しい性格が落ち着いたことがよほどうれしいようで、ご子息がどれだけ立派になったかを延々と聞かされておりました」
「……それはまた面倒な」
もしそれが碧玉だったら、最後まで付き合わず、途中で怒って離席したに違いない。天祐は昨日のことを思い出して、苦笑した。
「安殿や夫人も途中で止めに入ってくださいましたが、あまり効果はありませんでした。桃宗主、なかなかの絡み酒でしたよ」
「ご苦労だったな」
思わず碧玉は重々しくねぎらった。
それならば、天祐が碧玉の傍にいるうちに寝落ちしてしまうのも理解できるというものだ。
「私のほうは……灰炎」
「ええ、私からご説明いたします」
碧玉が面倒くさがって灰炎の名を呼ぶと、灰炎は心得たとばかりに頷いて、天祐に昨夜のことを話す。
天祐は青い目をまん丸にした。
「如花殿が迷子になって、こちらに来ていたのですか。ええと、兄上があの子の世話を……? 本当に? 夢を見たのではなく?」
「桃宗主の娘でなかったら無視していた」
碧玉が冷たく返すと、天祐は納得した。
「では本当なんですね! へえ、桃家では白明鏡のことを家守様と呼んでいるのですか。私も、霊山から戻ったら見せてもらおうかと思いますよ。しかし、鏡に人影が見えたような気がしたのですか……? うーん、やはり結界内に悪い気配はありませんけどねえ」
天祐はいったん目を閉じて指で印を結んで集中したものの、昨日と同じで首を傾げている。
「私も何か悪いものを感じたわけではない。しかし、紫曜も何者かの視線を感じると言っていたし、気にかけておいたほうがよいだろう」
「そうですね」
天祐は頷いたものの、碧玉に問い返す。
「しかし、銀嶺は問題ないと思ったのですよね?」
「ああ」
「でしたら、ひとまずそちらは大丈夫でしょう。あの幼い子どもが拒否反応を示すどころか、親身になっているのです。なんらかのものが白明鏡に宿っていたとしても、桃家にとって良いものに違いありません」
「ふむ。そなたがそう言うならば、信じよう」
碧玉がすんなりと受け入れたことに、天祐が驚きを見せる。
「えっ、信じていただけるのは嬉しいですが、この若輩者の意見をあっさりと通してよいのですか?」
「お前は自分が白家の宗主だと忘れたのか? そもそも、お前は政治は経験不足だが、道術ならば抜きんでた実力の持ち主ではないか。道術に関しては勉強も楽しいようだしな」
「道術ばかりを強調して、当てこすらないでくださいよ~」
天祐はへにゃりと眉尻を下げ、情けない声で抗議をする。碧玉はふんと鼻で笑う。
「悔しいが、道術については負けを認めているからな。私はその件ではお前の感覚を信じることにしている。ただ、違和感があったから報告したまでのこと」
「……分かりました。では出立前に、桃家の主人に願い出て、白明鏡に祈りたいと申し出てきます。昨夜の宴でさんざん聞かされた話に心を動かされ、験担ぎしたいと言えば断らないかと」
「それがよいな。周りも天祐が桃家宗主の絡み酒の被害者だと分かっているから止めぬだろう」
「はは。我慢したかいがありますね」
天祐は苦い顔をした。
「ああ、そういえば。桃安のことですが、あの様子ですと、やはり霊山の薬草に効果があったようですよ。白明鏡の前で薬を飲んだ後に倒れ、次に目覚めたら性格が変わっていたようですから」
「桃宗主がそう言っていたのか?」
「ええ。霊山に薬草を採取に行ったのも、安殿だったそうです」
「病人が自ら薬草を取りに行ったのか?」
紫曜から聞いていた話と違うので、碧玉は確認する。
「私も間違いかと思い、聞き返しましたよ。どうもよそに話が伝わるうちに、安殿が病気をしたというふうに変わったみたいですね。実際のところは急に安殿が思い立って、霊山に行ったそうです。次期後継者ですからあの霊山に出入りする権利はありますし、誰も止められなかったようですよ」
碧玉はそこまで話を聞いて、引っかかりを覚える。
「どうして桃安は白明鏡の前で薬を飲んだのだ? 普通ならば自室でゆっくり飲むものでは?」
「なぜなのかは不明です。私も疑問に思って桃宗主に確認したところ、桃安の従者が、桃安は完成した薬を白明鏡に捧げてから飲んだようです。まるで儀式めいていたそうですが、従者はそんなやり方は初めて見たようで、桃宗主に質問されてもしどろもどろだったとか」
天祐はため息をついて、首を横に振る。
「はあ。桃宗主は怒って、安殿が無事に目を覚まさなかったら、安殿を止めなかった従者の首を切るとまで言ったそうですよ。安殿が飲んだ薬は、桃宗主も初めて見る処方だったとかで……」
