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契約の年月
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「……で、オレが通ったらこれみよがしにひそひそと話し出すんだよ。子どもの前で大人がみっともない真似すんなって話だよ」
エミールが頬杖をついてむしゃくしゃとした気持ちを吐きだしていると、煙管の煙とともに複雑そうな声が返ってきた。
「…………エル、おまえ、ちょっと来すぎじゃないか」
チュニックやマントではなく異国風の黒い包衣を纏い、いつその味を覚えたのか定かではない煙管を唇に挟んで、眼帯をつけたひたいを押さえているのは、ファルケンだ。
彼が騎士団の宿舎を去ったその翌日、エミールはファルケンの新たなるねぐらとなった娼館に押し掛けた。
昨日の今日でまさか来るとは思っていなかったファルケンは、彼にしては珍しく狼狽も露わに、
「誰がおまえにこの場所を教えたっ?」
とものすごい勢いでエミールの両肩を揺さぶってきたが、
「クラウス様だけど?」
エミールがそう答えるとその場で脱力して頭を抱えた。
「あのひとはおまえに甘すぎるっ!」
そうだろうか? エミールにしてみれば、ファルケンの新たなねぐらをクラウスには教えたくせに、エミールには内緒にしていたファルケンの方がおかしいと思う。
それに、おまえが呼べば来る、と言われたが、おまえからは来るな、とは言われなかった。
エミールのその主張に、ファルケンは頭痛を堪える顔で首を振っていたが、彼が本当にエミールとは会うつもりがなかったのなら、城門にほど近い、王都の目抜き通りの一画に居を構えたりはしなかっただろう。
ファルケンはエミールが訪問するたびに早々に追い払おうとしたが、エミールはめげずに以降も度々娼館へと足を運んだ。そのうちに根負けしたファルケンは、エミールの雑談に付き合ってくれるようになったが、決まり文句のようなお小言だけは毎回ついてきた。
「おまえなぁ、身分ってものを考えろよ。クラウス王子の婚約者どのがそんなほいほい外郭エリアまで来ていいのかよ。しかもこんな娼館に」
サーリーク王国には、王城の周囲をぐるりと囲む内郭と、王城を中心として栄えた都市、王都をぐるりと囲む外郭、二つの城郭がある。
王族が内郭より外側へ出てくることは、通常あまりないことだった。クラウスは騎士団の第一部隊隊長という立場上、任務であればどこでも身軽に赴くが、平民出身とはいえ『第二王子の婚約者』であるエミールが内門の外……あまつさえ娼館という場所になど、気軽に出かけていいはずはなかった。
苦い顔つきで注意を促してくるファルケンを見ながら、エミールは唇を尖らせた。
「べつに、ついでに寄ってるだけだからいいだろ」
そう。エミールにはちゃんとした建前がある。
王城に連れてこられたときからずっと、エミールは村の子どもたちが保護された孤児院……養護施設への訪問を続けていた。
今回ファルケンが住み込みで雇われた娼館は、この施設からほど近い場所にあるのだ。
子どもの健全な育成を目指す施設と、酒場や娼館というみだりがましい建物が徒歩数分の距離にあるのはいかがなものかと思うのだが、これにはちゃんと理由があるようだった。
孤児たちの養育施設は、酒場や娼館で働く女たちの子どもの一時預かり所も兼ねている。そのため、子どもの送迎などの利便性を兼ね備えた位置に、施設が作られたとのことだった。
だからエミールは堂々と養育施設への慰問という大義名分を掲げて、子どもたちと会ったその足でファルケンのねぐらを訪れることができる。
王城を出てしまえばエミールの顔を知る者が居ない、というのも外出の気軽さの一因だ。
王族は折に触れて国民の前に顔出しをするし、肖像画もあちこちで売られている。アマーリエは第一王子マリウスの婚約者として早い段階からお披露目がなされていたため同様に、顔を知られている。対してエミールは、クラウスの婚約者という立場ではあれど、国民へのお披露目などはなかったし、名前すらあまり知られてはいない。
エミールが出入りする施設や娼館の一部の人間は、クラウスの手の者によってエミールの身分を告げられていたが、街歩きをするのに変装など必要なかったし、要人扱いをされずともまったくなんの不都合もなかった。
エミールの娼館通い(というと語弊があるが、傍から見ればそうなる)は、もちろんクラウスにも許可を得ている。
クラウスは毎回「私も一緒に行こう」と言っては、仕事があるでしょうと側近に止められていた。
このクラウスの側近といえばロンバードが長年担っていたのだが、クラウスの最愛の弟ユリウスが七歳の誕生日を迎えた折に、
「おまえは今日からユーリの護衛だ」
と実に一方的な異動を告げられ、泣く泣く騎士団を離れたというちょっとした騒動を経て、いまはハルクという男がその後釜に座っている。
ハルクはロンバードほど傍若無人な性格ではないため、クラウスを止めるのに四苦八苦していた。その姿があまりに憐れで、エミールは、
「無断でオレの後をつけてきたら嫌いになりますよ」
