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騎士の帰還
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いつ来るとも知れぬファルケンを待ちながら、エミールはスヴェンの横顔を見上げた。
エミールの食欲がないと見取った侍従は、昼食ではなく軽く摘まめる軽食やプチケーキなどを卓上へ並べていっている。
甘いホットミルクが胃に落ちて、あれほど波立っていた気持ちはいまは凪いでいた。
「そういえば」
「はい」
「今日はよくしゃべるね、スヴェン」
エミールの指摘に、スヴェンが片眉を軽く上げる。
ふだんこの侍従はエミールの言葉に相槌を打つ程度で寡黙な印象があったので、この三年の付き合いの中で今日が一番スヴェンの声を聞いたかもしれない。
「そうでしょうか」
「そうだよ。いつもはオレの話を聞いてばかりだから」
「そうでしょうか」
抑揚の少ない話し方で同じ言葉を繰り返したスヴェンに、そうだよ、とエミールが断言する。
スヴェンはエミールを相手にするといつも聞き手側に回り、求められない限り自分の意見を口にすることはないが、彼が適当にエミールの相手をしているわけではないことはその態度から伝わってきていた。
片付けやらエミールの身の回りの世話やらをしながらも、スヴェンの視線はいつもエミールに向けられていたし、相槌や頷きはエミールの話を邪魔しないタイミングで返されていたからだ。
聞き上手だと思っていた侍従が実は毒舌で、結構容赦のない話し方をするのだとエミールは彼とファルケンのやりとりを見て初めて知ったのだった。
「オレも、もっと気さくにスヴェンに話してほしいな」
エミールがぽつりと漏らした声を聞いて、スヴェンが唇の端で笑った。
「あなたが、クラウス様のオメガでなければ、あるいは」
「オレがクラウス様との婚約を断ったら、スヴェンはオレの友達になってくれるってこと?」
「それ、クラウス様の前で言わないでくださいね。私の首が飛ぶ」
可笑しげにスヴェンが肩を揺らした。エミールもつられて笑った。
二人して、いまここに居ない男の、眉間にしわを刻んだ苦々しい顔を想像しながら笑い続けていると、スヴェンがふと困ったように目を細めた。
「なに?」
「いえ……あなたとあまり近しい仲になるのは、良くないのですが」
スヴェンが控えめに答えて、唇の笑みを消し去る。
エミールはすこしガッカリしたような、腹立たしいような気分で話しかけた。
「身分ってやつ? オレと侍従のスヴェンが友達になるのは難しいって意味で言ってる?」
「……」
「オレは田舎育ちの孤児の平民だよ? オレこそが王城に不釣り合いなのに」
「エミール様」
スヴェンが宥めるようにエミールを呼んだ。
「エミール様は、ご立派に役目を果たされています」
何の慰めにもならない言葉だった。
エミールの役目とはなんだろう。碌な情報も与えられず、貴族たちには見下され、養護施設でも陰口を叩かれるようなオメガが。
クラウスの役に立てているのだろうか。
ミルクとともに飲み下したはずのモヤモヤがまた復活してきそうで、エミールは無意味に右手を固定する包帯を弄った。
そのとき、パタパタと廊下を走ってくる音が聞こえてきた。子どもの軽い足音だ。
ユリウスが来たのだろうか?
