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(番外編)アルファとオメガとベータのお話
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「なんだこれは」
と問われて、エミールはこまかで豪奢な刺繍の施されたジャケットを両手に持ったまま、軽く肩を竦めた。
「ユーリ様の上着ですよ」
「見ればわかる。なぜユーリの上着が置きっぱなしなんだ」
エミールの答えを聞いたクラウスが、不可解だという顔つきで上着とエミールを交互に見てきた。
「スヴェンが借りたんです」
「スヴェンが? なぜだ」
狼のように凛々しい美貌に困惑の色が浮かぶ。エミールは上着を掛けた腕を持ち上げて口元を隠しながら、ふふっと笑った。
「内緒です」
スヴェンとファルケンのロマンスは、長らくエミールの胸の内に仕舞われている。
あの二人が『そういう関係』だと知った当時は、驚きに引っくり返りそうになったけれど、なるほどその前提で見てみればファルケンとスヴェンはお似合いの二人だった。
彼らが何食わぬ顔で会話をしたり、素知らぬふりですれ違ったりするたびに、エミールはニヤニヤしそうになる唇を一生懸命噛み締めなければならなかった。
スヴェンが基本的にいつもと同じ態度や表情なのに対して、ファルケンの側はというと、ふだんよりもずっと甘い目つきになっているのが見ていてものすごく……萌える、というか、悶えてしまう。ファルケンもあんな顔できたんだなぁ、となんだか弟の成長をみまもる兄のような心境になってしまう(エミールの方が三歳年下なのだけど)。
ファルケンはいつもエミールにやさしかったし、エミールを大切にしてくれたけど、スヴェンに見せている顔はまた全然違っていた。
それは、ユリウスがリヒトを見つめる眼差しや、クラウスがエミールに注いでくる愛に、とても良く似たものだった。
ファルケンの金茶の瞳の中に、『それ』を見つけるたびにエミールは、スヴェンは愛されてるなぁと思うのだが、当のスヴェンはなぜか、ファルケンが自分を好きだと言っているのはいまだけだ、と期間限定のように捉えている節があった。
「あの男はアルファですから。そのうちに相応しいオメガを見つけるんでしょうね」
恬淡と、しずかな口調で話す横顔に、嫉妬やさびしさはなかった。けれど、たぶんスヴェンは、自分の感情を表に出すのがへたくそなだけなのだ。
だって、スヴェンはとてもやさしいひとだから。
エミールのために魂寄りの木の実をくれた、とてもやさしいひとだから、そんな彼が感情に乏しいはずがない。
表層に浮き出てこないだけで、さびしかったり、苦しい思いを抱いているはずだ。
だからエミールは余計なお世話だと知りつつも、ファルケンを掴まえてはスヴェンのことをどう思っているのか、ちゃんと自分の気持ちを伝えているのか、スヴェンを大切にしているのか、スヴェンのことを理解しているのか、などなど口うるさく質問攻め(好奇心も大いに混ざったことは否めない。ついニヤニヤしながら根掘り葉掘り聞いてしまった)にしたのだが……エミールにおのれの恋愛事情を知られることを恥ずかしがったファルケンが逃げ回るようになってしまい、そのせいでファルケンとスヴェンが二人で居るところを見る機会が減ってしまったのは誤算であった。
彼らが二人でいるところを観察するのがエミールの密かな楽しみだったのに!
