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契約の年月
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クラウスと契約をした三年で変わらないものといえば、クラウスの誘発香の深く甘い匂いや、抱きしめてくる腕のぬくもり、こちらを見つめる瞳の強さ、そして毎日のように送られる愛の言葉だろうか。
愛している、私の最愛、私のオメガ、私のエミール……。
ふだんは口数の多くない無骨な男が、エミールに愛を伝えるときだけは話すことを惜しまない。
低くなめらかな声で紡がれるそれらの言葉は、エミールのこころへとしずかに、そして確実に積もり続けていた。
出会ってから、あとすこしで丸三年になる。
契約の期間の終わりが見え出した。最後の日に、自分はいったい彼に、どんな返事を伝えるのだろうか。
エミールがふぅとため息を吐き出すと、ファルケンの隻眼がわずかに細まった。
「それで? なにがあったって?」
「え?」
「おまえの愚痴。途中だろ?」
水を向けられて、エミールは「ああ」と鼻筋にしわを寄せてファルケンの吐き出す紫煙を目で追った。
先ほど訪れた養護施設での出来事を彼に話していたところだったのだ。
当初はヴローム村の孤児院の子どもたちの様子を見に足しげく施設に通っていたエミールだったが、いまではクラウスの命を受けての慰問、という名目もくっついている。
サーリークの王侯貴族たちは慈善活動にも力を入れている。そのため、養護施設や医療施設などへの寄付や、定期的な慰問を行っているのだが、頻繁に施設を訪れるエミールが堂々とその活動を続けられるようにと、クラウスがその役目を与えてくれたのだった。
平民から第二王子の婚約者となったエミールに対する風当たりは、始めからやさしくはなかった。
けれど、貴族とは違って施設の職員たちは、王城とは直接的な関係がない。だからエミールに対しても特段敵意を向けてきたりはしなかった。
なのに、である。
「最近、なんか陰湿なんだよ」
エミールは今日の出来事を思い出して、胸に湧いてきたモヤモヤを吐き出した。
「オレのこと遠巻きにしてヒソヒソヒソヒソ、陰口叩いてんの。言いたいことがあればさっさと言えばいいのにさ。しかも、子どもが見えるところでだよ? ほんとみっともないしやめてほしい!」
陰口の内容は、聞こえてきた断片的な単語を組み合わせると、たぶん、「平民のくせにさも王族の一員かのような顔をして施しをしてくる嫌なオメガ」、辺りだろうか?
囁かれた言葉の詳細をファルケンに伝えることはしなかったが、職員の態度が不快だったとこぼしたエミールに、陰口の内容が推測できたのかファルケンが眉をひそめた。
「いまさら?」
男の問いに、エミールは肩を竦めた。
そうなのだ。最初は友好的だった職員たちがいまさらになってエミールを遠巻きにする意味がわからない。
エミールが差し入れるおやつや玩具を見て、職員たちが顔をひきつらせるようになったのはいつ頃からだったろう。
「ほかになにか変わったことはないのか?」
ファルケンが煙管を筒形の灰吹きに突っ込み、エミールの正面に座った。
薄暗い部屋で、向かい合う。金茶の隻眼が驚くほど真剣な眼差しでこちらを見ていた。
昼間のこの時間、娼館はしずかだ。夜に活気づく通りもまたひと気がないのか、時折馬車の通る音が聞こえてくる程度だった。
「ごめん。そんな深刻になられると思わなかった」
エミールは迂闊な愚痴を言って幼馴染を心配させたことを謝った。
「オレが直接なにかされたってわけじゃないし、陰口叩かれた程度だし、王城では日常茶飯事だから慣れっこなんだけど」
軽い調子で笑い飛ばしたけれど、ファルケンの視線はゆるまなかった。
「エル」
「ほんとにオレは大丈夫なんだって。スヴェンも一緒だし」
出かけるときは必ず侍従のスヴェンを帯同すること、がエミールが内郭を出る際にクラウスから出された条件だ。そんなことまでスヴェンにさせるのは申し訳ないとエミールは思ったが、当のスヴェンはあっさりと了承して、毎回律儀にエミールのお供をしてくれる。