エミールがスヴェンを見ると、エミールよりも早く足音に気づいていたのか、彼はもう扉の横に居て、ドアノブに手をかけていた。
スヴェンが開いた扉から、勢いよく二人が走り込んできた。
「エミールママっ!」
「エミール兄ちゃんっ!」
ソファに座るエミールへと一直線に向かってきた二人は、そのままぎゅうっと抱き着いてくる。
「み、ミアっ? アイク? どうしてここに」
「兄ちゃんごめん! 僕、僕……」
「アイク」
「ママぁ……ママ、怪我したの? 大丈夫?」
「ミア、大丈夫だよ」
「兄ちゃん、あのね、」
「ママ、あのね、」
「ちょ、ちょっと待って!」
口々に話しかけてくる二人を遮って、エミールはまばたきを繰り返した。
施設に居るはずの二人がなぜ王城の、エミールの部屋にまで来れたのか……。混乱するエミールの前で、スヴェンが閉じかけたドアの向こうから、ぬっと腕が覗いた。
片腕で扉を押さえて姿を現した男は、ファルケンだった。
隻眼の男はやれやれと言わんばかりに溜め息を漏らして、
「おい、ちょっと離れろ。おまえらのママが潰れるぞ」
と言ってアイクとミアの襟首を掴んでエミールから引き剥がした。
四歳のミアは「や~」とぐずってエミールにひしとしがみついていたが、十五歳のアイクはさすがに聞き分けて素直に離れる。
「ルーが二人を連れてきたの?」
「俺以外に居ないだろ」
ファルケンはあっさりと頷いたが、エミールにしてみれば不思議だった。
ファルケンはすでに王城を出ている。騎士団員ですらない。
一介の娼館の用心棒が自由に出入りできる場所ではないのに。
エミールの疑問が伝わったのか、ファルケンが懐からチラと封筒を覗かせた。
「通行証があるんだよ。クラウス様直筆の」
なるほど、それでは門番も彼らを止めないはずだ。
「ほら、アイク、ミア、ママに言うことがあっただろ?」
ファルケンがてのひらでアイクの後頭部をポンと叩いた。
そのママという呼び方をやめてほしい、と思ったエミールだったが、泣きそうなアイクの表情に驚いて尋ねる。
「どうしたの、アイク」
「エミール兄ちゃん、ずっと隠しごとしてて、ごめんなさい!」
「ごめんなさぁぁい」
アイクの語尾にかぶってミアまでもが謝り、それからうわぁんと泣き出した。
エミールは混乱しながらも右腕にミアを抱きしめ、左手でアイクを招き寄せて華奢な体をぎゅっと抱いた。
そのとき、アイクの首筋から香ってくる匂いがあった。
ハッとして、鼻先を寄せる。
オメガの匂いだ。
アイクはオメガだったのか……。
エミールがそっとファルケンを伺うと、幼馴染はすべてわかっているとばかりにひとつ、頷いた。
エミールの食欲がないと見取った侍従は、昼食ではなく軽く摘まめる軽食やプチケーキなどを卓上へ並べていっている。
甘いホットミルクが胃に落ちて、あれほど波立っていた気持ちはいまは凪いでいた。
「そういえば」
「はい」
「今日はよくしゃべるね、スヴェン」
エミールの指摘に、スヴェンが片眉を軽く上げる。
ふだんこの侍従はエミールの言葉に相槌を打つ程度で寡黙な印象があったので、この三年の付き合いの中で今日が一番スヴェンの声を聞いたかもしれない。
「そうでしょうか」
「そうだよ。いつもはオレの話を聞いてばかりだから」
「そうでしょうか」
抑揚の少ない話し方で同じ言葉を繰り返したスヴェンに、そうだよ、とエミールが断言する。
スヴェンはエミールを相手にするといつも聞き手側に回り、求められない限り自分の意見を口にすることはないが、彼が適当にエミールの相手をしているわけではないことはその態度から伝わってきていた。
片付けやらエミールの身の回りの世話やらをしながらも、スヴェンの視線はいつもエミールに向けられていたし、相槌や頷きはエミールの話を邪魔しないタイミングで返されていたからだ。
聞き上手だと思っていた侍従が実は毒舌で、結構容赦のない話し方をするのだとエミールは彼とファルケンのやりとりを見て初めて知ったのだった。
「オレも、もっと気さくにスヴェンに話してほしいな」
エミールがぽつりと漏らした声を聞いて、スヴェンが唇の端で笑った。
「あなたが、クラウス様のオメガでなければ、あるいは」
「オレがクラウス様との婚約を断ったら、スヴェンはオレの友達になってくれるってこと?」
「それ、クラウス様の前で言わないでくださいね。私の首が飛ぶ」
可笑しげにスヴェンが肩を揺らした。エミールもつられて笑った。
二人して、いまここに居ない男の、眉間にしわを刻んだ苦々しい顔を想像しながら笑い続けていると、スヴェンがふと困ったように目を細めた。
「なに?」
「いえ……あなたとあまり近しい仲になるのは、良くないのですが」
スヴェンが控えめに答えて、唇の笑みを消し去る。
エミールはすこしガッカリしたような、腹立たしいような気分で話しかけた。
「身分ってやつ? オレと侍従のスヴェンが友達になるのは難しいって意味で言ってる?」
「……」
「オレは田舎育ちの孤児の平民だよ? オレこそが王城に不釣り合いなのに」
「エミール様」
スヴェンが宥めるようにエミールを呼んだ。
「エミール様は、ご立派に役目を果たされています」
何の慰めにもならない言葉だった。
エミールの役目とはなんだろう。碌な情報も与えられず、貴族たちには見下され、養護施設でも陰口を叩かれるようなオメガが。
クラウスの役に立てているのだろうか。
ミルクとともに飲み下したはずのモヤモヤがまた復活してきそうで、エミールは無意味に右手を固定する包帯を弄った。
そのとき、パタパタと廊下を走ってくる音が聞こえてきた。子どもの軽い足音だ。
ユリウスが来たのだろうか?
