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―― 第三章 ―― 祝言と聖夜
【038】祝言と礼人の祖父
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祝言の日の朝は、よく晴れていた。寒い朝で、庭の桶には薄氷が張っていたけれど、日中にはそれも溶けるだろうと皆が分かるほどの陽光だ。
粛々と祝言は執り行われ、仲人の須崎堂夫妻の采配のもと、白無垢姿の桜子と黒紋付姿の礼人は祝言を行う。ホテルでの披露宴では軍服だが、本日は和装だ。今回は儀式的な内々のものでもあるので、招待客は祓魔七環の関係者、桜子の知る者は見合いの席で一条大佐には会ったことがあるが、言葉を交わしたことがあるという意味では舞子だけだった。あとは個人的に礼人が夜市を招いている。何名かはあやかし関連家の者もいる。
桜子はチラリと礼人の祖父を見た。彼は時間ギリギリに訪れたため、まだきちんとは挨拶をしていない。祝言が始まってしまったからだ。酒盃には、桜子の方には水が入っている。
まだ電報はそう普及しているわけではないが、環央家からは電報が届いた。
事情もあるが花嫁行列は行わず、祭壇はあるが完全な神前式というわけでもない。
一通りの儀を終えてから、桜子と礼人は屏風の前に座った。
ずらりと招待客達も歓待の部屋で座し、膳を前にする。静かに穏やかに進んだ祝言の席で、桜子はほぉっと息をつき、盃を傾けた。祝言には様々なやり方があるというが、初めての桜子にはあまり現実感が無かった。
こうして無事に半日ほどかけてその時を終えると、あとは酒の席となることも多いと礼人に聞いていたが、今回は後日披露宴があるため、それはなしとなった。
終幕し、一人また一人と退席する。
桜子は礼人と共に、寝所へ向かう招待客達を見送った。その際、目が合うと舞子が凜とした目元を細めて笑い、唇を動かした。おめでとう、と、声を出さずにそう言った。嬉しくなって、小さく桜子は頷いた。
その後着替えて、戻るようにと言われた通りにすると、こちらも着替えてきた礼人が、まじまじと桜子を見て、両頬を持ち上げた。
「綺麗でしたよ」
「っ」
「――あ、ええと、祖父を改めて紹介しようと思ったんだ」
「は、はい!」
綺麗に笑って言った癖に、すぐに照れた礼人に、桜子まで真っ赤になってしまったので、大きく返事をして誤魔化す。二人で並んで奥にある客間に行くと、そこでは上座であぐらをかいている灰色の髪をした男性が、手酌で日本酒を飲んでいた。
「お祖父さま」
「! おう、おう、礼人か。それに、桜子さんだね? 今日は、二人ともにおめでとうございます。礼人の祖父の孝人と言います」
猪口を置いて立ち上がった孝人が、ビシリと腰を折った。
慌てて桜子も腰を折る。
そしてほぼ同時に顔を上げると、目があった。するとにこりと笑った孝人は、面立ちが礼人によく似ていた。特に目の形が似ている。
「さぁさぁ二人とも座るといい」
「お祖父さま、今日は疲れているからご紹介程度で」
「礼人、そう言うでないよ。桜子さんはこれから家族となったのだから、たまの祖父の帰還には、きちんと新しい家族の淑女を、当主として紹介するくらいの気概を見せなさい」
孝人は礼人にそう言うと、座りなおして、二人にも座るように手で促した。
「桜子さんは、婚約が決まっても女学院に通うと決意していたそうだね」
「……は、はい」
「勉学が好きなのかね?」
正直なところ、女学院という空間が好きなだけだった。そう……逃避する場所として。
だから口ごもったが、孝人に気にした素振りはない。
「大いに結構。婚姻後も、勉学を続けたいのなら、今は女子の大学もある」
「っ」
話には聞いたことがある。黒椿女学院からも、職業婦人になることを希望する奨学生などは進学することがあるからだ。
「さらには、女子の洋行とてなされている、いやぁ、素晴らしい。儂はね、もう女性が男性を立て、その後に従い、家の中にいるなんて生活は古いと思っているのだよ。もし洋行がしたくなって、礼人が難色を示したならば、私についてこいと言ってしまって良いのだから、困ったら儂を頼りなさい。なぁに、海外にはちょっとした伝手がある」