しかし今日は、ユリウスのおかげでその貴重な機会に恵まれた。王弟殿下に絡まれたファルケンには気の毒だったが(エミールが原因なのでそれについては本当に申し訳ない)、久しぶりにエミールは二人が揃ったところを見ることができたのだ。
しかも、スヴェンがなにやらめちゃくちゃ可愛いことをしていた。
なんと彼はユリウスに上着を借り、それに袖を通して、ユリウスの匂いを自分につけていたのだ。
物陰から侍従のその姿をこっそり盗み見していたエミールに気づかないとは、いつも隙のないスヴェンにしては、注意力が散漫だったと言わざるを得ない。
中庭の片づけを終えてユリウスたちを送った後、エミールが自室に戻ったと思って完全に油断していたのだろう。扉の隙間から見られているとはまったく気づかないまま、スヴェンはユリウスの上着を脱いで、足早に部屋を出て行ったのだった。
そんなスヴェンを見ていると、随分と『人間らしく』なったように思う。それがエミールは嬉しい。
クラウスですら手を焼いていた『狼』が、ファルケンの愛を得て徐々に感情をストレートに表現するようになっている。愛の力ってすごいなとしみじみ思う。
そんなことを考えていると、抱きしめるようにして持っていたユリウスの上着が急に引っ張られた。
「ユーリのものをそんなに密着させるな」
苦々しいクラウスの声に思わず笑ってしまう。
「あなたの弟でしょう」
「弟でもアルファだ」
「ユーリ様にももう可愛いつがいが居るのに?」
「それでもアルファだ」
上着を取り上げたクラウスが、それをソファへと放り投げ、エミールを抱きしめてきた。
「スヴェンも酷なことをする」
「え?」
「大方、ユーリの匂いをつけてファルケンに会いに行ったんだろう」
「えっ!」
エミールは思わず声をひっくり返した。
「ラス、知ってたんですか?」
「なにをだ」
「ルーとスヴェンが付き合ってること……」
「無論だ」
あっさりと頷かれ、驚愕する。
意外だ。ものすごく意外だ。
「なにをそんなに驚いているんだ」
「だって……ラス、そういうの、ものすごく鈍そうなのに……」
他人の惚れた腫れたなどの話に疎そうなクラウスが、誰に言われずともそれを悟っていたという事実に度肝を抜かれる。
蒼い瞳がエミールを見下ろして軽く細められた。
「私はそこまで鈍くはない」
「あなたが敏いってことは知ってるけど……」
「私は騎士だぞ?」
「騎士団長だってことも知ってるよ……って、え? それ、関係ある?」
思わず首を傾げたら、クラウスが大真面目に口を開いた。
「我々は任務で遠征に出るだろう」
「はい」
「途中、野営をする。馬をつなぎ、天幕を張って、火を興し、食事の支度をするな」
「そりゃあするでしょうね」
「切迫していない状況であれば、酒も出てくる」
エミールは想像してみた。火を囲み、めいめいにくつろぐ騎士たちを。兵糧用にとワインの樽も積むことは珍しいことではないと聞く。
「酔えば大体出てくる話題は、誰と誰が結婚しただ付き合っただ告白しただ浮気をしただしてないだ、そんな話ばかりだ」
「……そうなんですか?」
天下のサーリーク王国の騎士団が? 規律と礼儀を重んじる誇り高き騎士が? そんな低俗な話題で盛り上がっているのか……。
「騎士って、意外としょうもない話をするんですね」
「騎士だからな」
答えにもならないことを言って、クラウスがすこし笑った。
「そういう話を聞いているうちにな、観察眼も鍛えられる。雑談も無駄ではない」
「そういうものですか?」
「そういうものだ。だからファルケンとスヴェンのことも知っている」
なるほど、とエミールは頷いた。
「二人が付き合うことに、反対はしないの?」
「なぜ私が」
「だって、二人とも人狼部隊なんでしょう?」
クラウスの私兵は、ライカンスロープの呼称がついている。それは『狼』の狼面からきたものだが、あの例の『ドナースマルクの毒事件』で、王城内で『狼』が目撃されたことを契機にクラウスの私兵についての噂が一気に広まったらしい。
エミールはいまだ、事件の全貌は知らない。知ろうとも思わないし、知らないままでいいと思っている。
気持ちの整理がついたことと、当時のことを蒸し返すことはまったくべつの行為だ。せっかく深く埋めたものを掘り起こしたくはなかった。
「私は騎士だぞ?」
クラウスがまたそう言った。
「忠誠は国王に。愛はおのれの最愛に。ひとを愛する気持ちは誰しもが自由だ」
