騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪

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二人の王子

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「ファルケンの匂いがするな」

 顔を合わせるなりクラウスに指摘され、エミールは苦笑いを浮かべた。
 すでに夕食を終え、談話室でくつろいでいたときのことだ。
 エミールとの食事に間に合わなかったクラウスは、騎士団の宿舎で簡単なものを摘まんできたとのことで、片マントと上着を脱いで、エミールの隣にどかりと腰を下ろした。

「お風呂に入ったのにわかるんですか?」

 アルファの嗅覚はすごいなと感心したら、クラウスの眉間にますます深いしわが刻まれた。

「風呂に入った? なぜだ」
「なにを疑ってるんですか。汗をかいたから流しただけですよ」
「汗をかくようなことをしたのか? ファルケンと?」
「だからなんで変な流れになるんだよ! ルーと手合わせしただけだって!」
「手合わせ? ファルケンとか?」

 冴え冴えとした蒼い瞳がぎらりと光った。怖い。

「スヴェンに護身術を習うことは認めたが、ファルケンと手合わせするとは聞いてない」
「……だって、せっかく習ったんだから、どこまで通用するか確かめたいじゃないですか」

 エミールはごにょごにょと弁明した。
 絶対に怒ると思ったから言わなかったのだ。訓練後に風呂に入って体を洗えば証拠隠滅になると思っていたが……甘かった。もうすこし念入りに洗ったら、ファルケンの匂いは消えただろうか?

「手合わせは私がする。ファルケンには頼るな」
「……だって、ラスはオレ相手にこぶしを振るえないでしょう?」
「ファルケンは振るったのか?」

 前のめりで詰問された。
 はいと言ってもいいえと言っても面倒くさいことになりそうで、エミールは強引に話題を変えた。

「そういえば、ラス。ライカンスロープってなんですか?」

 人狼ライカンスロープ
 それは今日のファルケンとの会話の中で出てきた言葉だった。

 知ってるか、と聞かれ首を横に振ったら、クラウスの二つ名だと教えられた。
 確かにクラウスの顔立ちは狼を彷彿させるが、ライカンスロープの呼び名はまたべつの原因から生まれたという。

 詳しく教えてもらおうとしたら、
「王子に直接聞いてみろ」
 と言われたのだが。
 エミールがそのことを尋ねると、クラウスは唇を引き結んで「む……」と小さな声を漏らした。

 結婚して以降、エミールとクラウスは同室となっている。
 寝室は分かれており、互いに扉一枚で行き来できる造りだ。そして共通の談話室と食堂、浴室とトイレがある。
 使用人は数多く居たが、エミールの身の回りのことは引き続きスヴェンが手伝ってくれていた。そしてクラウスと二人で居るときの給仕なども、スヴェンが主に担当している。
 曰く、つがいにデレデレで情けない騎士団副団長の姿は、できるだけ秘匿しておくべきである、ということだ。

 そのスヴェンが、テーブルに寝酒ナイトキャップの準備していた手を止めて、ちらとこちらを伺ってきた。

「スヴェンも知ってる?」

 エミールが尋ねると、軽い頷きが返ってくる。

「話してさしあげたらどうです?」

 スヴェンがグラスに琥珀色のお酒を注いだ。ふわりと柑橘系の香りが漂ってくる。それがクラウスのアルファの香りと混ざって、とても良い匂いだった。

 クラウスはまだ眉間にしわを作ったままで、スヴェンから受け取ったそれをくいと傾けた。

「あまり言いたくない」
「そんなに嫌な話なんですか?」

 エミールは小首を傾げて隣の男を見上げた。

「嫌な話というわけではないが……これが原因でおかしな英雄譚が生まれたことが嫌なのだ」
「英雄譚?」
「軍神フォルスの再来だ」

 エミールはああと思い当たった。
 オシュトローク帝国でオメガの解放を行ったクラウスを、新聞がそうもてはやしていたことはまだ記憶に新しい。

「フォルスの神話は知っているか?」

 クラウスに問われ、エミールは記憶を手繰った。

 軍神フォルスは万物の神ヴォーダンの孫にあたる。
 神のおわす天の国が異形の黒き獣に襲われた際、フォルスは果敢に立ち向かった。フォルスと黒き獣の死闘は数か月にも及び、やがてフォルスはついに黒き獣を討ち果たした。
 しかし黒き獣はいのちを落とす直前、最期の力を振り絞って自爆した。
 フォルスはその爆発に巻き込まれ、天の国から地上へと弾き飛ばされる。

