騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪

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(番外編)空飛ぶ鷹に影は落ちるか

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***

 気怠い朝だった。
 夢の余韻を引きずって身じろぎをすると、裸の胸に頬がぶつかった。
 髪を撫でられた。反射的に振り払い、体を起こした。

 行き場のなくなった手を空中でぶらぶらと動かして、隻眼の男が「おはよう」と言った。
 私はそれを無視して寝台を抜け出した。

 なぜ、こんなことになったのだろう……。昨日の記憶を手繰り寄せてみたが、思い出して自分にうんざりした。あまりに浅はかすぎる……昨日の自分を殴ってやりたい。

「なに怒ってるんだよ」

 呆れたような声音が背中にぶつかってきた。それも無視していると、おい、と肩を掴まれた。

「なんですか」
「いや、体、大丈夫か」
「鍛え方が違いますから」

 鼻で笑って、肩に乗った手を払い落した。

「鍛え方つっても、アンタ、初めてだったろ」
「初めてじゃありません。昨日も言ったはずですよ」

 そう、昨日も言ったはずだ。
 手負いの獣のように気を荒立てていたこの男……ファルケンが私に突っかかってきたときに。

 私は彼の金茶の左目を見ながら、昨日のことを思い出した。


 昨日は……エミール様の付き添いで養護施設を訪れ、そこでアダムという男を捕らえた。アダムはこの三年間、クラウス様が身柄を追っていた男だった。
 あのクラウス様を以ってしても中々捕まえることのできなかった男は、私と『鷹』……ファルケンの手によってあっさりと捕縛できた。そのことにすこし拍子抜けする思いだった。

 エミール様は同郷の男が行っていたオメガ売買を知り、ひどくショックを受けているご様子だった。そして、ファルケンも。

 エミール様にあらかたの説明を終え、王城へ連れてきた二人の子どもを施設へと送り届けてからも、ファルケンは鬱憤を発散しきれていない様子だった。
 私は養護施設に置いたままであった荷物を取りに行くため、たまたまファルケンに同行したけれど、隣から伝わってくる怒気にてられて、なんだかこちらまで落ち着かない気分になった。

 いま思えばアルファの威圧を肌で感じていたのだと思う。

 そう、この男はクラウス様と同じアルファだ。対する私はベータ。オメガのようにアルファの誘発香を嗅ぎ分けたりはできないが、周囲を圧倒するような威圧を感じないほど鈍感ではない。

 苛立ちの治まらないファルケンを飲みに誘ったのは、私からだった。
 理由なんてない。養護施設から出て二人で歩いているとちょうど大通りに面した場所に酒場があったから、それだけだ。
 一杯飲んでいきますか、と言った私にファルケンは軽く眉を上げた。

 彼の返事を待たずに私は先に酒場の扉をくぐった。ついてこないならそれで良かった。ひとりで飲んで、すぐに王城へ戻る。そのつもりだった。
 カウンターに座り、麦酒ビーアとかんたんに摘まめるものを注文した。

「俺も同じのを」

 右隣に黒い影が落ちた。頬杖をついてそちらを見ると、ファルケンが座っていた。

 私の左側の方が広く空いているのに、わざわざ彼が右に座ったのは、顔の右半分を眼帯で覆っているからだろう。クラウス様に下賜されたという眼帯は上品な装飾があり、この男に危険で謎めいた魅力を加味する役割を果たしていた。
 隠れていない方をこちらに向けた横顔は、端整で男らしい。私よりこの男の方が二歳程年下のはずだが、そんなふうには見えなかった。

 やがて並々に注がれたグラスと乾きものの乗った皿が並べられた。ファルケンは私の皿を見てすこし眉をしかめ、追加で肉を注文していた。

 そういえば、と麦酒を一口飲んでから私は横目で男を睨んだ。

「あなたね、エミール様の前で私を『影』と呼ばないでくださいよ。あの方は知らないんですから」

 『影』の役割を気づかれたらどうするのか、と苦言を申し立てると、ファルケンがふんと鼻で笑った。 

「わざとだよ」
「はぁ?」
「エルが気づくなら、気づいた方がいいんだ。アンタが自分の身代わりだと知ってショックを受けるのはエルだからな。心構えができるにこしたことはない」
「クラウス様はそうは思っていないようですが」
「王子は王子。俺は俺」

 飄々とした調子でファルケンがそう言った。
 相変わらず気に食わない男だ。初めて会ったときからファルケンは、クラウス様に対しても気負った様子もなく、むしろ対等かのような態度で接していた。おまけにクラウス様のオメガを「エル」呼ばわりだ。エミール様の幼馴染とはいえ、クラウス様もよくゆるしている。