エミールのひたいにキスを落としたクラウスが、ささやきの音で告げる言葉に、エミールは騎士の最敬礼を思い浮かべる。国王と、もっとも愛する者にしか跪かない、サーリークの騎士の姿を。
「ファルケンとスヴェンも例外ではない。愛は自由だ。それに」
「それに?」
「あの二人の忠誠は、おまえに捧げられている」
忠誠、という大仰な言葉にエミールは笑ってしまった。
こういうところが王族で、実にクラウスらしい。エミールはいとしいアルファへとキスを返して、あのね、と言った。
「ラス、それは忠誠じゃなくて、愛情って言うんですよ」
「愛情?」
「そう。オレとスヴェンは友達だし、オレとルーは家族だ。オレが一番に愛するのはラスだけど、あなたがユーリ様を愛してるように、オレもスヴェンとルーを愛してるし、二人もオレを愛してくれてるよ」
「む……愛と言われると妬いてしまうな」
「ふふっ。オレが持っている愛は、あなたが居ないと、なかったものだよ。ぜんぶ」
十五歳のエミールが、クラウスと会わなければ……。
彼があのとき、駆けつけてくれなければ。
エミールは野盗に殺されていたかもしれないし、ファルケンだって無事ではなかったかもしれない。
スヴェンと会うこともなかった。アマーリエやマリウス、リヒトやユリウスの顔すら知らないままだったろう。
いま自分の周りにあるものは、すべてクラウスが与えてくれたものだ。
喪ったものも確かにあった。それでも、貰ったものの方が遥かに多かった。
「愛してますよ、オレの騎士」
クラウスの両頬を包んで、自分の方へと引き寄せる。重なった唇から、彼の愛とともに大好きな匂いが入り込んできた。
ちゅ、ちゅ、と唇を吸ったクラウスが、不意に顔を離して眉をしかめた。
「ユーリの匂いがする」
溺愛する弟の匂いですらも、エミールにつくものはゆるせないと渋面を作ったクラウスに、エミールは声を上げて笑った。
「今度、本格的な匂い消しの開発を進言するか」
顎をさすってそんなことを言い出したクラウスに、エミールは「匂い消し?」と首を傾げた。
「そうだ。抑制剤はヒートやラットを抑えるものだろう。一時的に匂いを感知しにくくはなるが、匂い消しに特化したものではない。あくまで体や脳の興奮を抑えるためのものだ」
「でも、匂いだけに効くものなんて、需要ありますか?」
「私やユーリを見てみろ。充分あるだろう」
確かに、とエミールは納得した。匂いだけが消せる薬が開発されれば、ミュラー兄弟のようなアルファが殺到して買い占めが起こるかもしれない。
「でも、そんなものができてしまったら、ユーリ様がきっと、あなたに飲めって言ってきますよ」
この屋敷にはエミールの年下の友人、リヒトがよく遊びに来るから。
リヒト至上主義のユリウスならば絶対にそう言いだすに違いない。
「む……致し方あるまい」
「オレは嫌だなぁ。あなたの匂いが消えてしまうの」
エミールがポツリとつぶやいたら、クラウスが大真面目な顔で「わかった」と請け負った。
「万が一匂い消しが開発されて、万が一ユーリが私に飲めと迫って来たならば、私も覚悟を決めよう」
「なんの覚悟です?」
「ユーリと決闘する覚悟だ」
ぐっとこぶしを握って言い放った騎士団長に、エミールはこらえきれずにふきだした。
「ふっ……あははっ! あなたって本当に、オレのことが好きですねぇ」
こんなことで決闘だなんて。
本当にバカで、エミールのことが大好きで、仕様のないアルファである。
笑うエミールを見て、クラウスの顔もやさしくほころんだ。
その後、エミールがスヴェンへと、
「今度リヒトのところにお呼ばれしてるから、ユーリ様の上着はオレから返しとくよ」
と申し出たのだが、直後にスヴェンがぎょっとしたようにこっちを見てきたから驚いた。
スヴェンはいつも、エミールがなにをしてもなにを聞いても淡々としていたし、ファルケンのように恥ずかしがる素振りもなく割りとなんでも明け透けに話してくれていたので、このときも「そうですか」と言われるだけだと思っていたのだけど。
「ま、まさか、見てたんですか?」
スヴェンが珍しく動揺も露わに問いかけてきて、エミールは戸惑いつつも頷いた。
「ごめん。ドアがちょっと開いてたから見えちゃった。スヴェンがユーリさまぁんむっ」
ものすごい速さで伸びてきた手に、口を塞がれた。
ふだんであれば絶対にしない無遠慮さでエミールの口を押さえたスヴェンが、白い頬に血の色を上らせて、
「わっ、忘れてくださいっ!!」
と叫んだから、エミールの目はもう真ん丸になってしまった。
スヴェンが可愛いっ!
