騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪

文字の大きさ
85 / 127
狼と名もなき墓標

18

しおりを挟む
***

 
 

 暗闇で震えていた。
 寒さに歯の根が合わなくなる。自身を抱きしめるようにして両腕を肩に回した。

「大丈夫ですか?」

 気づかわしげに尋ねられ、エミールは顔を上げた。しかし声がした右斜め上を見たところで、暗闇でなにも見えない。
 『狼』の里へ向かう途中で雨が再び降りだしたため、狼面の男の先導で急遽近くの洞窟に避難したのだった。

 ザァザァと強い雨音が、岩肌に反響して聞こえていた。雨音に混じって、川の流れる音も聞こえる。この洞窟は山の斜面に開いた横穴式のもので、もうすこし下った場所に川が流れているのだと『狼』が言っていた。

 雨が降り出すや否や、足場が悪いというのにこの男はエミールを背負ったまま、最速でここへ連れてきてくれたのである。さすがに疲れているだろうとエミールは『狼』にも座って体を休めるよう言ったのだが、彼はそれよりもエミールの保護を優先させていた。
 足場を確かめ、なるべく平坦になっている岩におのれの上着を敷き、そこへエミールを座らせる。『狼』だって寒いだろうからそんなことしなくていいと言ったのに、「体を冷やしてはいけません」と頑なに主張された。申し訳ないながらもエミールは男の上着の上に腰を下ろした。

 雨は止む気配がなかった。真っ暗な中じっとしているとどんどんと体が冷えてくる。
 スヴェンは無事なのだろうか。そしてクラウスは。エミールの騎士はいまどこに居るのだろう。ファルケンは合流できたのだろうか。
 不安と焦燥が胸で渦巻き、そのせいか下腹部に痛みを覚える。精神的なものだろう。それでも胎の子が心配で、エミールはほんのすこしの膨らみのある腹を撫でた。

 懐妊して四ヶ月。胎動はまだ感じないが、ベルンハルトは「お腹の中でしっかりと赤ちゃんの形になる頃ですなぁ」と言っていた。
 アマーリエのときに比べてお腹のふくらみが少ない気がしたが、男性オメガの場合は胎児は小さく育つことが多いとも教えてもらって安堵した。
 自分が身籠るなんてこと、想像したこともなかったけれど、実際にクラウスとの子を授かって、いまでは絶対にこの子をまもるのだという使命感に駆られている。

 だから、大丈夫。オレは大丈夫。
 お腹をさすりながら自身にそう言い聞かせた。

 いまは何時なのだろう。夜明けはまだ遠いのか。灯かりがほしい。周りの様子がわかれば、すこしは不安も和らぐのに。

「エミール様、エミール様!」

 強い囁きで名を呼ばれ、エミールはハッと肩を跳ねさせた。

「眠らないでください。体温が下がってしまう」
「ご、ごめん。起きてる。大丈夫」
「……ランタンを、点けましょう」
「いいの?」
「我々は夜目が利くよう訓練してますが、こう暗いとあなたの顔色もわからない」

 背に腹は代えられないとばかりに、『狼』が苦渋の決断をする。

「敵からも見つけられやすくなりますが、味方も我々を探しやすくなる」

 だから悪い影響ばかりではないと言い訳のように口にして、『狼』が小さなランタンに火を点した。だが、やはり外を警戒しているようで、自身の巻いていたマフラーを使って光量を絞る。
 仄かな光でエミールを照らして、男は面の奥の瞳を歪めた。

「大丈夫。気分が悪いわけじゃないから」

 こちらの体調を気にしたのがわかって、エミールは慌ててそう言った。男からはすでに上着を借りている。これ以上は負担になりたくなかった。

「もうひとり居れば、里から防寒具を持って来れたのですが」

 『狼』の足なら里までは大した距離じゃない。だがエミールをひとり此処に残すことはできないため、防寒具や雨具を取りに行けないのだとわかり、エミールは悄然と項垂れた。

「……ごめん。オレのせいだね」

 自分がファルケンを……ファルケンと護衛についていた二人の『狼』をクラウスの元へと行かせてしまったから、いまはこの男ひとりしか居ないのだ。
 『狼』が面の下で小さな笑いを漏らした。

「あなたは、謙虚なおひとだ。『狼』の準備が悪いと怒ってもいいところなのに」
「なんでオレが怒るんだよ。こんなにたすけてもらってるのに」
「言ったでしょう。俺たちは亡霊だと。疾うの昔に滅んでいたはずの一族です。いまは陰から王家の手足となり、恩を返すために動いているだけの亡霊だ。だからそもそも人間ですらないんです」
「でも、クラウス様がそうしろって言ったわけじゃないよね」