天祐としては、家臣を切り捨てると騒ぐあたりが不愉快だったようで、顔をしかめている。碧玉は天祐がさらりと口にした内容に気をとられた。
「ん? 桃家の秘伝の薬ではなかったのか?」
「桃宗主は酒が回って口を滑らせていたので、知らない薬だと言っていましたよ。清星草(せいせいそう)は〈深山〉にしか生えない薬草だと知ってはいるが、せいぜい気の昂ぶりを緩和する程度のものだとか。他に良い薬草があるから、気に留めてもいなかったようです」
「貴重な薬だという話ではなかったか?」
紫曜が桃家に交渉したところ、貴重な薬だからと一回は断られたと聞いている。まるで大した価値のない薬のようではないか。
「桃宗主はその薬で桃安の性格が優しくなったのがどうしてなのか原因不明なので、他の人には使うべきではないとお考えになったみたいです」
「だというのに、かわいい甥にしつこく頼まれて折れたのだな」
「ははは」
碧玉の指摘は的を射ていたようで、天祐は苦笑した。
「しかし、桃宗主の気持ちも分かるぞ。その程度の薬で、あそこまで人が変わるのは驚きだろう」
「ええ。桃宗主も新薬かと喜んで研究しなおしたそうですが、やはり結果は以前と同じだったとか。それで、たまたまご子息の体に合っただけなのかもしれないと結論づけられておりましたね」
「天祐、お前にこれほど話を聞きだす才能があるとは知らなかった。お手柄ではないか」
「え? そうですか?」
天祐はきょとんとしている。
「そうだ。普通、初対面の者に対して、薬草に詳しい桃宗主でも知らない処方を息子が知っていたなど、恥と思って口にせぬだろう」
碧玉からすれば大したものだが、天祐は何がすごいのか分かっていない。
「私は特に口を挟むこともなく、ただ相槌を打っていただけですよ?」
「よほど興が乗ったのだろうな。どうも天祐は聞き上手らしい」
「はあ。年配者の話は遮らないという礼儀を通しただけですが……」
天祐からすれば至極当然のことをしたようだが、酒の力があっても、初対面の相手にそこまで警戒を解かせるだけでも才能である。
「とにかくだ。薬草になんらかの価値があるなら、今はそれで構わぬ。紫曜が親戚に薬を渡して効果がなくても、体質に合わなかったと話せばいいだけだ。あとは紫曜が勝手にどうにかすることだな」
「ええ、そうですね。私達は〈深山〉から無事に戻れるように頑張りましょう」
天祐はそこで急に不安になったようで、碧玉に問う。
「あの……当日、銀嶺はここに残るおつもりは……?」
「あるわけがなかろう。他家の貴重な土地に出入りできる機会など滅多とない。これを見逃すのは愚かだ」
「……そうですよね。分かりました」
天祐はあからさまにがっかりして、肩を落とした。
思わぬ暇ができたので、せっかくだからと、碧玉は緋丘の町を散策することにした。何しろ、桃領は白領からは遠いので、滅多と来ない。
白蓮も同行したいと言うので、師弟で出かけることになった。といっても、三人ではない。碧玉の従者である灰炎、天祐の侍女である青鈴、下僕の雪瑛はいつも通り伴っている。
客堂から門へ向けて歩きながら、白蓮は穏やかに話す。
「医者殿の弟子は、今日は特別に講堂を見学させてもらえるそうで、大喜びしていましたよ」
「ほう。今日は開校しているのか?」
碧玉の問いに、白蓮は頷く。
「ええ。無作法者がいるかもしれないから気を付けるように、と注意されましたよ」
そういえば昨日もそんなことを言われていたなと、碧玉は思い出した。
「ふむ、そうか」
「……銀嶺殿? なぜ講堂のほうへ向かうのですかな」
「他家の学者がどんなものか、遠目に見物しようかと思ってな。近づかぬから、構わぬだろう」
「そうですね。私も興味があります、見るなとは言われておりませんから、遠くから見てみましょう」
碧玉と白蓮は意見を一致させ、講堂へ向かう。慌てたのは天祐だ。
「ちょっと崔師父、銀嶺。桃家の方がわざわざ注意したのに近づくのですか?」
「天祐、無作法者に絡まれたとして、我らの敵ではない。幽鬼も見えぬ凡人なのだ、やりようはいくらでもある」
「そうですよ、宗主」
碧玉は気に留めてもおらず、崔師父は面白がっている。
「何かあれば私が止めますよ」
灰炎が苦笑して、天祐をなだめた。
「はあ、しかたがないですね」
渋々とついてくる天祐を放っておいて、碧玉と白蓮は講堂の様子が見えるところで立ち止まった。
「戸を開け放って、家を一棟使って講義するようだな。白家の座学と様子はあまり変わらぬな」
「ええ。ですが、医術を書いた掛け軸や薬草の標本を使うというところは、桃家らしいですな」
