騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪

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狼と名もなき墓標

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 エミールの胎にクラウスの子が宿った。その報せは穏健派の首脳陣に衝撃を与えた。
 ドナースマルクの言っていた、王家の争いの火種。それが現実のものとなったのだ。

 議長たちはしずかに互いの顔色を窺った。
 そして見合わせたその目の中に、逼迫した危機感が宿っていることを確認した。

 彼らは速やかに、今後の対応を話し合った。しかしその時点でもうすでに、下準備は出来上がっていた。
 ドナースマルクが予見した未来。いつ起こり得るともわからない『そのとき』に備えて、それぞれが秘密裏に動いた結果であった。

 たとえばミュラー家の封蝋の模造品の作成や、アマーリエやマリウスの筆跡の模倣。
 たとえば王家に伝わる『狼』の逸話の真偽の確認。
 たとえばクラウスやエミールの交友関係の洗い出し。
 いざというときのために、各々がすこしずつ行動に移していた。

 そしてその『いざ』が目の前の迫ったとき、それを使わない方がおかしいというほどに、

 これがひとりであったなら、いかに王家のためと言えど重圧で耐えきれなかっただろう。
 しかし平和を愛し国をまもろうとする幾人もが集まり、その荷をすこしずつ分け合っていったことで、罪悪感は薄まっていた。

 サーリーク王国のために。ミュラー家のために。
 争いの火種は、生まれる前に消し去らなければならない。
 そんな使命感と大義が、彼らを突き動かしていた。

 その行動自体が、ドナースマルクの毒を浴びたがゆえのものだと自覚しないままに。



 だが、議長たちにとっても誤算はあった。
 エミールを捕縛するために王城の裏の山に追手を放ったものの、彼らがまさかエミールに対し弓矢を放つなんて真似をするとはのである。

 エミールは元平民とは言え、第二王子のつがい。胎の子はともかく、エミール自身を殺めようなどとは誰も考えていなかった。
 それなのに。
 誰が命じたわけでもないのに、弓矢は放たれていた。

 よもやこのような事態になるとは、と憔悴しきった様子で議長や貴族たちは語った。
 弁明にもならぬその訴えを聞き、クラウスはゆっくりと口を開いた。

「ある騎士が居た。勇猛な騎士であった。国の領土をまもるための戦で敵に囲まれ、窮地に陥ったときに騎士は言った。国のため、正義のためにいのちを捨てよ。国に尽くせ。私に続け、と。他の騎士は全員、その騎士の背を追って勝てるはずもない敵へと果敢にも挑んでゆき、いのちを散らした」

 そのしずかな声音は部屋によく響いた。
 クラウスは一度言葉を切り、全員を見渡してから続けた。

「仲間を煽り、死地へと追い込んだこの騎士は、真実勇猛であったのか。これは、我々騎士が最初に教わる心得のひとつだ。騎士の役割は戦って死ぬことではない。騎士の役割はまもることである。それゆえ騎士は倒れてはならぬ。膝をついてはならぬ。その背にまもるべきものがあるのなら、騎士は騎士としての役割をまっとうせねばならぬ」

 騎士の訓えを滔滔と述べるクラウスは、騎士そのものを体現するかのように背を凛と伸ばし、真っすぐな視線で周囲を射た。

「ではこの話の騎士たちはなぜ、死んでいったのか。いのちを捨てよと煽った愚かなる騎士のせいだったのか。……答えは否だ。騎士たちにとって真の敵は、国のためという大義である」

 クラウスの言葉に、議長たちが息を飲んだ。誰も、クラウスから視線を逸らさなかった。

「発端は愚かなる騎士の放った言葉だったのかもしれない。国のためにいのちを捨てよ。だが、私がいまここで貴公らに同じことを言ったとして、誰が賛同するだろうか。誰もしまい。国もおのれのいのちも、等しく大事だからだ。だが、。国のためにいのちを捨てよと言われ、騎士たちはそれに発奮し、結果いのちを落とした。平時では従わぬ命令が、戦場では騎士たちを駆り立てる効果バフとなった。これはなぜか」

 低い問いかけに答える者はなかった。沈黙をゆるさぬ勢いで、クラウスが言葉を継いだ。

。大義は伝染し、ひとを介してさらに強く大きく膨れ上がる。特に、なおさらだ」

 国のため、王家のためにと大義を抱え、エミールを追い込んでいった議長や貴族たち。
 彼らの熱意は伝播する。

 国のために。王家のために。争いの火種を消し去らなければならない。
 その一心で追っ手は放たれた。
 夜の闇の中、雨の中、彼らは互いを鼓舞しながら山道を進んだに違いない。そして、逃げるエミールを見つけた。

