Home, Sweet Home

茜色

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暮らし始める日

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 土曜日の朝。少し早めに起きた私は、洗面と歯磨きを済ませ、髪を整えてから居間を覗いた。
 驚いたことに既に雨戸が開いていて、朝の光が居間の畳に柔らかく射し込んでいる。和室にちらりと眼をやるとこちらも既に窓が開け放たれていて、藤堂さんが使った布団が縁側に広げてあった。

「おはよう、早いな。起こしちゃった?」
 予想外の場所から声をかけられ振り返ると、庭の植え込みにホースで水やりをしている藤堂さんが立っていた。黒いポロシャツに穿き慣れた様子のジーンズを身に着けて、何やら楽しげな表情で庭の植物や木々に水をあげてくれている。
「お、おはようございます。あの、すみません、水やりなんて・・・!ごめんなさい、私やりますから」
「勝手にごめんな。いや、眼が覚めたらあんまり天気がいいから水やりしたら気持ちいいだろうなーって思ってさ。庄野が起きるの待ちきれなくて、やっちゃった」
 そう言って笑う顔はやんちゃな小学生のようだ。最初は申し訳ないと思ったけれど、どうやら藤堂さんは本気で水やり作業を楽しんでいるようなので、このままお願いすることにした。

「庄野が干してくれた服も、だいぶ臭いが取れてるよ。でもこっちの3着は水も吸ってて、ちょっと厳しいな」
「今日マンションに行くときに、クリーニングに出しましょう。近くに腕のいいクリーニング屋さんがあるんです」
 私は縁側からそう声をかけると、急いで台所に向かった。
 2日間出張で留守にしていたので冷蔵庫にろくなものが残っていないが、有り合わせで朝食を作ることにした。なんとなく、胸の奥が弾んでいるのが自分でも分かる。
 朝起きたら家に藤堂さんがいて、うちの庭に水をやってくれている。しかも彼のために朝ごはんを作る自分。これは夢なんだろうか。たぶんそうかも。でも夢なら覚めないでほしい・・・。


 昨夜タイマーをセットしておいた炊きたてのご飯。豆腐とワカメのお味噌汁に、厚焼き卵。納豆と梅干、残っていた笹かまぼこ。後は刻んだタマネギを散らしてドレッシングをかけたトマト。これで冷蔵庫はほぼ空になった。無理やり体裁を整え、私は居間に置いてある木目のローテーブルに朝食を並べた。
 我が家の居間は畳敷きと板張りの二間続きで結構広い。なので台所に近い畳の部屋に、祖母が長く使っていた木製の丸テーブルを置いて食卓にしている。私がインテリアショップをあちこち回って見つけた鮮やかなシルク張りの座布団をいくつか床に並べてあり、庭を眺めながら食事ができる空間は結構自慢だった。
 逆に玄関に近い板の間にはアンティークな革張りのソファを置き(これは祖父がずっと昔に気に入って買ったものだ)、テレビを見たりお茶を飲んだりできるスペースにしている。ソファとセンターテーブルの下には、私が買った赤いキリムをラグマットの代わりに敷いている。ここも私にとって心安らぐ大好きな場所だった。
 そして何より、藤堂さんがこの居間をいたく気に入ってくれたことがすごく嬉しかった。

「おお、すごい!味噌汁がある・・・!こんなまともな朝飯、長いこと食ってないよ」
 本心からワクワクしたような顔で、藤堂さんが座布団の上に腰を下ろした。
 これだけモテそうな人だから、女性に朝ご飯を作ってもらうことなど飽き飽きしているだろうと思っていたけれど、表情を見る限り純粋に感激してくれているようだ。私に気を遣っているのだとしても、やっぱり喜びを感じてしまう。
「京都のホテルでも朝はバイキングでしたもんね」
「あれなぁ、いかにもバイキングな味だったよな。まあ贅沢言えないけどさ」
 藤堂さんは「いただきまーす」とこれまた小学生みたいに元気な声を出すと、まずはお味噌汁に口をつけた。
「・・・美味い。ヤバいな、庄野。これ美味いよ」
「あはは。普通のダシに普通のお味噌なんですけど。でも、ありがとうございます」
 私もホッとして箸を手に取った。

