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(番外編)アルファとオメガとベータのお話
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「『鷹』は『狼』には組み込まない。おまえは自由に動いていい。ただし、『狼』と動くときは邪魔にならないようにしろ」
クラウスが告げた指示の内容は、ファルケンの自尊心をおおいに損なうものだった。
自分には狩りで養った腕がある。特に弓に於いては誰にも負けない自信があった。それなのに。
「おまえはまだ『狼』にも『影』にも遠く及ばない」
クラウスはしずかな声でそう断じたのだ。
俺がこんなヒョロっこいベータに敗けるだと? ファルケンは横目でスヴェンを見下ろし、小さく鼻を鳴らした。
しかしクラウスの言葉は正しかったと、すぐに悟ることとなる。
『狼』の使う独自の体術は磨き抜かれており、右目を失って間がないファルケンが敵う相手ではなかったのだ。
それはスヴェンも同様であった。歩き方ひとつ、重心の取り方ひとつで彼が相当鍛えていることが知れた。
一度だけ、スヴェンと手合わせをしたことがある。手合わせというよりは、ファルケンの不意打ちであった。
本当にこんな嫋やかな外見の男にエミールがまもれるのか。それを試すために背後から攻撃をしたのだった。
こぶしは、当てるつもりではなかった。寸止め前提で繰り出した。そういう意味ではすこし手を抜いたのかもしれない。だがそれは言い訳にならなかった。
ぐるっと視界が回ったかと思えば、気づけばファルケンは仰向けに引っくり返っていた。なにが起こったのかわからなかった。
温度のない琥珀色の目で見下された。
「中途半端な攻撃は怪我の元ですよ」
ひと言を言い捨てて、スヴェンは去って行った。その後姿にやはり隙はなかった。
そこからだったろうか。ファルケンがスヴェンを気にするようになったのは。
クラウス曰く、『狼』は自分たちを人間だとは思っていないのだという。詳しくは教えてくれなかったが、『狼』は主の道具として、主のために生きることを喜びとしていた一族の末裔らしい。
『狼』は里の全員でひとりの『狼』だ。名前もなく、面で顔を隠し、主に仕えることだけを目的とする『狼』。
だから、あんなに表情に乏しいのだろうか。
ほとんどニコリともしない、整ったスヴェンの顔。
それを離れた場所から眺めながら、笑えばいいのに、とファルケンは思った。
毎日生真面目な硬い顔つきで隣に居られたら、エミールだって気が滅入るだろうから、もっとにこやかに振る舞えばいいのに。
それに、ファルケンもいまだ、スヴェンの笑顔を目にしていないのだ。
しかし、その笑わないスヴェンの目が、ごくまれに熱を帯びることがある。
それが、クラウスと話をしているときだ。
自分には絶対に見せない顔を、彼がクラウスの前でしている。
それを知ったとき、ファルケンの胸は不穏に波打った。
スヴェンはクラウス様が好きなのだろうか。当時のファルケンは、そう考えた。
後年、スヴェン自身の口から「ただの敬愛です」と語られることとなるが、このときのファルケンはスヴェンの想いびとはクラウスではないかと密かに思っていたのだ。
いかに『狼』といえど、クラウスとエミールの仲に割って入ろうとするならば、捨て置くわけにはいかない。
だから家族であるエミールが傷つかないようにするため、スヴェンの姿を見かけたときは毎回、彼の動向を見つめていた。断じて自分が気になるからじゃない。エミールのためだ。
誰に言うでもない言い訳を胸に、ファルケンはスヴェンを観察し続けたが、彼が『影』の分を超えた振る舞いを見せることは一度もなかった。
ファルケンとスヴェンは互いにクラウスの私兵として、付かず離れずの距離で過ごしてきた。
スヴェンの実力を不意打ちで試したのが悪かったのだろうか、スヴェンはファルケンと顔を合わせるたびに辛辣な言葉を投げてきたが、彼が遠慮のない口を利くのが自分だけだと思うと、悪くない気がした。
