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契約の年月
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私のオメガ、私のエミール、と毎日熱烈に口説いてくるクラウスの言葉をもじって囁いたエミールだったが、限界まで目を見開いたクラウスが呆然としたように固まってしまったから戸惑った。
自分から言うのはダメだったのだろうか? まったくもって王族のルールは難しい。
あまりにもクラウスが硬直するものだから、エミールはこれはいよいよ謝罪をした方がいいのでは、と頭を下げようとした。
そのとき。
「……に……たい」
切れ切れの声が聞こえてきて、「え?」とクラウスの口元に耳を寄せた。
「記念日に制定したい」
「……は?」
「今日を、記念日に制定したい。きみが初めて、私をきみのアルファと認めてくれた日だ。父上と宰相に掛け合おう。祝日の制定は審議員か。そこにも話を通さねば」
これ以上ないほど真剣な顔つきでぶつぶつ呟きだした第二王子に、エミールはちょっと引いた。
「真面目な顔でなに言ってるんですか」
「だがきみが!」
「はいはい。期間内に戻ってこれたら何度でも言ってさしあげますよ」
「本当か?」
「……目が怖いんですけど」
「二言はないな?」
「う……はい」
押しに負けてエミールは首肯した。
クラウスの両目がぱぁっと輝いた。表情はあまり動かないのに、しずかに喜びを弾けさせているのがありありと伝わってきて、うっかり可愛いと思ってしまう。
「エミール」
「はい」
「戻ってきたらもうひとつ、きみにお願いがある」
「なんでしょう」
小首を傾げたエミールの目元にキスをひとつ落として、クラウスが言った。
「私もきみを、エルと呼びたい。ファルケンばかり、ずるいではないか」
「ずるいって……子どもですかあなた」
「ずっと思っていた。ファルケンはずるい」
「名前なんて、好きに呼べばいいでしょう」
エミールが呆れ半分に肩を竦めたら、クラウスが驚いたように目を丸くした。
「呼んでいいのか?」
「はぁ。お好きにどうぞ」
「いま、呼んでいいのか?」
「……任務から戻ってきてからが良ければ、ご自由に」
「いや、いま呼ぶ! エル! エル。私のエル」
耳元であだ名を連呼され、エミールはなんだか恥ずかしくなってきた。特別な呼び名でもないのに、クラウスの声で聞くとなんだかすごく……距離が近づいた気持ちになるから不思議だった。
「エル、エミール」
「ちょ、何回呼ぶんですか。もういいでしょ」
「エル、私にも、あだ名をつけてくれ」
「え?」
あだ名? 一国の王子に? 平民のエミールが?
腰が引けたエミールだったが、期待に満ち満ちた蒼玉の眼差しに負けて、仕方なく考えた。
孤児院に居たとき年少組を叱ることも多かったエミールは、とにかく呼びやすいようにと子どもたちの名前を縮めた短いあだ名をつけることが多かった。
ファルケンについては年長の彼がエミールの面倒を見てくれていたので、舌が上手く回らなかった幼いころに「るー」「るー」と呼んでいた名残りなのだけど。
エミールはちらとクラウスの整った顔を見上げた。
「…………ラス、さま」
クラウスを縮めて、ラス。安直すぎるか。だがエルだって大概安直だ。
気に入らないかもしれないな、と考えたエミールだったが、クラウスの瞳の輝きは曇らなかった。彼はまっすぐにエミールを見つめ、
「様は不要だ」
と言った。
「以前から思っていたが、きみと私は対等だ。敬称は不要だ」
「そういうわけにもいかないでしょう」
「せめて、二人きりのときは呼び捨てにしてくれないか」
両手を握られ、顔を寄せられた。間近に迫った美貌と眼差しの圧にエミールは屈した。
「……わかりました。…………ラス」
語尾が消え入りそうに小さくなってしまった。それでもクラウスの耳にはしっかり届いたようで、彼が破顔した。
エミールが初めて目にする、満面の笑みだった。
「エル! エミール! 私のオメガ!」
あっという間に胸に抱きこまれ、きつい抱擁をされた。
自分よりも年上で背も高い男なのに、全身で喜びを表現する様はさならが尻尾を振り回す大型犬だ。
黙っていれば狼のように凛々しい雰囲気なのに、エミールの前では従順な飼い犬のような風情を見せるクラウスに抱きしめられて、エミールは肩を震わせて笑った。
あだ名を呼んだだけでこれほど歓喜されるとは。
ラス。口にしてみると、なんだか初めて呼んだ気がしない音の響きに聞こえるのが不思議だ。
ふと壁掛け時計を見ると、もう日付が変わってしまっていた。
「ラス、あなた明日早いんじゃ」
エミールの指摘に、クラウスが眉を寄せた。
「そうだな」
頷きながらも、抱擁はほどけない。
夜が明けたらクラウスは任務に赴く。離れがたい気持ちがじわじわと湧き上がってくるのは、次いつ会えるかわからないからだろうか。
「……ラス」
クラウスの方から、離れてほしい。
そうじゃないとエミールからは、突き放すことができないから、いつまでも離れられない。
声にその想いを込めてクラウスを呼ぶと、男の腕の力がなぜか強まった。
「エル。今日はここで寝てもいいか」
「え?」
「なにもしない。寝るだけだ。まだきみを離したくない」
蒼い瞳がエミールを映して、狂おしく揺らいだ。胸をかきむしりたくなるほど熱っぽい眼差しだった。
「……朝、早いんでしょう?」
エミールは身を捩り、クラウスの抱擁から抜け出した。
がっかりしたように肩を落とす彼の背後に、垂れた尻尾の幻覚が見える。
エミールは苦笑いを浮かべて、囁いた。
「さっさとお風呂に入ってきてください。……先に寝てますから」
クラウスがハッとしたようにエミールを見つめた。
急いで行けとばかりに浴室を指さしたエミールに大きな頷きを返して、クラウスが風のようなスピードで走っていった。
その日、二人はひとつの寝台で抱き合って眠った。
なにもしない、と言ったクラウスの言葉通り、性的な接触は一切なかった。
けれどクラウスの香りが全身を包み、かつてないほど満ち足りた気分でエミールは眠りについた。
翌朝目を覚ましたら、すでに隣は空だった。
エミールはシーツに手を這わせ、アルファの名残をしばらく探していた。
自分から言うのはダメだったのだろうか? まったくもって王族のルールは難しい。
あまりにもクラウスが硬直するものだから、エミールはこれはいよいよ謝罪をした方がいいのでは、と頭を下げようとした。
そのとき。
「……に……たい」
切れ切れの声が聞こえてきて、「え?」とクラウスの口元に耳を寄せた。
「記念日に制定したい」
「……は?」
「今日を、記念日に制定したい。きみが初めて、私をきみのアルファと認めてくれた日だ。父上と宰相に掛け合おう。祝日の制定は審議員か。そこにも話を通さねば」
これ以上ないほど真剣な顔つきでぶつぶつ呟きだした第二王子に、エミールはちょっと引いた。
「真面目な顔でなに言ってるんですか」
「だがきみが!」
「はいはい。期間内に戻ってこれたら何度でも言ってさしあげますよ」
「本当か?」
「……目が怖いんですけど」
「二言はないな?」
「う……はい」
押しに負けてエミールは首肯した。
クラウスの両目がぱぁっと輝いた。表情はあまり動かないのに、しずかに喜びを弾けさせているのがありありと伝わってきて、うっかり可愛いと思ってしまう。
「エミール」
「はい」
「戻ってきたらもうひとつ、きみにお願いがある」
「なんでしょう」
小首を傾げたエミールの目元にキスをひとつ落として、クラウスが言った。
「私もきみを、エルと呼びたい。ファルケンばかり、ずるいではないか」
「ずるいって……子どもですかあなた」
「ずっと思っていた。ファルケンはずるい」
「名前なんて、好きに呼べばいいでしょう」
エミールが呆れ半分に肩を竦めたら、クラウスが驚いたように目を丸くした。
「呼んでいいのか?」
「はぁ。お好きにどうぞ」
「いま、呼んでいいのか?」
「……任務から戻ってきてからが良ければ、ご自由に」
「いや、いま呼ぶ! エル! エル。私のエル」
耳元であだ名を連呼され、エミールはなんだか恥ずかしくなってきた。特別な呼び名でもないのに、クラウスの声で聞くとなんだかすごく……距離が近づいた気持ちになるから不思議だった。
「エル、エミール」
「ちょ、何回呼ぶんですか。もういいでしょ」
「エル、私にも、あだ名をつけてくれ」
「え?」
あだ名? 一国の王子に? 平民のエミールが?
腰が引けたエミールだったが、期待に満ち満ちた蒼玉の眼差しに負けて、仕方なく考えた。
孤児院に居たとき年少組を叱ることも多かったエミールは、とにかく呼びやすいようにと子どもたちの名前を縮めた短いあだ名をつけることが多かった。
ファルケンについては年長の彼がエミールの面倒を見てくれていたので、舌が上手く回らなかった幼いころに「るー」「るー」と呼んでいた名残りなのだけど。
エミールはちらとクラウスの整った顔を見上げた。
「…………ラス、さま」
クラウスを縮めて、ラス。安直すぎるか。だがエルだって大概安直だ。
気に入らないかもしれないな、と考えたエミールだったが、クラウスの瞳の輝きは曇らなかった。彼はまっすぐにエミールを見つめ、
「様は不要だ」
と言った。
「以前から思っていたが、きみと私は対等だ。敬称は不要だ」
「そういうわけにもいかないでしょう」
「せめて、二人きりのときは呼び捨てにしてくれないか」
両手を握られ、顔を寄せられた。間近に迫った美貌と眼差しの圧にエミールは屈した。
「……わかりました。…………ラス」
語尾が消え入りそうに小さくなってしまった。それでもクラウスの耳にはしっかり届いたようで、彼が破顔した。
エミールが初めて目にする、満面の笑みだった。
「エル! エミール! 私のオメガ!」
あっという間に胸に抱きこまれ、きつい抱擁をされた。
自分よりも年上で背も高い男なのに、全身で喜びを表現する様はさならが尻尾を振り回す大型犬だ。
黙っていれば狼のように凛々しい雰囲気なのに、エミールの前では従順な飼い犬のような風情を見せるクラウスに抱きしめられて、エミールは肩を震わせて笑った。
あだ名を呼んだだけでこれほど歓喜されるとは。
ラス。口にしてみると、なんだか初めて呼んだ気がしない音の響きに聞こえるのが不思議だ。
ふと壁掛け時計を見ると、もう日付が変わってしまっていた。
「ラス、あなた明日早いんじゃ」
エミールの指摘に、クラウスが眉を寄せた。
「そうだな」
頷きながらも、抱擁はほどけない。
夜が明けたらクラウスは任務に赴く。離れがたい気持ちがじわじわと湧き上がってくるのは、次いつ会えるかわからないからだろうか。
「……ラス」
クラウスの方から、離れてほしい。
そうじゃないとエミールからは、突き放すことができないから、いつまでも離れられない。
声にその想いを込めてクラウスを呼ぶと、男の腕の力がなぜか強まった。
「エル。今日はここで寝てもいいか」
「え?」
「なにもしない。寝るだけだ。まだきみを離したくない」
蒼い瞳がエミールを映して、狂おしく揺らいだ。胸をかきむしりたくなるほど熱っぽい眼差しだった。
「……朝、早いんでしょう?」
エミールは身を捩り、クラウスの抱擁から抜け出した。
がっかりしたように肩を落とす彼の背後に、垂れた尻尾の幻覚が見える。
エミールは苦笑いを浮かべて、囁いた。
「さっさとお風呂に入ってきてください。……先に寝てますから」
クラウスがハッとしたようにエミールを見つめた。
急いで行けとばかりに浴室を指さしたエミールに大きな頷きを返して、クラウスが風のようなスピードで走っていった。
その日、二人はひとつの寝台で抱き合って眠った。
なにもしない、と言ったクラウスの言葉通り、性的な接触は一切なかった。
けれどクラウスの香りが全身を包み、かつてないほど満ち足りた気分でエミールは眠りについた。
翌朝目を覚ましたら、すでに隣は空だった。
エミールはシーツに手を這わせ、アルファの名残をしばらく探していた。
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