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―― 第一章 ―― 黒薔薇の刻印
【021】黒揚羽と楓
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桜子が次に目を覚ますと、もう見知った天井の部屋にいた。ここは、四峰家の自分の部屋だ。ふかふかの寝台、寝心地の良い枕。左手に温もりを感じて視線を向けると、己の手を握り、うとうとしている礼人が見えた。
「あ」
桜子が声を出すと、ビクリとしてすぐに礼人が目を覚ました。
「目が覚めた?」
「は、い」
「そう。よかった」
優しい顔で、礼人が笑う。温かい眼差しだ。
「なにか、食べられそう?」
「ん……はい」
「それはよかった。岡崎が江戸由来の卵ふわふわを得意としているんだけど、前々から桜子さんに食べさせたいと話していたんだよ」
どんな料理だろうかと、ぼんやりと考える。そうしながら起き上がると、両手でより強く、礼人が桜子の左手を握った。
「助けられて良かった」
「礼人様」
「きみが、俺に助けてと言ってくれて嬉しかった」
「……はい」
「これからも、生涯俺は、きみを助けるよ。きみが困っていたらね」
「私も同じ気持ちです」
そう桜子が言うと、小さく二度、礼人が頷いた。
視線を合わせる。そしてどちらともなく破顔した。
それから部屋を出て、食堂へと向かう。出てきた卵ふわふわに目を丸くしてから、桜子は味わった。美味しい。
「だいぶ顔色は良くなったけど、気分はどう?」
「もう平気です」
「そう。歩けそう?」
「はい」
「じゃあ、少し庭を散策しようか」
そんなやりとりをして朝食を終えてから、二人で外へと出る。すると礼人が桜子の手を握った。
「その……転ばないように」
「ありがとうございます」
こうして手を繋いで庭に出ると、紅葉が朱く色づき、銀杏が黄色真っ盛りで、それらが池の上に浮かんでいた。ほぉっと見惚れて息を吐き、桜子は瞬きをする。
「綺麗ですね」
見合いのときとは違い、純粋に綺麗だと思った。それだけ、緊張が解れている。隣にいると。
「そうだねぇ」
頷いた礼人が、果実がすでに落ちた無花果を見る。視線で追いかけた桜子は、そこにとまる黒揚羽を見た。この季節にいないとは言わないが、夏くらいが多い蝶々だ。不思議に思って首を傾げる。
「今年の秋は暑いというわけでもないのに、珍しいですね」
「――そうだね。異常気象の象徴、とも言えるかな」
「え?」
「ううん。桜子さんは、虫は好き?」
「……嫌いです」
「俺も嫌いだけど、理由は?」
「私は……すぐに死んでしまうから」
「そう。俺は単純に気持ちが悪くて」
礼人が苦笑した。少しずつ、礼人は感情豊かになっていく気がする。
そんな変化が桜子は嬉しい。俯いて、握られた手に、自分もまた力を込めてみる。
――言っても良いのだろうか。お慕いしています、と。迷惑になるだろうか。考える。
「桜子さん?」
「はい」
「髪に葉っぱがついたよ」
「あ」
「今取るから動かないでもらえる?」
屈んだ礼人が、桜子の髪に触れる。そうして少しすると、赤い楓が礼人の手にあった。
「楓の髪飾りも似合うけれどね」
楽しげに柔らかく笑った礼人に、今はもう少し、この恋心を秘めていても、許されるかもしれないと、桜子は思う。機会が無くなってしまう恐怖は知ったけれど、でも、今は平和が許された。だから、もう少し。
「礼人様にも楓は似合いそうです。今度、ハンケチに刺繍をしてもよいですか?」
「刺繍が出来るの?」
「女学院で習いました」
「そう。期待してる」
穏やかな笑顔を向け合い、その日はそうして、穏やかな時間を過ごしたのだった。
「あ」
桜子が声を出すと、ビクリとしてすぐに礼人が目を覚ました。
「目が覚めた?」
「は、い」
「そう。よかった」
優しい顔で、礼人が笑う。温かい眼差しだ。
「なにか、食べられそう?」
「ん……はい」
「それはよかった。岡崎が江戸由来の卵ふわふわを得意としているんだけど、前々から桜子さんに食べさせたいと話していたんだよ」
どんな料理だろうかと、ぼんやりと考える。そうしながら起き上がると、両手でより強く、礼人が桜子の左手を握った。
「助けられて良かった」
「礼人様」
「きみが、俺に助けてと言ってくれて嬉しかった」
「……はい」
「これからも、生涯俺は、きみを助けるよ。きみが困っていたらね」
「私も同じ気持ちです」
そう桜子が言うと、小さく二度、礼人が頷いた。
視線を合わせる。そしてどちらともなく破顔した。
それから部屋を出て、食堂へと向かう。出てきた卵ふわふわに目を丸くしてから、桜子は味わった。美味しい。
「だいぶ顔色は良くなったけど、気分はどう?」
「もう平気です」
「そう。歩けそう?」
「はい」
「じゃあ、少し庭を散策しようか」
そんなやりとりをして朝食を終えてから、二人で外へと出る。すると礼人が桜子の手を握った。
「その……転ばないように」
「ありがとうございます」
こうして手を繋いで庭に出ると、紅葉が朱く色づき、銀杏が黄色真っ盛りで、それらが池の上に浮かんでいた。ほぉっと見惚れて息を吐き、桜子は瞬きをする。
「綺麗ですね」
見合いのときとは違い、純粋に綺麗だと思った。それだけ、緊張が解れている。隣にいると。
「そうだねぇ」
頷いた礼人が、果実がすでに落ちた無花果を見る。視線で追いかけた桜子は、そこにとまる黒揚羽を見た。この季節にいないとは言わないが、夏くらいが多い蝶々だ。不思議に思って首を傾げる。
「今年の秋は暑いというわけでもないのに、珍しいですね」
「――そうだね。異常気象の象徴、とも言えるかな」
「え?」
「ううん。桜子さんは、虫は好き?」
「……嫌いです」
「俺も嫌いだけど、理由は?」
「私は……すぐに死んでしまうから」
「そう。俺は単純に気持ちが悪くて」
礼人が苦笑した。少しずつ、礼人は感情豊かになっていく気がする。
そんな変化が桜子は嬉しい。俯いて、握られた手に、自分もまた力を込めてみる。
――言っても良いのだろうか。お慕いしています、と。迷惑になるだろうか。考える。
「桜子さん?」
「はい」
「髪に葉っぱがついたよ」
「あ」
「今取るから動かないでもらえる?」
屈んだ礼人が、桜子の髪に触れる。そうして少しすると、赤い楓が礼人の手にあった。
「楓の髪飾りも似合うけれどね」
楽しげに柔らかく笑った礼人に、今はもう少し、この恋心を秘めていても、許されるかもしれないと、桜子は思う。機会が無くなってしまう恐怖は知ったけれど、でも、今は平和が許された。だから、もう少し。
「礼人様にも楓は似合いそうです。今度、ハンケチに刺繍をしてもよいですか?」
「刺繍が出来るの?」
「女学院で習いました」
「そう。期待してる」
穏やかな笑顔を向け合い、その日はそうして、穏やかな時間を過ごしたのだった。
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