にこにこと孝人はそう言うと、空いていた猪口を礼人の前に置く。
桜子の前には湯飲みを置いた。礼人は徳利に手を伸ばすと、孝人に向ける。そばにいた女中が、桜子の湯飲みにお茶を注いだ。
「お祖父さま、酔っていますよね」
「礼人。桜子さんが行ってしまうのが怖くなったか? 帝国男児たるものどんと構えて、待つくらいの気概を見せなさい」
二人のやりとりに目を白黒させながら、桜子は瞬きをする。
今まで、考えてみたこともない進路だった。自分にそのような選択肢があるとは思っていなかった。ただ。
「……私は、礼人さんのおそばにいたいです」
非常に小さな声でそう言うと、日本酒を注ぎ合っていた二人が桜子を見てから、顔を見合わせた。そして実に嬉しそうに礼人は破顔し、孝人は興味深そうな目をして笑う。
「勉学のよいところは、どこにいても出来ることでもある。そこに学ぶべき教本があるかぎり。桜子さん、四峰の今の本宅の二階の書庫は見たかね?」
「え? 書庫?」
「礼人。きちんと家の中は紹介したのか?」
「してないですね」
「するように。そこに私が学んだ様々な和書・洋書、色々なものがある。桜子さんも、気が向いたら見てくれたら嬉しいよ」
そんなやりとりをしていると、襖の方から声がかかった。
「孝人様、宜しいですか?」
舞子の声だった。
「おお、六角のお嬢ちゃんか。いいや、失礼。舞子嬢。入りたまえ」
「失礼します。ほら、夜市。あなたもくるのよ」
「で、ですが俺は」
「なんだ、夜市くんもきたのかい。顔をこの爺にみせておくれ」
孝人の言葉に、舞子が襖を開けて、正座から立ち上がり、夜市を連れて入ってくる。
舞子は桜子の隣に座ると、はにかむように笑って、桜子の両手を持ち上げた。
「おめでとうございます、本当に」
「ありがとうございます、舞子さん」
「綺麗だったわ」
友人からのお祝いの声に、じんと桜子の胸が熱くなる。所在なさげに入ってきた夜市は、孝人に促されて、強ばった顔で礼人の隣に座った。
「ご無沙汰しております、四峰元帥」
「今は、予備役だ。元気だったかね? 夜市くん」
「は、はい」
頷いてから、夜市は礼人を見た。礼人が視線を返す。
「なに? 夜市」
「あ……いや、羨ましいと思ってな」
「なにが?」
「幸せそうで」
「きみは幸せではないという不幸自慢?」
「ち、違う! そ、その友として、礼人の門出を祝っている」
そんなやりとりをし、そこからは五人で歓談した。
粛々と祝言は執り行われ、仲人の須崎堂夫妻の采配のもと、白無垢姿の桜子と黒紋付姿の礼人は祝言を行う。ホテルでの披露宴では軍服だが、本日は和装だ。今回は儀式的な内々のものでもあるので、招待客は祓魔七環の関係者、桜子の知る者は見合いの席で一条大佐には会ったことがあるが、言葉を交わしたことがあるという意味では舞子だけだった。あとは個人的に礼人が夜市を招いている。何名かはあやかし関連家の者もいる。
桜子はチラリと礼人の祖父を見た。彼は時間ギリギリに訪れたため、まだきちんとは挨拶をしていない。祝言が始まってしまったからだ。酒盃には、桜子の方には水が入っている。
まだ電報はそう普及しているわけではないが、環央家からは電報が届いた。
事情もあるが花嫁行列は行わず、祭壇はあるが完全な神前式というわけでもない。
一通りの儀を終えてから、桜子と礼人は屏風の前に座った。
ずらりと招待客達も歓待の部屋で座し、膳を前にする。静かに穏やかに進んだ祝言の席で、桜子はほぉっと息をつき、盃を傾けた。祝言には様々なやり方があるというが、初めての桜子にはあまり現実感が無かった。
こうして無事に半日ほどかけてその時を終えると、あとは酒の席となることも多いと礼人に聞いていたが、今回は後日披露宴があるため、それはなしとなった。
終幕し、一人また一人と退席する。
桜子は礼人と共に、寝所へ向かう招待客達を見送った。その際、目が合うと舞子が凜とした目元を細めて笑い、唇を動かした。おめでとう、と、声を出さずにそう言った。嬉しくなって、小さく桜子は頷いた。
その後着替えて、戻るようにと言われた通りにすると、こちらも着替えてきた礼人が、まじまじと桜子を見て、両頬を持ち上げた。
「綺麗でしたよ」
「っ」
「――あ、ええと、祖父を改めて紹介しようと思ったんだ」
「は、はい!」
