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アウトゥーラ編
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アウトゥーラはジュラール公爵家に引き取られ、養女として静かに暮らしている。
元々、母付きの侍女や使用人らは公爵邸に一緒に付いてきてくれたので、今までと何ら変わりのない日常を過ごしていた。
ただ一つ変わった事と言えば、公爵家に度々セスタクトが訊ねてくるぐらいで毎日退屈そうに暇を持て余している。
アウトゥーラは、早くからウィスラー侯爵家の跡取りとして執務を任されていた為、忙しく休む暇もなかった。こんな風にのんびりとお茶を楽しむ暇もないくらい…。
今は十分に時間だけはあった。
毎日中庭を散歩したり、部屋で刺繍などをしていても何か物足りない。
夕暮れ時の全ての色が蜂蜜色に染まる時、何か忘れている様な思い出したいが、思い出すのが怖いという複雑な感情が入り乱れる。
何かを失った消失感と安堵する気持ちに苛まれながら、アウトゥーラは頭を抱えて蹲る時が増えて行った。
アウトゥーラの様子の異変にいち早く気付いたのは、セスタクトで、
「このまま王都にいれば、アウトゥーラの心は壊れてしまうかもしれない」
そう考えて、アウトゥーラの卒業を早めた。
元々優秀だったアウトゥーラは、最終試験に合格してセスタクトに強引にゼネラル侯爵領に連れて行かれた。
侯爵領で静養も兼ねて過ごす内に、アウトゥーラは自分でも出来る事を探し始める。
今までウィスラー侯爵家で学んだ執務経験を生かし、新ゼネラル侯爵となったセスタクトを助ける為に、一緒に領地を回り、領民の話しに耳を傾けた。
その結果、アウトゥーラの斬新なアイデアで領地はますます発展していったのだ。
領地で1年ほど過ごした二人は小高い丘の上から広い領地を見下ろしていた。
「アウトゥーラ、素晴らしい眺めだね」
「本当に…。この一年色々な事がありましたから」
「そうだね。もう不安なことはない?」
「記憶の事ですか?」
「そう…最近は頭痛も無くなって顔色も良くなったようだし」
「はい、正直思い出せない事は悲しいけれど今はそれよりも新しい関係をはじめからやり直せることの方が嬉しいのです」
「なら、良かった。アウトゥーラ、これからもわたしと一緒にここをもっと豊かにしてくれますか?生涯、ただ一人の妻として」
「はい、わたしくでよければ」
セスタクトは跪き、アウトゥーラに求婚した。
アウトゥーラは頬を桃色に染めながら、穏やかに幸せそうに笑っている。
セスタクトは、アウトゥーラの柔らかな唇に自分の唇を重ね、抱き締めた。
「必ず幸せにするよ」
「違いますわ。二人で幸せになるのです」
「ああ、そうだね。必ず幸せになろう」
「はい、セスタクト様と一緒ならきっと叶いますわ」
抱き合いながら、二人は見つめ合ってもう一度口付けを交わした。
「ゼネラル侯爵、この度はこの様な素晴らしいシルクを頂きありがとうございます」
「やっとまともなものが出来たから、高位貴族達に贈ったのだ。気に入って貰えれば幸いだよ」
「妻は大変喜んでおります。娘と取り合いになった程ですから」
「貴殿の娘御は、まだ6歳では…?」
「はあ…、幼くても女なのでしょうな。何でも妻の身に付けている物を真似したがる」
「それは、うちも同じです。最近は、妻の口調まで真似て、まるで小さな妻ができたみたいですよ」
「女の子の方が情緒成長が早いそうですから」
「そうですね。ところで、この布はウィスラー侯爵には贈らなかったので…」
「贈ったのですが、どうやら奥方は気に入らなかったようですね」
「愚かなことだ。せっかくの厚意を無下にするとは、これだから平民出身出の…」
「いけませんよ。ここで、そのような事を口に出しては…」
「そ…そうでした。申し訳ありません。私としたことがついうっかり…」
セスタクトは、今日の夜会に備えて高位貴族達に新しい絹糸で織った布を贈った。それは、この国の特産物にする為に着心地などを貴婦人たちの意見を直に聞くためだった。しかし、バーバナは、贈られてきた布の価値が解らず「地味で安っぽい布だわ」そう言ってエディウスが帰宅する前に破いて捨ててしまった。
夜会では、光沢の美しい新しいシルクで作ったドレスを纏って、貴婦人たちがお喋りを楽しんでいる。布を破ってしまったバーバナはその輪の中に入れない。一人、安物のドレスを纏っているバーバナは皆から爪弾きとなってしまった。
「これもお姉様の所為よ!」
バーバナは理不尽な怒りをアウトゥーラに向けた。つかつかとアウトゥーラの前に歩み出るとそのドレスに真っ赤なワインをかけた。
