騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪

文字の大きさ
97 / 127
狼と名もなき墓標

30

しおりを挟む
 庭の散歩から戻ると、心配顔のクラウスが出迎えてくれた。
 エミールが屋敷に閉じこもっている間、クラウスもまた、ほとんど出かけることはなかった。彼の騎士団の制服姿を、エミールはこの三か月一度も見ていない。
 エミールから離れられないからだ。
 エミールが、いつ正気を失って暴れるかわからないから。
 だからいつもエミールの様子を伺って、極力目を離さないようにしているのだと、そう思っていた。

 だけど、もしかしたらそれだけが理由ではないのかもしれない。
 今回の件で、クラウスにも傷が残ったのだとしたら。
 エミールが、クラウス不在の折りに死ぬほどの怪我を負ってしまったこと、それがクラウスの傷になってしまったのだとしたら。

 クラウス自身が、エミールから離れることを恐れているのかもしれない、と、そう思えた。

 伸びてきた腕に抱き寄せられ、クラウスの腕の中でつがいの匂いを鼻腔に吸い込みながら、このままじゃいけない、とエミールは思った。
 自分も、クラウスも。このままじゃいけない。
 ではどうすればいいのだろう。
 傷を抱えたまま前に進むのに、必要なものは、なんだろう。

「エル、大丈夫か。散歩に行っていたのか」
「うん……」
「疲れてないか」
「大丈夫」

 抱きあげられ、男の首に腕を回す。かなしみの匂いはクラウス自身の香りと混ざり合っていて、もはやひとつの香りになってしまっている。

「オレ、今日は大丈夫なんだ……」

 エミールはそう繰り返した。
 頑張るから、とスヴェンに言ったときの、あの胸の奥に灯った熱はまだそこにしっかりと根付いていた。

「ラス……ラス、聞いて」
「どうした」

 エミールを抱いたまま寝室へ連れて行こうとしていたクラウスが、足を止めた。エミールは彼の頬に両手を当てた。
 元々狼のように端整で鋭かった顔立ち。その輪郭は以前に比べると痩せていて、彼の苦しみを如実に表しているようだった。

「ごめんね。ずっとひとりで頑張らせて」

 エミールはひたいをコツリと当てて、クラウスへと謝った。蒼い瞳が見開かれた。

「エル、おまえはなにも悪くない」
「うん。でも、オレ、弱くて……全部夢なら良かったのにって思って、逃げて……」
「私も弱い。これはすべて悪い夢で、目覚めたらいつものようにおまえが笑ってる。そんな妄想を幾度もした」
「でもラスは、ちゃんと踏ん張って、オレを支えてくれた。……オレが先におかしくなったから、ラスがしっかりするしかなかったんだよね」
「そんなふうに考えたことはない」

 合わさったひたいをこするようにして、クラウスが首を横に振った。
 おまえは悪くない。そう言い続けてくれたクラウス。
 エミールは悪くない。
 エミールは誰も殺していない、と。
 エミールの負った傷をすべてかき集めて、ぜんぶ自分で背負おうとしてくるエミールのアルファ。

 彼の愛情はいつも、大きくて、あたたかで、一途で、真摯だ。
 だけどそれを、エミールの目から隠す。エミールの知らないところで、エミールのためにとファルケンと契約をして、オシュトロークではエミールの母親を探して、護衛に『狼』をつけて……ぜんぶ、エミールの見えないところで、エミールのために。    

 では、いま、エミールがクラウスのためにできることはなんだろう。
 この男のために。なにをしてあげられるだろうか。

「オレ、オレね、頑張りたい」
「……エミール」
「頑張るよ。ちゃんと立ち直れるように頑張る。だから、前を向けるように、ラスにお願いがあるんだ」
「……おまえは充分頑張っている。だが、おまえが望むなら私はそれをなんでも叶えたい」

 返ってきた生真面目な言葉に、思わず小さな笑みがこぼれた。
 唇を啄むと、相手からも触れるだけのキスが返ってくる。

 エミールはクラウスと視線を合わせたまま、ささやきの音で願いごとを伝えた。


「お墓に行きたいんだ」


 クラウスが絶句した。
 あるよね、とエミールは続けた。

「あるよね。オレとラスの、赤ちゃんのお墓」
「…………」

 沈黙は、肯定でも否定でもなかった。

 想像妊娠だと言われた。お腹に子どもは居なかった。クラウスからもベルンハルトからもそう説明された。シモンがまとめたという報告書も読んだ。想像妊娠というものが実際に起こり得る症状だということもわかった。
 それでもエミールは、自身のお腹に子が居たという事実を、なかったことにはできなかった。
 赤ちゃんは、居た。
 想像妊娠は、エミールに子どものいのちを背負わせないための、クラウスのついたやさしい嘘なのだ。