照れるスヴェンが貴重すぎて、自分に絵の才能があれば絶対にこの表情を記録していたのに! とその可愛さに身悶えしつつ、自身の画才のなさを恨んだエミールであった。
アルファとオメガとベータのお話・END
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狼のように凛々しい美貌に困惑の色が浮かぶ。エミールは上着を掛けた腕を持ち上げて口元を隠しながら、ふふっと笑った。
「内緒です」
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スヴェンが基本的にいつもと同じ態度や表情なのに対して、ファルケンの側はというと、ふだんよりもずっと甘い目つきになっているのが見ていてものすごく……萌える、というか、悶えてしまう。ファルケンもあんな顔できたんだなぁ、となんだか弟の成長をみまもる兄のような心境になってしまう(エミールの方が三歳年下なのだけど)。
ファルケンはいつもエミールにやさしかったし、エミールを大切にしてくれたけど、スヴェンに見せている顔はまた全然違っていた。
それは、ユリウスがリヒトを見つめる眼差しや、クラウスがエミールに注いでくる愛に、とても良く似たものだった。
ファルケンの金茶の瞳の中に、『それ』を見つけるたびにエミールは、スヴェンは愛されてるなぁと思うのだが、当のスヴェンはなぜか、ファルケンが自分を好きだと言っているのはいまだけだ、と期間限定のように捉えている節があった。
「あの男はアルファですから。そのうちに相応しいオメガを見つけるんでしょうね」
恬淡と、しずかな口調で話す横顔に、嫉妬やさびしさはなかった。けれど、たぶんスヴェンは、自分の感情を表に出すのがへたくそなだけなのだ。
だって、スヴェンはとてもやさしいひとだから。
エミールのために魂寄りの木の実をくれた、とてもやさしいひとだから、そんな彼が感情に乏しいはずがない。
表層に浮き出てこないだけで、さびしかったり、苦しい思いを抱いているはずだ。
だからエミールは余計なお世話だと知りつつも、ファルケンを掴まえてはスヴェンのことをどう思っているのか、ちゃんと自分の気持ちを伝えているのか、スヴェンを大切にしているのか、スヴェンのことを理解しているのか、などなど口うるさく質問攻め(好奇心も大いに混ざったことは否めない。ついニヤニヤしながら根掘り葉掘り聞いてしまった)にしたのだが……エミールにおのれの恋愛事情を知られることを恥ずかしがったファルケンが逃げ回るようになってしまい、そのせいでファルケンとスヴェンが二人で居るところを見る機会が減ってしまったのは誤算であった。
彼らが二人でいるところを観察するのがエミールの密かな楽しみだったのに!
