騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪

文字の大きさ
107 / 127
騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

しおりを挟む
「エミール。私のオメガ。私のエル。おまえがここを出るというならそれで構わない。ただ、私もついて行く。一生涯、おまえとともに在る栄誉を、私に与えてくれ」

 顔を伏せ、頭を下げているのにすこしも卑屈に見えない。神々しいほどの金の髪が、風にそよいでうつくしかった。

「エミール。私は狩りもできるし体力もあるから畑仕事だってできるだろう。騎士団で野営もなんども経験しているから身の回りのこともひと通りできる。料理だって簡単なものならば可能だ」
「な、なんの話ですか」
「おまえを口説いているんだ。私は役に立つぞ。連れて行って損はさせない」

 姿勢をわずかも変えずに、クラウスが話し続ける。

「エミール。ただのクラウスとなった私と、一生涯、ともに過ごしてくれないか」

 エミールは跪く男を見下ろし、彼の言葉を耳にして、束の間、夢想した。

 王城を出て、何者でもない二人になって、ヴローム村のように小さな村と、小さな家で過ごすのだ。
 狩りの獲物を携えて「ただいま」と帰ってくるクラウス。
 簡易のシャツとズボン。庶民の服は意外と違和感がない。
 クラウスが捌いた肉で、エミールが晩御飯を作る。それを美味しい美味しいとクラウスが頬張っている。
 食卓にはファルケンとスヴェンの姿もあった。
 小さな村の、小さな家の、エミールの家族たち……。

 一緒に行こうか、と言いかけた。
 オレと、ルーと、スヴェンと、ラスで。
 一緒に、ここを出て行こうか、と。

 一生涯を、クラウスの隣で……王城ではない場所で……。
 一緒に過ごそうか、と。
 言ってしまおうかと、思った。

 しかしエミールの甘美な妄想の世界に、不意に轟いだ声があった。

(エミール。俺の弟を、誇りある騎士団長のままでいさせてやってくれ)

 王太子マリウスに、かつて言われた言葉だった。
 運命のつがいはことわりの埒外の存在だと。エミールが望むならクラウスは騎士団長の立場をなげうち、国よりもエミールを選ぶだろう、と。
 そう言っていたマリウスが予測が、いま、エミールの目の前で現実のものになろうとしている。

 エミールの返事ひとつで。
 クラウス・ツヴァイテ・ミュラーは、国も騎士団をも棄てようとしているのだ。

 エミールは肺の奥底から、ゆるゆると息を吐いた。
 無意識に、右手で下腹部を撫でていた。
 喪ったものは戻らない。子どもはもう授かることができない。
 けれど、それでもいいと……エミールが居ればそれでいいと、言ってくれるクラウスが居る。

 熱い涙が溢れた。エミールは脱力するように床に両膝をつき、クラウスの顔を覗き込んだ。
 エミールの好きな蒼色。それがちらと動いてこちらを見てきた。
 クラウスの片手がそうっと動いて、エミールの頬を撫でた。親指の腹でやさしく涙を拭われた。

「もういいよ、ラス」
「…………」
「もういい。一緒に居るよ。だからあなたはなにも棄てないで」

 彼の胸にもたれかかると、力強く抱き留めてくれた。
 エミール、と吐息の音で名を呼ばれた。片マントペリースも上着も脱ぎ捨てたクラウスは、それでもエミールにとってはやはり騎士のままだった。

「オレ、騎士のあなたが好きだよ。騎士のままでいてよ。家族も棄てないで。ラスの家族は、オレにとっても家族だから……」
「エミール」
「一生涯、一緒に居るよ。ラス」

 エミールはクラウスの胸の中で、宣誓するようにその言葉を口にした。
 抱擁する腕の力が強まった。と同時にクラウスの匂いもまた強くなった。いつもの誘発香に華やかな香りが混ざっている。歓喜の匂いだ。言葉にならない喜びを、アルファの香りが雄弁に伝えてくる。

「愛してる。私のオメガ。私のエル」

 口づけが与えられた。まるで誓いのキスだ。 
 一生涯をともにするという誓いが、唇を通して交わされた。

 うん、とエミールは頷いた。幾度も頷き、そのたびに新しい涙が溢れた。
 どうしようもなくこの男がいとおしかった。愛してるという言葉だけでは到底足りないほどに。

 クラウスがエミールを抱き上げ、ゆっくりと立ち上がった。
 エミールは逞しいその腕に身を預け、両手で彼の背にしがみついたまま鼻先を首筋に埋めた。
 この男から離れても生きてゆける、と、なぜ自分はそう思えたのだろうか……。
 一緒に居る、と決めたらそのことがいっそ不思議に思えて、エミールは大きく息を吸いこんだ。