エミールがスヴェンを見ると、エミールよりも早く足音に気づいていたのか、彼はもう扉の横に居て、ドアノブに手をかけていた。
スヴェンが開いた扉から、勢いよく二人が走り込んできた。
「エミールママっ!」
「エミール兄ちゃんっ!」
ソファに座るエミールへと一直線に向かってきた二人は、そのままぎゅうっと抱き着いてくる。
「み、ミアっ? アイク? どうしてここに」
「兄ちゃんごめん! 僕、僕……」
「アイク」
「ママぁ……ママ、怪我したの? 大丈夫?」
「ミア、大丈夫だよ」
「兄ちゃん、あのね、」
「ママ、あのね、」
「ちょ、ちょっと待って!」
口々に話しかけてくる二人を遮って、エミールはまばたきを繰り返した。
施設に居るはずの二人がなぜ王城の、エミールの部屋にまで来れたのか……。混乱するエミールの前で、スヴェンが閉じかけたドアの向こうから、ぬっと腕が覗いた。
片腕で扉を押さえて姿を現した男は、ファルケンだった。
隻眼の男はやれやれと言わんばかりに溜め息を漏らして、
「おい、ちょっと離れろ。おまえらのママが潰れるぞ」
と言ってアイクとミアの襟首を掴んでエミールから引き剥がした。
四歳のミアは「や~」とぐずってエミールにひしとしがみついていたが、十五歳のアイクはさすがに聞き分けて素直に離れる。
「ルーが二人を連れてきたの?」
「俺以外に居ないだろ」
ファルケンはあっさりと頷いたが、エミールにしてみれば不思議だった。
ファルケンはすでに王城を出ている。騎士団員ですらない。
一介の娼館の用心棒が自由に出入りできる場所ではないのに。
エミールの疑問が伝わったのか、ファルケンが懐からチラと封筒を覗かせた。
「通行証があるんだよ。クラウス様直筆の」
なるほど、それでは門番も彼らを止めないはずだ。
「ほら、アイク、ミア、ママに言うことがあっただろ?」
ファルケンがてのひらでアイクの後頭部をポンと叩いた。
そのママという呼び方をやめてほしい、と思ったエミールだったが、泣きそうなアイクの表情に驚いて尋ねる。
「どうしたの、アイク」
「エミール兄ちゃん、ずっと隠しごとしてて、ごめんなさい!」
「ごめんなさぁぁい」
アイクの語尾にかぶってミアまでもが謝り、それからうわぁんと泣き出した。
エミールは混乱しながらも右腕にミアを抱きしめ、左手でアイクを招き寄せて華奢な体をぎゅっと抱いた。
そのとき、アイクの首筋から香ってくる匂いがあった。
ハッとして、鼻先を寄せる。
オメガの匂いだ。
アイクはオメガだったのか……。
エミールがそっとファルケンを伺うと、幼馴染はすべてわかっているとばかりにひとつ、頷いた。
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