騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪

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騎士の帰還

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 王位継承権の話から急に自分に話が飛んで、エミールの混乱はさらに深まった。
 呆然とするエミールを見て、クラウスが眉間のしわはそのままに、唇の端に苦笑をよぎらせた。

「私たちはこの三年、オシュトロークの内情を探り、オメガの村の存在を知り、オメガたちの苦境を知った。すぐにでも救いたかった。だが、戦には持ち込みたくなかった」

 騎士は、自国をまもるために剣を振るう。
 サーリーク王国のおこりは、ひとりのアルファが、おのれのオメガをまもるために築いた城塞からだと言われている。神話の時代だ。聖なる牡鹿に導かれた男が、プーリンフェルの花と囚われのオメガを見つけた。

 初代国王がおのれのオメガのために造った城を中心として、サーリーク王国はその領土を広げてゆくこととなる。それは、主に武力によって成し遂げられた。いまも残る国防壁が、周辺諸国との戦争の歴史を物語っている。

 サーリークは豊かな国だ。気候は温暖で、海にも山にも資源は多い。それらを略奪しようと、虎視眈々と侵略の機会を狙っている国は数多かったが、大陸随一ともいわれる騎士団の活躍で、現在は平和が訪れている。
 国土をこれ以上広げる必要もなく、また、奪われることもない。
 クラウスの父や祖父、曾祖父がまもり通してきた平穏な世だ。

 だが、騎士団は牙を研ぎ続けてきた。いざというときに、おのれの国をまもるために。

 今回の『オメガ解放』は、騎士団の力を大陸諸国に知らしめる良い機会であった。
 ドナースマルク伯もそれを期待していた。
 オシュトローク帝国の非道な奴隷制度を白日の下に晒し、それを圧倒的武力で以って制圧する。その旗印になるのがクラウスだ。
 サーリーク王国の第二王子率いる騎士団が、苦境に喘ぐオメガたちを救済する。その功績を以って王位継承に名乗りを上げるのだ、と。

「荒唐無稽な筋書きだ。だが、それを成すだけの力が騎士団にはある。武力でオシュトロークの中枢を制圧することは、やろうと思えば可能だった」
「でも……しなかった」
「戦になれば、弱い者から犠牲になる」

 オシュトロークでの弱者といえば、奴隷だ。そこにはオメガも含まれる。
 騎士たちの剣が、奴隷たちを切らないとは言い切れない。
 大局を見れば、すこしの犠牲なのかもしれない。だが、クラウスはそうしたくはなかった。

 虐げられているオメガたちの中に、恐らく、エミールを生んだ母が居る。騎士団が武力で踏み込めば、オシュトローク側は奴隷やオメガを肉の盾にする。そこにエミールの母も使われるかもしれない。その可能性を無視することはできなかった。

「オメガの村の存在を知ったとき、私は、真っ先にきみの母親のことを考えた。どこかに、泣きながらきみを落としたオメガが居る。だから探した」

 現在エミールは十八歳。そこから逆算して、当時オメガの村で出産を果たしたオメガは誰だったのか。いまはどこに居るのか。
 アダムの人身売買や、オシュトロークの内情を調査する傍ら、クラウスはエミールの母についてもコツコツと情報を集め続けていたという。

 結局、オシュトロークとの交渉は平和裏に終わった。そのようにクラウスが働きかけた。
 クラウスの主張は、新聞にもあったように『サーリーク王国のオメガがオシュトロークによって攫われた』とするもので、自国のオメガの返還を求めたものだった。
 対するオシュトローク帝国は、そんな事実はないと突っぱねたが、サーリークから居なくなった子どもたちの特徴を詳細にわたって記載した資料を見せ、自国の民をまもるためなら騎士団は剣を振るうことを厭わない、と武力を笠に迫ったところ、兵力で劣るオシュトロークは互いの妥協点を擦り合わせる歩みよりを見せた。

 全奴隷、全オメガの解放までには至らなかったが、アダムらによってサーリークからオシュトロークに売られた子どもたち、そして国防壁の向こうへ赤子の入ったカゴを落とすという悲劇の現場になったオメガの村、その二点に於いてはクラウスの意向が通り、サーリーク王国の庇護下に収めることができた。