クラウスにそう言い渡すことでハルクの気苦労を減らす手伝いをするのだった。
「……で、オレが通ったらこれみよがしにひそひそと話し出すんだよ。子どもの前で大人がみっともない真似すんなって話だよ」
エミールが頬杖をついてむしゃくしゃとした気持ちを吐きだしていると、煙管の煙とともに複雑そうな声が返ってきた。
「…………エル、おまえ、ちょっと来すぎじゃないか」
チュニックやマントではなく異国風の黒い包衣を纏い、いつその味を覚えたのか定かではない煙管を唇に挟んで、眼帯をつけたひたいを押さえているのは、ファルケンだ。
彼が騎士団の宿舎を去ったその翌日、エミールはファルケンの新たなるねぐらとなった娼館に押し掛けた。
昨日の今日でまさか来るとは思っていなかったファルケンは、彼にしては珍しく狼狽も露わに、
「誰がおまえにこの場所を教えたっ?」
とものすごい勢いでエミールの両肩を揺さぶってきたが、
「クラウス様だけど?」
エミールがそう答えるとその場で脱力して頭を抱えた。
「あのひとはおまえに甘すぎるっ!」
そうだろうか? エミールにしてみれば、ファルケンの新たなねぐらをクラウスには教えたくせに、エミールには内緒にしていたファルケンの方がおかしいと思う。
それに、おまえが呼べば来る、と言われたが、おまえからは来るな、とは言われなかった。
エミールのその主張に、ファルケンは頭痛を堪える顔で首を振っていたが、彼が本当にエミールとは会うつもりがなかったのなら、城門にほど近い、王都の目抜き通りの一画に居を構えたりはしなかっただろう。
ファルケンはエミールが訪問するたびに早々に追い払おうとしたが、エミールはめげずに以降も度々娼館へと足を運んだ。そのうちに根負けしたファルケンは、エミールの雑談に付き合ってくれるようになったが、決まり文句のようなお小言だけは毎回ついてきた。
「おまえなぁ、身分ってものを考えろよ。クラウス王子の婚約者どのがそんなほいほい外郭エリアまで来ていいのかよ。しかもこんな娼館に」
サーリーク王国には、王城の周囲をぐるりと囲む内郭と、王城を中心として栄えた都市、王都をぐるりと囲む外郭、二つの城郭がある。
王族が内郭より外側へ出てくることは、通常あまりないことだった。クラウスは騎士団の第一部隊隊長という立場上、任務であればどこでも身軽に赴くが、平民出身とはいえ『第二王子の婚約者』であるエミールが内門の外……あまつさえ娼館という場所になど、気軽に出かけていいはずはなかった。
苦い顔つきで注意を促してくるファルケンを見ながら、エミールは唇を尖らせた。
「べつに、ついでに寄ってるだけだからいいだろ」
そう。エミールにはちゃんとした建前がある。
王城に連れてこられたときからずっと、エミールは村の子どもたちが保護された孤児院……養護施設への訪問を続けていた。
今回ファルケンが住み込みで雇われた娼館は、この施設からほど近い場所にあるのだ。
子どもの健全な育成を目指す施設と、酒場や娼館というみだりがましい建物が徒歩数分の距離にあるのはいかがなものかと思うのだが、これにはちゃんと理由があるようだった。
孤児たちの養育施設は、酒場や娼館で働く女たちの子どもの一時預かり所も兼ねている。そのため、子どもの送迎などの利便性を兼ね備えた位置に、施設が作られたとのことだった。
だからエミールは堂々と養育施設への慰問という大義名分を掲げて、子どもたちと会ったその足でファルケンのねぐらを訪れることができる。
王城を出てしまえばエミールの顔を知る者が居ない、というのも外出の気軽さの一因だ。
王族は折に触れて国民の前に顔出しをするし、肖像画もあちこちで売られている。アマーリエは第一王子マリウスの婚約者として早い段階からお披露目がなされていたため同様に、顔を知られている。対してエミールは、クラウスの婚約者という立場ではあれど、国民へのお披露目などはなかったし、名前すらあまり知られてはいない。
エミールが出入りする施設や娼館の一部の人間は、クラウスの手の者によってエミールの身分を告げられていたが、街歩きをするのに変装など必要なかったし、要人扱いをされずともまったくなんの不都合もなかった。
エミールの娼館通い(というと語弊があるが、傍から見ればそうなる)は、もちろんクラウスにも許可を得ている。
クラウスは毎回「私も一緒に行こう」と言っては、仕事があるでしょうと側近に止められていた。
このクラウスの側近といえばロンバードが長年担っていたのだが、クラウスの最愛の弟ユリウスが七歳の誕生日を迎えた折に、
「おまえは今日からユーリの護衛だ」
と実に一方的な異動を告げられ、泣く泣く騎士団を離れたというちょっとした騒動を経て、いまはハルクという男がその後釜に座っている。
ハルクはロンバードほど傍若無人な性格ではないため、クラウスを止めるのに四苦八苦していた。その姿があまりに憐れで、エミールは、
「無断でオレの後をつけてきたら嫌いになりますよ」
クラウスにそう言い渡すことでハルクの気苦労を減らす手伝いをするのだった。
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