「ラス、お願い。オレが前を向く、きっかけにしたいんだ。オレたちの子の、お墓に連れて行って」

 クラウスの眉が苦しげに寄せられた。
 唇の端がひくりと動いた。彼は迷うように、幾度も口を開きかけ……やがてしずかに一度、頷いた。

「明日でいいか」
「……うん」
「一緒に行こう」
「うん」

 自分で言い出したことなのに、体が震えだした。

 その日の夜は、いつものようにクラウスに抱き締められて眠った。
 今日の出来事を忘れてしまわないように、なんども頭の中で反芻させたからか、眠りは浅かった。
 


 翌朝、スヴェンに起こされて目を覚ましたエミールは、朝食の後、久しぶりに外出着に着替えた。
 クラウスはすでに身支度を済ませており、朝摘みの花で作った花束をエミールに差し出してきた。

「行くか」

 花束を左手に持ち、右手はクラウスに引かれて屋敷を出る。
 遠いの? と尋ねたら、すぐ近くだと言われた。

 屋敷の裏手には小さな池がある。そこをぐるりと回った木陰に、ひっそりと立つ石碑があった。
 膝の高さにも満たない石碑だ。

 赤子は、お腹の中に居る時点ではまだ王族とは認められない。生まれてきて初めて、王家の一員となるのだ。だからエミールの子どもは、王家の墓には入れない。その代わりに、いつでも会えるよう屋敷のそば近くに墓を作った。そんなクラウスの説明を聞きながら、エミールは頽れるようにして膝をついた。

 両手で、木の根元の土を掻き分ける。
 横からクラウスの手が伸びてきた。クラウスは、エミールを制止しようとはしなかった。エミールと一緒に土を掘ってくれた。

 やがて、白い陶器の壺が見えた。片手で包めてしまうほどの小さな小さな壺だった。
 エミールは肩で息をしながら、その壺を土中からそうっと取り上げた。

 蓋を外そうとして、おのれの手が土で汚れていることに気づいた。ごしごしと太ももの辺りに手をこすりつけ、土を落とす。
 クラウスがハンカチを出してきて、エミールの手をくるんだ。

 蓋を開いた。壺を傾けて、ハンカチの上に中身を出した。
 白い白い骨の欠片が、数個、転がり落ちてきた。

 エミールは泣いた。泣きながら、その欠片をそっと胸に押し抱いた。

 これはなんの骨なのだろう。
 エミールのお腹に居た赤ちゃんのものなのか。
 それとも本当に赤ちゃんなどは居なくて、エミールを納得させるためにクラウスが仕込んだ、小動物の骨なのか。
 本当のところはわからない。
 赤ちゃんは居たのか、居なかったのか。
 それでもエミールのかなしみと、胸の痛みは現実のもので。
 エミールの肩を抱くクラウスの苦しみと傷もまた、現実のものなのだ。

「……ラス、ラス、お墓を、ありがとう……」
「礼など、言わないでくれ。私はこんなことしかできなかった」
「こんなことじゃ、ないよ……ここからは、オレたちのお屋敷が良く見える。さびしくないね」

 泣きながらエミールは、つがいと抱き合った。

 生まれる前に消えたいのち。名前のない、墓標。小さな骨の欠片たち。

 一生忘れない。
 一生、忘れない。

 エミールはクラウスの作った花束を墓標の前に置いて、声を上げて思う存分泣いた。
  
    



 
しおりを挟む
感想 159

あなたにおすすめの小説

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

愛する公爵と番になりましたが、大切な人がいるようなので身を引きます

まんまる
BL
メルン伯爵家の次男ナーシュは、10歳の時Ωだと分かる。 するとすぐに18歳のタザキル公爵家の嫡男アランから求婚があり、あっという間に婚約が整う。 初めて会った時からお互い惹かれ合っていると思っていた。 しかしアランにはナーシュが知らない愛する人がいて、それを知ったナーシュはアランに離婚を申し出る。 でもナーシュがアランの愛人だと思っていたのは⋯。 執着系α×天然Ω 年の差夫夫のすれ違い(?)からのハッピーエンドのお話です。 Rシーンは※付けます ※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...