 二人でこうして食卓を囲んでいるのが信じられない。京都のホテルでの朝食も一緒に取ったけれど、他の宿泊客に混ざってガヤガヤと落ちつかなかった。けれども今は、この家でゆったりとした優しい空気に包まれながら、私の作った朝ごはんを藤堂さんが食べてくれている。こんな幸せな時間を過ごせるなんて、想像もしていなかった。
 とは言え、藤堂さんにとっては昨日の出来事は大変な災難だ。私ばかり浮かれてはいけない。それでも美味しそうに卵焼きをパクパク食べる表情を見ていると、心の奥に欲が出てきてしまうのを否定できなかった。


 クリーニング店に寄った後、藤堂さんと私は電車に乗ってマンションを訪れた。
 管理会社の人が既にロビーで待ち構えていて、今後についての詳しい説明を聞かされた。やはり藤堂さんの部屋を含め、いくつかの住戸にリフォームの業者が入るそうだ。期間はおそらく数週間かかると言う。家具や家電は処分するものと仮住まいやトランクルームなどに移すものを分けて用紙に記入し、運び出す業者の手配と費用は管理会社がある程度までは負担してくれるとのことだった。
「ホテルなりウイークリーマンションなり、ご必要でしたらこちらでも探しますが・・・」
仮住まいの当てがあるかと管理会社の社員が聞いてくるので、私が横から口を出した。
「それは大丈夫です。仮住まいはあります」
 藤堂さんが申し訳なさそうな戸惑っているような顔で私の横顔をチラッと見たので、私はにっこり笑顔を返して藤堂さんに何も言わせなかった。管理会社の人もホッとしたようだった。
 一通り説明を聞き終えたので、私たちは管理会社が用意してくれた新品の段ボールを抱えて藤堂さんの部屋に行き、うちに運べそうな残りの荷物を詰め込む作業に没頭した。

「ほとんど処分することになりそうだな」
 藤堂さんは濡れて汚れきった家具や家電製品を眺めながら、なんとなくスッキリした顔で笑った。
「なんだっけ、こういうの。・・・断捨離って言うんだっけ?どれももう古かったし、ちょうどいい切り替え時なのかもな」
「そうですね、きっと。不要なものは手放せってことなのかも。生活に必要な家電はとりあえずうちにあるし、遠慮せずにバンバン使ってくださいね」
「・・・なあ、本当にいいのか?何週間もかかるんだぞ?俺なんかが庄野の家にそんなに長く居候するのって、さすがにちょっと・・・」
 藤堂さんはちょっぴり言葉を濁して前髪を掻き上げた。会社にいるときよりラフな髪型が、なんとなくセクシーに見えるのがズルい。

 口にはしないけれど、たぶん藤堂さんも5年前に私たちの間に起こった出来事が引っかかっているのだろう。
 たった一度とは言えああいうことがあった男女だし、今は同僚であり上司と部下の関係なのだ。そういう二人が一つ屋根の下で暮らしてもいいのだろうか。そんなふうに葛藤しているのが藤堂さんの表情に見て取れる。
 藤堂さんを困らせたくはない。でもそれ以上に、うちから出てどこか違う仮住まいに行ってほしくなかった。ただの我儘だけれど、藤堂さんともっと一緒にいたかった。

「私は全然構わないです。部屋が直るまでうちにいてください。それに一軒家で女が一人暮らしってちょっと不安もあったので、用心棒代わりに藤堂さんがいてくれると助かります!男手があると何かと便利だし。ほら、今朝の水やりとかも助かっちゃいました」
 私がわざとあっけらかんとした声で答えると、藤堂さんもホッとしたように笑った。
「・・・そうか、たしかにそうだな。よし、じゃあ居候させてもらう代わりに俺をいくらでもこき使ってくれ。これでもわりと手先は器用な方だぞ」
「わぁ、ほんとですか!やったー。じゃあ、いろいろ不具合のあるところ見てもらおうかな」
 そうやって笑いながらお互いの戸惑いをどこかに追いやり、私たちはこれからしばらく共同生活を送ることになった。形はどうあれ、私は胸がいっぱいになるほど嬉しかった。


