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(番外編)アルファとオメガとベータのお話
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さて、リヒトとともに中庭に避難することのできたエミールは、ランチの準備をと誘ったものの自分がノープランであったことに気づいた。
リヒトが期待に満ち満ちた目でこちらを見ている。まずい。なにか彼が喜びそうなことを考えなければ……。
後ろをついてきていたテオバルドに目でたすけを求めたが、薄情な青年は素早くサッと視線を逸らせてしまった。
どうするか……としばし考えていると、テオバルドと違って頼りになる侍従、スヴェンが廊下を通りかかるのが見えた。
「スヴェン!」
名前を呼んで手招くと、スヴェンが流れるような動作でこちらへ歩み寄ってきた。
「いかがされましたか」
「いま、ユーリ様とリヒトが来てるんだ」
「ええ」
知ってますがそれがなにか? という顔で頷かれ、エミールは彼の耳元でひそっとささやいた。
「ユーリ様がルーに怒っててさ」
「なぜです」
「う……この前オレとリヒトが市場に行ったでしょう」
「ああ、あなたがクラウス様の肖像画をこれでもかと買ってきたあのときですね」
「うう……」
この侍従は年々エミールに対し遠慮がなくなっている。それでもそれが気をゆるしていることの現れだと思うと悪い気はしないのだが、リヒトの前ではやめてほしかった。
年下のオメガの前では結構頑張って王弟殿下のつがいとして淑やかに振る舞っていたのに、無駄になってしまう!
恨みがましく侍従を睨んで、エミールは言葉を続けた。
「あのときに、リヒトがオレからはぐれてしまって、それをルーがたすけてくれたんだよ」
スヴェンが軽く首を傾げた。たすけたのになぜユリウスが怒るのか、辻褄があってないと思ったのだろう。エミールもそう思う。けれどユリウスの怒りもすこし(ほんのちょびっとだけ)はわからないでもない。
「そのときにルーが、リヒトの手を握ったみたいで」
「へぇ。あの男にそんな趣味が」
スヴェンが薄い琥珀色の目を冷ややかに細めた。どんな趣味を想像したのか。エミールは幼馴染の名誉のため慌てて首を横に振った。
「ルーはリヒトがもうはぐれないように手を引いただけなんだって。でもそれで、アルファの匂いが移ってしまって……」
そうなのだ。麗しのユリウスの怒りの原因は、まさにそこに収束されている。
おのれのオメガに、自分以外のアルファの匂いがついたこと。
リヒトはもう正式にユリウスとつがい関係を結んでいるから、他のアルファの匂いに靡くことはないが、そういう理屈と感情はまったく別物ということなのだろう。
しかし誘惑香や誘発香を感知しないベータのスヴェンはその辺りの機微がよくわからないのか、胡乱な表情で、
「それだけで、ですか?」
と問うてきた。
「あなたがたは本当に、匂いというものに振り回されるんですね」
淡々と評されて、なぜかエミールが肩身の狭い思いを味わう羽目になる。『あなたがた』ということはまさか自分もそこに含まれているのだろうか。
「それで『鷹』がいま現在ユリウス殿下の尋問を受けているというわけですか」
「いや、尋問とまでは……」
そこまではさすがにユリウスもしまい。万が一彼が暴走したとしても、クラウスも同席しているのだし、ファルケンに危害が及びそうになれば止めてくれるはずだ……たぶん。
「それで?」
「え?」
「私になにをせよと?」
「あ、ああ! そうだった! それで、オレはてっとり早くユーリ様の機嫌をとるために、リヒトを楽しませようと思って」
「因果関係がよくわかりませんが」
「リヒトを喜ばせることができたら、ユーリ様の機嫌も直るんだよ」
「…………」
白い目で見られた。
なぜだ。エミールはそんなにおかしなことを言っただろうか。
「まったく、あなたがたは本当に……」
スヴェンが処置なしとばかりにひたいを押さえた。
また『あなたがた』とひとまとめにされて、エミールは心外であった。その言い方では、エミールの機嫌をとっておけばクラウスの機嫌も上を向くと言っているようなものではないか……いや、あながち間違いではないのか。クラウスはそういうところがある。しかしユリウスに比べたらまだクラウスの方が……。
「それで?」
逸れかけた思考が、スヴェンの淡々とした声で引き戻された。
エミールは軽く咳ばらいをして、
「昼食をリヒトと一緒に作ろうと思って」
と切り出した。
「昼食を、ですか」
「ただ、刃物はダメ、火はダメ、油は言語道断、怪我をしそうなことは軒並みダメなんだけど」
「…………」
「うう……」
侍従の視線が痛い。彼の言いたいことはわかる。過保護すぎると、エミールも思う。
どれだけ可憐な見た目をしていても、リヒトはもう二十歳だ。なにごとも経験。個人的には、この可愛いオメガに色んな体験を味わわせてあげたい。
しかしユリウスの過保護も理由がないではない。痛い思い、怖い思いをリヒトに二度とさせたくない、というユリウスの決意が、過保護となって出現しているのだ。
そこにはアルファだオメガだというバース性は関係ない……はずである。
数秒沈黙したスヴェンが、
「では、サンドイッチはいかがでしょう。パンに具材を挟んで切るだけですので、いまからでもランチの時間に充分間に合います」
と提案してくれた。
エミールは目を輝かせ、賛同しかけたが、切るのはダメだと思い出す。
「じゃあ、リヒトに挟んでもらって、切るのはオレがしたらいいのか」
考えながら呟いたエミールに、スヴェンが「いいえ」と言った。
「切るのもリヒト様にしていただきます」
「でも、刃物は……」
「刃物は使いませんので大丈夫です」
刃物を使わずに切る……?
