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2・王城にて
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自分でもあの冗談は不謹慎だったと反省したのか、クラウスはエミールの希望を聞き入れてくれたのだが、その前に服を着替えてくれと懇願された。
エミールは白い貫頭衣一枚の格好で、下着すらもはいていなかったことを思い出した。
ロンバードがどこからか着替えを持ってきた。
チュニックとズボンの軽装でありながらも、生地はやはり一級品を使用しているようだった。肌触りが良すぎてなんだか逆に着心地が悪い。
もぞり、と背中を動かしたところでノックの音がして、「もういいか」とクラウスが入室の許可を得てきた。
男同士なのだからべつにわざわざ着替えのために席を外さなくても良かったのに、と思いながら「はい」と返事をする。
部屋に入ってきたクラウスは、片手に黒いベルトのようなものを持っていた。
なんだろうと思っていると、男がそれをこちらへ差し出してくる。
「念のため、巻いておいてくれ」
エミールは眉をひそめた。
「なにこれ」
「首輪だ」
クラウスの返事を聞くなり、エミールはそれを叩き落としていた。
「オレは犬じゃない」
「無論だ。きみは犬などではない。だが、オメガだ」
蒼い瞳がひたとエミールを見つめ、厳然と告げてくる。
「エミール、きみはおのれのバース性を知らなかった。ということはヒートを迎えたのも今回が初めてだろう。それを薬で抑えたから、きみの誘惑香は不安定な状況だ。ここにはアルファがたくさん居る。きみのことは私がまもるが、念のため自衛をしてくれ」
クラウスは身を屈め、床に落ちた首輪を拾い上げて、再びエミールへと差し出してきた。
逡巡しながらもその真摯な声に負け、エミールは首輪を手に取った。
自分がオメガだということは、まだ信じられない。
それに、まもると言われたことも不愉快だった。そんなにかよわい存在に見えるのか。
「オレは女じゃない」
「だがオメガだ」
先ほどと同じ言葉を繰り返され、エミールは苛立ちを覚えて男の胸を突き飛ばした。クラウスが一歩下がった。
「必要以上に近づかないでください」
険のある声で吐き捨てると、クラウスが悄然と眉を下げる。
「いまのもアウトっすわ、小隊長。アンタは言葉が壊滅的に足りないんですよ」
どこから聞いていたのか、ドアの向こうからロンバードの巨躯が現われ、顎を掻きながらクラウスへと耳打ちをした。それを横目にエミールは、黒い滑らかな革をおのれの首へと巻き付け、金具に先端を通して固定する。
オメガが首輪を巻く意味は、さすがにエミールも知っていた。
発情期のオメガがアルファにうなじを噛まれると、つがいの契約が成立してしまうからだ。
この『つがい』というものは実に不平等で、うなじを噛まれたオメガはその先一生を、相手のアルファに縛り付けられることになる。
オメガには二か月に一度発情期が訪れるのだが、その際にアルファを誘うための誘惑香と呼ばれるフェロモンを発する。誘惑香は、うなじを噛まれて以降はつがいにしか感知できなくなる。つがい以外のアルファを誘うことが不可能となり、肉体的にも、つがい以外を受け入れられなくなるのだ。
対してアルファはと言うと、オメガのうなじを噛んでつがい関係を結んで以降も、つがい以外のオメガを抱くこともできるし、同時に複数のオメガとつがうこともできる。
つまりつがいとは、オメガにばかりリスクがある不平等な契約なのだと、エミールは理解していた。
そういう不平等からおのれをまもるために、首輪は必要なアイテムだ。それはわかる。わかるが、自分がオメガだという自覚に乏しい現状では、首輪は屈辱的にも感じられた。
エミールはひそひそとなにごとかを囁き合っている二人の男を置いて、さっさと部屋を出た。
すぐに追ってきたクラウスが、エミールの前に立つ。
「ここは道が入り組んでいる。案内なしには迷うぞ」
「では案内してください。ファルケンのところへ」