ちょうど講師が授業の準備をしているところで、生徒はまだ集まっていないようだ。
「おはようございます。桃家のお客人がたですか?」
門から入ってきたばかりの二十代くらいの男子生徒に、碧玉達は話しかけられた。礼儀正しく拱手をされたので、碧玉達も礼を返す。
「ええ、そうですが。生徒にまで話が伝わっているのですか?」
白蓮が問うと、生徒は頷いた。
「そうですよ。桃家は滅多と客堂に人を泊めませんから。しかも宗主様のご親戚がいらっしゃるともなれば、失礼がないようにと、皆に通達が行くものですよ」
それはそうだなと、碧玉は納得した。生徒は碧玉を見て、けげんそうに眉を寄せる。
「おや、顔の半分に仮面をつけておいでとは……。もしやお顔に怪我でもされていらっしゃるのですか?」
生徒が無遠慮に近づこうとしたので、灰炎だけでなく、天祐と白蓮もさっと碧玉の前に出た。
「初対面で指摘することではないでしょう」
天祐が正論を言った。
「私が質問したのは、あなたではありませんが」
生徒が碧玉を見るので、碧玉はかすかに首を傾げる。
「まさか私に聞いたのか? なぜ、私がお前と会話しなくてはいけないのだ。そこの従者と話すがいい」
基本的に、碧玉は下々の者とまで会話しないので、純粋に驚いた。銀嶺としてふるまっていても、灰炎が傍にいるからこれまでもそれで問題がなかったのだ。
「なっ」
生徒は絶句した。碧玉は面倒になって、眉間にしわを刻んで灰炎を見る。
「主君は、頼んでもいないことを押し売りされるのは迷惑だとおっしゃっておりますよ」
長年の従者は、碧玉の心を上手に代弁した。それに続いて、白蓮もわざとらしく「おや」と声を上げる。
「あなたの顔に、不運の気が出ておりますね。北の方角は大凶なようです」
「急に何を言い出すんです?」
生徒は顔を引きつらせた。白蓮はひょうひょうと答える。
「顔相を読んだだけですね。それくらいできますよ、我らは白家の者なので」
「白家……? お客人は黒家の方ではなかったんですか」
「その黒家の若君に依頼されて、護衛で付き添っているのです」
とどめに、天祐があいさつをする。
「ああ、申し遅れました。私は白宗主の白天祐と申します。……ふむ、もしやあなたは女難に遭われたのでは?」
「え?」
「肩に赤子の幽鬼がついていますよ」
「ひっ。うわあああ! し、失礼しました。私は今日は帰宅いたします!」
生徒は青ざめて悲鳴を上げると、南のほうにある門へ向けて走り出した。それを白けた目で見送り、碧玉は首を横に振る。
「なんなのだ、そなたら。そろいもそろって三文芝居をするとは」
べっと舌を出している天祐を見れば、馬鹿らしい悪戯だと分かる。白蓮はにこにこと油断ならない笑みを浮かべている。
「あの方は南の方角から、この北の講堂においでになりました。銀嶺殿に気安く話しかけたのですから、北は大凶になるのが当然です」
「何が当然なんだ?」
そもそも碧玉はあの生徒の相手をする気などなかったのに、白蓮はおおげさなことを言って追い払うことにしたらしい。
「天祐、赤ん坊の幽鬼とはなんだ? そもそもあの門を通り抜けられる幽鬼はいないはずだが」
「あの男の身なりを見て、ぴんと来たのですよ。襟に口紅の痕がついておりました。しかし、服装はよれよれです。妻がいるわけではなさそうだ。ということは、遊んでいる女がいると見たわけです。子ができているかもしれないな……と思って試しに言ってみたら、勝手に怖がって逃げていったんですよ」
天祐は「面白かったでしょう?」と言いたげだ。
「それで灰炎はなぜ止めない?」
「あのような身なりの男です、関わらないのが吉かと」
灰炎は正直に答えた。
そんな彼らを遠巻きに見ていた雪瑛が、青鈴に抱えられた格好でつぶやく。
「うわあ、怖いですぅ」
「そうですね。でも、頼もしくていらっしゃるわ」
碧玉は面倒になって、話を切り上げる。
「……もういい。町ではもう少し大人しくしているように」
こんな調子で、誰も彼も追い払われるほうが厄介だ。
講堂の様子も見られたので、そこで町のほうへと進路を切り替えた。
なぜか何度か無作法者にからまれたものの、天祐達が率先して追い払ったので、碧玉は薬堂の多い界隈の探索を楽しむことができた。
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後日譚② 王弟→王→ケイ視点
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