 彼が落ちたのは深い森の中だった。深手を負い意識を失ったフォルスがようやく目覚めると、そこには灰色の狼の姿があった。
 狼はフォルスが他の獣に襲われぬよう、寒さで凍えぬよう、ずっとフォルスをまもっていたのだ。

 やがてフォルスの傷が癒えたころ、一頭の大鹿が現われた。黄金の角を持つその牡鹿は、フォルスを心配したヴォーダンが遣わしたものだった。
 そうとは知らず狼は牡鹿へと襲い掛かった。フォルスが飢えぬよう、牡鹿の肉を与えようとしたのだった。そして牡鹿の喉を食い破ろうとしたとき、聖なる雷に打たれて落命した。

 フォルスは泣いた。
 フォルスの涙で狼の毛は黄金色となり、フォルスとともに天へ昇って、金色の星となっていまも北の夜空に輝いている。

 エミールが簡単に神話の内容を口にすると、クラウスは苦い表情で頷いた。

「フォルスは狼にたすけられた。かつて私の身にも、同じことが起こった」
「え?」
「昔の話だ。五歳のときだったか、私は山で迷子になった」

 当時のクラウスは、王城の北側に位置する山に迷い込んだという。
 王城には隠し通路が至る場所にあり、その全容を知っているのは王族だけである。
 クラウスは遊び半分でひとつの隠し通路に潜り込み、それがどこへ続いている抜け道なのかを確かめた。そして出た先が森の中だったらしい。

 周囲を探検している内に、隠し通路のあった場所がわからなくなってしまった。じっとしておけばいいものを、焦りのあまりつい歩き回ってしまったという。
 クラウスにもそんな子ども時代があったのかとエミールは微笑ましく話の続きを聞いた。

「私は三日三晩、森を彷徨った」
「三日三晩!? それは……さぞご両親は心配なさったことでしょう」
「心配したどころではない。事故か事件か誘拐かと城中が大騒ぎだったと聞く」
「そうでしょうね」

 幼い第二王子が消えたのだ。しかも三日三晩も。

「四日目にして私はようやく衛兵に見つけてもらった。そのとき、私の傍らには狼が居たのだ」
「えっ?」
「衛兵は、狼の背に乗って下山してきた私を見た、と証言している」
「事実なんですか?」
「事実だ」

 それはまたすごい話だ。

「狼がラスをまもってくれたってこと?」
「まぁ、そういうことになる」
「それで軍神フォルスの再来かぁ……」

 エミールは感心して頷いたが、クラウスは首を横に振った。

「だが、その場に居たのは私だけではなかったんだ」
「え?」
「兄上も一緒だった」

 なんと! 二人の王子が一度に行方不明になったのなら、それはもう大騒ぎどころの話ではない。当時の混乱が想像できて、エミールは目を丸くした。

「マリウス様もあなたと一緒に迷ってたんですか……」
「むしろ遭難は兄上のせいだ。私は動かずにたすけを待つほうがいいと進言した」
「それは……お気の毒に」
「昔から兄上は自由なんだ。発見されたときも兄上は、そろそろ誰か探しに来ているだろうから先に山を下りて様子を見てきてくれと私に言って、自分は昼寝をしていたんだ」
「…………」

 なんという豪胆さ。エミールは絶句して、幼いクラウスの苦労を思ってよしよしと背を撫でた。
   
 
 

 
 
  
 
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