エミールがそう言うと、クラウスがなぜか複雑そうな表情を浮かべた。まさかファルケンがここに居るというのは嘘なのか、と疑いの眼差しを向けると、クラウスは咳ばらいをして、片マントを翻した。
「こっちだ」
ひらり、と黒い布を優雅に揺らしながら先を歩くクラウスの背を追う。
長身の男の歩幅は大きい。しかし置いていかれることはない。エミールの気が急いて、歩調が早まっていたからだ。
ファルケンの無事を早くこの目で確認したい。その一心で足を運んだ。
周囲を見る余裕はほとんどなかったが、ここが王城だというのはどうやら事実らしい。石造りの廊下はクラウスの言葉通り入り組んでおり、建物は驚くほどに広かった。
途中、幾人かとすれ違ったが、全員がクラウスを見ては深々と頭を下げる。クラウスを第二王子だと言っていたロンバードの言葉も、嘘ではないのかもしれない。とするとエミールは一国の王子相手にとんだ無礼を働いたことになるが、いまはそのことを考える余裕もなかった。
クラウスの先導で、エミールはようやく屋外へと出た。渡り廊下をしばらく行くと、活気ある声が聞こえ始める。
「王城内には騎士団の訓練所がいくつかある。ここは、主に第一部隊のための場所だ」
そう説明したクラウスが、不意に足を止めた。
勢い余ってエミールはたたらを踏んだが、無様にクラウスの背に衝突することは回避できた。
クラウスの脇から顔を覗かせると、広々とした演習場では互いに剣を交える男たちの姿があった。
彼らはこちらに気づくと一斉に気をつけの姿勢になる。クラウスがそれに軽く手を振ることで応えた。
「続けろ」
短い命令に、男たちはまた訓練へと戻った。
「エミール、こっちだ」
顔を一巡りさせたクラウスが、エミールを呼ぶ。
男の背について、エミールは再び歩き出した。
剣の稽古をする広場、武具の手入れをする場所、休憩所、そして厩舎。訓練所をぐるりと回る形でエミールを誘ったクラウスは、厩舎の裏側に来ると体を横へと退けた。
そこは、弓の練習所になっていた。
幾人かが的に向かい弓矢を放っている。そこに、黒髪の男の姿があった。
エミールは両目を大きく見開いた。
「ルーっ!」
エミールは白い貫頭衣一枚の格好で、下着すらもはいていなかったことを思い出した。
ロンバードがどこからか着替えを持ってきた。
チュニックとズボンの軽装でありながらも、生地はやはり一級品を使用しているようだった。肌触りが良すぎてなんだか逆に着心地が悪い。
もぞり、と背中を動かしたところでノックの音がして、「もういいか」とクラウスが入室の許可を得てきた。
男同士なのだからべつにわざわざ着替えのために席を外さなくても良かったのに、と思いながら「はい」と返事をする。
部屋に入ってきたクラウスは、片手に黒いベルトのようなものを持っていた。
なんだろうと思っていると、男がそれをこちらへ差し出してくる。
「念のため、巻いておいてくれ」
エミールは眉をひそめた。
「なにこれ」
「首輪だ」
クラウスの返事を聞くなり、エミールはそれを叩き落としていた。
「オレは犬じゃない」
「無論だ。きみは犬などではない。だが、オメガだ」
蒼い瞳がひたとエミールを見つめ、厳然と告げてくる。
「エミール、きみはおのれのバース性を知らなかった。ということはヒートを迎えたのも今回が初めてだろう。それを薬で抑えたから、きみの誘惑香は不安定な状況だ。ここにはアルファがたくさん居る。きみのことは私がまもるが、念のため自衛をしてくれ」
クラウスは身を屈め、床に落ちた首輪を拾い上げて、再びエミールへと差し出してきた。
逡巡しながらもその真摯な声に負け、エミールは首輪を手に取った。
自分がオメガだということは、まだ信じられない。
それに、まもると言われたことも不愉快だった。そんなにかよわい存在に見えるのか。
「オレは女じゃない」
「だがオメガだ」
先ほどと同じ言葉を繰り返され、エミールは苛立ちを覚えて男の胸を突き飛ばした。クラウスが一歩下がった。
「必要以上に近づかないでください」
