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―― 第三章 ―― 祝言と聖夜
【039】献血の依頼
祝言の翌々日、四峰邸に一条大佐夫妻と二葉中佐が挨拶に来ると連絡があった。
その式神の報せを読んだ礼人が来訪時間を告げると、朝食のレタスのサラダを食べていた桜子は小さく頷いた。しばらくは来客も増えるだろうというのは、事前に聞いていたからだ。
挨拶に三人が訪れたのは、午前十時のことだった。
ひげを生やしている一条大佐、その隣に座った奥方の鞠子。鞠子が礼人の伯母だというのは祝言でも紹介を受けていたが、ほとんどまだ話していない。一条大佐の角を挟んで隣の一人がけの椅子に、二葉中佐が座っている。二葉中佐は非常に柔和な面持ちなのだが、糸のような目をしていて、左頬に傷跡があった。
「おめでとうございます、これからは家族ね」
切り出したのは鞠子だった。明るい鞠子を見ていると、それまで緊張していた桜子は、会話が生まれたことに少しだけ力が抜けた。鞠子は高く髪を結い、黒地に赤い牡丹と金色の蝶の和装だ。肉厚の唇をしていて長身で、少し吊った目が猫のように見える。
「よろしくお願いします、桜子さん」
「よろしくお願い致します、鞠子様」
「よかったら、鞠子伯母様と呼んで。お姉様でもいいけれどね、もう私もそんな歳ではないから自重するわ。それに、姪っ子に憧れていたのよ。礼人ってば、可愛げを落としてきたような子どもだったから。お祖父様の影響かしら。おかしいわね、私の弟である先代の四峰伯爵は、比較的常識人だったのだけれど。礼人は頑固なのよね、頑固」
桜子とは違う礼人の表情を知っている様子で、羨ましくなる。桜子が目を丸くして聞いていると、礼人が咳払いした。
「ですが、伯母様はともかく一条大佐と二葉中佐が、いの一番にお祝いに駆けつけてくれるとは思いませんでした。なにかご用件が?」
礼人がそう言うと、それまで笑顔だった一条大佐の顔が引きつった。
一方の二葉中佐は笑顔のままだ。作り笑いが顔に張り付いているような表情だ。微塵も変化が無い。
「献血して欲しいんですよ」
単刀直入に二葉中佐が言った。
「献血?」
礼人が目を眇める。
「浄癒の力は非常に貴重です。それのもととなる血の研究は、軍にとって、あやかし討伐にとって有益です」
それを聞いて、桜子は体を硬くした。
頭の中で、兄や父に散々血を抜かれたことを思い出す。だが、礼人の力になれるのならばと考えてしまう。
「それに採血して、あまった血で吸血珠を再現できないか検討できます。もし実現すれば、こちらの力が増す。桜子さん、これは皆のためになる、大切なお役目です」
にこやかな声で、二葉中佐がいう。
桜子は混乱した。感情的には怖いから嫌だった。だが、礼人の力になりたい。
「お断りします」
だが、はっきりと隣で礼人が言った。
驚いて桜子が顔を向けると、強く肩を抱き寄せられる。その温もりに息を呑む。
「元々そんなものがなくとも俺たちは戦ってきました。確かに希少な力だとしても、桜子は民間人です。たとえ四峰の者になったとしても、軍人ではない。軍属ではない。戦う者ではなく、俺たちが守るべき存在です。第一、研究? そんなことは、黒薔薇修道会の連中とやっていることが何ら変わらない。桜子がなんと言おうと認められません。お帰り願います」
強い口調で、二葉中佐を睨むようにして礼人が言う。平坦な声ではあったが、冷気が漏れ出すような冷たさがあった。桜子は、礼人に守られたのだと分かる。心が震える。
だが本当は、礼人に守られているだけではだめだ。これは、自分が拒否するべきことのはずだ。そう意を決して、震える声で桜子は言った。
「申し訳ありません……お力には……なれ……ま……せん……」
その場の空気自体が恐ろしくて、つっかえながらではあったが、必死に桜子がそう告げた。すると礼人がより強く桜子の肩を抱き寄せた。
すると二葉中佐が沈黙し、一条大佐はやってしまったというような顔で目を閉じ――鞠子だけが明るく笑った。
「ほら、言ったじゃない。私の甥っ子が、よ? 大切な花嫁を差し出すわけがないでしょう。四峰の人間は、大切な者を守るのよ。それが矜持。おわかりになって?」
「――そうだな。そうだった。お前の甥だものな。そして、俺の」
「あなた。あなたは言いたくないことを二葉中佐に言わせる癖をどうにかなさったら?」
ぴしゃりと鞠子が言う。一条大佐が咽せた。
二葉中佐はそのやりとりを聞くと肩を竦める。
「軍上層部の決定は、一応伝えないとなりませんからね。さて、お暇しますか。そして私からも一つ。ご結婚、おめでとうございます」
