騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪

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契約の年月

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 契約の三年の期間内で一番大きな変化を挙げるとすれば、それは、ファルケンが騎士団の宿舎を出て、いつの間にか王都にある酒場パブに併設された娼館の用心棒としての仕事を決めてきたことだ。王城に来て、一年が経過した頃のことだった。

 ファルケン自身の口から騎士団に入団する気はないと聞かされていたエミールだったが、演習所で彼が他の騎士たちに、自分の従士にならないかと口説かれている場面を目にすることが幾度もあった。

 ファルケンは腕が立つ。剣技は元より、弓に於いてはことさらにその評価は突出していた。長弓ロングボウ石弓クロスボウも巧みに使いこなし、狙った的は外さない。
 ヴローム村でもファルケンは狩りの名手だったから、エミールにとってはいまさら驚くようなことでもなかったが、片眼を失ってなお遠近や左右のブレを補正し、百発百中にまで精度を練れる者は少ないのだという。

 騎士たちは熱心にファルケンを勧誘しているようだったし、平民から騎士の身分を得たロンバードという前例も身近にあったので、拒みつつも結局は騎士団に身を落ちつける羽目になるのではないか……と考えていたエミールだったが、ファルケンはあっさりとそれを裏切った。

「明日からねぐらを変えることになった」

 ファルケンからその報告があったのは、彼が宿舎を出る前日のことで、エミールは激怒しながらも引き留めた。
 オレを置いて行くのか、と半泣きで訴えたエミールを、ファルケンは金茶の隻眼を細めて笑った。

「おまえのことはクラウス王子に任せてる」

 勝手に任せないでほしい。エミールは確かにクラウスと三年間の契約をしたが、ファルケンのことはそれとは別で、彼が居なくなってしまうのはさびしくて仕方なかった。
 行かないでほしいと駄々をこねながらエミールは、孤児院のことを思い出していた。

 ヴローム村の孤児院は、十八歳になれば出て行かなければならないという規定があった。十八を目前に控えたファルケンはこのまま村に残って仕事を探すと言っていたけれど、きっと、そのときになればアダムに連れられて王都へ……エミールの手の届かないところへ行ってしまうだろう。そんな不安を、エミールは日々感じていた。

 当時の自分は想像もしなかった。まさか村が盗賊団に襲われて壊滅状態になり、孤児院の子どもたちは王都の施設で保護されて、自分はオメガと成ってこの国の第二王子の仮初めの婚約者になるなんて。

 でも、ファルケンとは離れなかった。
 彼はエミールのすぐ近くに居続けてくれた。
 それなのに。

「いまさら……」

 いまさらオレを捨てるのか。そう言いそうになって唇を噛んだ。

 こんな言葉はおかしい。同じ施設で育ったというだけで、ファルケンとエミールに血の繋がりなんてない。だからファルケンを縛り付ける権利なんてあるはずがなかった。
 けれど、居なくなると思うだけで胸に大きな穴が空いたかのような気持ちになってしまう。

 ファルケンの手が、エミールの頬に触れようと伸ばされ、直前で指を引いた。

「エル。おまえにはクラウス王子が居る」
「クラウス様とファルケンは全然違う」

 比べようがない。二人を同じ土台で並べることなんてできない。

「ルーが居ないと、オレは……」

 喉が詰まった。ぐす、と鼻を啜ったら、ファルケンが仕方ないなといわんばかりにエミールの頭をポンと撫でた。

「おまえのそれは、たぶん、刷り込みだよ」
「……意味がわからない」
「村で、おまえの傍に居たアルファが俺だけだったから、無意識に俺に依存してたんだ」

 依存。その単語に頬を殴られた気分になった。
 ファルケンを頼りに思う気持ちは昔からあった。依存と言われればその通りなのかもしれない。でも。

「バース性は、関係ないだろ」

 言い返した声は弱弱しいものになってしまった。
 でも本当に、バース性は関係ないと思う。村に居たとき、エミールは自分がオメガだなんて知らなかったから。

 しかしエミールの言い分を、ファルケンはしずかに否定した。

「関係は、ある。俺はおまえがオメガだって、なんとなくわかってた。おまえもたぶん、本能で察知してたんだろう。だから他の誰でもなく、俺になついたんだ」

 ファルケンの傍は居心地が良かった。誰よりも頼りになって、誰よりもエミールのことを理解してくれた、家族も同然の幼馴染み。
 無意識下で彼がアルファだと嗅ぎ分け、本能がアルファの庇護を求めたというのだろうか。

 そんなのはあんまりだ。
 これまで、二人で過ごした時間はアルファとオメガとしてあったものではなく、ファルケンとエミール、ただそれだけの存在だったはずだ。ファルケンを慕う気持ちも、十六年という年月で培われたものであって、それをオメガの本能で括られるのは心外だった。
 まるで、エミールの意思は存在しないかのようなファルケンの言葉が腹立たしく、悔しくて、握ったこぶしが震えた。反論したいのに苦しくて、声が出ない。

 唇を噛んで項垂れたエミールを、ファルケンが左腕で抱き寄せた。

「悪かった。いまのは俺が悪い。忘れてくれ」
「……ルーの、バカっ! クソっ!」
「口が悪いのは直らないな」

 低い笑い声が震えとなって、ファルケンの肩に密着したエミールの頬に伝わった。
 後頭部に、硬いてのひらの感触あった。

 鼻先に立ち上るファルケンの匂いは、安堵と郷愁をエミールに与えてくれる。
 同じアルファでも、クラウスの誘発香とはまったく違う匂いだった。

 クラウスの匂いは、蕩けそうに甘く、どうしようもないほど圧倒的で、心臓がドキドキと騒ぐし、足からは力が抜けそうになる。

 けれど、二人の匂いは異なっているのに、どこか似通った部分があるようにも思えた。

 鼻が感じとるのは匂いのはずなのに、エミールの中に満ちるのは感情だった。
 クラウスとファルケン。二人の匂いに共通するものを言葉にするならば、それは、いとしさ、だろうか。

 二人からは、エミールのことを大切に想っているという匂いがする……気がする。それともエミールの勝手な思い込みだろうか。

「エミール」

 名を呼ばれ、顔を上げようとした。けれどファルケンの手ががっしりと後頭部を押さえていたから、身じろぎもできなかった。

「俺はここを出る」
「……」
「だけど、おまえが呼んだら必ず駆けつける。必ずだ」

 ファルケンの囁きは、まるで誓いのようだった。

 エミールとともに在ることを誓う。そう言ったクラウスの言葉とは、ある意味反対の誓いだ。ファルケンはエミールから離れてしまう。でも、エミールが呼べば駆けつけてくれるという。

「……そんなこと言って、オレが、明日すぐに呼んだらどうすんの」

 さびしさをすこしの笑いでごまかして、エミールはファルケンの胸を押した。
 ファルケンは抵抗なく、離れた。触れていた体温の名残は、すぐに消えてしまう。
 ファルケンが隻眼の瞳を、やわらかく細めた。

「おまえは強いし負けず嫌いだから、早々白旗は上げないだろ。でも、どうにもならないときは俺を呼べ」
「どうにもならないときしか、来てくれないってこと?」
「おまえはクラウス王子の婚約者どのだからな。気軽には会えないさ」

 エミールと視線を合わせたまま、一歩、また一歩とファルケンが距離を開けてゆく。

 エミールは追わなかった。
 ファルケンの翻意はないとわかっていた。

「バカ」

 エミールのその言葉を最後に、ファルケンは宣言通り、翌日には城門を出て、新たなる彼の世界へと羽ばたいていったのだった。
  



 

  
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