養護施設の中には一緒についてきて、いまでは子どもたちとも仲良くなっているスヴェンだったが、ファルケンの部屋にまでは入って来ず、外で待機してくれている。
「おまえに直接危害が及ぶならおおごとだ。侍従の首が飛ぶ」
「怖いこと言うなよ。スヴェンはよくやってくれてる」
「それで、ほかに変わったことはないのか?」
ファルケンが片腕をテーブルにつき、身を乗り出した。鷹のように鋭い目が、じっとエミールを見つめている。
「そんな怖い顔しなくても……あ、そういえば」
「なんだ」
「ミアが、なにか隠してる気がする」
エミールは顎先に指を当て、今日会ったミアの様子を思い出した。
ヴローム村の孤児院から養護施設に移り住んだ子どもたちの、最年少だったミア。四歳になった彼女は、今日もエミールにべったりと甘えて傍を離れようとしなかったが、愛らしい顔にはいつもの元気がなく、どうしたのと尋ねても答えてくれなかった。
そのくせ、なにかを言いたげにふっくらとした唇をまごまごと動かしていた。
いや、おかしいのはミアだけではない。村にいた頃からミアの面倒をよく見てくれていたアイクの様子も、なんだかいつもと違っていた気がする。
でも、服装に汚れや乱れはなかったし、それとなく観察した全身にもケガなどはなかった。だから誰かにいじめられたとか、職員に暴力を振るわれているとかそういった心配はないと思う。
アイクにもなにかあったのか尋ねてみたが、彼もミア同様、なにもないよと答えただけだった。
エミールの話を聞き終えたファルケンが、すっと目を細め、口を開いた。
「アイクは何歳だった?」
「え? 歳?」
なんの関係があるのかと疑問に思いつつ、
「十二歳になったんじゃないかな」
と答える。
ファルケンの眼光が強まった。
炯炯と光る隻眼を虚空に据え、ファルケンが小さく呟いた。
「……動き出したか」
愛している、私の最愛、私のオメガ、私のエミール……。
ふだんは口数の多くない無骨な男が、エミールに愛を伝えるときだけは話すことを惜しまない。
低くなめらかな声で紡がれるそれらの言葉は、エミールのこころへとしずかに、そして確実に積もり続けていた。
出会ってから、あとすこしで丸三年になる。
契約の期間の終わりが見え出した。最後の日に、自分はいったい彼に、どんな返事を伝えるのだろうか。
エミールがふぅとため息を吐き出すと、ファルケンの隻眼がわずかに細まった。
「それで? なにがあったって?」
「え?」
「おまえの愚痴。途中だろ?」
水を向けられて、エミールは「ああ」と鼻筋にしわを寄せてファルケンの吐き出す紫煙を目で追った。
先ほど訪れた養護施設での出来事を彼に話していたところだったのだ。
当初はヴローム村の孤児院の子どもたちの様子を見に足しげく施設に通っていたエミールだったが、いまではクラウスの命を受けての慰問、という名目もくっついている。
サーリークの王侯貴族たちは慈善活動にも力を入れている。そのため、養護施設や医療施設などへの寄付や、定期的な慰問を行っているのだが、頻繁に施設を訪れるエミールが堂々とその活動を続けられるようにと、クラウスがその役目を与えてくれたのだった。
平民から第二王子の婚約者となったエミールに対する風当たりは、始めからやさしくはなかった。
けれど、貴族とは違って施設の職員たちは、王城とは直接的な関係がない。だからエミールに対しても特段敵意を向けてきたりはしなかった。
なのに、である。
「最近、なんか陰湿なんだよ」
エミールは今日の出来事を思い出して、胸に湧いてきたモヤモヤを吐き出した。
「オレのこと遠巻きにしてヒソヒソヒソヒソ、陰口叩いてんの。言いたいことがあればさっさと言えばいいのにさ。しかも、子どもが見えるところでだよ? ほんとみっともないしやめてほしい!」
陰口の内容は、聞こえてきた断片的な単語を組み合わせると、たぶん、「平民のくせにさも王族の一員かのような顔をして施しをしてくる嫌なオメガ」、辺りだろうか?