しかし今日は、ユリウスのおかげでその貴重な機会に恵まれた。王弟殿下に絡まれたファルケンには気の毒だったが(エミールが原因なのでそれについては本当に申し訳ない)、久しぶりにエミールは二人が揃ったところを見ることができたのだ。
しかも、スヴェンがなにやらめちゃくちゃ可愛いことをしていた。
なんと彼はユリウスに上着を借り、それに袖を通して、ユリウスの匂いを自分につけていたのだ。
物陰から侍従のその姿をこっそり盗み見していたエミールに気づかないとは、いつも隙のないスヴェンにしては、注意力が散漫だったと言わざるを得ない。
中庭の片づけを終えてユリウスたちを送った後、エミールが自室に戻ったと思って完全に油断していたのだろう。扉の隙間から見られているとはまったく気づかないまま、スヴェンはユリウスの上着を脱いで、足早に部屋を出て行ったのだった。
そんなスヴェンを見ていると、随分と『人間らしく』なったように思う。それがエミールは嬉しい。
クラウスですら手を焼いていた『狼』が、ファルケンの愛を得て徐々に感情をストレートに表現するようになっている。愛の力ってすごいなとしみじみ思う。
そんなことを考えていると、抱きしめるようにして持っていたユリウスの上着が急に引っ張られた。
「ユーリのものをそんなに密着させるな」
苦々しいクラウスの声に思わず笑ってしまう。
「あなたの弟でしょう」
「弟でもアルファだ」
「ユーリ様にももう可愛いつがいが居るのに?」
「それでもアルファだ」
上着を取り上げたクラウスが、それをソファへと放り投げ、エミールを抱きしめてきた。
「スヴェンも酷なことをする」
「え?」
「大方、ユーリの匂いをつけてファルケンに会いに行ったんだろう」
「えっ!」
エミールは思わず声をひっくり返した。
「ラス、知ってたんですか?」
「なにをだ」
「ルーとスヴェンが付き合ってること……」
「無論だ」
あっさりと頷かれ、驚愕する。
意外だ。ものすごく意外だ。
「なにをそんなに驚いているんだ」
「だって……ラス、そういうの、ものすごく鈍そうなのに……」
他人の惚れた腫れたなどの話に疎そうなクラウスが、誰に言われずともそれを悟っていたという事実に度肝を抜かれる。
蒼い瞳がエミールを見下ろして軽く細められた。
「私はそこまで鈍くはない」
「あなたが敏いってことは知ってるけど……」
「私は騎士だぞ?」
「騎士団長だってことも知ってるよ……って、え? それ、関係ある?」
思わず首を傾げたら、クラウスが大真面目に口を開いた。
「我々は任務で遠征に出るだろう」
「はい」
「途中、野営をする。馬をつなぎ、天幕を張って、火を興し、食事の支度をするな」
「そりゃあするでしょうね」
「切迫していない状況であれば、酒も出てくる」
エミールは想像してみた。火を囲み、めいめいにくつろぐ騎士たちを。兵糧用にとワインの樽も積むことは珍しいことではないと聞く。
「酔えば大体出てくる話題は、誰と誰が結婚しただ付き合っただ告白しただ浮気をしただしてないだ、そんな話ばかりだ」
「……そうなんですか?」
天下のサーリーク王国の騎士団が? 規律と礼儀を重んじる誇り高き騎士が? そんな低俗な話題で盛り上がっているのか……。
「騎士って、意外としょうもない話をするんですね」
「騎士だからな」
答えにもならないことを言って、クラウスがすこし笑った。
「そういう話を聞いているうちにな、観察眼も鍛えられる。雑談も無駄ではない」
「そういうものですか?」
「そういうものだ。だからファルケンとスヴェンのことも知っている」
なるほど、とエミールは頷いた。
「二人が付き合うことに、反対はしないの?」
「なぜ私が」
「だって、二人とも人狼部隊なんでしょう?」
クラウスの私兵は、ライカンスロープの呼称がついている。それは『狼』の狼面からきたものだが、あの例の『ドナースマルクの毒事件』で、王城内で『狼』が目撃されたことを契機にクラウスの私兵についての噂が一気に広まったらしい。
エミールはいまだ、事件の全貌は知らない。知ろうとも思わないし、知らないままでいいと思っている。
気持ちの整理がついたことと、当時のことを蒸し返すことはまったくべつの行為だ。せっかく深く埋めたものを掘り起こしたくはなかった。
「私は騎士だぞ?」
クラウスがまたそう言った。
「忠誠は国王に。愛はおのれの最愛に。ひとを愛する気持ちは誰しもが自由だ」