クラウスにしか見せない顔がスヴェンにあるように、ファルケンしか知らないスヴェンの顔がある。そのことが存外ファルケンの自尊心を満たしていた。
でもまだ、おのれの気持ちを自覚してはいなかった。
ファルケンがスヴェンについて抱く感情に名前を付けることができたのは、アダムを捉えたあの夜のことだった。
三年越しでついにオメガ売買の実行犯であるアダムを捕らえることができた日の夜、スヴェンの方からファルケンを誘ってきた。
「抱かれてあげると言ってるんですよ」
随分とまぁ上からの誘いであった。
ファルケンはこれまで、ベータの男を性の相手として見たことはなかった。
住んでいる場所が場所なので、商売女を抱いた経験はそれなりにあった。
彼女たちはアルファに抱かれたことがあるということが一種の箔になるようで、ファルケンはそういう相手に困ることはなかった。(因みに娼館の女たちはなぜかエミールがファルケンの恋人だと思っているため、「今日はエミールが来る日だから」と言うとあっさりと身を引いてゆくのだが、この勘違いについては全面的にエミールが悪いと思っている。自分の立場も顧みず、数日と開けずにファルケンに会いに来るのだから、それは噂になって当然だった。)
そんなわけで色事の経験はそれなりにあるファルケンだったが、スヴェンに誘われたこのとき、彼の腰の細さや腕にすっぽりと収まる華奢な体つきに、意外なほど劣情を煽られた。
細いのにしなやかな筋肉がついているスヴェンの肉体。柔軟性に富んだ関節。クラウス以外に懐かない『狼』が、ファルケンに組み敷かれ、喘いでいる。白金髪がシーツで波打ち、パサリパサリと音を立てる様でさえ官能的だった。
エミールの顔なんて一度も思い出さなかった。エミールの代わりに『影』抱くなんて発想もなかった。それなのになにをどう勘違いしているのか、スヴェンは、自分をエミールの代用だと初めから思い込んでいた。
彼のその意固地なまでの誤認は、ファルケンがどう言葉を尽くしても、頭の中から完全に消え去ってはいないようで、実に頑固でしつこいことに、いまだにそう思っている節がある。
ファルケンとスヴェンが体を繋げてから、もう二十年は経つというのに!
クラウスが告げた指示の内容は、ファルケンの自尊心をおおいに損なうものだった。
自分には狩りで養った腕がある。特に弓に於いては誰にも負けない自信があった。それなのに。
「おまえはまだ『狼』にも『影』にも遠く及ばない」
クラウスはしずかな声でそう断じたのだ。
俺がこんなヒョロっこいベータに敗けるだと? ファルケンは横目でスヴェンを見下ろし、小さく鼻を鳴らした。
しかしクラウスの言葉は正しかったと、すぐに悟ることとなる。
『狼』の使う独自の体術は磨き抜かれており、右目を失って間がないファルケンが敵う相手ではなかったのだ。
それはスヴェンも同様であった。歩き方ひとつ、重心の取り方ひとつで彼が相当鍛えていることが知れた。
一度だけ、スヴェンと手合わせをしたことがある。手合わせというよりは、ファルケンの不意打ちであった。
本当にこんな嫋やかな外見の男にエミールがまもれるのか。それを試すために背後から攻撃をしたのだった。
こぶしは、当てるつもりではなかった。寸止め前提で繰り出した。そういう意味ではすこし手を抜いたのかもしれない。だがそれは言い訳にならなかった。
ぐるっと視界が回ったかと思えば、気づけばファルケンは仰向けに引っくり返っていた。なにが起こったのかわからなかった。
温度のない琥珀色の目で見下された。
「中途半端な攻撃は怪我の元ですよ」
ひと言を言い捨てて、スヴェンは去って行った。その後姿にやはり隙はなかった。
そこからだったろうか。ファルケンがスヴェンを気にするようになったのは。
クラウス曰く、『狼』は自分たちを人間だとは思っていないのだという。詳しくは教えてくれなかったが、『狼』は主の道具として、主のために生きることを喜びとしていた一族の末裔らしい。
『狼』は里の全員でひとりの『狼』だ。名前もなく、面で顔を隠し、主に仕えることだけを目的とする『狼』。