傍にいた貴婦人の一人が悲鳴を上げたが、アウトゥーラの目にはバーバナの姿は映っていなかった。アウトゥーラは自分が粗相してワインを零したのだと認識した。
ところがドレスはシミひとつない元のままの状態だった。これを見た他の貴婦人はバーバナの所業などどうでもよくなり、アウトゥーラのドレスの話を夢中になって聞き始めた。
この時初めて、バーバナはアウトゥーラが記憶を失った事を理解した。いや、もうバーバナという女性はアウトゥーラの中には存在しない事を…。
悲しくなったバーバナは昔の事を思い出していた。
エディウスと笑いあいながらバーバナの嫁ぎ先の事を話していた頃を。
その時は、アウトゥーラへの嫉妬から自分を下級貴族に嫁がせて厄介払いするつもりだと。平民上がりの異母妹には男爵や子爵程度がお似合いだと見下しているのだと思っていた。だが、今考えるとそうではなかった。アウトゥーラは愛人の子供のバーバナにも優しく親切だった。エディウスとのお茶会にバーバナが無理を言って乱入しても困った顔をされたが、睨み付けられた事はなかった。あれは礼儀をわきまえない異母妹にどう注意すればいいのか迷っていたからに違いない。
バーバナは後悔した。エディウスと結婚しても幸せだと感じたことはなかった。母親のバーバラがどんなに贅沢をしても満たされなかった様に、バーバナも同じ気持ちだったのだ。人の物が素晴らしく見えるのは、それを作っている環境にあるのだと初めて知った。あの頃のエディウスが輝いて見えたのは、アウトゥーラの愛を一身に受け努力していたからなのだと。では、今はどうなのだろう。エディウスと結婚した事を羨む者は一人もいない。下級貴族の令嬢だって羨ましがらない。そんな男にしたのは他ならぬバーバナ自身に何の魅力もないからだ。
あの時、アウトゥーラへの妬みから持っているものを全て奪ったが、今のバーバナの手には何も残っていない。エディウスの愛も裕福だと信じていた家も全て夢に過ぎなかった。
憧れていた高位貴族達は皆、冷たい人たちばかりで、権力にスリよって生きている。誰一人として本音をもらすことはない。例えそれが夫婦や親子でも、そんな偽りの仮面で作られた世界に憧れていた愚かな自分に嫌気がさした。だが、バーバナは侯爵家を継いでしまった。もうどうにもできない。あの時アウトゥーラの薦める縁談を黙って受けていたら、今ここにバーバナはいない。しかし、今よりもずっと幸せな日々を送っていたのではないか。そんな事が頭に浮かんでくる。
バーバナの遅い後悔はエディウスにも分かっている。だが、どうにもならない。あの夏祭りの日に自分たちは取り返しのつかない過ちを犯したのだから…。
誰にも気付かれずにエディウスとバーバナは会場から姿を消した。その後、ウィスラー侯爵家は爵位を返上し、平民となって何処かで静かに暮らしている。
アウトゥーラは、生涯思い出さなかった。
かつての婚約者のことも異母妹や父親、継母のことも……。
アウトゥーラが流した涙は、また別の人の為の「忘却の滴」となって保管されている。
数年後、新たな使用者が現れた。
彼女の名は──。
セレンティア・マルグレン侯爵令嬢。
彼女が払った代償とは……。
元々、母付きの侍女や使用人らは公爵邸に一緒に付いてきてくれたので、今までと何ら変わりのない日常を過ごしていた。
ただ一つ変わった事と言えば、公爵家に度々セスタクトが訊ねてくるぐらいで毎日退屈そうに暇を持て余している。
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夕暮れ時の全ての色が蜂蜜色に染まる時、何か忘れている様な思い出したいが、思い出すのが怖いという複雑な感情が入り乱れる。
何かを失った消失感と安堵する気持ちに苛まれながら、アウトゥーラは頭を抱えて蹲る時が増えて行った。
アウトゥーラの様子の異変にいち早く気付いたのは、セスタクトで、
「このまま王都にいれば、アウトゥーラの心は壊れてしまうかもしれない」
そう考えて、アウトゥーラの卒業を早めた。
元々優秀だったアウトゥーラは、最終試験に合格してセスタクトに強引にゼネラル侯爵領に連れて行かれた。
侯爵領で静養も兼ねて過ごす内に、アウトゥーラは自分でも出来る事を探し始める。
今までウィスラー侯爵家で学んだ執務経験を生かし、新ゼネラル侯爵となったセスタクトを助ける為に、一緒に領地を回り、領民の話しに耳を傾けた。
その結果、アウトゥーラの斬新なアイデアで領地はますます発展していったのだ。
領地で1年ほど過ごした二人は小高い丘の上から広い領地を見下ろしていた。
「アウトゥーラ、素晴らしい眺めだね」
「本当に…。この一年色々な事がありましたから」
「そうだね。もう不安なことはない?」
「記憶の事ですか?」
「そう…最近は頭痛も無くなって顔色も良くなったようだし」