 あそこに居るのは国の敵だ。王家の敵だ。

 戦場では善悪の感覚が麻痺してしまう。善悪よりも確かなものが……ゆるぎないものが、大義なのだ。
 国のため。王家のため。
 判断のよすがは、それだけだ。思考はすべてそこへ収束してゆく。

「国のため、王家のため。

 ひとりが弓を放つと、もはや歯止めはなくなった。夜で相手がよく見えなかった、というのも王家に連なる者に弓を引くという大それた真似をさせる一因になったのかもしれない。

 ともかく、弓矢は放たれた。暗闇の中、矢羽根が風を切る音はどれほど怖かっただろうか。想像だけで、クラウスは震えた。

「戦場には熱がある。その熱が騎士や兵士の判断を狂わせる。それゆえ我らは愚かなる騎士たちの逸話を教訓とし、常に冷静であれと教えられるのだ。大義は同調圧力を生み、同調圧力は集団浅慮を生むからだ。私のつがいは、まさに大義名分の被害者である」

 しずまり返った室内に、クラウスが椅子を引く音が響いた。
 立ち上がった彼は二歩下がり、マリウスへ向けて頭を下げた。

「クラウス・ツヴァイテ・ミュラーはいまこのときより、

 クラウスの宣言に、マリウスが顔を歪めた。苦渋を滲ませつつも王太子は弟の申し出を受け取った。

「認める」

 ああ、と悲痛に呻いたのは誰の声だったろう。
 王家に諍いの種を芽吹かせないためにした行いの結果が、第二王子の継承権放棄である。この結末を誰が望んだろうか。

 しかし誰にも、クラウスを止める権利などなかった。
 それほどに全員が罪深い業を背負っている。

 反対の声が上がらないことを確認して、クラウスは一礼を残すと足早に部屋を出て行った。
 扉が閉じる音とともに、それまで沈黙していたユリウスが立ち上がった。

「僕も、クラウス兄上同様に、王位継承権を放棄します」
「ユーリ!」

 なにを言い出すのか、とマリウスが目を見開く。
 ユリウスは肩を竦めて、新緑色の瞳を軽く眇めた。

「だって、僕につがいができたとき、また同じことで揉めたくありませんから」
「ユーリ、しかし軽軽けいけいに、」
「いいんです。僕は騎士になりますから。王冠は、被りたい人間が被ればいい。僕にその気はない。僕がそう思っているということは、いまここに居るすべての者が証人です。僕はマリウス兄上と、アマル殿、そして可愛い甥っ子たちを支える立場です。。もうそれでいいでしょう」

 気丈にそう言い切ったユリウスの目に、じわりと涙の膜が張った。
 マリウスはまだまだ頼りない末弟を両手で抱きしめた。
 今回のエミールの一件は、この弟にも深い衝撃を与えたのだ。

 泣くのを必死にこらえているユリウスの背を撫でながら、マリウスは一同へ告げた。

「聞け。此度の件でドナースマルクに毒を与えられた者たちよ。おまえたちが退任することはこの俺が認めん。退任することが贖罪に成り得るか。否! おまえたちは今後すべてをなげうって、真実王家のために仕えよ!」

 朗と響いたマリウスの命令に、しかし、と震える声が返った。

「しかし私は、クラウス様にもエミール様にも合わせる顔がありません……」

 ひとりが泣き言を漏らした。マリウスはそれを一喝した。

「合わせる顔がないからなんだと言うのだ!!」

 クラウスの前で自らに怒る権利はないと自分を律していたマリウスだったが、ここに来て自制が瓦解した。

「いいか! おまえたちは狼の尾を踏んだのだ! だが狼は耐えた。おまえたちを食い殺そうとはしなかった。そのおまえたちを罰する権利は俺にはない。それを有するのは我が弟クラウスと……エミールだけだ! 奴らがおまえたちに死ねと言ったなら、そのときは喜んでいのちを差し出せ! それまではひたすらに働け! 俺に尽くせ! クラウスとエミールが平和に暮らせる世界を、俺たちが作り上げねばならんのだ!」 

 議長が立ち上がった。次いで他の貴族たちも立ち上がった。そして彼らは跪き、深く頭を下げた。
 マリウスとユリウス、そしていまここには居ないクラウスに向かって。
 ただただ深く、頭を下げたのだった。
 


 



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