 ファルケンの頼んだ串焼きを、断りもなく一本貰って口に運び、麦酒で流し込む。

「アンタの方こそな、エルをちゃんと見てろよ。どうすんだよ手首の怪我」
「言ったでしょう。建物の内側は私、外はあなた。エミール様の怪我はあなたのせいです」

 怪我、と言ったがすこし捻った程度だ。薬で痛みも引いたようだし、治るまでそうはかからないだろう。まったく、クラウス様もこの男も過保護すぎる。

 くそ、とファルケンが吐き捨てた。まだイライラが治まらないようだ。ようやくアダムを捕らえたという高揚もあるのだろう。彼の昂ぶりが空気を伝わって私の皮膚をひりつかせた。

「発散させてあげましょうか?」

 気づけば私はそんなことを言っていた。
 ファルケンの金茶の瞳が丸くなるのを他人事のように眺めた。

「あなたから漏れてる威圧が不愉快です。どうせ明日も王城に来るんでしょう。そのままじゃエミール様に悪影響を与えますよ」
「アンタ、なに言ってんだよ」

 探るように、鋭い目が私を射てきた。

「必要ないなら、結構ですが」

 私の腹の奥の燻りも、この男の抱えた熱も、どうせアルコールでは晴らせない。
 グラスの中身を飲み干し、新しいものを頼む。二杯、三杯と飲んでから席を立った。ファルケンの分までついでに精算を済ませて外へ出る。

 夜の闇が広がっていたが、大通り沿いは明々と街燈が灯っていた。歩き出すと、後ろをついてくる足音があった。

「王城はそっちじゃないだろ」

 男の声に、すこし笑う。

「帰っていいんですか?」
「どこ行くつもりだ」
「あなた、自分がどこに住んでるか忘れたんですか」

 この男は娼館の用心棒として、女たちが春を売る館の一室に居を構えている。

 ファルケンの足が早まった。私を追い越すついでかのように、腕を掴まれて、そのまま引き立てられるようにして歩いた。
 客引きをしている娼館。その裏口を乱暴な仕草で開けた男は、石造りの階段を降り、半地下になっている彼の部屋へと私を連れ込んだ。

 背を壁に押し当てられる。

「撤回して逃げるならいまだぞ」

 低い声でささやかれた。

「なぜ私が逃げるんです。抱かれてあげると言ってるんですよ」
「…………」
「私の役割、知ってるでしょう?」

 ファルケンが息を飲んだ。

「エミール様の影武者です。髪の色、変えてさしあげましょうか? あなたのいとしいオメガの色に」

 そう言った瞬間、頬を張られた。軽い力だったから、痛みはほとんどなかった。それでも乾いた音がパン! と鳴った。
 ファルケンは自分の手をじっと見つめたあと、きつく握りこんで、そのこぶしを私の背後の壁に当てた。

「二度と言うな」

 低い声とともにアルファの威圧が私へ向けられる。本能的に恐怖を覚えるような気配だった。けれど私は目を逸らさずに、笑ってみせた。

 無性に苛立って仕方なかった。
 アルファのくせに、他のアルファにむざむざとオメガを奪われるなんて、情けない。

 私の顔を見てなにを思ったのか、ファルケンが隻眼を細めた。
 そうか、と低いつぶやきが漏れた。

「アンタは俺に、自分を投影してるのか」
「……はぁ?」

 意味がわからなかった。
 それなのに、男は猛禽類のような金茶の目に私を映して。

「自分が叶わない恋をしてるから、俺もそうだと思ったんだろ。残念だったな。俺はエルを、そんなふうには見ていない。アンタの、クラウス様への想いとは違う」

 そう、決めつけて、私の胸倉を掴んだ。

「残念だったな」

 同じ言葉を繰り返した唇が、私のそれを塞いだ。

 腹立たしかった。まったくの見当違いだ。そう言ってやりたかった。
 男の手首を掴み、捻り上げようとした。けれどファルケンの方が早かった。足を払われ、たたらを踏んだ。その動きを利用して体を横へ捻り、右側の死角を狙って蹴りを繰り出した。
 その動きも読まれていた。ファルケンは私の足首を掴み、ぶんと振った。こらえきれずに私は倒れた。倒れた先は寝台だった。マットレスに体が跳ねた。

 上から男がのしかかってきた。自身の黒装束をゆるめながら、ファルケンが私の腰を跨いだ。

「発散に付き合ってくれるんだろ」

 そう言って手が伸びてくる。逃げるのも癪で私は自分から服を脱いだ。

「終わったら、アルファも大したことなかったなって嗤ってやりますよ」

 私の憎まれ口を、ファルケンが声もなく笑った。

  




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