「エル。きみが……きみが自分のことを、孤児だと言うたびに、私は、きみの劣等感を払ってはやれないかと思っていた」

 劣等感。自覚していたそれを改めてくっきりと言葉にして告げられ、エミールは顔を歪めた。

「誰しも、生まれる場所を選ぶことなどできない。私とて、王族の一員であること、アルファであることは私の手柄ではない。偶然与えられた環境、それだけだ。エル、エミール」

 低くなめらかな声で名を呼ばれた。エミールは真正面から、男の目を見つめた。

「親が居ないことも、捨てられた子であるということも、なにひとつきみを損なうものではない。だが、きみが気にするなら……その憂いを私がどうにかできないかと、思っていた。エミール、きみは愛ゆえに捨てられた。そして真っすぐ健やかに育った。エミール。ユーリや施設の子どもたちに見せるやさしさも、私をクソ王子と罵る短気なところも、喜びや怒りを素直に表す飴色の瞳も、そのやわらかな声も、貴族たちの嫌がらせに耐え、三年間私を支え続けてくれた芯の強さも、私はきみのすべてを愛しく思っている。きみの母上に負けないほど、きみを愛している」

 真摯なクラウスの言葉を聞きながら、エミールは忙しないまばたきをした。
 瞼を閉じるたびに、ぼろり、ぼろりと涙が落ちた。

 すまない、とクラウスがささやいた。王族の男が、平民のエミールに頭を下げた。

「すまない、エル。私はきみの母上を見つけることができなかった。手を尽くしたが、見つけられなかった。すまない。無力な自分が情けなくて嫌になる」

 両のこぶしをマットレスに押し当てて、深々と謝罪するクラウスへと、エミールは泣きながら抱きついた。

「な、なんで、あなたが謝るんですかっ」
「私はきみの憂いを」
「もういいっ! もういいからっ!」

 胸元にクラウスの頭を抱き寄せ、やわらかな金髪に頬を押し付けた。

「バカ……クソ王子」
「む……私はまたなにか、間違えただろうか」

 言葉が足りない、とロンバードに遠慮のない指摘を受けてきたクラウスが、困惑したように籠った声を聞かせる。
 エミールはそれに泣き笑いになって、抱きしめる腕に力を込めた。

「ラス、ありがとう」

 愛ゆえに捨てられた。
 矛盾するセリフがエミールの胸に沁みて、刻まれている。

 愛ゆえに。
 愛されていた。
 自分は、愛されていたのだ。
 その実感がじわじわと這い上がってくるようだった。

「教えてくれて、ありがとう」

 涙声でお礼を言ったら、クラウスの力強い腕が背中に回った。
 胸元から顔を上げた男が、今度は反対にエミールを抱き込んでくる。

「こんな無力なアルファですまない」

 英雄として帰還を果たしたはずの男が、心底おのれの無力を嘆いていた。エミールにはそれが不思議で仕方ない。

「あなたは立派に役目を果たしたでしょう」
「だがきみの母上を」
「だからもうそれはいいってば」
「だが」
「し~つ~こ~い! 元々ないと思ってたものだから、本当にもういいんです」
「エミール……」

 埒もない会話をするうちに、エミールはふと気づいた。
 そういえば新聞にはひと言も、『国防壁の向こうから落とされた赤子』の存在が出ていなかった。
 どの記事にもサーリークのオメガがオシュトロークに売られていた、とは書かれていたが、そのオメガが過去にオシュトローク側から落とされた赤子だったと言及してはいなかったのだ。

 それもきっと、この黒衣の騎士の配慮なのだ、とエミールは悟った。

 自国のオメガが売られたとする方が、クラウスを英雄として担ぎたい貴族たちの思惑や、オシュトロークとの交渉に有利だったという理由もあるだろうけど、たぶん一番は、エミールのことを気遣ったのだろう。
 新聞で暴かれてしまえば当事者であるエミールにも影響が及ぶ。そう考えて、伏せてくれたのだ。

 なんだろうな、このひとは。
 クラウスに抱きしめられ、彼の匂いを嗅ぎながらエミールは考えた。

 このひとはなんだろう。
 なぜこんなにもエミールを大切にしてくれるのだろう。

 クラウス以外の誰が、エミールの母を探したいという理由で隣国にまで乗り込んでくれるだろうか。そして、母が見つからなかったといって落ち込むだろうか。

 こんなひと、他には居ない。
 クラウス以外には、誰も。

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