だから、あんなに表情に乏しいのだろうか。
ほとんどニコリともしない、整ったスヴェンの顔。
それを離れた場所から眺めながら、笑えばいいのに、とファルケンは思った。
毎日生真面目な硬い顔つきで隣に居られたら、エミールだって気が滅入るだろうから、もっとにこやかに振る舞えばいいのに。
それに、ファルケンもいまだ、スヴェンの笑顔を目にしていないのだ。
しかし、その笑わないスヴェンの目が、ごくまれに熱を帯びることがある。
それが、クラウスと話をしているときだ。
自分には絶対に見せない顔を、彼がクラウスの前でしている。
それを知ったとき、ファルケンの胸は不穏に波打った。
スヴェンはクラウス様が好きなのだろうか。当時のファルケンは、そう考えた。
後年、スヴェン自身の口から「ただの敬愛です」と語られることとなるが、このときのファルケンはスヴェンの想いびとはクラウスではないかと密かに思っていたのだ。
いかに『狼』といえど、クラウスとエミールの仲に割って入ろうとするならば、捨て置くわけにはいかない。
だから家族であるエミールが傷つかないようにするため、スヴェンの姿を見かけたときは毎回、彼の動向を見つめていた。断じて自分が気になるからじゃない。エミールのためだ。
誰に言うでもない言い訳を胸に、ファルケンはスヴェンを観察し続けたが、彼が『影』の分を超えた振る舞いを見せることは一度もなかった。
ファルケンとスヴェンは互いにクラウスの私兵として、付かず離れずの距離で過ごしてきた。
スヴェンの実力を不意打ちで試したのが悪かったのだろうか、スヴェンはファルケンと顔を合わせるたびに辛辣な言葉を投げてきたが、彼が遠慮のない口を利くのが自分だけだと思うと、悪くない気がした。
クラウスにしか見せない顔がスヴェンにあるように、ファルケンしか知らないスヴェンの顔がある。そのことが存外ファルケンの自尊心を満たしていた。
でもまだ、おのれの気持ちを自覚してはいなかった。
ファルケンがスヴェンについて抱く感情に名前を付けることができたのは、アダムを捉えたあの夜のことだった。
三年越しでついにオメガ売買の実行犯であるアダムを捕らえることができた日の夜、スヴェンの方からファルケンを誘ってきた。
「抱かれてあげると言ってるんですよ」
随分とまぁ上からの誘いであった。
ファルケンはこれまで、ベータの男を性の相手として見たことはなかった。
住んでいる場所が場所なので、商売女を抱いた経験はそれなりにあった。
彼女たちはアルファに抱かれたことがあるということが一種の箔になるようで、ファルケンはそういう相手に困ることはなかった。(因みに娼館の女たちはなぜかエミールがファルケンの恋人だと思っているため、「今日はエミールが来る日だから」と言うとあっさりと身を引いてゆくのだが、この勘違いについては全面的にエミールが悪いと思っている。自分の立場も顧みず、数日と開けずにファルケンに会いに来るのだから、それは噂になって当然だった。)
そんなわけで色事の経験はそれなりにあるファルケンだったが、スヴェンに誘われたこのとき、彼の腰の細さや腕にすっぽりと収まる華奢な体つきに、意外なほど劣情を煽られた。
細いのにしなやかな筋肉がついているスヴェンの肉体。柔軟性に富んだ関節。クラウス以外に懐かない『狼』が、ファルケンに組み敷かれ、喘いでいる。白金髪がシーツで波打ち、パサリパサリと音を立てる様でさえ官能的だった。
エミールの顔なんて一度も思い出さなかった。エミールの代わりに『影』抱くなんて発想もなかった。それなのになにをどう勘違いしているのか、スヴェンは、自分をエミールの代用だと初めから思い込んでいた。
彼のその意固地なまでの誤認は、ファルケンがどう言葉を尽くしても、頭の中から完全に消え去ってはいないようで、実に頑固でしつこいことに、いまだにそう思っている節がある。
ファルケンとスヴェンが体を繋げてから、もう二十年は経つというのに!
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