 マンションの駐車場に停めてあった藤堂さんの車に荷物を目一杯詰め込むと、私たちは駅前のファッションビルに向かった。
 ワイシャツや下着類が半分ほどダメになってしまったので、メンズフロアで当面使いそうなぶんだけ買い込んだ。藤堂さんの買い物に付きあうのはものすごく楽しくて、調子に乗って私好みのネクタイも選んでしまった。
 それから上の階のレストラン街で遅い昼食にパスタをご馳走してもらい、最後に下の階で通勤用の革靴も一足買った。
 藤堂さんが会計をしている間に私もチラッと婦人靴を見ていたら、これからの季節に良さそうなツイード素材の可愛いパンプスを見つけた。今月のお給料が出たら買おうかなと迷っていると、買い物を済ませた藤堂さんがやって来て「それ、カワイイじゃん」と声をかけてきた。「履いてみれば?」と勧めてくる。
 でも今日は荷物を運ぶためにデニムとスニーカーで来てしまったので、ストッキングではなくソックスを履いていた。すると店員がすかさず近付いてきて、ストッキング素材のフットカバーを用意してくれた。
 私は藤堂さんの視線に耳が熱くなるのを意識しながら、椅子に座ってソックスを脱いでフットカバーに履きかえた。そうしてパンプスを履いてみたら、サイズはぴったりだった。思った通り、デザインがすごく可愛くてすっかり気に入ってしまった。これなら通勤はもちろん、こうしてジーンズに合わせてみても合いそうだ。

「あ、似合う似合う。いいよ、それ」
「カードで買っちゃおうかな」
「買ってやるよ」
「・・・えっ・・・?!」
「それ、俺が買ってやる。いろいろ世話になるお礼に。すいません、これお願いします」
 気を利かせて私たちから少し離れた場所に立っていた店員に声を掛け、藤堂さんはさっさとカード支払いの手続きをしてしまった。
 どうしよう・・・藤堂さんに、靴を買ってもらっちゃった・・・!
 思いがけないプレゼントに、私はドキドキするやら泣きそうなほど嬉しいやらで、頭が沸騰しそうになっていた。

「あの、ありがとうございます・・・!すごく嬉しいです。すみません、気を遣っていただいて。そんなつもりじゃなかったのに・・・」
「いいって。これくらいしないと俺の方が申し訳なくて。それにすごい似合ってたから」
 そう言って笑った顔が、少し照れくさそうに見えたのは気のせいだろうか。
 私は胸が痛いくらいに高鳴っているのに困惑した。こんなに優しくされたら、ますますこのひとの存在が自分のなかで大きくなる。本気で好きになってしまう。ううん、もうとっくに好きになってる。たぶん、ずっと前から。5年前のあの日から。

 期待していいのだろうか。かつてあんな恥ずかしいことを頼んで困らせた私を、藤堂さんは少しくらいは受け入れてくれるのだろうか・・・?


 すべての買い物を済ませたらもう夕方近かったので、地下の食品売り場で食材を買って帰ることにした。冷蔵庫は空っぽだし、平日の分もある程度買い溜めしておかないといけない。
 藤堂さんは、うちに居候する間、家賃を入れると言って聞かなかった。一人分の食費だけ入れてくださいと頼んだら、二人分の食費と光熱費を全部持つと押し切られた。絶対譲らなそうだったので、思い切って甘えることにした。 
「今日の夕飯、庄野の食べたいもの何でもご馳走するよ。寿司でも食って帰るか?それとも肉の方がいいか」
「藤堂さん、いつも外食が多いんでしょう?うちで作った方が安上がりだし身体にもいいですよ。私、料理あんまり上手じゃないけど作ります。うちで食べませんか?」
 そう言ってみたら、藤堂さんが想像以上に嬉しそうな顔をしたので胸がしめつけられた。顔が紅くなりそうで、私は慌てて売り場に眼を向けた。

「藤堂さんがご馳走してくれるなら、いつもよりいいお肉を買いたいです。美味しいお肉と野菜を買って、うちで焼き肉をしましょう」
「やった!焼き肉、いいな。よし、特上の肉にしよう」
 そう言って藤堂さんは私の手首を掴むと、お肉売り場へグイグイ引っ張って行った。
 なんだか幸せすぎて涙が出そうになった。5年前のあの夜のことを想い出した。ホテルのエレベーターの中で、私の手を握ってくれていた藤堂さんのことを。



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