エミールのひたいにキスを落としたクラウスが、ささやきの音で告げる言葉に、エミールは騎士の最敬礼を思い浮かべる。国王と、もっとも愛する者にしか跪かない、サーリークの騎士の姿を。
「ファルケンとスヴェンも例外ではない。愛は自由だ。それに」
「それに?」
「あの二人の忠誠は、おまえに捧げられている」
忠誠、という大仰な言葉にエミールは笑ってしまった。
こういうところが王族で、実にクラウスらしい。エミールはいとしいアルファへとキスを返して、あのね、と言った。
「ラス、それは忠誠じゃなくて、愛情って言うんですよ」
「愛情?」
「そう。オレとスヴェンは友達だし、オレとルーは家族だ。オレが一番に愛するのはラスだけど、あなたがユーリ様を愛してるように、オレもスヴェンとルーを愛してるし、二人もオレを愛してくれてるよ」
「む……愛と言われると妬いてしまうな」
「ふふっ。オレが持っている愛は、あなたが居ないと、なかったものだよ。ぜんぶ」
十五歳のエミールが、クラウスと会わなければ……。
彼があのとき、駆けつけてくれなければ。
エミールは野盗に殺されていたかもしれないし、ファルケンだって無事ではなかったかもしれない。
スヴェンと会うこともなかった。アマーリエやマリウス、リヒトやユリウスの顔すら知らないままだったろう。
いま自分の周りにあるものは、すべてクラウスが与えてくれたものだ。
喪ったものも確かにあった。それでも、貰ったものの方が遥かに多かった。
「愛してますよ、オレの騎士」
クラウスの両頬を包んで、自分の方へと引き寄せる。重なった唇から、彼の愛とともに大好きな匂いが入り込んできた。
ちゅ、ちゅ、と唇を吸ったクラウスが、不意に顔を離して眉をしかめた。
「ユーリの匂いがする」
溺愛する弟の匂いですらも、エミールにつくものはゆるせないと渋面を作ったクラウスに、エミールは声を上げて笑った。
「今度、本格的な匂い消しの開発を進言するか」
顎をさすってそんなことを言い出したクラウスに、エミールは「匂い消し?」と首を傾げた。
「そうだ。抑制剤はヒートやラットを抑えるものだろう。一時的に匂いを感知しにくくはなるが、匂い消しに特化したものではない。あくまで体や脳の興奮を抑えるためのものだ」
「でも、匂いだけに効くものなんて、需要ありますか?」
「私やユーリを見てみろ。充分あるだろう」
確かに、とエミールは納得した。匂いだけが消せる薬が開発されれば、ミュラー兄弟のようなアルファが殺到して買い占めが起こるかもしれない。
「でも、そんなものができてしまったら、ユーリ様がきっと、あなたに飲めって言ってきますよ」
この屋敷にはエミールの年下の友人、リヒトがよく遊びに来るから。
リヒト至上主義のユリウスならば絶対にそう言いだすに違いない。
「む……致し方あるまい」
「オレは嫌だなぁ。あなたの匂いが消えてしまうの」
エミールがポツリとつぶやいたら、クラウスが大真面目な顔で「わかった」と請け負った。
「万が一匂い消しが開発されて、万が一ユーリが私に飲めと迫って来たならば、私も覚悟を決めよう」
「なんの覚悟です?」
「ユーリと決闘する覚悟だ」
ぐっとこぶしを握って言い放った騎士団長に、エミールはこらえきれずにふきだした。
「ふっ……あははっ! あなたって本当に、オレのことが好きですねぇ」
こんなことで決闘だなんて。
本当にバカで、エミールのことが大好きで、仕様のないアルファである。
笑うエミールを見て、クラウスの顔もやさしくほころんだ。
その後、エミールがスヴェンへと、
「今度リヒトのところにお呼ばれしてるから、ユーリ様の上着はオレから返しとくよ」
と申し出たのだが、直後にスヴェンがぎょっとしたようにこっちを見てきたから驚いた。
スヴェンはいつも、エミールがなにをしてもなにを聞いても淡々としていたし、ファルケンのように恥ずかしがる素振りもなく割りとなんでも明け透けに話してくれていたので、このときも「そうですか」と言われるだけだと思っていたのだけど。
「ま、まさか、見てたんですか?」
スヴェンが珍しく動揺も露わに問いかけてきて、エミールは戸惑いつつも頷いた。
「ごめん。ドアがちょっと開いてたから見えちゃった。スヴェンがユーリさまぁんむっ」
ものすごい速さで伸びてきた手に、口を塞がれた。
ふだんであれば絶対にしない無遠慮さでエミールの口を押さえたスヴェンが、白い頬に血の色を上らせて、
「わっ、忘れてくださいっ!!」
と叫んだから、エミールの目はもう真ん丸になってしまった。
スヴェンが可愛いっ!