「はい、正直思い出せない事は悲しいけれど今はそれよりも新しい関係をはじめからやり直せることの方が嬉しいのです」
「なら、良かった。アウトゥーラ、これからもわたしと一緒にここをもっと豊かにしてくれますか?生涯、ただ一人の妻として」
「はい、わたしくでよければ」
セスタクトは跪き、アウトゥーラに求婚した。
アウトゥーラは頬を桃色に染めながら、穏やかに幸せそうに笑っている。
セスタクトは、アウトゥーラの柔らかな唇に自分の唇を重ね、抱き締めた。
「必ず幸せにするよ」
「違いますわ。二人で幸せになるのです」
「ああ、そうだね。必ず幸せになろう」
「はい、セスタクト様と一緒ならきっと叶いますわ」
抱き合いながら、二人は見つめ合ってもう一度口付けを交わした。
「ゼネラル侯爵、この度はこの様な素晴らしいシルクを頂きありがとうございます」
「やっとまともなものが出来たから、高位貴族達に贈ったのだ。気に入って貰えれば幸いだよ」
「妻は大変喜んでおります。娘と取り合いになった程ですから」
「貴殿の娘御は、まだ6歳では…?」
「はあ…、幼くても女なのでしょうな。何でも妻の身に付けている物を真似したがる」
「それは、うちも同じです。最近は、妻の口調まで真似て、まるで小さな妻ができたみたいですよ」
「女の子の方が情緒成長が早いそうですから」
「そうですね。ところで、この布はウィスラー侯爵には贈らなかったので…」
「贈ったのですが、どうやら奥方は気に入らなかったようですね」
「愚かなことだ。せっかくの厚意を無下にするとは、これだから平民出身出の…」
「いけませんよ。ここで、そのような事を口に出しては…」
「そ…そうでした。申し訳ありません。私としたことがついうっかり…」
セスタクトは、今日の夜会に備えて高位貴族達に新しい絹糸で織った布を贈った。それは、この国の特産物にする為に着心地などを貴婦人たちの意見を直に聞くためだった。しかし、バーバナは、贈られてきた布の価値が解らず「地味で安っぽい布だわ」そう言ってエディウスが帰宅する前に破いて捨ててしまった。
夜会では、光沢の美しい新しいシルクで作ったドレスを纏って、貴婦人たちがお喋りを楽しんでいる。布を破ってしまったバーバナはその輪の中に入れない。一人、安物のドレスを纏っているバーバナは皆から爪弾きとなってしまった。
「これもお姉様の所為よ!」
バーバナは理不尽な怒りをアウトゥーラに向けた。つかつかとアウトゥーラの前に歩み出るとそのドレスに真っ赤なワインをかけた。
傍にいた貴婦人の一人が悲鳴を上げたが、アウトゥーラの目にはバーバナの姿は映っていなかった。アウトゥーラは自分が粗相してワインを零したのだと認識した。
ところがドレスはシミひとつない元のままの状態だった。これを見た他の貴婦人はバーバナの所業などどうでもよくなり、アウトゥーラのドレスの話を夢中になって聞き始めた。
この時初めて、バーバナはアウトゥーラが記憶を失った事を理解した。いや、もうバーバナという女性はアウトゥーラの中には存在しない事を…。
悲しくなったバーバナは昔の事を思い出していた。
エディウスと笑いあいながらバーバナの嫁ぎ先の事を話していた頃を。
その時は、アウトゥーラへの嫉妬から自分を下級貴族に嫁がせて厄介払いするつもりだと。平民上がりの異母妹には男爵や子爵程度がお似合いだと見下しているのだと思っていた。だが、今考えるとそうではなかった。アウトゥーラは愛人の子供のバーバナにも優しく親切だった。エディウスとのお茶会にバーバナが無理を言って乱入しても困った顔をされたが、睨み付けられた事はなかった。あれは礼儀をわきまえない異母妹にどう注意すればいいのか迷っていたからに違いない。
バーバナは後悔した。エディウスと結婚しても幸せだと感じたことはなかった。母親のバーバラがどんなに贅沢をしても満たされなかった様に、バーバナも同じ気持ちだったのだ。人の物が素晴らしく見えるのは、それを作っている環境にあるのだと初めて知った。あの頃のエディウスが輝いて見えたのは、アウトゥーラの愛を一身に受け努力していたからなのだと。では、今はどうなのだろう。エディウスと結婚した事を羨む者は一人もいない。下級貴族の令嬢だって羨ましがらない。そんな男にしたのは他ならぬバーバナ自身に何の魅力もないからだ。
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バーバナの遅い後悔はエディウスにも分かっている。だが、どうにもならない。あの夏祭りの日に自分たちは取り返しのつかない過ちを犯したのだから…。
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