こうして三名は帰って行った。
礼人は見送りにも立たなかった。
その式神の報せを読んだ礼人が来訪時間を告げると、朝食のレタスのサラダを食べていた桜子は小さく頷いた。しばらくは来客も増えるだろうというのは、事前に聞いていたからだ。
挨拶に三人が訪れたのは、午前十時のことだった。
ひげを生やしている一条大佐、その隣に座った奥方の鞠子。鞠子が礼人の伯母だというのは祝言でも紹介を受けていたが、ほとんどまだ話していない。一条大佐の角を挟んで隣の一人がけの椅子に、二葉中佐が座っている。二葉中佐は非常に柔和な面持ちなのだが、糸のような目をしていて、左頬に傷跡があった。
「おめでとうございます、これからは家族ね」
切り出したのは鞠子だった。明るい鞠子を見ていると、それまで緊張していた桜子は、会話が生まれたことに少しだけ力が抜けた。鞠子は高く髪を結い、黒地に赤い牡丹と金色の蝶の和装だ。肉厚の唇をしていて長身で、少し吊った目が猫のように見える。
「よろしくお願いします、桜子さん」
「よろしくお願い致します、鞠子様」
「よかったら、鞠子伯母様と呼んで。お姉様でもいいけれどね、もう私もそんな歳ではないから自重するわ。それに、姪っ子に憧れていたのよ。礼人ってば、可愛げを落としてきたような子どもだったから。お祖父様の影響かしら。おかしいわね、私の弟である先代の四峰伯爵は、比較的常識人だったのだけれど。礼人は頑固なのよね、頑固」
桜子とは違う礼人の表情を知っている様子で、羨ましくなる。桜子が目を丸くして聞いていると、礼人が咳払いした。
「ですが、伯母様はともかく一条大佐と二葉中佐が、いの一番にお祝いに駆けつけてくれるとは思いませんでした。なにかご用件が?」
礼人がそう言うと、それまで笑顔だった一条大佐の顔が引きつった。
一方の二葉中佐は笑顔のままだ。作り笑いが顔に張り付いているような表情だ。微塵も変化が無い。
「献血して欲しいんですよ」
単刀直入に二葉中佐が言った。
「献血?」
礼人が目を眇める。
「浄癒の力は非常に貴重です。それのもととなる血の研究は、軍にとって、あやかし討伐にとって有益です」
それを聞いて、桜子は体を硬くした。
頭の中で、兄や父に散々血を抜かれたことを思い出す。だが、礼人の力になれるのならばと考えてしまう。
「それに採血して、あまった血で吸血珠を再現できないか検討できます。もし実現すれば、こちらの力が増す。桜子さん、これは皆のためになる、大切なお役目です」
にこやかな声で、二葉中佐がいう。
桜子は混乱した。感情的には怖いから嫌だった。だが、礼人の力になりたい。
「お断りします」
だが、はっきりと隣で礼人が言った。
驚いて桜子が顔を向けると、強く肩を抱き寄せられる。その温もりに息を呑む。
「元々そんなものがなくとも俺たちは戦ってきました。確かに希少な力だとしても、桜子は民間人です。たとえ四峰の者になったとしても、軍人ではない。軍属ではない。戦う者ではなく、俺たちが守るべき存在です。第一、研究? そんなことは、黒薔薇修道会の連中とやっていることが何ら変わらない。桜子がなんと言おうと認められません。お帰り願います」
強い口調で、二葉中佐を睨むようにして礼人が言う。平坦な声ではあったが、冷気が漏れ出すような冷たさがあった。桜子は、礼人に守られたのだと分かる。心が震える。
だが本当は、礼人に守られているだけではだめだ。これは、自分が拒否するべきことのはずだ。そう意を決して、震える声で桜子は言った。
「申し訳ありません……お力には……なれ……ま……せん……」
その場の空気自体が恐ろしくて、つっかえながらではあったが、必死に桜子がそう告げた。すると礼人がより強く桜子の肩を抱き寄せた。
すると二葉中佐が沈黙し、一条大佐はやってしまったというような顔で目を閉じ――鞠子だけが明るく笑った。
「ほら、言ったじゃない。私の甥っ子が、よ? 大切な花嫁を差し出すわけがないでしょう。四峰の人間は、大切な者を守るのよ。それが矜持。おわかりになって?」
「――そうだな。そうだった。お前の甥だものな。そして、俺の」
「あなた。あなたは言いたくないことを二葉中佐に言わせる癖をどうにかなさったら?」
ぴしゃりと鞠子が言う。一条大佐が咽せた。
二葉中佐はそのやりとりを聞くと肩を竦める。
「軍上層部の決定は、一応伝えないとなりませんからね。さて、お暇しますか。そして私からも一つ。ご結婚、おめでとうございます」
こうして三名は帰って行った。
礼人は見送りにも立たなかった。
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