照れるスヴェンが貴重すぎて、自分に絵の才能があれば絶対にこの表情を記録していたのに! とその可愛さに身悶えしつつ、自身の画才のなさを恨んだエミールであった。
アルファとオメガとベータのお話・END
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とにかく今日一日、目が痛くて痛くて、、。本を読んで泣いたのは何年ぶり?というほど素敵な作品に出会わせて頂きありがとうございました。泣
今まで素敵な作品であっても最大限アクション起こしても『いいね』くらいの反応でしたが、どうしても御礼と賛辞をお伝えしたく!コメントしたいがために、サイトに登録しております、、、
前作『溺愛アルファ〜』を読み(前作はコミックシーモアさんで立ち読みしてみたら気になり、電子書籍を購入。次作を待ちきれず、こちらに移動して一気に読了)、スピンオフがあるということで、昨日読み始め、一気に読み進めて夜中に号泣。こんなに泣いたのは何年ぶり?!というくらい自分で引くほどに号泣。幸せな結末を祈りながら(待ちながら)読み進めて知りたいのに、目の奥がチリチリ痛くなるほど涙で目が滲み、なかなか前に進めずティッシュを抱えつつ、どうにかこうにか2人の行末を見届けました(;_;)
前作で未来を知っているはずなのに2人にこんな試練があったとは、、、特に後半は、主人公の感情だけでなく、それぞれの登場人物の感情の交錯が(次の話へ転換する時間的な余白?と言いましょうか、、そういうものも手伝って)膨らみ、痛いほどに現実味を帯びて感じられました。
今朝起きたら案の定目がパンパン。同僚に不審がられていたと思います。気を緩めると閉じていくパンパンの瞼を気合いで何度も開けておりましたが、この気持ちをお伝えしたく!!勢いで感想を書いています。
無料なのがもったいない、、電子に続き紙版購入などで応援できればと思いますので、引き続き良い作品を作ってください。
(気付いたら皆さんの感想をはるかに超える長文!💦申し訳ありません💦)
kinnoさん、この度はめちゃくちゃ嬉しいコメントをありがとうございます!!!
わざわざサイトの登録までしてくださったとは! 感謝感謝です。
『溺愛アルファ~』からこちらにたどり着いてくださり、クラウスとエミールの行く末を見届けていただきほんとにありがとうございます。
このシリーズに出てくるキャラは私も思い入れが強いので、主役だけでなく脇キャラたちの感情などにも思いを馳せていただけたこととても嬉しいです。
長文の感想もめちゃくちゃ嬉しいですよ~!
書籍の方は続きが出るかどうかは編集部次第なので私にはどうにもできないのですが、ミュラー兄弟の話はまた書きたいな~と思ってますので、いつかどこかでお目にかかれたら大変嬉しいです。
この度は本当にありがとうございました!!
泣きながら読みました……( ; ; )
リヒトをずっと支えてくれてたエミールにそんな事があったとは驚きです。ひたすらエミールに尽くすクラウス素敵でした。
素晴らしいお話をありがとうございます!
きのさん、嬉しいコメントありがとうございます~。
溺愛アルファ~からこちらの方も読んでくださったんですね!感謝感謝です。
エミールとクラウス、二人の物語を見届けていただき本当にありがとうございます!!
こんにちは
久しぶりに涙が溢れました。滅多にないのですよ、このように心が動かされることは・・・・
しかも127pでここまで人の心掴んでやまない物語、マイ フェイバレット確定です。
ありがとうございました。今後も期待しています!
蛸蛸あがれさん、コメントありがとうございます!!
とても嬉しいお言葉をちょうだいしてホクホクしております。
クラウスとエミールの物語に最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました!