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騎士の帰還
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スヴェンの言葉は正確には、クラウスが帰国の途についたというだけで、いますぐにでもクラウスと会えるという意味ではなかった。
エミールはひとまず、右手首の怪我の治療のため王城へ戻る運びとなった。
アダムの身柄はファルケンからべつの男へと預けられた。スヴェンがなにも言わなかったので、それで良かったのだろう。
帰る前にミアとアイクに会いたかったが、手当てが先だとファルケンとスヴェンの二人がかりで説得され、エミールはほとんど無理やり馬車に押し込められたのだが、これはある意味正解だったかもしれない。時間が経ってくるとハンカチを巻かれた手首がじくじくと痛みだしてきた。
城内の自室へと辿り着くと、すぐに医師と薬師がやってきて、擦過傷の処置や手首の固定を鮮やかな手つきで行った。ひんやりとする軟膏も塗ってもらい、痛み止めの薬も貰ったので、痛みはやがて落ち着いた。
医師たちが帰ったら、スヴェンがゆったりとした部屋着を持ってきて、更衣を促してきた。
エミールはふだんから華美な装いはしない。だから外出着がことさら窮屈だとは思わないが、地面に転がされたりしたので土や草で汚れている。
エミールは勧められるままに、右手首をあまり動かさないようにしながらスヴェンの手を借りて着替えをした。
その間中ずっとスヴェンの顔を見つめていたら、怪訝な目を向けられた。
「なんでしょう?」
「なんでしょうじゃないよ。オレにはなんの説明もしないつもり?」
エミールは声に怒気を混ぜて問いかけた。
スヴェンが困ったように首を傾げる。
彼だけが悪いわけじゃない。それはわかっているが、エミールの周りには秘密を持つ人間が多すぎた。
「オレだけずっと外側に置いておきたいなら、もういいよ」
エミールは投げやりに呟き、侍従から離れる。
「もういい、とは?」
「出てく」
「エミール様」
「クラウス様も待たない。婚約も解消する」
「エミール様」
本当に出て行くとは思っていないのか、落ち着き払った声で名を呼ばれ、エミールはカチンときた。
アダムのことも、ヴローム村のことも、子どもたちのことも、自分の周りでなにが起きているのかも、エミールにはなにひとつ知らされない。まるで終わらない目隠し鬼に参加させられているかのようだ。
クラウスのことだってそうだ。なぜ、ファルケンに帰還の連絡が行くのか。エミールには読めない暗号を、なぜスヴェンが読解できたのか。
なぜ……なぜ、ひと言でもエミールに無事の連絡を寄越さないのか。
腹が立って腹が立って、なんだか泣けてきた。
唇を噛んで侍従から顔を背けた。スヴェンの前で女々しい真似はしたくなかったが、感情がぐちゃぐちゃで上手く制御できなくなっていた。
スン、と鼻を啜って、腕でゴシゴシと目を拭おうとしたら、横からそっと肘の辺りを掴まれた。
「右手はいけません」
指摘をされて、怪我をしたほうの手だったことを思い出す。
王城を出て行くならば、当面の荷物を準備しなくてはならない。この手でできるのか。それとももうすこし良くなるまではこのままここに居るべきなのか。誰もがエミールを軽んじる、こんな場所に?
エミールは虚脱して、立ち尽くした。もうなにをしていいかわからなかった。
「エミール様。座ってください」
スヴェンが左手を引いた。抗う気力もなく、エミールはとぼとぼと歩き、スヴェンが示したソファへとぼすっと座った。体全体が重かった。
エミールの前に茶器が置かれた。甘い匂いがしていた。
スヴェンがカップをエミールの口元まで持ってきた。仕方なく左手で受け取り、ひと口飲んだ。
ミルクと砂糖の味が、舌の上に広がった。無意識にほぅと息を吐く。そのタイミングでスヴェンが口を開いた。
「エミール様。もうすこしでファルケンが来ます。彼が来たら、話します」
「え……?」
「あなたがお知りになりたいことを、すべて」
「いいの?」
自分で乞うておきながら、エミールは怯んだ。それはスヴェンの判断で話してもいいことなのだろうか。俄かに心配になる。
エミールに話すことでスヴェンがクラウスから叱られたりはしないのか。
エミールがなにを案じているか感じ取ったのか、スヴェンが唇の端で微笑んだ。
「大丈夫です。話すのはあの『鷹』なので」
だから自分に咎はない、と侍従はそう主張した。
エミールはまたひと口、甘いミルクを飲んだ。さっきより思考が回り出した気がする。
「スヴェンとファルケンは、前からの知り合いだったんだ?」
ぽつりと尋ねたら、笑みを消したスヴェンが軽く眉を上げた。
「三年前に」
「オレがここに来たときから?」
「はい」
「二人のご主人様は、クラウス様?」
彼しか居ないだろうなと思いつつ問いかけたら、
「まぁ私は、そうですね」
と返ってきた。ファルケンは違うのだろうか? 不思議に思ったエミールだったが、ファルケンのことは直接彼に聞くようにと先んじて言われてしまい、肩を竦めてカップの中身に視線を落とした。
動かしていないつもりでも、ミルクの表面が時折ゆらりゆらりと波立っている。
その波紋を見つめながら、エミールはべつの質問を口にした。
「スヴェンにはこれまでも、クラウス様から手紙が来てた?」
「いいえ」
スヴェンの返事を、頭から信じることはいまの自分には難しい。本当だろうかと疑ってしまう気持ちがどうしても芽生えてしまう。
自分でも嫌だなと思いつつ、スヴェンに疑いの眼差しを向けてしまったエミールだったが、当のスヴェンは涼しい顔で、
「ひとを疑うのはいいことです。特に、この王城では」
と言った。
「スヴェンを疑えってこと?」
「信じる者を見極めた方が良い、という意味です」
「……クラウス様にも似たようなこと言われたな」
三年前、彼と契約をしたときだ。
あのときは確か……。
ファルケン以外を信じるな、と言われたのだ。
とすると、このスヴェンのこともあまり信じない方がいいのだろうか。
考えるほどに混乱してきて、エミールは残りのミルクを勢いよく飲み干した。
エミールはひとまず、右手首の怪我の治療のため王城へ戻る運びとなった。
アダムの身柄はファルケンからべつの男へと預けられた。スヴェンがなにも言わなかったので、それで良かったのだろう。
帰る前にミアとアイクに会いたかったが、手当てが先だとファルケンとスヴェンの二人がかりで説得され、エミールはほとんど無理やり馬車に押し込められたのだが、これはある意味正解だったかもしれない。時間が経ってくるとハンカチを巻かれた手首がじくじくと痛みだしてきた。
城内の自室へと辿り着くと、すぐに医師と薬師がやってきて、擦過傷の処置や手首の固定を鮮やかな手つきで行った。ひんやりとする軟膏も塗ってもらい、痛み止めの薬も貰ったので、痛みはやがて落ち着いた。
医師たちが帰ったら、スヴェンがゆったりとした部屋着を持ってきて、更衣を促してきた。
エミールはふだんから華美な装いはしない。だから外出着がことさら窮屈だとは思わないが、地面に転がされたりしたので土や草で汚れている。
エミールは勧められるままに、右手首をあまり動かさないようにしながらスヴェンの手を借りて着替えをした。
その間中ずっとスヴェンの顔を見つめていたら、怪訝な目を向けられた。
「なんでしょう?」
「なんでしょうじゃないよ。オレにはなんの説明もしないつもり?」
エミールは声に怒気を混ぜて問いかけた。
スヴェンが困ったように首を傾げる。
彼だけが悪いわけじゃない。それはわかっているが、エミールの周りには秘密を持つ人間が多すぎた。
「オレだけずっと外側に置いておきたいなら、もういいよ」
エミールは投げやりに呟き、侍従から離れる。
「もういい、とは?」
「出てく」
「エミール様」
「クラウス様も待たない。婚約も解消する」
「エミール様」
本当に出て行くとは思っていないのか、落ち着き払った声で名を呼ばれ、エミールはカチンときた。
アダムのことも、ヴローム村のことも、子どもたちのことも、自分の周りでなにが起きているのかも、エミールにはなにひとつ知らされない。まるで終わらない目隠し鬼に参加させられているかのようだ。
クラウスのことだってそうだ。なぜ、ファルケンに帰還の連絡が行くのか。エミールには読めない暗号を、なぜスヴェンが読解できたのか。
なぜ……なぜ、ひと言でもエミールに無事の連絡を寄越さないのか。
腹が立って腹が立って、なんだか泣けてきた。
唇を噛んで侍従から顔を背けた。スヴェンの前で女々しい真似はしたくなかったが、感情がぐちゃぐちゃで上手く制御できなくなっていた。
スン、と鼻を啜って、腕でゴシゴシと目を拭おうとしたら、横からそっと肘の辺りを掴まれた。
「右手はいけません」
指摘をされて、怪我をしたほうの手だったことを思い出す。
王城を出て行くならば、当面の荷物を準備しなくてはならない。この手でできるのか。それとももうすこし良くなるまではこのままここに居るべきなのか。誰もがエミールを軽んじる、こんな場所に?
エミールは虚脱して、立ち尽くした。もうなにをしていいかわからなかった。
「エミール様。座ってください」
スヴェンが左手を引いた。抗う気力もなく、エミールはとぼとぼと歩き、スヴェンが示したソファへとぼすっと座った。体全体が重かった。
エミールの前に茶器が置かれた。甘い匂いがしていた。
スヴェンがカップをエミールの口元まで持ってきた。仕方なく左手で受け取り、ひと口飲んだ。
ミルクと砂糖の味が、舌の上に広がった。無意識にほぅと息を吐く。そのタイミングでスヴェンが口を開いた。
「エミール様。もうすこしでファルケンが来ます。彼が来たら、話します」
「え……?」
「あなたがお知りになりたいことを、すべて」
「いいの?」
自分で乞うておきながら、エミールは怯んだ。それはスヴェンの判断で話してもいいことなのだろうか。俄かに心配になる。
エミールに話すことでスヴェンがクラウスから叱られたりはしないのか。
エミールがなにを案じているか感じ取ったのか、スヴェンが唇の端で微笑んだ。
「大丈夫です。話すのはあの『鷹』なので」
だから自分に咎はない、と侍従はそう主張した。
エミールはまたひと口、甘いミルクを飲んだ。さっきより思考が回り出した気がする。
「スヴェンとファルケンは、前からの知り合いだったんだ?」
ぽつりと尋ねたら、笑みを消したスヴェンが軽く眉を上げた。
「三年前に」
「オレがここに来たときから?」
「はい」
「二人のご主人様は、クラウス様?」
彼しか居ないだろうなと思いつつ問いかけたら、
「まぁ私は、そうですね」
と返ってきた。ファルケンは違うのだろうか? 不思議に思ったエミールだったが、ファルケンのことは直接彼に聞くようにと先んじて言われてしまい、肩を竦めてカップの中身に視線を落とした。
動かしていないつもりでも、ミルクの表面が時折ゆらりゆらりと波立っている。
その波紋を見つめながら、エミールはべつの質問を口にした。
「スヴェンにはこれまでも、クラウス様から手紙が来てた?」
「いいえ」
スヴェンの返事を、頭から信じることはいまの自分には難しい。本当だろうかと疑ってしまう気持ちがどうしても芽生えてしまう。
自分でも嫌だなと思いつつ、スヴェンに疑いの眼差しを向けてしまったエミールだったが、当のスヴェンは涼しい顔で、
「ひとを疑うのはいいことです。特に、この王城では」
と言った。
「スヴェンを疑えってこと?」
「信じる者を見極めた方が良い、という意味です」
「……クラウス様にも似たようなこと言われたな」
三年前、彼と契約をしたときだ。
あのときは確か……。
ファルケン以外を信じるな、と言われたのだ。
とすると、このスヴェンのこともあまり信じない方がいいのだろうか。
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