エミールは不思議に思ったが、沈着冷静な侍従が揺ぎなく請け負ってくれたので、スヴェンにすべてを委ねることにした。
リヒトが期待に満ち満ちた目でこちらを見ている。まずい。なにか彼が喜びそうなことを考えなければ……。
後ろをついてきていたテオバルドに目でたすけを求めたが、薄情な青年は素早くサッと視線を逸らせてしまった。
どうするか……としばし考えていると、テオバルドと違って頼りになる侍従、スヴェンが廊下を通りかかるのが見えた。
「スヴェン!」
名前を呼んで手招くと、スヴェンが流れるような動作でこちらへ歩み寄ってきた。
「いかがされましたか」
「いま、ユーリ様とリヒトが来てるんだ」
「ええ」
知ってますがそれがなにか? という顔で頷かれ、エミールは彼の耳元でひそっとささやいた。
「ユーリ様がルーに怒っててさ」
「なぜです」
「う……この前オレとリヒトが市場に行ったでしょう」
「ああ、あなたがクラウス様の肖像画をこれでもかと買ってきたあのときですね」
「うう……」
この侍従は年々エミールに対し遠慮がなくなっている。それでもそれが気をゆるしていることの現れだと思うと悪い気はしないのだが、リヒトの前ではやめてほしかった。
年下のオメガの前では結構頑張って王弟殿下のつがいとして淑やかに振る舞っていたのに、無駄になってしまう!
恨みがましく侍従を睨んで、エミールは言葉を続けた。
「あのときに、リヒトがオレからはぐれてしまって、それをルーがたすけてくれたんだよ」
スヴェンが軽く首を傾げた。たすけたのになぜユリウスが怒るのか、辻褄があってないと思ったのだろう。エミールもそう思う。けれどユリウスの怒りもすこし(ほんのちょびっとだけ)はわからないでもない。
「そのときにルーが、リヒトの手を握ったみたいで」
「へぇ。あの男にそんな趣味が」
スヴェンが薄い琥珀色の目を冷ややかに細めた。どんな趣味を想像したのか。エミールは幼馴染の名誉のため慌てて首を横に振った。
「ルーはリヒトがもうはぐれないように手を引いただけなんだって。でもそれで、アルファの匂いが移ってしまって……」
そうなのだ。麗しのユリウスの怒りの原因は、まさにそこに収束されている。
おのれのオメガに、自分以外のアルファの匂いがついたこと。
リヒトはもう正式にユリウスとつがい関係を結んでいるから、他のアルファの匂いに靡くことはないが、そういう理屈と感情はまったく別物ということなのだろう。
しかし誘惑香や誘発香を感知しないベータのスヴェンはその辺りの機微がよくわからないのか、胡乱な表情で、
「それだけで、ですか?」
と問うてきた。
「あなたがたは本当に、匂いというものに振り回されるんですね」
淡々と評されて、なぜかエミールが肩身の狭い思いを味わう羽目になる。『あなたがた』ということはまさか自分もそこに含まれているのだろうか。
「それで『鷹』がいま現在ユリウス殿下の尋問を受けているというわけですか」
「いや、尋問とまでは……」
そこまではさすがにユリウスもしまい。万が一彼が暴走したとしても、クラウスも同席しているのだし、ファルケンに危害が及びそうになれば止めてくれるはずだ……たぶん。
「それで?」
「え?」
「私になにをせよと?」
「あ、ああ! そうだった! それで、オレはてっとり早くユーリ様の機嫌をとるために、リヒトを楽しませようと思って」
「因果関係がよくわかりませんが」
「リヒトを喜ばせることができたら、ユーリ様の機嫌も直るんだよ」
「…………」
白い目で見られた。
なぜだ。エミールはそんなにおかしなことを言っただろうか。
「まったく、あなたがたは本当に……」
スヴェンが処置なしとばかりにひたいを押さえた。
また『あなたがた』とひとまとめにされて、エミールは心外であった。その言い方では、エミールの機嫌をとっておけばクラウスの機嫌も上を向くと言っているようなものではないか……いや、あながち間違いではないのか。クラウスはそういうところがある。しかしユリウスに比べたらまだクラウスの方が……。
「それで?」
逸れかけた思考が、スヴェンの淡々とした声で引き戻された。
エミールは軽く咳ばらいをして、
「昼食をリヒトと一緒に作ろうと思って」
と切り出した。
「昼食を、ですか」
「ただ、刃物はダメ、火はダメ、油は言語道断、怪我をしそうなことは軒並みダメなんだけど」
「…………」
「うう……」
侍従の視線が痛い。彼の言いたいことはわかる。過保護すぎると、エミールも思う。
どれだけ可憐な見た目をしていても、リヒトはもう二十歳だ。なにごとも経験。個人的には、この可愛いオメガに色んな体験を味わわせてあげたい。
しかしユリウスの過保護も理由がないではない。痛い思い、怖い思いをリヒトに二度とさせたくない、というユリウスの決意が、過保護となって出現しているのだ。
そこにはアルファだオメガだというバース性は関係ない……はずである。
数秒沈黙したスヴェンが、
「では、サンドイッチはいかがでしょう。パンに具材を挟んで切るだけですので、いまからでもランチの時間に充分間に合います」
と提案してくれた。
エミールは目を輝かせ、賛同しかけたが、切るのはダメだと思い出す。
「じゃあ、リヒトに挟んでもらって、切るのはオレがしたらいいのか」
考えながら呟いたエミールに、スヴェンが「いいえ」と言った。
「切るのもリヒト様にしていただきます」
「でも、刃物は……」
「刃物は使いませんので大丈夫です」
刃物を使わずに切る……?
エミールは不思議に思ったが、沈着冷静な侍従が揺ぎなく請け負ってくれたので、スヴェンにすべてを委ねることにした。
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