囁かれた言葉の詳細をファルケンに伝えることはしなかったが、職員の態度が不快だったとこぼしたエミールに、陰口の内容が推測できたのかファルケンが眉をひそめた。
「いまさら?」
男の問いに、エミールは肩を竦めた。
そうなのだ。最初は友好的だった職員たちがいまさらになってエミールを遠巻きにする意味がわからない。
エミールが差し入れるおやつや玩具を見て、職員たちが顔をひきつらせるようになったのはいつ頃からだったろう。
「ほかになにか変わったことはないのか?」
ファルケンが煙管を筒形の灰吹きに突っ込み、エミールの正面に座った。
薄暗い部屋で、向かい合う。金茶の隻眼が驚くほど真剣な眼差しでこちらを見ていた。
昼間のこの時間、娼館はしずかだ。夜に活気づく通りもまたひと気がないのか、時折馬車の通る音が聞こえてくる程度だった。
「ごめん。そんな深刻になられると思わなかった」
エミールは迂闊な愚痴を言って幼馴染を心配させたことを謝った。
「オレが直接なにかされたってわけじゃないし、陰口叩かれた程度だし、王城では日常茶飯事だから慣れっこなんだけど」
軽い調子で笑い飛ばしたけれど、ファルケンの視線はゆるまなかった。
「エル」
「ほんとにオレは大丈夫なんだって。スヴェンも一緒だし」
出かけるときは必ず侍従のスヴェンを帯同すること、がエミールが内郭を出る際にクラウスから出された条件だ。そんなことまでスヴェンにさせるのは申し訳ないとエミールは思ったが、当のスヴェンはあっさりと了承して、毎回律儀にエミールのお供をしてくれる。
養護施設の中には一緒についてきて、いまでは子どもたちとも仲良くなっているスヴェンだったが、ファルケンの部屋にまでは入って来ず、外で待機してくれている。
「おまえに直接危害が及ぶならおおごとだ。侍従の首が飛ぶ」
「怖いこと言うなよ。スヴェンはよくやってくれてる」
「それで、ほかに変わったことはないのか?」
ファルケンが片腕をテーブルにつき、身を乗り出した。鷹のように鋭い目が、じっとエミールを見つめている。
「そんな怖い顔しなくても……あ、そういえば」
「なんだ」
「ミアが、なにか隠してる気がする」
エミールは顎先に指を当て、今日会ったミアの様子を思い出した。
ヴローム村の孤児院から養護施設に移り住んだ子どもたちの、最年少だったミア。四歳になった彼女は、今日もエミールにべったりと甘えて傍を離れようとしなかったが、愛らしい顔にはいつもの元気がなく、どうしたのと尋ねても答えてくれなかった。
そのくせ、なにかを言いたげにふっくらとした唇をまごまごと動かしていた。
いや、おかしいのはミアだけではない。村にいた頃からミアの面倒をよく見てくれていたアイクの様子も、なんだかいつもと違っていた気がする。
でも、服装に汚れや乱れはなかったし、それとなく観察した全身にもケガなどはなかった。だから誰かにいじめられたとか、職員に暴力を振るわれているとかそういった心配はないと思う。
アイクにもなにかあったのか尋ねてみたが、彼もミア同様、なにもないよと答えただけだった。
エミールの話を聞き終えたファルケンが、すっと目を細め、口を開いた。
「アイクは何歳だった?」
「え? 歳?」
なんの関係があるのかと疑問に思いつつ、
「十二歳になったんじゃないかな」
と答える。
ファルケンの眼光が強まった。
炯炯と光る隻眼を虚空に据え、ファルケンが小さく呟いた。
「……動き出したか」
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