綺麗に笑って言った癖に、すぐに照れた礼人に、桜子まで真っ赤になってしまったので、大きく返事をして誤魔化す。二人で並んで奥にある客間に行くと、そこでは上座であぐらをかいている灰色の髪をした男性が、手酌で日本酒を飲んでいた。
「お祖父さま」
「! おう、おう、礼人か。それに、桜子さんだね? 今日は、二人ともにおめでとうございます。礼人の祖父の孝人と言います」
猪口を置いて立ち上がった孝人が、ビシリと腰を折った。
慌てて桜子も腰を折る。
そしてほぼ同時に顔を上げると、目があった。するとにこりと笑った孝人は、面立ちが礼人によく似ていた。特に目の形が似ている。
「さぁさぁ二人とも座るといい」
「お祖父さま、今日は疲れているからご紹介程度で」
「礼人、そう言うでないよ。桜子さんはこれから家族となったのだから、たまの祖父の帰還には、きちんと新しい家族の淑女を、当主として紹介するくらいの気概を見せなさい」
孝人は礼人にそう言うと、座りなおして、二人にも座るように手で促した。
「桜子さんは、婚約が決まっても女学院に通うと決意していたそうだね」
「……は、はい」
「勉学が好きなのかね?」
正直なところ、女学院という空間が好きなだけだった。そう……逃避する場所として。
だから口ごもったが、孝人に気にした素振りはない。
「大いに結構。婚姻後も、勉学を続けたいのなら、今は女子の大学もある」
「っ」
話には聞いたことがある。黒椿女学院からも、職業婦人になることを希望する奨学生などは進学することがあるからだ。
「さらには、女子の洋行とてなされている、いやぁ、素晴らしい。儂はね、もう女性が男性を立て、その後に従い、家の中にいるなんて生活は古いと思っているのだよ。もし洋行がしたくなって、礼人が難色を示したならば、私についてこいと言ってしまって良いのだから、困ったら儂を頼りなさい。なぁに、海外にはちょっとした伝手がある」
にこにこと孝人はそう言うと、空いていた猪口を礼人の前に置く。
桜子の前には湯飲みを置いた。礼人は徳利に手を伸ばすと、孝人に向ける。そばにいた女中が、桜子の湯飲みにお茶を注いだ。
「お祖父さま、酔っていますよね」
「礼人。桜子さんが行ってしまうのが怖くなったか? 帝国男児たるものどんと構えて、待つくらいの気概を見せなさい」
二人のやりとりに目を白黒させながら、桜子は瞬きをする。
今まで、考えてみたこともない進路だった。自分にそのような選択肢があるとは思っていなかった。ただ。
「……私は、礼人さんのおそばにいたいです」
非常に小さな声でそう言うと、日本酒を注ぎ合っていた二人が桜子を見てから、顔を見合わせた。そして実に嬉しそうに礼人は破顔し、孝人は興味深そうな目をして笑う。
「勉学のよいところは、どこにいても出来ることでもある。そこに学ぶべき教本があるかぎり。桜子さん、四峰の今の本宅の二階の書庫は見たかね?」
「え? 書庫?」
「礼人。きちんと家の中は紹介したのか?」
「してないですね」
「するように。そこに私が学んだ様々な和書・洋書、色々なものがある。桜子さんも、気が向いたら見てくれたら嬉しいよ」
そんなやりとりをしていると、襖の方から声がかかった。
「孝人様、宜しいですか?」
舞子の声だった。
「おお、六角のお嬢ちゃんか。いいや、失礼。舞子嬢。入りたまえ」
「失礼します。ほら、夜市。あなたもくるのよ」
「で、ですが俺は」
「なんだ、夜市くんもきたのかい。顔をこの爺にみせておくれ」
孝人の言葉に、舞子が襖を開けて、正座から立ち上がり、夜市を連れて入ってくる。
舞子は桜子の隣に座ると、はにかむように笑って、桜子の両手を持ち上げた。
「おめでとうございます、本当に」
「ありがとうございます、舞子さん」
「綺麗だったわ」
友人からのお祝いの声に、じんと桜子の胸が熱くなる。所在なさげに入ってきた夜市は、孝人に促されて、強ばった顔で礼人の隣に座った。
「ご無沙汰しております、四峰元帥」
「今は、予備役だ。元気だったかね? 夜市くん」
「は、はい」
頷いてから、夜市は礼人を見た。礼人が視線を返す。
「なに? 夜市」
「あ……いや、羨ましいと思ってな」
「なにが?」
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