騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪

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狼と名もなき墓標

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「エミール様、里へ入れば体を休めていただけます。あとひと頑張りです」
「わかった」
「ここは『狼』の住む山です。迂闊には立ち入れない」
「うん」   
「ところで、私としたことが」
「うん?」

 スヴェンが急に頭を下げたので、エミールはなにごとかと首を傾げた。

「あなたに着替えをしてもらうことを忘れていました」
「着替え?」
「ここからは山道です。その格好では動きにくいでしょう」

 スヴェンの指摘に、エミールは自身へ目を落とした。
 アマーリエからの手紙の後、王城からの呼び出しにいつでも応じられるようにと正装に着替えたままだったのをいま思い出した。
 でもこの格好でファルケンの元へ走ったり、地下通路を歩いたりしてきたので、もういまさらだろう。

 エミールはそう思ったが、スヴェンが、
「寒いでしょうが、着替えてください」
 と促してきた。   

「いいよ、大丈夫」
「いけません。すこしでも機動力を上げて早く里へ入るためにも、動きやすい服装をしていただかないと」

 そうまで強く言われては着替えるしかない。
 エミールが頷くと、スヴェンは背負っていた荷を下ろし、そこから数枚の衣類を取り出した。
 エミールは素早くコートを脱ぎ、上着とベストを脱いだ。

「シャツはそのままで結構です。こちらを」

 スヴェンに言われるままに、差し出される服を着込んでいく。普段から華美な格好ではなかったが、こういう庶民服のような衣類は久しぶりで、懐かしい気分になった。
 スヴェンは靴まで持ってきていて、エミールは慌ただしく着替えを終えた。
 脱いだ服はスヴェンが一式揃えて布袋に入れた。

「エミール様。あとはこちらを」

 マフラーと手袋まで装着し終えたエミールに、スヴェンが携帯バッグを手渡してくる。

「これは?」
「万一のための食料です。背負って行ってください」
「わかった」

 頷いたエミールだったが、あれ? と思う。
 スヴェンの言い方が、まるで……。

「エミール様。ここからは『狼』が先導します」
「スヴェンは?」
「私には、他に役目が」
「役目ってなに」

 突然別行動をすると言いだしたスヴェンの手を、エミールは咄嗟に掴んだ。

「スヴェンは、オレと一緒に、」
「エミール様。私は追手の足が鈍るように、すこし仕掛けをしてきます。その後はすぐに里へ向かいますので、ご心配なく」
「…………」
「あなたが愚図愚図していたら、私の方が先に着いてしまうかもしれませんね」

 言外に早く行けと告げられて、エミールは迷った。
 このまま、スヴェンの手を離してしまっていいのか。得体の知れないもやもやが、胸の奥に涌いてくる。

「エミール様、行きますよ」

 どこからか現われた狼面の男が、エミールの注意を引く。

「里から他の『狼』も向かってます。我が君マイン・ヘルが戻るまであなたのことは『狼』がまもります。歩くのがつらいようなら背負います」

 背負います、と言って狼面が本当にエミールに背中を向けたから、エミールは慌てて首を横に振った。

「大丈夫、歩けます」

 山道をひと一人背負って行くなんて無茶が過ぎる。

「では、お早く」

 男に急かされて、エミールはスヴェンの手を離した。代わりのように狼面の腕に掴まらせてもらった。

「足元は滑ります。気をつけて」
「はい。……スヴェン」

 侍従を振り向くと、スヴェンが礼を返してきた。

「お気をつけて。後で里で会いましょう」
「スヴェンも、無理しないで」
「私が強いのはよくご存じでしょう」

 冗談めいた口調で、スヴェンが小さく笑った。
 彼はエミールの護身術の先生だ。機敏なその動きを真似したくてエミールも練習に励んだが、スヴェンに追いつくことはまだまだできそうになかった。

「……怪我、しないでね」
「御意」

 スヴェンの返事を受けて、エミールは足を踏み出した。
 地下道よりも足元が悪い。雨のせいで地面がぬかるんでいる。斜面は特に危険だった。

 男の腕や木の枝などにすがりながら、エミールは大きな段差になっている岩を上った。
 ふぅ、と息を整えて、一度だけスヴェンの方を振り向いた。
 闇夜の中、スヴェンらしき影がごそごそと動いている。あれは……着替えを、しているのだろうか?
 エミールは目を凝らした。