 離れられるはずがなかった。
 こんなにも愛で満たしてくれるアルファから。
 離れられるはずが、なかった。

 クラウスの香りに陶然となる中、エミールはふと、ファルケンとスヴェンの存在を思い出した。
 慌てて顔を上げ、周囲を見回す。
 バルコニーに、二人の姿はなかった。あれ、と思って探していると、クラウスがそこに居るとばかりに視線をバルコニーの一画へと流した。

「ルー……? スヴェン?」

 恐る恐る声をかけてみると、
「私たちのことは居ないものと思ってください」
 と、いつもの淡々とした話し方でスヴェンが応じた。気を遣って隠行してくれたのだとわかって、恥ずかしさで顔から火が出そうになる。
 慌ててクラウスの腕から降りようとしたが、ガッチリ固定されていて抜け出せなかった。

「あ、あの、スヴェン……ルーも、えっと……」

 二人を振り回した自覚のあるエミールが決まり悪くもごもごと口ごもっていると、スヴェン同様姿を隠しているファルケンの声が聞こえてきた。

「エル、悪いがおまえの依頼はなかったことにしてくれ」
「え?」
「俺とシャッ……スヴェンの二人がかりでもクラウス様には勝てない。そのひとから逃げるのは無理だ。俺もいのちが惜しいから、計画は白紙だ」
「ルー……」

 冗談交じりのファルケンの言葉に、エミールの目がまた濡れた。
 スヴェンもファルケンも、エミールを責めるようなことは言わなかった。みんなやさしい。そのやさしさがいつもエミールを支えてくれている。

 ぐす、と鼻を啜ったエミールの横で、
「私への申し開きはなしか」
 クラウスの冷えた声が響いた。エミールはぎょっとして自分を抱いている男の顔を睨んだ。

「ラス!」
「私からおまえを奪う者はゆるさない」
「バカっ! ルーとスヴェンになにかしたら嫌いになるからな!」
「む……」

 クラウスが唇を引き結び、小さく唸った。
 よしよし、とさっきと違うところからファルケンの声がした。

「その調子でクラウス様の手綱を握っといてくれよ。じゃあまたな、エル」

 ざぁっと風が動いた。バルコニーの方へと枝をせり出している木が大きく揺れた。
 クラウスがそちらを見ながら、
「うまくなったものだな」
 とつぶやく。

隠行フェアシュテッケン?」
「そうだ」
「ラスもできるんだね」
「無論」
「オレも練習すればできるようになる?」

 エミールの問いにクラウスが片眉を上げた。

「以前から思っていたが、なぜおまえはそう体を鍛えたがるんだ?」

 私が居るのに、と声にしない部分まで聞こえた気がして、エミールは顔をしかめた。

「だって、オレも男だし」
「おまえは私のオメガだろう」
「それでもオレも男なの! でもスヴェンに聞いたら、隠行は『狼』じゃないと難しいって」
「そうだな」
「だけどラスもルーも『狼』じゃないのにできてる。ならオレだって」

 クラウスに食い下がっていると、どこからかスヴェンの笑い声が聞こえてきた。

「仲が良いようでなによりです。私は先に仕事に戻りますので、お二人はごゆっくりどうぞ」

 バルコニーの窓がひとりでに開き、すぐに閉じた。
 ガラス越しに姿を現わしたスヴェンが、荷物を片付け始めるのが見えた。

「ごゆっくりと言われたが、どうする?」

 クラウスが真面目な顔で問いかけてくる。エミールは両手で男の端正な頬を包み、小首を傾げた。

「騎士団には、行かないの?」
「出仕は明日からにした」
「そっか……」

 エミールがほろりと笑ったら、クラウスの顔にも笑みが広がった。
 世界で一番好きな匂いが、エミールを包んでいる。

 クラウスから受け取った愛は、エミールの中で芽吹き、さらに大きな愛となってクラウスへと返ってゆく。
 このいとしさを、彼に、どう伝えたらいいだろう。

 エミールは泣き笑いになりながら、クラウスをしっかりと抱きしめた。

「じゃあ今日は、ラスとずっと一緒に居る」

 そうささやいて、おのれのアルファへキスをする。
 口づけはすぐに深いものへと変わっていった。
   
  
    
 
 
   
 
  
   
 
       
 
しおりを挟む
感想 159

あなたにおすすめの小説

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

愛する公爵と番になりましたが、大切な人がいるようなので身を引きます

まんまる
BL
メルン伯爵家の次男ナーシュは、10歳の時Ωだと分かる。 するとすぐに18歳のタザキル公爵家の嫡男アランから求婚があり、あっという間に婚約が整う。 初めて会った時からお互い惹かれ合っていると思っていた。 しかしアランにはナーシュが知らない愛する人がいて、それを知ったナーシュはアランに離婚を申し出る。 でもナーシュがアランの愛人だと思っていたのは⋯。 執着系α×天然Ω 年の差夫夫のすれ違い(?)からのハッピーエンドのお話です。 Rシーンは※付けます ※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...