 エミールはか細い橙の光の中、横に立つ男を見上げた。

「あのひとは、あなたたちを亡霊のままでいさせたくはないんだ。きっと、人間として仕えてほしいんだと思うよ。だから対等な主従契約を結びたいって言ったんだ」

 エミールの言葉に、『狼』が一拍押し黙った。

「…………『影』から、聞きましたか」
「うん。スヴェンに教えてもらった。あなたにも、本当はきっと、ちゃんと名前があるよね」
「…………」
「教えてくれないなら、勝手に名前をつけるけど」

 エミールが唇を尖らせると、『狼』がまた小さく笑った。

「亡霊に名前をつけますか」
「だって、里に行ったら皆が『狼』なんだろ? あなたに用事があるときに『狼』って呼んで他の皆が振り向いたら困るよ」

 くくっ、と喉奥で笑いながら『狼』が首を横に振る。

「我々は全員でひとりの『狼』です。主に仕えるための存在だ。だから里では全員が俺だと思って用事を言いつけてもらっても構いません」
「う~ん……そうじゃなくてさぁ……ほら、さっき背負ってもらったお礼を改めて言いたくなったときとかさ。オレを背負ったのは他の『狼』じゃなくてあなたなんだし」
「お礼、ですか」
「そう。あなたとスヴェンがどれだけオレをたすけてくれたか、ちゃんとクラウス様にも報告するから、たぶん、ラスからもすごく褒めてもらえると思う!」

 エミールがこぶしを握って断言すると、『狼』が堪えきれなくなったように両手で顔を覆って肩を震わせた。必死に声を噛み殺して笑っているのだ。

「あなたは……ふはっ、やっぱり面白いですね」
「そうかな」
「はい」
「でも、本当はオレのこと笑ったりしたら不敬だよね?」
「申し訳、」
「悪いと思うならそのお面の下の顔見せてもらうことってできないかな?」

 男の語尾に被せてそう問うと、『狼』が再び笑いの発作に襲われた。

「く、くくっ……気になりますか、これ」
「だって、口元しか見えないから。なんでお面してるんだろってずっと気になってた。里のひとは皆してるの?」
「はい。ふだんはしませんが、あなたがいらっしゃるときは全員が面を付けます。先ほども言った通り、我々は全員でひとりの『狼』なので」
「オレに素顔を見せたら罰則とかってあるの?」       
「ございません」
「じゃあ!」

 エミールは期待に満ちた目で男を見つめた。仕方ありませんね、と応じた彼が、右手で面を掴んだ。
 その直後だった。

 『狼』は突如として身を屈め、エミールの頭を庇うように低く押さえつけた。

「なっ」
「シッ! じっとして」

 驚きの声を上げかけたエミールを黙らせ、『狼』は片手でランタンを引き寄せる。
 男が灯りを消そうとした、その瞬間。

「ご無事でしたか」

 不意に、どこからか声が聞こえてきた。『狼』がホッと力を抜いたのがわかった。

「灯りがあったのでもしやと思い馳せ参じました。隠れ里の『狼』にございます」
「あ、え……仲間?」

 隣の『狼』に問いかけると、彼はこくりと頷いた。

「外はどうなってる」

 立ち上がった彼が、洞窟の岩肌に向かって話しかけた。エミールは目をこらしてそちらを見たが、暗いのもあってそこにひとが居るのかどうかわからなかった。
 スヴェンに教えてもらった、隠行フェアシュテッケンというやつだろうか。   
 ともかく、味方がひとり増えたのは間違いないようで、エミールは安堵の息を吐いた。
        
  
 
 
 
 
   
しおりを挟む
感想 159

あなたにおすすめの小説

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

愛する公爵と番になりましたが、大切な人がいるようなので身を引きます

まんまる
BL
メルン伯爵家の次男ナーシュは、10歳の時Ωだと分かる。 するとすぐに18歳のタザキル公爵家の嫡男アランから求婚があり、あっという間に婚約が整う。 初めて会った時からお互い惹かれ合っていると思っていた。 しかしアランにはナーシュが知らない愛する人がいて、それを知ったナーシュはアランに離婚を申し出る。 でもナーシュがアランの愛人だと思っていたのは⋯。 執着系α×天然Ω 年の差夫夫のすれ違い(?)からのハッピーエンドのお話です。 Rシーンは※付けます ※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...