「エミール様、前を」

 狼面の男に腕を引かれ、顔を前へ戻した。
 その途端、脳裏で弾けた声があった。

影野郎シャッテン

 ファルケンが、スヴェンを呼ぶときの声だった。

 シャッテン
 白金髪で、色素が薄い、スヴェン。
 なぜ彼が『影』なのか。エミールは不思議に思ったことがあったはずだ。
 それなのに。
 なぜ、忘れていたのか。

 エミールは咄嗟に駆け戻ろうとした。それよりも早く狼面の男に体を押さえられた。

「いけません、エミール様」
「でも!」
「あなたは先へ進まなければ」
「でも! 聞いてない!」

 エミールは身を捩って男の拘束から逃れようとした。

 スヴェン。エミールの侍従。
 クラウスやらロンバードやら上背のある男たちの中、で口数も少なかった彼は、エミールにとっては友だちのような存在だった。 

 一度だけ、彼が言ったことがある。
 あなたとあまり近しい仲になるのは良くないことだ、と。

 仲良くなってしまえば、情が湧く。
 情が湧けば、切り捨てられなくなる。
 いざというときに。
 身代わりとして、切り捨てられなくなるから。

 だからスヴェンはエミールの侍従となった当初、ほとんど口を利かなかったのだ。エミールはずっと彼のことを、寡黙な性格なのだと思っていた。
 でも、アダムの事件があって、ファルケンとスヴェンのやりとりを目にしたら、意外とおしゃべりなことがわかった。そして、意外と毒舌家であることも。

 そうだ。あの事件がきっかけでエミールはスヴェンとたくさん話をするようになったのだ。
 護身術を習うようになってからは、なおさら距離が縮まったような気がしていた。
 今日だって彼がずっと隣に居てくれてこころ強かった。スヴェンが居なければ、エミールは牢に捕らえられていたのかもしれない。

 おかしいとは、思ったのだ。エミールに着替えさせるのを忘れたと言ったくせに、荷物にはきちんとエミールのための服が入っていたのだから。
 スヴェンは今頃、エミールが脱いだ服に身を包んでいるのだろう。

「スヴェン!!」

 侍従の名を叫びかけたエミールの口が、狼面の男のてのひらで塞がれた。

「『影』は大丈夫です。このときのために訓練は受けてます」

 訓練。それは、エミールの影武者になる訓練か。
 恐ろしさのあまり、足が萎えた。そこまでしてまもられるような価値のある人間じゃない。スヴェンを犠牲にしてまで逃げたくはない。そう思うのに、動けない。
 へたりこんだエミールを、狼面の男が背負った。スヴェンに背を向けて、男が山道を登ってゆく。

「髪は染めるんです。あなたの髪と同じ、濃い蜂蜜色に。そのための染め粉を『影』は常に持っている。目の色は、薬剤ですこし濃くする。『狼』にはそういう、擬装術も伝わってるんです」
「…………」
「『影』は自分から、その役目に立候補しました。我が君マイン・ヘルに命令されたわけじゃない。誰にも強制されたりはしてません」
「…………」
「エミール様。『影』は攪乱かくらんに行っただけです。なにも最後まであなたの身代わりを務めるわけじゃない。頃合いを見て上手く離脱します」

 『狼』の言葉は嘘なのか本当なのかエミールにはわからなかった。
 わかっているのは、自分が逃げなければならないということだけだ。
 スヴェンのためにも、『狼』のためにも、クラウスのためにも。

「……すみません。取り乱しました」

 ぐす、と鼻を啜って、エミールは涙を拭った。
 いいえ、と『狼』が首を横に振る。

「あなたの気丈さは、美点ですよ」
「気丈じゃないよ。泣きたい」

 もう泣いてしまってから言うことではないが、エミールは情けない気持ちで泣き言を漏らした。

「でも、泣いてたらスヴェンに怒られそうだから」
「……あなたのお世話は面白いと『影』が言ってましたよ」

 面白い? そんな愉快なことをした覚えはないが、エミールにとってもスヴェンと過ごす時間は楽しいものだった。

「オレも、もっとスヴェンと居たい」

 夜が明けたら、日常が戻ってくるだろうか。
 クラウスが居て、スヴェンが居て、ファルケンが居て……。またみんなで他愛のない時間を過ごせるだろうか。

「そのためにはあなたが無事に逃げ延びないと」

 狼面の顔が振り返り、やさしく囁かれた。
 エミールは頷いて、大きな息を吐いた。

「ごめん。自分で歩く」
「いえ。もうすこし行くと道がさらに険しくなります。そこはさすがにご自身で歩いてもらわないといけないので、それまでは休憩しておいてください」
「うん……ごめん」

 エミールは男が自分を背負いやすいよう、彼の肩に両腕を回した。
 『狼』の呼吸音と、山道を往く足音。それを聞きながら、目を閉じる。

 いま、クラウスに会いたかった。
 エミールの騎士に。
 いますぐ、会いたかった。

 だけど、それは叶わないと知っているから、クラウスに会えるそのときまで、きちんと自分の身をまもろうと思った。
 自分と、お腹の中の子どもを。  
 
 
 
 
 
  
  
 
   
 
     
   
  
    
   

 
  
    
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