険のある声で吐き捨てると、クラウスが悄然と眉を下げる。
「いまのもアウトっすわ、小隊長。アンタは言葉が壊滅的に足りないんですよ」
どこから聞いていたのか、ドアの向こうからロンバードの巨躯が現われ、顎を掻きながらクラウスへと耳打ちをした。それを横目にエミールは、黒い滑らかな革をおのれの首へと巻き付け、金具に先端を通して固定する。
オメガが首輪を巻く意味は、さすがにエミールも知っていた。
発情期のオメガがアルファにうなじを噛まれると、つがいの契約が成立してしまうからだ。
この『つがい』というものは実に不平等で、うなじを噛まれたオメガはその先一生を、相手のアルファに縛り付けられることになる。
オメガには二か月に一度発情期が訪れるのだが、その際にアルファを誘うための誘惑香と呼ばれるフェロモンを発する。誘惑香は、うなじを噛まれて以降はつがいにしか感知できなくなる。つがい以外のアルファを誘うことが不可能となり、肉体的にも、つがい以外を受け入れられなくなるのだ。
対してアルファはと言うと、オメガのうなじを噛んでつがい関係を結んで以降も、つがい以外のオメガを抱くこともできるし、同時に複数のオメガとつがうこともできる。
つまりつがいとは、オメガにばかりリスクがある不平等な契約なのだと、エミールは理解していた。
そういう不平等からおのれをまもるために、首輪は必要なアイテムだ。それはわかる。わかるが、自分がオメガだという自覚に乏しい現状では、首輪は屈辱的にも感じられた。
エミールはひそひそとなにごとかを囁き合っている二人の男を置いて、さっさと部屋を出た。
すぐに追ってきたクラウスが、エミールの前に立つ。
「ここは道が入り組んでいる。案内なしには迷うぞ」
「では案内してください。ファルケンのところへ」
エミールがそう言うと、クラウスがなぜか複雑そうな表情を浮かべた。まさかファルケンがここに居るというのは嘘なのか、と疑いの眼差しを向けると、クラウスは咳ばらいをして、片マントを翻した。
「こっちだ」
ひらり、と黒い布を優雅に揺らしながら先を歩くクラウスの背を追う。
長身の男の歩幅は大きい。しかし置いていかれることはない。エミールの気が急いて、歩調が早まっていたからだ。
ファルケンの無事を早くこの目で確認したい。その一心で足を運んだ。
周囲を見る余裕はほとんどなかったが、ここが王城だというのはどうやら事実らしい。石造りの廊下はクラウスの言葉通り入り組んでおり、建物は驚くほどに広かった。
途中、幾人かとすれ違ったが、全員がクラウスを見ては深々と頭を下げる。クラウスを第二王子だと言っていたロンバードの言葉も、嘘ではないのかもしれない。とするとエミールは一国の王子相手にとんだ無礼を働いたことになるが、いまはそのことを考える余裕もなかった。
クラウスの先導で、エミールはようやく屋外へと出た。渡り廊下をしばらく行くと、活気ある声が聞こえ始める。
「王城内には騎士団の訓練所がいくつかある。ここは、主に第一部隊のための場所だ」
そう説明したクラウスが、不意に足を止めた。
勢い余ってエミールはたたらを踏んだが、無様にクラウスの背に衝突することは回避できた。
クラウスの脇から顔を覗かせると、広々とした演習場では互いに剣を交える男たちの姿があった。
彼らはこちらに気づくと一斉に気をつけの姿勢になる。クラウスがそれに軽く手を振ることで応えた。
「続けろ」
短い命令に、男たちはまた訓練へと戻った。
「エミール、こっちだ」
顔を一巡りさせたクラウスが、エミールを呼ぶ。
男の背について、エミールは再び歩き出した。
剣の稽古をする広場、武具の手入れをする場所、休憩所、そして厩舎。訓練所をぐるりと回る形でエミールを誘ったクラウスは、厩舎の裏側に来ると体を横へと退けた。
そこは、弓の練習所になっていた。
幾人かが的に向かい弓矢を放っている。そこに、黒髪の男の姿があった。
エミールは両目を大きく見開いた。
「ルーっ!」
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