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騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く
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しおりを挟むエミールは衝動的に黒ずくめの男に飛びついた。
「ルー! ルーっ!!」
嗚咽と一緒に涙がこぼれた。ファルケンはふらつきもせずにエミールを支え、両手でしっかりと抱きしめてくれた。
「エル……!」
後頭部をてのひらで引き寄せられる。エミールはファルケンの胸に顔を埋めた。
「あいたかった……」
会いたくて、でも会うのが怖くて、それでも会いたかった。
「ルー、オレ……」
「なにも言わなくていい。ずっと見てたから」
低く、ファルケンがささやいた。ぜんぶ知っている、と。
エミールのお腹から子どもが居なくなってしまったことも、そのせいでエミールがおかしくなったことも、クラウスがずっとエミールの世話をしてくれていたことも、『狼』の里へ行ったことも。
ファルケンは、ぜんぶ知っているのだ。
エミールはファルケンの背に両手を回し、しがみついた。クラウスとは違う匂い。違う腕の感触。それでも同じだけの安堵をくれる存在。
背後で窓が閉まる音がした。スヴェンが、エミールとファルケン二人きりにしてくれたのだ。
ごめんな、と小さく呟く声がした。エミールは首を横に振った。謝らないでほしかった。ファルケンは、エミールが望んだとおりに動いてくれただけなのだから。
「……ずっと、隠れてたの?」
「自分が不甲斐なくてな。おまえに合わせる顔がなかった」
「なんでそんなこと言うんだよ」
エミールが鼻筋にしわを作って男を睨むと、ファルケンの隻眼が微かな笑みの形になった。
「クラウス様や影野郎にはすぐ見つかったけどな」
「ルー、スヴェンだよ。スヴェン。名前で呼んで。もう『影』の役割じゃないから」
もう二度と、影武者なんてしないでほしい。エミールのその気持ちが伝わったのか、ファルケンが「悪い」と短く謝罪した。
彼の手が、エミールの輪郭を辿るように動いた。いまさらに無事を確認するような動きだった。
「……おまえが生きていて良かった」
肺の奥から振り絞るようにして、ファルケンが吐露する。
エミールの目がまた涙で湿った。生きていることがあまりにつらくて、死にたい死にたいと叫んでいた自分も見られていたのだ。傍らで抱きしめてくれたクラウスと、窓の外から見まもっていてくれたファルケン。エミールはずっと、二人のアルファにまもられている。
エミールはファルケンのてのひらに、頬をそっとこすりつけた。
目じりに滲んだ涙を指先で拭ったファルケンが、あのとき、と切り出した。
「あのとき……おまえが斜面を落ちて行ったとき、俺は咄嗟に動けなかった。俺よりも『狼』よりもその場に居た誰よりも早く、クラウス様が動いたんだ」
「……そうなんだ」
「すごかった。きっと本物の狼よりも速かったんじゃないか」
ファルケンの言葉に、エミールは小さく笑った。
「すごいね、クラウス様は」
「ああ。すごい。あれがおまえのアルファだ」
エミールは笑みを消して、ファルケンの左目を見つめた。真剣な眼差しが、真っ直ぐにこちらを向いていた。
「おまえのアルファだ」
ファルケンがそう繰り返した。
ああ、とエミールは震える息を漏らした。
ファルケンにはわかっているのだ。
エミールがファルケンに会いたがった理由が。
エミールは眼帯に覆われたファルケンの顔の右側へと、おのれのてのひらを押し当てた。
「ルー……おねがい」
ファルケンにしか頼めないことがある。
エミールが願いごとを口にする前に、ファルケンがしずかに首を横へ動かした。
唇が、ファルケンの手で塞がれた。言うな、と彼の目が語っていた。
エミールは両手で彼の手首を握り、一歩下がった。ファルケンのてのひらとおのれの唇の間に、ほんの少しの空間ができた。
「お願い」
エミールはファルケンの目を見つめたまま、そう言った。
ファルケンの眉が苦しげに寄せられた。自分もたぶん、同じ表情になっている。
「ルーにしか、頼めない。お願い。オレを……」
語尾が掠れた。一度言葉を切って、息を吸いこむ。
(大丈夫だ。おまえはちゃんと息ができている。吐いたら、吸う。それだけだ)
不意にクラウスの声が耳元で響いた。
こんな……ただ呼吸すること、こんな当たり前の動作にまで、クラウスの存在が沁みている。それを実感して、喉奥が凝った。
言わなければいい。頭の中で誰かがささやく。
言わなければ、ファルケンは動かない。エミールはこのままでいられる。このままで……。
それでもエミールは、クラウスのためになることをしたかった。
その一心で、息を吐く。吐いて、吸う。そして、次の息とともに続きを吐き出した。
「オレをクラウス様から逃がして」
ファルケンの顔が歪んだ。
声はしっかりと彼に届いている。聞かなかったことにはできないはずだ。
ファルケンは、嫌だ、とは言わなかった。できない、とも言わなかった。
ただポツリと、
「それしかないのか?」
と尋ねてきた。エミールはそれに頷いた。
「オレはもう、あのひとの傍には居られないから」
クラウス・ツヴァイテ・ミュラー。エミールのアルファで、エミールの騎士。彼はこの国の第二王子で……血統を、つないでいかなければならない立場のひとだから。
子どものできないエミールは、もはやクラウスにとって足枷でしかないだろう。
せめて妾が作れれば良かった。
けれど、互いの存在がそれをゆるさない。
お互いが、運命であるがゆえに……クラウスはエミール以外を求めないし、エミールは他の誰ともクラウスを分け合いたくはない。
傍に居たら独占したくなる。離れられない。でもこの先二度と、子どもを授かることはない。
それならばクラウスが、エミール以外の誰かを娶れるように、自分が消えるしかなかった。
「俺は……俺は、反対だ」
低く苦い声で、ファルケンが言った。
「おまえは一度、クラウス様とちゃんと話すべきだ。今回の件も、」
「ルー」
エミールはファルケンの声を遮った。
「誰がどんな思惑でなにをしたかとか……オレは、もういいんだ。だって、それを知ったとしても……」
知ったとしても、胎の子が返ってくるわけじゃない。エミールの体に、子宮が戻るわけでもない。誰を憎んだところで、元通りになるものなどひとつもない。
あの事件の裏側を知ることは、エミールにとって苦しいだけだ。
そう語ったエミールに、ファルケンの隻眼が歪んだ。
無茶なお願いをしていることは、自覚していた。
だけどファルケンだけが、唯一、エミールのためだけに動いてくれるひとだから。
「嫌なこと頼んでごめんね、ルー」
エミールはファルケンの金茶の瞳を見つめ、そう言った。
猛禽を思わせる鋭い眼光が、まぶたで隠された。目を閉じた男の頬に、エミールは親愛の情を込めたキスをした。
「謝るな」
「……うん」
「おまえがひとりで下手に動かなかったことだけは、褒める」
「ふふっ……うん、褒めて」
ファルケンの頬が強張った。彼はまだ考えてくれている。エミールにとっての最善を。ギリギリまで、考えてくれている。
でもどうしようもない。
どれだけ愛していても、どうしようもないこともある。
ファルケンもたぶん、エミールと同じ結論に至ったのだろう。
大きく息を吐いた幼馴染みは、エミールを抱きしめ、ささやいた。
「すべて、おまえの望み通りに」
エミールは彼のやさしさを受け止め、声もなく、幾度も頷いた。
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